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風よお前は   [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今回は、高2の時に作ったソネット(14行詩)形式の詩だ。「風よお前は」というフレーズは、荒木 栄作詞・作曲 の「星よお前は」という歌にも同一の呼びかけ出でてくるが、もちろん高校生の私が知るよしもない。また、ネット検索をしてみると、同様の表現がいくつか垣間見えるが、私の作品の成立年代は1969年頃で、おそらく私のものが先行しているだろうから、著作権上の追及はご容赦願いたい。念のため。



 
  風よおまえは    木下透
風よ おまえは ふさいでいた私に
微笑みかけ(姉の如き優しさもて)
忘れていた郷愁をくすぐった。
(そのとき空は暖かかった。春)
 
風よ 私は おまえに甘えたのだ。
おまえの清らかな笑みは 
荒んだ私の心を どれほど明るくしたことか。
(それをおまえは 戯れだったというのか)
 
 
おまえは 今でも
私のことを 想ってくれることがあるだろうか。
(私が慕っているのはたしかにおまえなのだ)
 
風よ おまえは 今 どこにいるのだろう。
もう冬だというのに。
(夕べ地上を凍らせたのはおまえだったのかしら)


 

ソネットというと、まず頭に浮かぶのは、このブログサービスの提供会社であるインターネットサービスプロバイダー「So-net(ソネット)」だろうか。   
実は私が初めてパソコン通信やインターネット接続を始めたのは、この「So-net」を介してだった。もちろん、電話回線を使用してのモデム時代。パソコンとのつきあいは、「遅咲き」で、OSもwindows3.1の時代だった。ジーコジーコと緩やかな、しかも高額な、インターネット体験を始めた頃、「so-net」提供の「ポストペット」というメーラーを時に利用した。10代だった子ども達と遊ぶには、可愛いペットだった。いまは、孫が時々、ペンギン君と遊んでくれるが--。
だが、私にとって、「ソネット」というのは、サービスプロバイダー「So-net(ソネット)」ではなくて、まず、14行詩「ソネット」のことだ。
私が、西洋詩の形式である「ソネット」に触れたのは、立原道造を通してだった。

たちはら-みちぞう ―みちざう 【立原道造】
(1914-1939) 詩人。東京生まれ。東大建築科卒。堀辰雄に師事。「四季」同人。ソネット形式を用いた造形的な詩と清純かつ典雅な叙情を特徴とする。詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」「暁と夕の詩」「優しき歌」など。(『三省堂 大辞林』より)



たとえば、彼の詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」などは、音楽にも似た美しいソネットの宝庫で、高校時代の私は、これに耽溺したものだった。たとえばこんな具合だ。 

はじめてのものに 立原道造

   ささやかな地異は そのかたみに
    灰を降らした この村に ひとしきり
    灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
    樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

    その夜 月は明(あか)かつたが 私はひとと
    窓に凭(もた)れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
    部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
    よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

    ――人の心を知ることは……人の心とは……
    私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
    把へようとするのだろうか 何かいぶかしかつた

    いかな日にみねに灰の煙の立ち初(そ)めたか
    火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
    その夜習ったエリーザベトの物語を織つた
 

 
エリザーベトとは、ドイツの作家シュトルムの「みずうみ」に登場する少女の名前だそうだ。当時の旧制高校では、ドイツ語の教科書にこの作品が採られていたと言う。高校生の私も、早速、新潮文庫を買って読んだ。

また次の作品なども、私のセンチメンタリズムを刺激してやまないものだった。

 のちのおもひに 立原道造

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう



 

 

 虹とひとと  立原道造

雨あがりのしづかな風がそよいでゐた あのとき
叢(くさむら)は露の雫にまだ濡れて 蜘蛛の念珠(おじゆず)も光つてゐた
東の空には ゆるやかな虹がかかつてゐた
僕らはだまつて立つてゐた 黙つて!

ああ何もかもあのままだ おまへはそのとき
僕を見上げてゐた 僕には何もすることがなかつたから
(僕はおまへを愛してゐたのに)
(おまへは僕を愛してゐたのに)

また風が吹いてゐる また雲がながれてゐる
明るい青い暑い空に 何のかはりもなかつたやうに
小鳥のうたがひびいてゐる 花のいろがにほつてゐる

おまへの睫毛(まつげ)にも ちひさな虹が憩(やす)んでゐることだらう
(しかしおまへはもう僕を愛してゐない
僕はもうおまへを愛してゐない)

 

私は、この詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」の「萱草」を、「わすれな草(勿忘草)」のことだと、長い間思っていた。英語では forget‐me‐notといい、尾崎豊の曲にも歌われていた。また、倍賞智恵子の歌った「わすれな草をあなたに」も好きな曲だ。
 だが、萱草は、それとは違って、悲しみを忘れる効能があるとされる植物で、カンゾウとも呼ばれる。萱草(かんぞう)。藪萱草(ヤブカンゾウ)・野萱草(ノカンゾウ)などの種類があり、ユリ科またはキスゲ科に分類される。美しい花を咲かせ、若葉や根は食用にされ、甘味を含むという。

