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小学校時代の同窓会 [友人]

 お盆の頃といえば、お正月の時期とともに、同窓会の有力なシーズンかもしれません。現に私自身、今年の正月には中学校時代の学年の同窓会があり、今日(8/15)は、小学校の同窓会がありました。
 11時開会、10時集合と、案内に書いてあったのを、私はすっかり見逃して(というより念頭になく)10時半に行けば早い方だろうと勝手に決め込んで、故郷の実家近くの会場まで2時間の道のりを、大阪から帰っている次男に運転を頼んで、10時半前に到着したのでした。
 しかし、会場には誰一人いなくて、しばらくして従業員の方が「皆様は、10時頃集まられて、まずお墓参りに出発されました。11時開会ですので、会場でお待ちくださいとのことです」と、伝言をいただき、唖然。「10時集合」の意味が、やっとわかった次第でした。
 つまり、数年前に亡くなった同級生のA君(これまでの同窓会を、中止になって企画実行してくれていた)と、昨年逝去されたK先生(小学校3年生と5年生、2度も担任していただき、過去の同窓会にも出席してくださっていました)の墓参を、同窓会開会前に実行しようという計画意図を、ほかの友人たちは皆察知して、今実行しているのです。
墓参のことは念頭にありながら、「開会前に実行」という解が全く浮かばなかったうかつさは、私の脳の回路の不全をあかしだてしているようで、恥ずかしいというよりも気をふさがせるに十分でした。
 がらんとした和室の会場で、一人ぽつねんと時間を過ごしておりますと、一人、「Sです」と名乗って部屋の入り口に立つ人がありました。逆光でお顔がはっきりわからなかった、というのは口実で、一瞬脳内の回路が混乱を起こして、とっさの対応を失っていたのです。私は、最近とみに記憶や認知があやふやになりつつあるという自覚はあるものの、さすがに17人の同級生を、見分けられないはずはないという自信はありました。でも、その方を一瞥して、どうにも私の同級生のどの顔とも結びつかないのです。
 私のなかでは長い時間の沈黙があって、その間、おそらく頼りなげに目を空中に泳がせながら、必死で考えを巡らせた結果、至極当たり前の正解に到達したのです。小学6年の担任だったS先生でした。当時20代半ばの、背がすらりと高く、スポーツマンで、美術に秀でた、颯爽たる青年教師の面影が、その姿にも顔立ちにも容易に読み取れるはずなのに、「恩師のご出席」という発想を思い浮かべることができなかったことも、今日二つ目のうかつさでした。
 続けて、女性の参加者が来室。今度は、脳内回路も迷うことなく機能し、小学一年の担任S先生であることを了解し、お二人の恩師と懐かしくよもやま話をしているうちに、一同がそろい、開会となりました。
 地元に住むN君の骨折りで、短時間で準備・実現してくれた計画だけに、種々の事情で出席できない数人があったことは心残りでしたが、懐かしく友好的なひとときを過ごすことができました。
 東京、大阪に在住の級友を含め、地元を離れて各地に暮らす仲間が、何年ぶりかに集まって交流するのに、隔ての距離や時間は、全く瞬間に取り去られる。次第に薄らいだり、長い間思い出しもしなかった記憶や情景が、ありありと蘇ってくる、親密な空気のありがたさ。いわば、自己のアイデンティティの再確認につながる、格別の時間と空間は、得難いものでした。
 同級の仲間は、小学4年生の時に1人、25歳で1人、50代半ばで1人、それぞれ亡くなりました。生きてる間に、また会いたいね。3年後?5年後?毎年?と議論は百出でしたが、近いうちに再度計画することを約して別れたことでした。
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