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工事場に薬罐残りて夕時雨  透 [木下透の作品]

工事場に薬罐残りて夕時雨     透
大人の人に交じって、句会もどきの会に出席させてもらった事があった。
「夕時雨」はいただけない。どうしてこんな古風な情緒を好むのだろう?最近の若者に、そういう傾向がある気がする。
 という趣旨の評を受けた記憶がある。
友人は、新しいものと、古いものとの取り合わせが良いと弁護してくれた。
私にしてみれば、これもありのままの実景だった。
昼間の工事の跡に、真っ黒くすすけた薬罐が残されており、一日の営みが終わる。現場で働いていた工事夫たちは、それぞれの家庭に帰ってくつろいでいる頃だろう。静かに冷たいにわか雨が、無人の工事場を洗っていた。
「薬罐」は「ヤカン」ではなくて、漢字が似合う。ふりがなは、「やくわん」と、歴史仮名遣いが浮かんできたりする。やっぱり、古風な趣味か?
 
時雨は、秋から冬にかけて、走り抜けるようにぱらぱらっと降るにわか雨。寒さと寂寥感を募らせる。

時雨と言えば、この句が浮かぶ。

 

旅人と我名よばれん初しぐれ   松尾芭蕉

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也   松尾芭蕉

松尾芭蕉の没日は、旧暦十月十二日であることから「時雨忌」と呼ばれている。
それにしても 今年の天候不順は異常で、10月だというのに30度の日々。時雨どころではない。
岸辺に佇むアオサギを、今日のにわか雨が洗っていた。
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アオサギは、少しも寒そうではなかった。
 
 

これもまた、時雨を詠んだ印象的な句だ。
後ろ姿の時雨れていくか   種田山頭火
旅の途中で出会う時雨の心細さはひとしおだ。 ひとりぼっちの旅であれば、なおさらだろう。
種田山頭火 は自由律俳人として知られる、流浪の俳人。
 分け入っても分け入っても青い山   種田山頭火
句に詠まれたのは、緑青々とした夏の山だろうが、今日の山もまだ青い山だった。「吉備の中山」の遊歩道の写真。
sImgp5871.jpg
 
 山頭火が登場すれば、尾崎放哉にも触れないわけにはいくまい。
柘榴が口あけたたはけた恋だ   尾崎放哉

sImgp5962.jpg
 
あらしがすつかり青空にしてしまつた  尾崎放哉
 
sX_5_1679.jpg
 
 


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