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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第11回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第11回目。


郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出 

連載第11回
君は覚えているだろうか。水車小屋のカルロスじいさん。
あれは、そう、随分曇って、今にも降り出しそうな気配の夏の夕方。むし暑くって、風もなくて、何もかもが重苦しくおさえつけられているような、イヤな日だった。
僕はその日も、じいさんにお話ししてもらおうと思って、爺さん家へ出かけた。
あれ以来、ぼくの欠かせぬ友達になったあのチビ公を釣れて(チビって名をつけたけれど、もうたくましい成犬で、ふざけてじゃれついてはぼくを押し倒すくらいになっていた)。
チビ公、爺さんにすっかりなついてて、いつも真っ先に駆けてって、小屋の前に腰を下ろしている爺さんにじゃれついて遊んでいるんだが。
その日は、ぼくがおやつの黒パンをほおばりながら水車小屋まで駆けてった時、外には爺さんお姿は見えなかった。
どうしたのかなと思って、小屋の内に入っていくと、チビ公が急に悲しげに花を鳴らし始めた。
爺さん、ベッドのそばにひざまずいて、お祈りしているようだった。ぼくが声かけても、身動きしないので不思議に思って近づくと、爺さん・・・死んでた。
両手を組み合わせ、目を閉じて、その口元には、柔和な笑みさえたたえていた。
血の気の引いた青白い頬の色は、爺さんの顔をかえって気高くして見せた。
ぼくはちっとも恐ろしくはなかった。
ただ、とっても悲しかった。
もう、これっきり爺さんに会えないのだ、ということがわかりきるまでには、時間がかかった。
爺さんお葬式は、次の日ひっそりと行われた。
激しく雨が降りしきる中を、爺さんのひつぎはゆっくりと運ばれた。
むらの、大人達は、それを見送りはしなかったが、 子どもたちはみんな、その後をついて歩いた。びしょ濡れの服にかまわず、ひつぎを乗せた車を、黙々と押した。
村が見渡せる丘の上に、小さな白い十字架が立てられると、本当にもうこれっきりなのだと、初めて僕らは泣いた。ニールスも泣いた。
碑には、僕らの手によってこう刻まれるべきだった。
「勇気ある聖人ジーベル=カルロスここに眠る」

今日は、所用があって、日課の散歩は未遂。従って、本日撮影の画像はなし。
苦し紛れに探し出したこの写真は、6年前に天寿を全うした老犬チロが、まだ若犬だった頃のスナップ。
最近一子をもうけた二男が、まだこんなに幼かった。
 
file0002.jpg
 
 

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