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郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第13回 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

高三の時に書いた「短編小説」を、連載で紹介したい。今日は、その第13回目。

物語は、ほぼ終息に向かう。

「青臭い」長広舌が続くが、実は、今でも私の思いは、あんまり変わってないのだ。

前回までの掲載分も、文言や表記に若干の微細な補正を施してきたが、今回の部分は、高校生の私の限界から、 世間に公表するには、訂正を施したい箇所が少なくなかったが、ひつよう最小限の補正に留めた。文章中の斜体の部分がそれである。あらかじめ、お断りしておきたい。

 


 

郷愁という名のメルヘン

カルロス爺さんの思い出 

連載第13回

ぼくはついに思い知らねばならなかった。いつまでも逃げてはいられないのだ。今までぼくは、逃げて逃げて、そして逃げることのできない袋小路に追い詰められてしまった。さあ。どうすればいい。
どん底にあって、初めてぼくは知った。敵というのは、本当の敵というのは、他の誰でもない、ぼく自身だったのだ、と。こんなに弱いぼくが、こんなに手強い敵だったとは。こっけいではあるが、事実だ。
さあ、それではどうするのだ。さあ、ぼくはどっちを選べばよい。
このまま素直に銃を持って、愛国の勇士として戦うか。それとも、死を怖れる臆病者と言われながら、それを拒否するか。
ぼくは、確かに、死ぬのはこわい。
そして同時に、卑怯者、臆病者とあざけられる立場に身を置くことは苦しい。
さあ。それなら、どうすればよい。神よ。ぼくはどうしたら。否。神はそんな事には無関与だ。実際、神は至って無頓着だ。
《いったい、神は我々人間がどのようにふしだらに生きようと、あるいはまた、我々がいかにないがしろにしようと、そんなことはまるで無頓着だ。神は我らのいかな行為にも、それどころか神自身の存在に関してさえも、無頓着だ。オロオロしながら、その名を唱えればすばらしい回答を与えてくれた古(いにしえ)の神は、妄誕だ。神は、ぼくらに、己の欲するままに生きることを許された。――ぼくらはいつでも、自分で、自分だけで生きなければらない。――あくまでも自分で、自分の全良心、全霊かけてなされた行為ににこそ、神の意思はあるのかも知れない。・・・なくったっていい。――神は他の何処(いづこ)にもおわしはしない。神はほかの何者でもない。神は我らのうちに、だ。神の本質は“愛”だ。神は、我らの内なる“愛”だ。――
この認識は、ぼくにとって、決して新しい発見ではなかった。そう、爺さんから学んだ教訓のうちに、いつでも見いだせる認識だった。――爺さんの神、爺さんにとっての神は、やはり爺さんの性の奥底からあふれ出る愛だった。――生命あるものへの愛、自然への愛・・・大抵の人からは失われた、人間にとって最も懐かしく、そして善良な感情――。そして爺さんこそ、自分の神に最も忠実に生きた人だったかも知れない。―――このことは、子供の頃からいつでも感じていたことだのに、今になって改めて気づいたことのようにぼくを驚かせる。》

自己の内面に問いかけ問いかけて、最後の決定は自分自身で為されねばならない。
さあ。それなら、ぼくは、どうすればよい。
今度の戦争が始まる前に、ぼくらの学校でも、幾人かが立ち上がり、「戦争を始めちゃいけない。」と叫んで石投げて逮捕(つかま)った。
その自分、ぼくは仲間と一緒に酒場でワインをあおって騒いでいた。戦争なんて知らぬことさと、そっぽ向いて、女の噂や、明るい将来を話して騒いでいた。
そのうちに、知らぬ間に今度の戦争、始まっていた。
原因は定かには知らされなかったが、いつものように悪いのは相手国だった。(ぼくらの国はいつでも正しいのだから。)

