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梅の花匂いおこすや海越えて [折々散歩]

先日の雪の日の午後、散歩道でこの梅の花を見ました。ちょっと前に歩いたときは、まだ蕾でしたから、着実に春は近づいているのでしょう。でも毎日、寒いこと。

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昨日は、半田山植物園を歩いてみました。
種々の梅が咲き始めていました。

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以前、梅の花にちなんで、菅原道真の「匂いおこせよ」の歌に触れました。そこでも述べたとおり、歴史物語「大鏡」にも、このエピソードが登場します。

「大鏡は」作者不詳、成立年代不詳の歴史物語です。成立年代の説明で、「万寿2年以降」と、ワケありめいた具体的な数字が示されて、ちょっと好奇心をそそります。
でも、種を明かせば何のことはない、「大鏡」の冒頭部分に、万寿2年の歴史事実が記載されているので、それより後の成立に違いない、というわけ。
「大鏡」の冒頭は、「雲林院の菩提講」という段で、こんな具合に書き始められています。

さいつごろ、雲林院の菩提講に詣でて侍りしかば、例の人よりはこよなう年老い、うたてげなる翁二人、嫗といき合ひて、同じ所にゐぬめり。

【解釈】
先頃、雲林院の菩提講に参詣したんでおますが、フツーの人よりかゴッツゥ年取って、キモイカンジの爺さんがふたり、婆さんとばったり出会って、同じところに腰をおろしてはるようやったんや。

変な関西弁調でかんにんどすえ。本当は京言葉なんやろが、私には、訳出は無理でおます。
こ こに出てくる「雲林院の菩提講」というのが、万寿2年に催された盛大な法会で、大勢の参列者・見物人で賑わったようです。そこで、講師(法会でありがたい 説教をしてくださるお坊さん)の登場を待つ間、参列者たちが三々五々よもやま話をしているなかに、、尋常でないウルトラ・スーパー・スペシャルな二人の老 人と、似たような年格好の老婆が、座っていろいろと昔話をしているようす。これを聞いてみると、一人は大宅世継(おおやけのよつぎ)という百九十数歳 (!)という老人、もう一人の老人は、夏山繁樹(なつやまのしげき)といって、ちょっと若い(?)百八十数歳。この人たちが語る思い出話が興味津々で、周 りには人だかりができて耳を傾けている。
そんな、凝った設定の、面白い作品ですから、またの機会に別の章段も話題にするかもしれません。

今日取り上げるのは「道真と時平」の段。

醍 醐の帝の御時、この大臣、左大臣の位にて年いと若くておはします。菅原の大臣、右大臣の位にておはします。その折、帝御年いと若くおはします。左右の大臣 に、世の政を行ふべきよし、宣旨下さしめ給へりしに、その折、左大臣御年二十八、九ばかりなり。右大臣の御年五十七、八にやおはしましけむ。
とも に世の政をせしめ給ひし間、右大臣は才世にすぐれめでたくおはしまし、御心掟もことのほかにかしこくおはします。左大臣は、御年も若く、才もことのほかに 劣り給へるにより、右大臣の御おぼえ、ことのほかにおはしましたるに、左大臣安からず思したるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬ こと出できて、昌泰四年正月二十五日、大宰権帥になしたてまつりて流され給ふ。
この大臣、子どもあまたおはせしに、女君たちは婿取り、男君たちは 皆、ほどほどにつけて位どもおはせしを、それも皆方々に流され給ひて悲しきに、幼くおはしける男君・女君たち、慕ひ泣きておはしければ、「小さきはあへな む。」と、おほやけも許させ給ひしぞかし。帝の御掟きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを同じ方に遣はさざりけり。かたがたに、いと悲しく思し 召して、御前の梅の花を御覧じて、
      東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
また、亭子の帝に聞こえさせ給ふ、
      流れ行く我は水屑となり果てぬ君柵となりてとどめよ
なきことによりかく罪せられ給ふを、かしこく思し嘆きて、やがて山崎にて出家せしめ給ひて、都遠くなるままに、あはれに心細く思されて、
      君が住む宿の梢をゆくゆくと隠るるまでも返り見しはや
また、播磨国におはしまし着きて、明石の駅といふところに御宿りせしめ給ひて、駅の長の、いみじく思へる気色を御覧じて作らしめ給ふ詩、いと悲し。
駅長莫驚時変改
一栄一落是春秋

【解釈】
(大宅世継が語る思い出話)
醍 醐天皇の御代のこと、この大臣(藤原時平公)は、左大臣の位で、年齢がたいそう若くていらっしゃった。菅原の大臣(道真公)は、右大臣の位でいらっしゃ る。その時、天皇も、御年齢がたいそう若くていらっしゃった。(天皇は)左右の大臣に、世のまつりごとを執り行うようにとのご命令をお下しあそばしたが、 その時、左大臣は御年二十八、九歳ぐらいだった。右大臣の御年は五十七、八歳でいらっしゃったか。
 (このお二人が、)ご一緒に世のまつりごとを 担当なさったところ、右大臣(道真公)は才学が非常にすぐれてすばらしくていらっしゃり、御思慮もことのほかすぐれておられる。左大臣(時平公)は、御年 も若く、学才も(右大臣に比べて)格別劣っていらっしゃったので、(天皇の)右大臣に対するご寵愛は格別でいらっしゃったが、左大臣は、心穏やかでなくお 思いになっているうちに、そうなるべき(定め)だったのでしょうか、右大臣にとってよくないことが起こり、昌泰四年の正月二十五日、(朝廷は道真公を)大 宰権帥に任命申し上げて、(道真公は、)流されなさった。
 この大臣(道真公)は、子どもがたくさんいらっしゃったが、女君たちは、婿を取り、男 君たちは、みなそれ相応に官位がおありでしたが、それも皆、方々に流されなさって悲しいうえに、幼くていらっしゃる男君・女君たちは、父君を慕ってお泣き になったので、「小さい者は、まあよいだろう。」と、朝廷もお許しになったのだよ。天皇のおとがめは極めて厳しくていらっしゃったので、このお子様達を、 同じ方面にお流しにはなりませんでした。(道真公は、)あれやこれやにつけ、ひどく悲しくお思いになって、お庭先の梅の花をご覧になって
  東風が吹いたならば、(その風に乗せて)香りを送っておくれ。梅の花よ、主人がいないからといって春を忘れて(花を咲かさないで)くれるな。
 また、亭子の帝(宇多法皇)に申し上げなさった(歌)、
  (配所へ)流されていく私は、水中のゴミクズになってしまいました。わが君よ、どうか水屑をとどめるしがらみとなって、私を引き留めてください。
無実の罪のために、このように罰せられなさることを、ひどく思い嘆きなさって、そのまま、(途中の)山崎で御出家になられ、都が遠ざかるのにつれて、しみじみと心細くお思いになって(奥方にお詠みになった歌)、
  (流されて行く旅路を)行きながら、あなたが住んでいる家の木立の梢を、見えなくなるまで振り返って見たことですよ。
 また、播磨の国にお着きになって、明石の駅(うまや)という所にお泊まりになって、(そこの)駅長が(道真公の左遷を)たいそう驚き悲しんでいる様子をご覧になって、お作りになった詩は、とても悲しい。
  駅長よ、(そんなに)驚かないでくれ。時勢が移り変わり、(そして、春には美しく花が咲き、秋にはさびしく落葉する、)一たび栄え、一たび衰える。これが、時の流れなのである。(人間の栄枯盛衰も同じことなのだ。)

 梅の花匂いおこすや海越えて

梅と海、ウメとウミ、、、似てませんか?



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