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辺見氏の記事にあれこれ思う朝 [時事]

この記事読み落としていました。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1309070012/
2004年脳出血、2005年大腸癌と、二重の災厄を受け止めながら書かれた『自分自身への審問』が確か2006年の刊行。
最近、当時とは別の感慨を持って(より我が身に引き寄せて)読み返しています。
初読は、私の脳血管手術前の時期でしたが、病気の進行を直視したくない心理からか、できるだけ想像力・共感力を抑制しながら読みました。また、逆に手術後は、あまりに状況がシンクロしすぎて、もう一度読むだけの気力も体力ももてませんでした。
いま、脳血管病の上に、癌まで得たという点で(程度としては私の方が遙かに軽度ですが)ある意味、「同病者の気安さ」で読める気がして。
実は、闘病後の氏の活動、活躍については全くwatchingしていませんでした。ですから、詩集『生首』で第16回中原中也賞(2011年)、詩集『眼の海』で第42回高見順賞(2012年)を続けて受賞されたのをはじめ、旺盛な執筆活動、社会的発言をされていることを、知りませんでした。汗顔!

辺見庸さんについて、いつか書いた記憶があったので、探ってみると、しばらく更新していない私のホームページ(http://www006.upp.so-net.ne.jp/yamfam/)に、ベトナムへの旅の経験談を書き、その「あと書き」にこんな文章を添えていました。少し長いけれど、引用します。

また、シンガーソングライターで、枯れ葉剤の被害児を支援する運動にもとりみ続けている横井久美子さんのホームページに、次のような記事がありました。

■第5回、枯葉剤の被害者を支援するツアー&コンサート   横井久美子フエに歌う
2007年5月1日(火)~5月6日(日)6日間
昨年、フエ在住の日本語の先生、リエンさんからメールを頂きました。リエンさんは、1973年、少女の頃、戦争中のハノイの片隅で、拡声器から流れる「戦車は動けない」を聞いて、その歌声に胸を躍らせ、日本語の先生になったということです。その歌を歌った歌手がどうしているか、昨年春、やっとそれが横井久美子だということが判明し、連絡を頂きました。リエンさんからのメールを見て、ベトナムの古都フエに行きリエンさんの前で歌いたいと思いました。歌は時空を超えよみがえり、今また新たなベトナムと日本の交流の力となったのです。枯葉剤のこども達の施設も訪問する予定です。

(中略)

ここで話題となっている「戦車は動けない」は横井さんの持ち歌で、1970年代、米軍相模原からベトナムへの戦車輸送をストップさせた市民の抵抗を歌ったもの。
1.戦車は動けない
  このまちの橋をわたって
  銃口をベトナムに
  子どもらをねらいうつ
   戦争は通さない
   戦車は動けない

2.戦車は動けない
  このまちの夜をゆさぶり
  血のにおいをキャタピラに
  ベトナムをねらいうつ
   戦争は通さない
   戦車は動けない

3.戦車は動けない
  この国の若者たちは
  恋人をひきさいて
  平和をねらいうつ
   戦争は通さない
   戦車は動けない
    戦争は通さない
    戦車は動けない


元共同通信ハノイ特派員だった作家辺見庸氏の「いまここに或ることの恥」に次の記述があるのは、確かこの運動にふれたものだと思います。
ベトナム戦争においても、米軍の主要な兵站基地は日本でした。私はそのころ、ある通信社の横浜支局にいました。市長は飛鳥田という人でした。私たちは毎日徹夜しました。なぜかというと、米軍のM48戦車をベトナムに輸送する道路に、学生や労働者や、あるいは普通の生活者たちが、集まって、阻止線を張ったり、バリケードをつくったりしてとめようとしたのです。1972年8月、M48戦車が横浜ノースドック入り口の公道でストップさせられたこともありました。市民らの多くがそれを支持しました。戦車は米陸軍・相模原補給敞から運びだされ、国道を南下し、ノースドックから積み出されて、ベトナムの戦場に送られるものでした。(p116)

氏は、つづけて、今日のイラク状況や、日本の海外自衛隊派遣・軍事行動の拡大が、あまりにも抵抗なくやすやすとすすめられていて国民がそれを見過ごしていることに大きな危機感といらだちを表明しています。脳梗塞とガンという、二重の厄災に突如見舞われながらの氏の発言は、痛切に私たちに響きます。

今日の写真は、解放後、ベトナムに置き去りにされ、観光客のために展示されている米軍戦車。
040035.jpg

これにカメラを向けながら、その砲撃によって逃げ惑い、死傷したであろうベトナムの老若男女の恐怖と悲惨を思うとともに、遠く故郷を離れて、灼熱地獄のもとでこれを操っていたアメリカの若者の運命についても、思いをはせないわけにはいきませんでした。数十年の年月を経て、なお「美しく」存在を主張しているこの鋼鉄の固まりに、目が吸い寄せられてしばしその場を離れられませんでしした。
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