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孫殿の誕生待つや誕生寺 [折々散歩]

同郷のY・M女史と、Y・M女史(イニシャルで書くと同じになってしまってややこしいですが)が、紅葉狩りとグルメのドライブを計画したので同行しないかと誘ってくださいました。時々私のブログを見てくださっていて、ネタ拾いに役立たないかという、温かいご配慮です。ほかに、西宮在住のKさんご夫妻も参加される由。否やもなく、ご一緒させていただくことにしました。
ただ、Kさんにはお孫さん誕生の予定があり、タイミングが重なるとキャンセルの可能性もあるし、あまり遠い場所は避けたいということで、当初候補に挙がっていたいくつかの場所は取りやめて、久米郡久米南町の誕生寺を選定しました。
Y・M女史と私はY・M女史の車に乗せていただき(ああややこしい)、昨日に引き続いて、「今年一番の冷え込み」というのですが、道中は澄み切った青空に明るい日射しがあたたかく、「いい天気だねえ」「絶好の日和だねえ」と思わず口に出る、快適ドライブを堪能したことでした。Kさんご夫妻は別途現地で合流、再会を喜びつつ、境内を散策しました。

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が、次第に雲行きが怪しくなり、寒さに身震いしながらの散策となりました。


私はこの誕生寺を、これまで二回訪れた記憶があります。
一回目は、高校時代、文芸部の「自主遠足」で。
記憶のデティル(細部)は欠落してしまっていますが、銀杏の巨木と、「片目川」の伝承については、かろうじてかすかな記憶が残っています。

 

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誕生寺についての紹介記事はこちら

二回目は、4月に亡くなったH氏が企画・引率して実施していた一連の文学史跡巡り(誰言うとなく「眉唾ツアー」と呼ばれていました)の一環として、真夏の誕生寺を訪ねました。宝物館で「八百屋お七」の振り袖をみて、数奇な縁(えにし)に感嘆したものでした。Hさんは、ついでに、宝物館に展示されている涅槃図を前に、流麗な独特の口調で、釈迦入滅にまつわる蘊蓄を語ってくれたことを、今更のように思い出します。

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その記憶が蘇ったので、皆さんを誘い、入場料二〇〇円を出して、宝物館に入館したのですが、どうせ見るならと、Y・M女史の機転でお寺の方にお願いして、解説をしていただくことができました。
それによりますと、誕生寺の「七不思議」というものがあるそうです。

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その七不思議は次の通り。


逆木の公孫樹(境内)
御影堂の宝珠

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秦氏・御鏡(宝物館)

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石仏大師(本堂脇壇)
黒こげの頭(本堂脇壇)

椋の御影(客殿)
人肌のれん木(客殿)


ところで、この誕生寺は、浄土宗の開祖法然上人の生誕地に建立された浄土宗の寺院で、建久4年(1193年)。法力房蓮生が建立しました。

この蓮生は、『平家物語』「敦盛(あつもり)最期」の段に登場し、17歳の貴公子敦盛を討ち取る巡り合わせとなった熊谷次郎が、殺生を性(さが)とする武士の身を厭い、この世の無常を嘆いて出家し、法然の弟子となったのでした。

『平家物語』から「敦盛の最期」(巻第九)の一節を引用します。

いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の公達たすけ船にのらんと、汀の方へぞおち給らん。あはれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはききりふの矢おひ、しげ籐の弓もて連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる船にめをかけて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、

 熊谷、
「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ。」
と扇を上げて招きければ、招かれてとつて返す。みぎはに打ち上がらんとするところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、とつて押さへて首をかかんと、かぶとを押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」と申せば、
「なんぢはたそ。」
と問ひたまふ。
「ものその者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「さては、なんぢにあふては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも、首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ。」
とぞのたまひける。
 熊谷、
「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることよもあらじ。小次郎が薄手負ひたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはんずらん。あはれ、助けたてまつらばや。」

