SSブログ
<

ウにサギに スズメにヒバリ フルヘッヘンド [折々散歩]

昨日の私の「労作」=自転車のパンク修理は、おおむね成功したらしく、今朝になってもタイヤの空気が抜けていません。密かに快哉を叫んだのでした。
こちらに比べると、月とすっぽん、雲泥の差/雲泥万里/鯨と鰯/霄壌の差/駿河の富士と一里塚/提灯に釣鐘/灯心に釣鐘/鍋蓋とすっぽん/箸に虹梁/瓢箪に釣鐘/雪と墨ですがね。
気をよくして、日課の朝の散歩は、自転車でひと走り。絶好の日和で、快適な有酸素運動になりました。
今日の出会いは、鳥たち。
まずは、先日も話題にしたゴイサギ。これは、幼鳥でしょうか?いわゆる「ホシゴイ」の呼び名にふさわしい、星の班紋がはっきり見えます。
_img9772.jpg

_img9774.jpg

成鳥のオスの撮影が失敗続きですので、古い写真(3年ぐらい以前?)を貼っておきます。
Imgp2628_0001.jpg

これは、鵜。鵜飼いの鵜は、ウミウを捕獲して訓練するそうですが、こちらはカワウ。貪欲な食性や、糞被害で,迷惑がられる存在ですが、その独特の肢体といい、鉤型のくちばしと言い、エメラルドグリーンの目といい、なかなかのクールガイです。
_img9808.jpg

何年か前、コロニーでにぎやかに談論中の姿を「激撮」したのを思い出しましたので、あわせて貼っておきます。
IMGP2634_0001.jpg

次は?もちろん雀。厳めしい鉄の「オブジェ」の上で、ポーズをとっています。
_img9787.jpg

_img9782.jpg

最後は???
_img9843.jpg
_img9849.jpg
_img9852.jpg
雀ではありません。雲雀です。ヒバリ。
麦が青々と広がる季節に、空高く歌いながら舞う姿は、この地方の風物詩です。
「美空ひばり」さんの芸名の名付け親については諸説あるそうですが、青く澄んで美しい空の高みで、高らかに歌うのが、ヒバリの真骨頂。
『万葉集』大伴家持の歌が、自然と連想されます。
うらうらに、照れる春日(はるひ)に、ひばり上がり、こころかなしも、ひとりし思へば
万葉集の編集に深く関わったとされる家持は、単純・素朴・直情的・雄渾・安定・壮大・男性的、「ますらをぶり」などと称される「万葉集」の歌風を超えていて、繊細・優美な境地を歌にとどめています。そのセンチメンタルなナイーブさは、古今集の時代をも飛び越えて、さらに先へ進んでいたかもしれないと、昔誰かと話した記憶があります。
この歌を彩る春愁は、青春の憂いでしょうか?それとも老年のそれでしょうか?若い頃は訳もなく前者だと確信し、今は後者かと疑っています。
ヒバリが似合うのは、春か初夏でしょうが、秋にも空高く舞う光景が見られます。
そのひばり。私の散歩道で、しょっちゅう出会います。田畑やあぜ道などで、虫でも捕らえて採餌しているのでしょうか。地味な色彩の鳥ですので、間近になるまでそれと気づかず、あわててカメラを構える頃には、もう逃げ出しています。
オスには、目立つトサカがあるのですが。さてこの写真の個体はどうでしょうか?幼鳥のようにも見えます。

「ピーチクパーチクひばりの子」というフレーズが、浮かんできました。続きはどうでしたっけ。「げんぱくなすびのいがいがどん」でしたね。
「げんぱく」は杉田玄白だろうと目星をつけていたのですが、「げんぱくなすび」とは?「いがいがどん」とは?謎です。

早速ネット検索してみると、熊本民謡の「おてもやん」の囃子ことばだと分かりました。
数ある参考サイトの内、この熊本国府高校のサイト

によると、歌詞は次の通り。

 おてもやん あんたこの頃嫁人りしたではないかいな
 嫁人りしたこたしたぱってん
 ご亭どんがぐしゃっぺだるけん まあだ盃ゃせんだった
 村役(むらやく)鳶役(とびやく)肝(きも)入りどん
 あん人達のおらすけんで あとはどうなっときゃあなろたい
 川端町(かわばたまち)つぁんきゃあめぐろい
 春日ほうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃーで 花ざかり花ざかり
 ピーチクパーチクひばりの子 げんばくなすびのいがいがどん

