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記憶の中のチリクーデター 「パブロ・ネルーダ プレセンテ」 [今日の暦]

昨日の記事の書き残しです。
「失語症」という診断名をもらっているわけではありませんが、言葉が浮かんできません。また、思考がしばしば途切れます。加齢のせいか、脳血管手術のささやかな影響か?いずれにせよ、自分の身体環境につきあうしかありません。
昔、尊敬するY先生が、退職前後に、「最近言葉が思い出せないことが多い。Uさん(これも敬愛する我が恩師)も、まず名詞を忘れ、今では形容詞や動詞さえ思い出せないことがある、と言っているが、まさにそのとおり」と述懐されていたことがありました、読書家で緻密な理論家だったY先生でさえそうか、と半分驚き、半分安心した覚えがあります。自分がその年齢になると、いやはや、これはなかなかの新境地。中島敦の『名人伝』(弓の名人が、修行の末、弓矢なしに獲物を射る境地に達し、さらについには、弓矢というものの存在自体を名前もろとも忘れてしまう)もかくや、と笑ってばかりもいられません。
関連事項を芋づる式にたどったり、あいうえお順に言葉を当ててみたりして、ようやく思い出せることもあります。「アハ体験というのが大事だそうですよ」と、保健室のY嬢がいたわってくださったのも、数年前です。
いまでは、そのアハ体験もまれで、外部記憶をひもとくか、安直にネット検索でカンニングする機会が増えたせいか、余計に記憶回路が鈍磨してきているようです。
昨日の記事を書きつつ、ここまでぼんやり浮かびかけているのにはっきり形を成さない言葉がありました。それが、深夜、ふと 浮かんできたのです。
「パブロ・ネルーダ プレセンテ」
ネルーダの葬儀に際して、彼の死を悼む群衆が口々に叫んだという言葉。確か、こんなフレーズだったよな。
と、苦しいときのネット頼みで、検索してみますと、やった!ヒットしました。これは久々のアハ体験でした。
「タップ ―― 平和をめざす翻訳者たち」(TUP: Translators United for Peace)という方々の掲示板であるようです。無断で引用させていただきます。


『もうひとつの9・11
1973年軍事クーデターに死す――パブロに告別を』
――アリエル・ドルフマン
ワシントン・ポスト 2003年9月26日特別寄稿

(前略)
彼はガンで倒れたが、悲しみも死因のひとつだった。ネルーダが共産党員とし
て生涯を賭け、求めてやまなかった社会正義と経済的主権を軍が根こそぎにし
てしまった。デモクラシーに反逆した『もうひとつの9・11』――1973
年9月11日のクーデターを悔やみ、サルバドール・アジェンデの死を嘆き、
一斉検挙、拷問、処刑された数多くの友人・同胞を悼み――彼にとって、すべ
てが余りものことだった。
(訳注: クーデター直後、ネルーダの主治医も逮捕され、彼自身、寝台車で搬
送される途中に検問・拘束、訊問され、病院へ辿り着いた時には、すでに危篤状
態だったという)

1936年の共和制スペインの街路に流れる血を糾弾し、世界全体に向けてそ
の血を見よと訴え、息も詰まるような恐怖の雰囲気を、ネルーダ自身がしばし
ば詩に描写していたが、その同じ血が、彼の平和な国チリで流され、住民すべ
てが侵され、沈黙させられようとしていた。
(訳注: 訳者前書きに紹介するサイトに掲載の詩『そのわけを話そう』参照。
ドルフマンによれば、初期のネルーダの詩作スタンスは形而上学的だったが、
スペイン内乱体験が詩に政治メッセージを帯びさせる転機になった)

私がネルーダの最期の儀式に近寄らなかったのは、ネルーダが書いたような恐
怖が遠ざけたからだ。クーデター勃発を受けて、逃亡し、隠れていて、国を離
れ、生き延びる方策を探していた私は、兵士たちと政府のスパイに監視されて、
ノロノロ進むに違いない葬列に加わるのは、愚の骨頂であると自らに言い聞か
せていたのである。

私以外の何千ものチリ人たちは、おそらく私以上に絶望し、たしかに無鉄砲で
あり、間違いなく勇敢であって、権力に反抗し、恐怖を克服すると決意してい
たのだ。30年前のあの日、人びとはサンチャゴ市街全域から共同墓地に集ま
った。

後になって私の友人たちが語ってくれた……最初のうちこそ、押し黙り、侘び
しい群集にすぎなかったが、やがて奥の方から、「コムパヘロ(同志)パブロ・ネ
ルーダ!」と、ひとつの声があがった。すると、プレセンテ!――『ここにい
るぞ!』と、何百もの声が雷鳴のように応えた。チリで最も高名な詩人、ラテ
ンアメリカで一番の人気作家、20世紀だけではなく、時を超えて、希有な声
を持つ、この人へのこの忠誠の誓いを前にして、近くに控えていた軍隊は、ど
うしてよいのかも分からず、なす術もなかった。

続いて、「コムパヘロ・サルバドール・アジェンデ!」と、前と同じバリトンの
声が鳴り響き、2週間前に名を伏せたまま埋葬された亡き大統領は今も生きてい
る、褒め称えよと訴えた。ふたたび、プレセンテ!――『ここにいるぞ!』と
大声が応えた……ビノチェット独裁の17年間、自らの夢の死をおおっぴらに
悼むこともはばかれ、禁じられることになる者たちの叫びだった。
(後略)

「コムパヘロ・パブロ・ネルーダ! プレセント!」  同志パブロネルーダはここにいるぞ!
「コムパヘロ・サルバドール・アジェンデ! プレセント!」  同志サルバドールアジェンデはここにいるぞ!
私の中に、私たち民衆の中に。

確かにこの場面は当時の報道でも伝えられ、人々の声々がアンデスの山にこだまする情景を想像して、当時二十歳の私は強く胸を揺さぶられたのでした。私は、これを稚拙な詩の形にして、新聞の文芸欄に投稿した記憶があります。もちろんボツでしたが、私の、生涯ただ一度の詩の投稿でした。
当時のことですから、原稿用紙に書いたものを送ってしまい、今では下書きも散逸していて、どんなものだったかも曖昧ですが、韓国の詩人キムジハ(金芝河)やら、日本のプロレタリア作家小林多喜二やらが、同時に登場してくるとりとめもない「作品」だったと思います。


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