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凍雪(いてゆき)のなお屋根覆う多喜二忌か [今日の暦]

大雪が降ったのは、一昨日でした。

時折、ドスンドスンと鈍い音がして、屋根の雪がなだれ落ちる ことが、今も続いています。窓から外をのぞいてみますと、あちらこちらの民家の屋根に、今なお分厚い雪が積もって、凍っています。

昨日、出かける用事があって、屋根のない位置に停めていた自家用車の雪下ろしをしましたが、余りに固く凍りついているので 、フロントグラス部分だけは、湯をかけて溶かしましたが、屋根の雪は残したまま所用先まで出かけました。到着しても、屋根には雪後残っています。多少は、日光を浴びて、ゆるんで見えたので手で押してみると、ようやく屋根から崩れ落ちました。その時、ボコンと音がして、クルマの屋根が跳ね上がったのには驚きました。雪の重みでへこんでいたのですね。こんな事で驚いていては、雪国の方に申し訳ないですが、雪の重さに改めて気づかされた一こまでした。

さて、今日2月20日は、多喜二忌。(訂正、今日に日付を勘違いしていました、汗汗!)

去年の京都新聞2月21日付記事を引用します。

 「おい地獄さ行ぐんだで!」。数年前ブームになった小説「蟹工船」の冒頭だ。きのうは作者小林多喜二が29歳で没して80年の命日だった▼虐殺だった。非合法の共産党に加わっていた多喜二は特高警察に捕まって拷問を受け、亡くなった。変わり果てた遺体の胸をなでながら老母は「どこら息つまった。何も殺さないでもええことウ」と泣いたという▼国会議事録を調べると、宇治市出身の衆院議員山本宣治が多喜二が死ぬ5年前、国会で思想犯に対する違法な拷問を追及している。しかし政府は「断じてこれ無し」と否定した。山宣自身は翌年、右翼に暗殺された▼多喜二の遺体は山宣のいとこの医師安田徳太郎が検視した。「死因は心臓発作」という当局のうそを暴こうと同志たちは大学病院に解剖を依頼したが、圧力で断られた。弔問客は片端から逮捕された▼作家松本清張は「時代を象徴した死」と評した。この年、日本は国際連盟を脱退し、京都大で滝川事件があった。治安維持法違反で拘束され、死亡した人は約1700人という。多喜二が受けたすさまじい暴力とこの数字を見合わせたとき背筋が冷たくなる▼21歳のとき恋人に宛てた手紙の一節はいう。「闇があるから光がある」。無数の犠牲の上に自由と人権が保障された今の世がある。蟹工船を再読しつつ、光のありがたさをかみしめる。 [京都新聞 2013年02月21日掲載]

多喜二のお母さん、小林セキさんは、多喜二の代表作の一つ「党生活者」にも、特高警察に追われる愛息を心配して思いやる純朴な、等身大 の老母として登場し、そのいいじらしさ、けなげさ、気丈さが涙をさそいます。

また、三浦綾子さんの「母」という作品も、このセキさんの目を借りて、多喜二を、そして彼が生きた時代を描いた佳作です。

母 (角川文庫)

母 (角川文庫)

  • 作者: 三浦 綾子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 文庫

 

「母の語る小林多喜二」(小林セキ述、小林廣編、荻野富士夫解説 新日本出版社)も胸を打ちます。

母の語る小林多喜二

母の語る小林多喜二

  • 作者: 小林 セキ
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2011/07
  • メディア: 単行本

 

 


この辺まで書きかけて、そうだ、昔、高校生向けの学級通信で、多喜二忌を話題にしたことがあったっけと、探してみました。
ありました!
SHARP製のワードプロセッサで書いた文章を、後にtextファイルに変換して、保存していた物です。コンピュータといえば、NECの9801~9821といったシリーズが全盛の頃で、私には敷居が高い気がして、近づくのを敬遠していました。
今考えても、ワープロ専用機は、私レベルの仕事にとっては、不足のない優れもののツールだったと思います。

 

スイッチオンで直ちに起動する身軽さ、アナログ感覚のレイアウト、必要なときに用紙を差し込んで、即印刷できるお手軽さ、、、。
これが懐かしくて、生産終了から随分経った後、ハ-○オフでジャンク品を購入したこともありました。足りない「システムファイル」を、SHARP社の営業所を探し当てて注文・購入したり、印刷用インクリボンやあれこれのサプライ品を買いそろえると結構高くつきました。
でも、現実には、簡単な文書を作るときでも、画像処理を伴うファイルを利用したり、いざというときにネット接続して助けを借りたり、ネットワーク上のファイルを参照したりetc.の便利さに慣れてしまっている身では、もはやワープロに戻れないことを痛感し、結局、部屋の隅でホコリをかぶっているわけですが---。それでも、wifi時代即応のワープロ専用機、開発して欲しい思いはあります。ニーズはあると思うんですがねえ。

話をもどして、昔の学級通信の記事はこんなものでした。


あー またこの二月の月か きた

ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる
めかねかくもる 

 一九六一年、八八才で亡くなった小林セキさんの遺品の中から、上のようなたどたどしい鉛筆がきの、一枚の紙片が見付かった。解読すると、次のような意味になるのだろう。

ああ、またこの二月の月が来た
本当に、この二月という月が、
いやな月、声を一杯に泣きたい
どこへ行っても泣かれない
ああ、でも、ラジオで 少し助かる
ああ、涙が出る
眼鏡が曇る

