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戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺   木下 透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、この項の趣旨である。
未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、以前掲載した作品の、後半部分を補足したものだ。

別の理由でモノ探しをした際に、散逸していたこの詩を見つけた。

あえて発表するほどのものでもあるまいが、「自主憲法制定」の動きかまびすしき時期が時期だけに、かすかな囀りといえども、たくさんの囀りの声を上げておくに超したことはあるまいと考えた。

「天 皇元首化」「国防軍の保持」などを露骨に謳った「憲法改正草案」なるものが具体的に掲げられ、無制限とも言える恣意的な「解釈改憲」と競い合うように、 「明文改憲」への準備が急ピッチにすすめられている状況は、高校時代に私が漠然と警戒していた以上のただならなぬ気配ではないか。しかも、核武装を唱える元航空幕僚長のアナクロ都知事候補がネット上では首位を奪い、現実にも無視できぬ得票を得たり、この人物を、元の都知事(昔、三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地でのクーデター未遂自決に涙を流して「なぜ待ってくれなかった」と嘆いたっけ)や、「永遠の0(ゼロ)」などで人気の売れっ子作家(NHK経営委員)が、応援し、他の候補を「人間のくずみたいなもの」と誹謗するなんてことが、まさか起きようなどとは、私の生ぬるい想像力の適うところではなかった。

この詩は、最悪の未来図(シナリオ)のつもりで書いたのだが、現実がそれを追い越そうとしている。

この逆向きの流れを堰き止めるためには、木下君、きみはどうするの?



戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”     木下 透

(1)

てんのうへいかさまは まずしいものを ごらんになって おあわれみになり きんすを おほどこしに なりました。
いやしいみぶんの ものどもは みんな なみだをながして よろこびました。
てんのうへいかさまの みよが ながく つづきますようにと いのりました。みんな、みんな。

(2)


てんのうへいかさまは ぜんせかいのにんげんが へいわにくらせるようにと せんそうを おはじめになりました。
にっぽんは しんこくですから かならずかつのですと こうちょうせんせいが おしゃいました。
こくみんは みんな よろこんで へいたいに なりました。
おくにのために だれもだれも よろこんで しにました。
てんのうへいかばんざい、 だいにっぽんていこくばんざい。
あじあのみんなが さかえますように。

(3)


てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。
こくみんは だれもだれも よろこんで なきました。
ちちや ははや こどもを なくしたこくみんも よろこんで なきました。
たべものがなくて ひもじくても よろこんで なきました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。

こくみんは じゆうと びょうどうと それぞれのけんりを ほしょうされました。
あめりかは にっぽんこくの ゆうじんとなりました。
あめりかも にっぽんこくも たがいにさかえますように こくみんは いのりました。
にっぽんこくは さかえました。
こくみんは ゆうふくに なりました。
しょとくは ばいぞう されました。
いっかに いちだい てれびが あります。
まちまちに ぬうどげきじょうと ぱちんこやが たてられました。
(となりのおくにが ちいさくみえます)
こくみんは たのしく くらしました。
にっぽんこくは へいわです。
にっぽんこくは こくみんの あんぜんを まもるために ぼうえいたいを つくりました。
こくみんの あんぜんは ほしょうされました。

すいがいや かさいのさいには なんにんものひとびとが たすけられました。
こくみんは ないて よろこびました
にっぽんこくは へいわです。
こくみんは じゆうです。

(5)

こくみんの だいひょうのひとりは むねをはって いいました。
ひとりびとりが くにをまもるいしきを みにつけよう。
こどもたちは むねを ときめかせました。
ほんとうに じぶんたちが ほんものの てっぽうをもって くにをまもることを ゆめみて よろこびました。

 


以上は前回掲載分

以降が補足分である。


 わるいやつらを うちころすのです。あかいやつらや めうえのひとにさからう きのちがったやちらを おもいきり ぶちのめすのです。
ほ んとうに じぶんのちからで くにを くにのはんえいを まもるのです。わるいてきを ころしたあとは きもちが せいせいします。にっぽんじんは えら いのです。にっぽんじんは つよいのです。にっぽんじんは いつでも ただしいのです。いつでも ただしかったのです。
にっぽんじんは えらくて つよくて ただしくて いさぎよくて りっぱでせいぎをあいし あくをにくみ しよくをすてて ぎりをおもんじ くにをあいし ちつじょをたっとび きんべんで・・・・
――だから にっぽんこくは さかえ 
――だから にっぽんこくは ますます さかえ
――だから にっぽんこくは あじあの てほん
――だから にっぽんこくは あじあの しどうしゃ・・・・
(あじあは ひとつ。あじあは なかま。)


