お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ vol2 [文学雑話]
10月2日に書いた記事が冗長で読みづらかったので、分割しました。
10月に入ったのを機に、昨日から、これまでの敬体(です・ます調)を、常体(だ・である調)に切り替えた。我ながら、傲岸な物言いになっているが、入力の手間を省くのが本意なので、赦されたい。
イヌタデの花。「赤まま」「赤まんま」「赤のまま」などとも呼ばれる。赤飯に見立てて、ままごと遊びに使う。
赤ままの花は、おのずと、この詩を連想させる。
歌 中野重治
お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を排斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ
たゝかれることによって弾ねかへる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたゝき込め
作者: 中野 重治
出版社/メーカー: 日本図書センター
発売日: 2000/02/25
メディア: 単行本
イトトンボのつがい。かそやかなトンボの羽根の震えも叙情をそそる。
「赤ままの花」が象徴する幼い日の、穏やかで幸せなりし郷愁の世界も、「トンボの羽根」が導く甘やかな叙情の世界は、作者にとって、快く懐かしい居場所だったに違いない。だが、プロレタリア詩人の道に徹しようとす作者は、その叙情を「うそうそとしたもの」と断じ、これを投げ捨てる努力を、みずからに命じようとしている。
その美しいまでにストイックな、そして一種求道的な意気込みは、読者をして自ずと身を正させる勢いに満ちている。高校時代の私は、この詩を日記帳に書き写し、何度も復唱したものだ。
彼の小説『歌のわかれ』もまた、感傷的な叙情と決別して、現実世界の変革にたくましく取り組む道を選び取る若者を描いた。
だが、その無理な力こぶをゆるめて、 「お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌へ ---すべてのひよわなもの すべてのやわらかなもの 全ての愛しいものを 奪い去る暴虐に 立ち向かふ 真実の優しさを 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ」とでも、歌ってくれていたら、晩年の、ぎこちなく美しくない振る舞いに、自然のブレーキを掛けることもできたかも知れない、などと、無責任な妄想をしてみる。
大国主義ソ連の乱暴な干渉・介入等という、信じがたい政治の暗雲に翻弄されたとはいえ、その晩節はいただけないと思う。 ないものねだりかもしれないが、「叙情」とのつきあい方は、もっと自然体がいいのだろうと、この頃思う。
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