 小林セキさんとは、「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二のお母さんだ。読み書きのできない小作農の娘として育ったセキさんは、五七才の手習いで、「いろは」から字を習い始めたという。一九三〇年“治安維持法違反”で投獄された我が子・多喜二に、自分で手紙を書きたい一心で。
 翌三一年、出獄後に書いた作品「独房」の中で、多喜二は、主人公にこう語らせている。
 「俺達はどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、ほれてはならないそうだ。月を見ても、もの思いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えてメソメソしてもならないそうだーーー人はそういう。だが、この母親は、俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を買っておいて、今日は帰って来る、明日は帰って来るといって、食べたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺はここへ来てから、そのことを小さい妹の、仮名交じりの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声を立てずに泣いていた。」

 治安維持法を振りかざす天皇制政府・軍隊・警察権力は、「国体」の変革、すなわち絶対主義天皇制から民主主義への変革の志向を“最悪の罪”とみなして、死刑を含む重刑と凶悪なリンチによっていっさいの民主的・進歩的運動と言論の封殺をはかった。(そして、その歩みの先には、無謀な侵略戦争が待ち受けていた。)
 この弾圧を逃れるため、地下活動(非公然活動)に入って執筆活動を続けていた多喜二は、詩人今村恒夫と共に特高警察に捕らえられた。そして、激しい拷問によってその日のうちに殺害され、変わり果てた姿となって母親と再会することになった。一九三三年二月二〇日のことだった。
 
 検察当局は、死因を心臓麻痺と発表。遺体の解剖を妨害し、二二日の通夜、二三日の告別式の参会者を片端から検束し、火葬場まで警戒を解かなかった。通夜に供えの花をもって行き杉並署に検束された作家・宮本百合子は、「(小林多喜二のところへ来た人達で)留置場は一杯になっていた。少なくとも、女の室は満員だった」と記している。 遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家・江口は、通夜の席でのお母さんの姿を、次のように書きとどめている。
 「こみあげてくる悲しさに耐え切れなくなったものか、お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。
 『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だでや。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるのがーーーああ痛ましや。』
 お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、
 『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と前身の力をふりしぼるような声でさけんだ」
 
 それから、三十年近くも、毎年毎年、二月が来るたびに、眼鏡を曇らせて悲しみにくれた老母の無念を、私は思わずにはいられない。ああ、またこの二月の月が来た。
 奇しくも今年の二月、しかも多喜二忌の直後に、昭和天皇の「大喪」とやらが、百億円の巨費を投じて国家的行事として催されると言う。数十万人にのぼる治安維持法犠牲者、そして、無数の多喜二の母たちにとっては、複雑な思いの二月となることだろう。

 


読み返してみて、この学級通信の文章を書いたのが、昭和の終わりの年だったことが思い出されます。早くも、四半世紀を過ぎたわけですね。

 

ついでに、いま手に入る資料を羅列しておきましょう。

 

小林多喜二

小林多喜二

  • 作者: 手塚 英孝
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本

 

たたかいの作家同盟記〈上〉―わが文学半生記・後編 (1966年)

たたかいの作家同盟記〈上〉―わが文学半生記・後編 (1966年)

  • 作者: 江口 渙
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 1966
  • メディア: -

 

たたかいの作家同盟記〈下〉―わが文学半生記・後編 (1968年)

たたかいの作家同盟記〈下〉―わが文学半生記・後編 (1968年)

  • 作者: 江口 渙
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 1968
  • メディア: -

 

小林多喜二私論

小林多喜二私論

  • 作者: 右遠 俊郎
  • 出版社/メーカー: 本の泉社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 単行本

 

青春の小林多喜二

青春の小林多喜二

  • 作者: 土井 大助
  • 出版社/メーカー: 光和堂
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本

 

小林多喜二 (1974年) (民主主義の思想家〈4〉)

小林多喜二 (1974年) (民主主義の思想家〈4〉)

  • 作者: 土井 大助
  • 出版社/メーカー: 汐文社
  • 発売日: 1974
  • メディア: -

小林多喜二の思想と文学: 貧困・格差・ファシズムの時代に生きて

小林多喜二の思想と文学: 貧困・格差・ファシズムの時代に生きて

  • 作者: 尾西 康充
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2013/09/20
  • メディア: 単行本

小林多喜二の手紙 (岩波文庫)

小林多喜二の手紙 (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/11/13
  • メディア: 文庫

小樽 小林多喜二を歩く

小樽 小林多喜二を歩く

  • 作者: 小樽多喜二祭実行委員会
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2003/02
  • メディア: 単行本


鳥たちもこの雪には驚いたでしょうか。
でも、慌てた様子もなく、その日の生を謳歌しているようです。
与えられた命が輝く春が、人の世にも、確かに訪れますように。

雪の中のジョウビタキ オス

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雪の中のセグロセキレイ
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栴檀の実をついばむムクドリ
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雪の中のアオジ
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栴檀の木にとまるヒヨドリ
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はるかぜのきみ

kazuさん、こりゃまた長い記事ですね。
東京にいた時、北海道への出張があり、現地の高校の先生の案内で多喜二のお墓にお参りしてきました。原稿がいくらかのお金になったので両親のためお墓を建てたそうですが、そのお墓に両親より先に自分が入ることになったと聞きました。いろんなことを考えさせされたツアーでした。
by はるかぜのきみ (2014-02-10 18:54) 

kaz

はるかぜのきみ様
私も昔(三〇年ほども前)、小樽には行ったことはありますが、多喜二の墓には行きそびれています。
雪深い夜。小樽の知人宅に泊めて戴きました。
思い出深い旅、、、なのですが、記憶はぼんやりしてしまっています。
はるかぜ様の地方も、雪深いことでしょう。雪合戦大会の記事、楽しませてもらいました。
by kaz (2014-02-10 21:25) 

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