ぼくの村――爺さんとぼくの村――あの水車小屋はもうないが、丘の上には爺さんのお墓がある――あのぼくらの村に、軍の基地ができた時の話を、風の便りに聞いた。
村の一部の人たち――なかでも、最も貧しい人たち――ぼくの親父や、他の小作人や、工場で働く労働者達――は、それに反対してクワやカマやむしろ旗を持って「おれ達の村から出て行け」と叫んだ。全くそれは、無理のないことなのだった。全生活の糧である狭い田畑や、やせた小作地さえ奪われては、彼らは生きていけないのだから。一握りの補償金が何の助けになったろう。
その基地がどんな用途に用いられるかは、誰にも知らされなかったが、 驚くほど広大な敷地が立ち入り禁止にされ、何でも、秘密の新型兵器の開発と貯蔵が行われているらしかった。村の自然と安全がおびやかされるだけでなく、真っ先に、敵の報復攻撃の対象とされることは容易に想像できた。
そういう思いから、最後まで戦い続けた
村の人々のことを話題にして、ぼくのいるこの都市(まち)では、こんな風にささやかれた。
「国の大事な時なのに、わがままはよせばいいのに。」
「そんなに国を愛せない奴らは、力尽くでも追い出して、敵を向かえなきゃ、国が危ない。」
「こんな時だから、国のためには少しのことは我慢しろ」・・・と。
――「国のために・・・」は、聞かせるね。国民の生活や安全を考えない国ってのがあるかい。それとも、貧乏人や少数者は国民じゃないのだろうね。
これは、弱者にとっては、いつも成り立つ命令だ。
「国のえらい人やお金持ちのために、食うことを我慢なさい。私心は捨てて、生きることも我慢なさい。わがままはよして、早くお死になさい。」

余儀なく銃を持たされた弱者達と、何も知らずに撃たれる弱者達。
撃たなきゃ殺される弱者達と、撃たれて死ぬ弱者達。恨みもないのに銃を撃つ弱者達と、恨みながら死んでいく弱者達。
父や母や兄を殺されても、誰を恨んでいいかわからない子供達。
そのすすり泣きに耳ふさぎ、折り重なった死体から目をそらして、さらに前進する兵士達。
今も。
まさに。
血を震わせる銃声。
甲高い悲鳴。
弱々しく止んで、静寂。
弱者の血。弱者の涙。
そして、なおも、銃持って戦地に送り込まれる若者達。
死体となって送り返される若者達。
――何も知らぬふりして、遊び興じる若者達。
――それらすべてを、ほくそ笑みながら眺めている、愛国的指導者達、愛国的お金持ち達。

 いま、ぼくのしなければならないことは、――遅すぎる。遅すぎるけれども――いま、ぼくにできることは・・・奴らの手先になることを拒否するという、消極的な行為のみ。

だから、だからぼくは、徴兵を拒否した。


 先日M先輩が、「ルリビタキ」「アトリ」「ミヤマホオジロ」などの画像を送ってきて下さいました。「環境保護センター」で撮影されたとの由。
私は、そこを訪ねたことはなかったのですが、実は、ちょいと足を伸ばせば郷里で、その経路沿いに、案内表示があることのを目にしながら、通り過ぎたことはありました。
この冬は、「ルリビタキ」「アトリ」「ミヤマホオジロ」いずれも、目にしていません。過去の写真も、ブッシュの中や薄暗い木陰、高い枝先など、悪条件の撮影で、満足できるものがありませんので、にわかに思いついて、出かけてみました。ラッキーな出会いに、淡い期待を抱いて。
走行距離は、片道およそ50Kmという感じでした。
結果は?
残念ながら、お目当ての小鳥には会えませんでした。

 

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鶴は、悠々と採餌していました。

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バンも、近くで観察できました。
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カルガモも、広々とした池を悠然と泳いでいます。
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コガモのオス
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こんな鳥も・・・
 
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山道で、ツツジの花を見つけました。
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この足跡はイノシシ?妻に命じられて写しました。
 
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 夕方、所用があるので、今日はここまで。

また今度の機会にと、期待を残して、散歩の快い疲れを土産に、現地をあとにしました。

ちょっと足を伸ばせば実家なのですが、これもまた日を改めることにしましょう。


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