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今日も「これなあに?」 [今日の「これなあに」?]


NHK大河ドラマ「八重の桜」は、我が家の録画HDDには全回収まっていて、妻は毎回欠かさず見ているようですが、私は時々横目で見て通るくらいで、あらすじも理解していません。
ですので、ドラマの中でどのように扱われたかの確認はできていないのですが、会津の女性を代表する人物の一人として、大山捨松が登場するようです。
NHKオンラインの記事に、こうあります
「幼名は咲。幼くして家族とともに鶴ヶ城籠城戦を経験する。美貌と知性に秀で、11歳のときに、後に女子教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として1871(明治4)年、岩倉具視の使節団に加わりアメリカに渡る。母・艶は咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という切なる思いを込めて、「捨松」と改名させる。帰国後、薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚。美貌と知性を持ち合わせ、鹿鳴館時代の社交界の中心となって、「鹿鳴館の華」とたたえられる。しかし会津の元家老の娘・捨松と仇敵(きゅうてき)・薩摩の大山巌との結婚は、地元・会津にとって衝撃的なニュースで、山川家には抗議の手紙が殺到したと伝わっている。」http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/cast/


さて、この大山捨松について、wikiには次のような記事が載っています。
「大山巌は先妻との間に娘が3人いた。長女の信子は結核のため20歳で早世したが、彼女をモデルとして徳冨蘆花が書いた小説が、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったベストセラー『不如歸』である。
小説の中で主人公の浪子は結核のため幸せな結婚生活を引き裂かれた挙げ句、実家に戻ると今度は非情冷徹な継母によって離れに押し込まれ、寂しくはかない生涯を終える。ところがこの小説に描かれた継母が捨松の実像と信じた読者の中には彼女に嫌悪感を抱く者が多く、誹謗中傷の言葉を連ねた匿名の投書を受け取ることすらあった。捨松は晩年までそうした風評に悩んでいたという。
実際は小説とはまったく逆で、信子の発病後、離縁を一方的に申し入れてきたのは夫の三島彌太郎とその母で、悩む捨松を見るに見かねた津田梅子は三島家に乗り込んで姑に猛抗議している。看護婦の資格を活かし親身になって信子の看護をしたのも捨松自身で、信子のためにわざわざ離れを建てさせたのも、信子が伝染病持ちであることに気兼ねせずに自宅で落ち着いて療養に専念できるようにとの思いやりからだった。巌が日清戦争の戦地から戻ると、信子の小康を見計らって親子3人水入らずで関西旅行までしている。捨松は巌の連れ子たちからも「ママちゃん」と呼ばれて慕われていた。家庭は円満で、実際には絵に描いたような良妻賢母だったという。」

ところで、 徳富蘆花作『不如歸』の読み方は?

そうです。ホトトギスです。


 では、次の漢字の読み方は?

1.時鳥

2.杜鵑

3.鵊

4.杜宇

5.蜀魂

6.田鵑

7.子規(子規鳥)

 そうです。すべてホトトギスです。

最後の「子規」は、近代俳句の創始者で、近代短歌の草分けでもあった正岡子規の俳号でした。彼が、ホトトギスを意味する「子規」を俳号としたのは、肺結核で喀血した彼が、血を吐きながらも歌い続けようする自負を、「鳴いて血を吐く ホトトギス」と重ね合わせたからです。ホトトギスは口の中が赤く、鳴くと血を吐いているように見えるため、この俚諺がうまれました。

上記の徳富蘆花作『不如歸』もまた、結核に冒された浪子の悲惨を題材にしているからの命名でしょう。

漢詩・漢文の世界では、「杜鵑の吐血」という言葉もあり、そのいわれについて、ここに詳しい解説があります。

正岡子規が創刊した雑誌の名も「ホトトギス」でした。後に雑誌「ホトトギス」は子規の弟子である高浜虚子が主宰し、近代俳句の主要潮流「ホトトギス」派のよりどころとなっていきます。


正岡子規は、本名は常規(つねのり)のちに(のぼる)と改めます。

 

彼は子規のほかにも多くの号(ペンネーム)を用いたことでも知られ、負け惜しみの強いことを表す漱石枕流」の故事にちなんで「漱石」を用いたこともありますが、この号は、友人の夏目金之助(夏目漱石)に譲ります。ちなみに夏目漱石の作家デビューも、虚子のすすめにより雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を連載したのがきっかけでした。

子規のペンネームで面白いのは「野球」というものです。 名前の(のぼる)をもじって「野球(のぼーる)」という洒落です。

子規は学生時代から、ベースボールを好んでプレイし、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの訳語を作ったのも彼だと言われています。

子規が17歳まで過ごした家が復元されて「子規堂」として、松山市正宗寺内にあります。子規堂前には、「坊っちゃん列車」が展示され、子規の短歌九首を刻んだ、「子規と野球の碑」が建っています。

  ・久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも
  ・国人と とつ国人の 打ちきそふ ベースボールを みればゆゝしも
  ・若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに 如く者はあらじ
  ・九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの 始まらんとす
  ・九つの 人九つの あらそひに ベースボールの 今日も暮れけり
  ・打ち揚ぐる ボールは高く 雲に入りて 又落ち来る人の 手の中に
  ・なかなかに 打ちあげたるは 危かり 草行く球の とゞまらなくに
  ・打ちはづす 球キャッチャーの 手に在りて ベースを人の 行きがてにする
  ・今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の 打ち騒ぐかな



ここで本題にもどります。

これなあに?

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山野草に「ホトトギス」の名を与えられている仲間があります。その花の斑模様が、「ホトトギス(鳥)」の模様に似ているからだそうです。ホトトギス、ヤマホトトギス、 ヤマジノホトトギスなどと、細かく分類されているようですが、これはどれなのでしょう?一輪咲きの咲き方からして、ヤマジノホトトギスに似ているような気はしますが。


先日、吉備津彦神社近くの「吉備の中山」中腹を散歩中に見つけました。初めて見る花でしたので、図鑑で調べるのに手間取りました。
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「龍神谷」の近くでした。 「龍神谷」とは、ミステリアスな名前ですが、近くには温羅神社の社もあり、神秘の風情が漂います。

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吉備津彦神社は備前国一宮で、この地の鬼(温羅)を退治したとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀っています。
 

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なお、備中国一宮は吉備津神社で、この中山の備中側のふもとにあります。

これに関わる話題はまた別項で。


 
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