さらに、続けて、
数ある熊本民謡中でも全国的にもよく知られた歌で、陽気なリズムとユーモアにあふれる歌詞で知られている。歌ができたのは幕末頃といわれ、当時は「熊本甚句」といって花柳界のお座敷歌として歌われていたとか。
 一説によると、三味線と踊りの師匠・永田イネのもとに稽古に通っていた女性をモデルとし、彼女の結婚に際して永田イネがつくったものといわれています。
 この外に、幕末の肥後勤王党が孝明天皇に捧げたしのび歌ではないかとの説もありますが、真偽のほどは定かではないようです。しかし、幕末のしのび唄というのも面白いと思いませんか。以前、しのび歌としての歌詞の解釈を聞いたことがあるのですが、「なるほど!」と相づちを打ちたくなる部分もあり、詳しく調べれば興味深いかも知れませんね。
と、コメントがあります。

また、へのこのリンクをたどると、標準語訳が試みられています。くだんの、「ピーチクパーチクひばりの子 げんばくなすびのいがいがどん」は、---春にさえずる雲雀の子のような浮かれっぱなしの男や野暮ったいイガグリ男たちは私の趣味ではないよ。「玄白なすび」とは蘭学者杉田玄白が広めた茄子---とありました。

杉田玄白というと「解体新書」(ターヘルアナトミア)ですか?小学校だったか中学校だったかの教科書で、「フルヘッヘンド」という言葉を翻訳する苦労を描いた文章を読んだ記憶がありました。そうそう、菊池寛の「蘭学事始」でしたね。
「青空文庫」から引用しておきます。
  
彼らは、眉、口、唇、耳、腹、股、踵などについている符号を、文章の中に探した。そして、眉、口、唇などの言葉を一つ一つ覚えていった。
 が、そうした単語だけはわかっても、前後の文句は、彼らの乏しい力では一向に解しかねた。一句一章を、春の長き一日、考えあかしても、彷彿として明らめられないことがしばしばあった。四人が、二日の間考えぬいて、やっと解いたのは「眉トハ目ノ上ニ生ジタル毛ナリ」という一句だったりした。四人は、そのたわいもない文句に哄笑しながらも、銘々嬉し涙が目のうちに滲んでくるのを感ぜずにはおられなかった。
 眉から目と下って鼻のところへ来たときに、四人は、鼻とはフルヘッヘンドせしものなりという一句に、突き当ってしまっていた。
 むろん、完全な辞書はなかった。ただ、良沢が、長崎から持ち帰った小冊に、フルヘッヘンドの訳注があった。それは、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という文句だった。
 四人は、その訳注を、引き合しても、容易には解しかねた。
「フルヘッヘンド! フルヘッヘンド!」
 四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻から申(さる)の刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。申の刻を過ぎた頃に、玄白が躍り上るようにして、その膝頭を叩いた。
「解(げ)せ申した。解(げ)せ申した。方々、かようでござる。木の枝を断ち申したるあと、癒え申せば堆(たか)くなるでござろう。塵土聚(あつま)れば、これも堆(たか)くなるでござろう。されば、鼻は面中にありて、堆起するものでござれば、フルヘッヘンドは、堆(たか)しということでござろうぞ」といった。
 四人は、手を打って欣びあった。玄白の目には涙が光った。彼の欣びは、連城の玉を獲(と)るよりも勝(まさ)っていた。

解体新書と言えば、吉村昭「冬の鷹」がありました。これは、前野良沢にスポットを当て杉田玄白、平賀源内の、三者三様の生き方が描かれていておもしろい。
良沢のことば、「人の死は、その人間がどのように生きたかをしめす結果だ。どのように死をむかえたかをみれば、その人間の生き方もわかる」一応メモしておきましょうか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。