にっぽんこくよ さかえよ。
あじあよ さかえよ。
そのためには くにを まもる ちからが いるのです。
にっぽんこくは せんそうを するためでない へいたいを ふやしました。
にっぽんこくは せんすいかんと みさいるを つくりました。
にっぽんこくは たしかないりょくを しるための かくじつな じっけんを くりかえしました。
(あとは じっさいに ころしてみるだけ)
「かくあれるぎいは こくみんの じかくによって とりのぞかれねばならない」
「かくさんげんそくは わがとうぜんたいの かんがえではなく しゅしょう おひとりの おかんがえであり しかして それは とうぜん 考え直すよちのあるものなのであります。
「げ んこうの けんぽうは てきこくと そのてさきであるところの ひくつなる ひこくみんの てによって わがくにの ちつじょを みださんことをいととし て つくられたものであり よってそのために わがくにには てんしさまを うやまうことをせず わがくにの はんえいさえも さまたげんとする ふらち なる たいだしゃが はびこることに なったのである。しかれば われわれは とうぜん この あくほうを かいせいして われわれのこくみんせいを そ んちょうし わがくにの じつじょうに あった けんぽうを つくるべきであろうと かんがえるので ある。」

「にっぽんこくは その こ ゆうの りょうどであるところの おきなわを とりかえさねば ならないのであります。おきなわを とりかえさぬうちは にっぽんの せんごは おわった とは いえないので あります。つまり にっぽんのりょうどが うばわれているかぎりは むかしの つよい にっっぽんでは ありえないので ありま す。」   

「おきなわは きょくとうの へいわには かかせぬ じゅうような ぐんじきち なのでありまして とうてい あめりかも むじょうけんの へんかんを しょうちするはずは ないので あります。むしろ われわれは 

ほんどの おきなわか そして ついには われわれじしんの てによる こくぼうを かんがえる べきで ありましょう。」

「こ くみんの あいこくしんを たかめるために こどもたちは しんわによって こっかの とういつのれきしを まなばねば ならない。しんわが とうじの  いせいしゃの けんいづけの ための そうさくであるとするのは きけんきわまりない おもいあがった しそうであり ひいては こっか せいふへの ふ しんを じょちょうさせるものである。きょういくは とうぜん こっかによって なされるものであり さもなくば じだらくで たいはいてきな あなあき ずむの まんえんにより こっかはすたれるであろう。こどもたちを けがれからまもるために 

こどもたちを けがれから まもるために きけんなしそうはだんあつされねばならない。」
にっぽんこくはつよくなりました。(終わり)


高校の頃、これを読んだ友人に「本気でそう思ってるのなの?」と、尋ねられたことがあった。
当然、皮肉、風刺、揶揄、ジョーク、おふざけのつもりだし、それは、言わずもがなの自明の理のはずだった。

現実の歴史では、為政者と教育・報道機関の合作により、もう少しもっともらしい巧言が世を覆い、そのなかで人々の心が戦争遂行へと動員されていったのだろうが、そのメカニズムをデフォルメし戯画化することで、時代へのささやかな警鐘としたかったのだが、、、、。

ところで、昨日アップした詩「春 其の2」は、「 うららかの春の一日(ひとひ)/萌える若草の香を淡く感じながら/私はひとり寝そべっていた/柔らかな空を 二つのかげが ゆうるりと舞うていた」とつづく。

二つのかげとは何だろう?などと疑問に思われる人はまずあるまいが、「戦争の影」なんてモノではなさそうだ。ましてや、グラマンだとかB29だとか、そんな即物的な形象でもまさかないだろう。

「ゆうるりと」と言う表現からも、文字通りのどかな、平和な情景にふさわしい、トンビかなんかだろうと思って間違いない。
「ゆうるりと」というフレーズは、文芸部の顧問でもあった恩師U先生の、お好みの表現だったように思う。そんな言い回しまで、知らず知らず感化を受けていたのだろう。

昨日、岡南飛行場近くの阿部池周縁を散歩していると、空を二つの影がゆうるりと舞うていた。

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これは、どうもトンビではなさそうだ。最近、近所の散歩道でも、ちょくちょく猛禽類の姿を見かけることがある。あわてるので、なかなかカメラに収めることができず、ピンボケ、手振れ写真の量産になってしまう。
ワシタカらしい鳥を見ると、なんだかそわそわして、特別扱いしている自分に気づくが、いかんせん、目視でその種類を見分けることができないので、写真を元に図鑑を調べる必要があるのだが、この不鮮明な写りではそれもできず残念だ。
 
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鳥に関してだけは、「タカ派」志向の要素なしとはいえない私だが、政治思想上のタカ派は、論理も行動も乱暴でデリカシーにかけるので、好きになれない。
特にあの、青年将校がよって立つ「問答無用」の論理(いや、正確には「無理」)を、私はもっとも厭悪するものだが、最近の世の風潮はこれを増幅させているようで、いやな気分だ。
ほら、あのマスゾエさんのしゃべり方、イシハラさん、ハシモトさん、乱暴なキメツケで扇情的に自己の特異な主張を押し通そうとする点でそっくりに見える。そんな人物をリーダーとして戴いている市民(シチズンという意味で)のレベルが、それだけお粗末だってことで、またまた気が滅入る。
 
 
 
 

 


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