と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。
 熊谷涙をおさへて申しけるは、
「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせんより、同じくは、直実が手にかけまゐらせて、のちの御孝養をこそつかまつり候はめ。」
と申しければ、
「ただ、とくとく首を取れ。」
とぞのたまひける。
 熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかるうき目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな。」
とかきくどき、そでを顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。

 やや久しうあって、さてもあるべきならねば、よろい直垂をとって、頸をつつまんとしける
に、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさされたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛をもつ人はよもあらじ。上ろうは猶もやさしかりけり」
とて、九郎御曹司の見参に入りたりければ、是を見る人は涙をながさずといふことなし。後にきけば、修理大夫経盛の子息に大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。件の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによって、もたれたりけるとかや。名をばさ枝とぞ申ける。     


【解釈】敦盛(あつもり)の最期(巻第九)


 一の谷のいくさに、平家が敗れていまったので、源氏方の武将、熊谷次郎直実は、「平家の公達が、助け舟に乗ろうとして、波打ちぎわのほうへ落ちて行かれるであろう。ああ、手柄をあげるにふさわしい立派な大将軍と取り組みたいものだ。」と思って、磯の方へ馬を歩ませて行くところに、ねりぬきに鶴を縫い取った直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)においの鎧(よろい)を着て、鍬形(くわがた)を打ったかぶとの緒を締め、黄金作りの太刀を腰にさし、切斑の矢を負い、重藤の弓を持って、連銭あしげの馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖の舟をめざして、海へざっと馬を乗り入れ、五、六段ほど泳がせている。

 熊谷が、
「そこを行かれるのは大将軍とお見受け申す。卑怯にも敵に後ろをお見せになることよ。お引き返しなさいませ。」
と扇を上げてさし招くと、(平家の公達は)招かれて引き返す。(その公達が)波打ちぎわに上がろうとするところに、(熊谷は馬を)並べてむんずと組んでどうっと落ち、とり押さえて首をかき切ろうと、かぶとを押しあお向けにして、(顔を)見ると、年十六、七くらいの(若武者)で、薄化粧をしてお歯黒をつけている。わが子の小次郎の年齢くらいで、顔立ちが誠に美しかったので、どこに刀を突き立ててよいかもわからない。
「そもそも、どのようなお方でいらっしゃいますか。お名のりください。お助けいたしましょう。」と申すと、
「そなたは誰じゃ。」
とお尋ねになる。
「名のるほどの者ではありませんが、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「それでは、そなたには名のるまい。そなたにとっては、よい敵だ。名のらなくても、首を取って人に尋ねてみよ。見知っているだろうよ。」
とおっしゃった。
 熊谷は、
「ああ、りっぱな大将軍だ。この人一人お討ち申したとしても、負けるはずの戦に勝てるはずのものでもない。また、お討ち申さなくても、勝つはずの戦に負けることもまさかあるまい。(息子の)小次郎が軽い傷を負っただけでさえ、(この私)直実はつらく思っているのに、この殿の父が、(この殿が)討たれたと聞いて、どれほどお嘆きになることだろう。ああ、お助け申したい。」
と思って、後方をさっとすばやく見ると、土肥・梶原が五十騎ほどで続いている。
(もはやお助けすることはできないと判断した)熊谷は、涙をこらえて、
「お助け申そうとは存じますが、味方の軍兵は雲霞の如くにございます。決してお逃げにはなれないでしょう。ほかの者の手におかけ申すより、同じことなら、直実の手でお討ち申し上げて後のご供養をいたしましょう。」

