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麻生発言 「またか」のデジャビュ [時事]

麻生太郎氏の口の端から漏れた正直な本音が、世界に波紋を広げています。幾度目かのデジャビュ 。「戦犯」を国民の手で断罪してこなかった私たちの国の、歴代為政者たちの素顔?またか、と鼻白むとともに、これを「舌禍事件」というカテゴリーで扱いたい方々にも、うんざりします。
麻生氏は”誰も気づかないうちにワイマール憲法をナチス憲法に変えてしまったナチスの手口”に学ぶべきだとおっしゃっているのです。
「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ。」「「大衆は女だ、私に従わせる」「嘘も百遍言えば本当になる」ゲッペルス仕込みのデマ・謀略と、ヒットラーユーゲントを使った物理的・肉体的恐怖といったものが、さぞかし、その「手口」なのでしょうか?

ワイマール憲法を改変してナチス憲法を制定していく動きの中でエポックになるのは、ドイツ国会放火事件でしょう。「百科事典マイペディアの解説」を借りれば、「1933年2月27日ドイツ国会議事堂が何者かによって放火され,全焼した事件。ナチス政府は直ちにこの責任をドイツ共産党に負わせ,翌日ワイマール憲法を事実上停止し,引き続き共産党を弾圧,非合法化した。」
麻生氏のおっしゃる「手口」とは、こういう謀略のことなんですか?歴史の彼方に記憶も薄らいだ、下山、三鷹、松川、白鳥などの謀略事件を、もっと大がかりに再現しようとでもおっしゃるのですかねえ!桑原桑原。

ニーメラー師の言葉を、改めて想起することにしましょう。

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった)
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった
私はユダヤ人などではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

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