古くから、その、悲しみを忘れるという効能にちなんで、よく歌に詠まれた。
あの、大伴旅人(たびと)も、任地の大宰府にあって、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情をこう詠んだ。
   忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため   大伴旅人
【解釈】忘れ草を私の腰ひもに付けてみた。香具山に近い住み慣れた古里のことをわすれるために。

息子の家持(やかもち)も、こう歌う。
忘れ草 我が下紐に 付けたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) 言にしありけり   大伴家持
【解釈】忘れ草を身につけて憂いを忘れようとしたけれど、忘れることなどできはしない。名前だけのダメダメの馬鹿草だなあ。


同じ「万葉集」の詠み人知らずの次の歌も、忘れられない恋の苦しさを歌う。

    忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) なお恋にけり  詠み人知らず
【解釈】恋の苦しみを忘れるため垣根いっぱいに生い茂るほど忘れ草を植えたのだが、 ダメダメの馬鹿草め! まだ恋しい想いが薄れることがないよ。

 


さて、私の作品だが、その出来はさておき、初めて「詩情」を意識して作った詩だった。そして、初めて作ったソネット(14行詩)だった。
「擬人法」による、風に呼びかけているとも、少女に呼びかけているとも分別しがたい、渾然とした効果を狙ってみた。

 

学生時代、「自由」と題するエリュアールの詩を、私は、熱く甘い恋の歌だと思って読み進み、最後の最後で「きみ」が何者かを知り、その渇仰の切実さに打たれた事がある。私の詩を、それになぞらえるつもりはないが、「擬人法」が有効に機能すると、不思議な力を発揮すると感じた次第である。

 

 

自由
ポール・エリュアール 
大島博光訳 

小学生の ノートのうえに
机のうえに 樹の幹に
砂のうえ 雪のうえに
わたしは書く きみの名を

読んだ本の ページのうえに
石や血や 紙や灰の
すべての白い ページのうえに
わたしは書く きみの名を

金塗りの 絵本のうえに
戦士たちの 武器のうえに
王たちの 冠のうえに
わたしは書く きみの名を

ジャングルや 砂漠のうえに
小鳥の巣や えにしだのうえに
少年時代の こだまのうえに
わたしは書く きみの名を

不思議な 夜のうえに
月日の白い パンのうえに
移りゆく 季節のうえに
わたしは書く きみの名を

わが青空の すべての切れはしのうえ
陽にかがよう 池のうえに
月に映える 湖水のうえに
わたしは書く きみの名を

野のうえ 地平線のうえに
鳥たちの 翼のうえに
そして陰の 風車のうえに
わたしは書く きみの名を

明けそめる あけぼののうえに
海のうえ 舟のうえに
荒れ狂う 山のうえに
わたしは書く きみの名を

泡だつ 雲のうえに
嵐のながす 汗のうえに
どしゃ降りの 雨のうえに
わたしは書く きみの名を

光りきらめく 形姿のうえに
色とりどりの 鐘のうえに
自然のものの 真実のうえに
わたしは書く きみの名を

生きいきとした 小道のうえ
遠く伸びた 大道のうえ
ひとの溢れた 広場のうえに
わたしは書く きみの名を

燈のともった ランプのうえに
また消えた ランプのうえに
わが家の 団欒のうえに
わたしは書く きみの名を

わたしの部屋と 鏡との
二つに切られた 果物のうえに
うつろな貝殻のようなベッドのうえに
わたしは書く きみの名を

食いしんぼうで敏感な愛犬のうえに
ぴんと立てた その耳のうえに
不器用な その脚のうえに
わたしは書く きみの名を

戸口の 踏台のうえに
使いなれた 道具のうえに
揺れなびく 聖火のうえに
わたしは書く きみの名を

許しあった 肉体のうえに
友だちの 額のうえに
差し出された 手のうえに
わたしは書く きみの名を

思いがけぬ喜びの 窓硝子のうえに
待ち受ける くちびるのうえに
また 沈黙のうえにさえも
わたしは書く きみの名を

ぶち壊された 隠れ家のうえに
崩れさった わが燈台のうえに
わが不安の日の 壁のうえに
わたしは書く きみの名を

ぼんやりとした 放心のうえに
まる裸かの 孤独のうえに
そして死の 行進のうえに
わたしは書く きみの名を

もどってきた 健康のうえに
消えさった 危険のうえに
思い出のない 希望のうえに
わたしは書く きみの名を

力強いひとつの言葉にはげまされて
わたしは ふたたび人生を始める
わたしは生まれてきた きみを知るため
きみの名を 呼ぶために

自由よ


 
 
 
訳詩者の大島博光さんは、最近亡くなられた、と書きかけて調べてみたら、2006年没とある。もはや、最近とは言えないか。

 

大島博光さんの業績をまとめたこんなページがあったので、無断でご紹介させていただくことにする。 以前話題にした、パブロネルーダの詩の多くも、この人の訳で読んだ。1980年代、ある会場で、間近でお見かけしたことがあった。それだけのことだが、、、感慨はある。

さて今日の写真は、居間のテーブルに置いてあるポット植えの花。二つとも、妻が、近所のスーパーの「売れ残り」で、一鉢100円で買ってきたもの。
人口減の我が家の癒し剤か。

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