と申すと、
「ただ、早く早く首を取れ。」
とおっしゃった。
 熊谷はあまりに気の毒で、どこに刀をつき立ててよいのかもわからず、目もくらみ気も動転して、呆然としていたけれども、(いつまでも)そうしているわけにもいかないので、泣く泣く首を斬ったのだった。
「ああ、武士の身ほど情けないものはない。武芸の家にうまれなければ、どうしてこのようなつらい思いを見ることがあろうか。情けなくもお討ち申しあげたものよ。」
と繰り返し嘆いて、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣いていた。
 ややしばらくして、嘆いてばかりもいられないので、若武者のよろい直垂を取って、首を包もうとしたところ、錦織の袋に入れた笛を腰にさしておられた。
「ああ、いたわしい。今日の夜明け方、陣の内で管弦の遊びをしておられたのは、この人々でいらっしゃったのだ。現在、味方に東国の軍勢が何万騎かいるだろうが、戦の陣に笛を持ってきている人は、よもやあるまい。身分の高い人はやはり優雅なことよなあ。」
と言って、源氏の大将軍九郎義経にお見せしたところ、これを見る人々で、涙を流さない者はなかった。のちになって聞くと、この若武者は、修理大夫経盛の子息大夫敦盛と言って、当年十七歳になっておられた。このことがあってから、熊谷の発心の思いはますます強くなった。この笛は祖父忠盛が笛の名手なので、鳥羽上皇より賜わった。その後父の経盛さらに敦盛へ伝わったといわれている。名前をさ枝の笛(青葉の笛)と言う。

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この熊谷次郎直実=法力房蓮生が師と仰いだ法然は、この土地で押領使の漆間時国(うるまときくに)の子として生まれます。勢至丸と名付けられた彼が9歳の時に、父は預所の明石定明によって殺されます。九歳の勢至丸は小弓で敵将定明の右目を射て退散させましたが、父時国は臨終に際して、勢至丸に仇として定明を追うこといましめ、「仏道を歩み、安らぎの世を求めよ。」と遺言したといいます。

法然 (講談社学術文庫 (1326))

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あなたの知らない法然と浄土宗 (歴史新書)

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法然入門 (ちくま新書)

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寒さに震えながら境内をさらに奥に歩きますと、満々と清水をたたえた「法然産湯の井戸」があります。

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赤ちゃん誕生を間近にしたKさん夫妻は、「孫の誕生を前に、来たいと思ていた誕生寺に初めて来る事ができて、産湯の井戸まで見られたのはうれしい」と大喜びでした。
誕生寺に隣接した広大な敷地に71基の文学碑・歌碑が建ち並ぶという笛吹川歌碑公園を散策し、色づきはじめの紅葉を楽しんで、誕生寺を後にしました。

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 ここにも野イチゴが実っていました。

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続いて、もう一つの旅の目的「グルメ」を達成するために、一路「卵かけご飯」の店「食堂かめっち。」に向かいます。

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一人前三〇〇円で、味噌汁付き、卵とご飯はおかわり自由。大抵のお客は何杯もおかわりしていますが、メタボ恐怖のなせるわざで、ご飯半杯のお変わりで我慢しました。美味でした。
カメラは持っていたのに、食べることに夢中で、肝心の卵かけご飯の写真は取り損ねました。お粗末。



赤ちゃん誕生を控えたKさんたちは、ここでお別れ。いったん西宮にかえって、明日飛行機で山形のお嬢さんのもとに向かわれるそうです。

残りの一行は、久米南町川柳公園に寄り道し、川柳と紅葉を楽しみました。
その詳細は次号にて。

追伸:このブログ執筆中にネット検索で目に入った情報ですが、誕生寺のご住職が「宗教者九条の会」 および、「岡山県九条の会」の呼びかけ人に名をつらねていらっしゃる事を知り、感銘を覚えました。

九条のめざす理想と、宗教者の抱く理想とが、大局で合致するということは、当然と言えば当然ながら、改めて勇気づけられる想いがしたことでした。


 

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美美

ご訪問ありがとうございます。
by 美美 (2013-11-14 20:17) 

kaz

こちらこそ。また、いらして下さい。
by kaz (2013-11-14 21:47) 

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