お名前は? 加賀地蔵 [今日の「これなあに」?]
高校生の頃、教室の机の片隅に
「野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き」
と「落書き」がありました。
「野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き」
と「落書き」がありました。
優しい文字で、女の子の筆跡に見えました。
その頃、私は、詩に興味を持っていた頃でしたから、この詩が気になりました。誰か女の子が、自作の詩を机に書きつけたのだろうと思い込み、その子の「詩才」にジェラシイとも憧憬ともつかない感情を抱いたものでした。
後になって、当時若者に超人気のフォークグループ「フォーククルセイダーズ」のヒット曲「戦争は知らない」の冒頭部分だと気づき、己の無知を秘かに恥じました。私は「帰って来たヨッパライ」は知っていましたが、この曲は知りませんでした。テレビの歌謡番組以外には、時代の曲を耳にするような環境にありませんでしたから。
その頃、私は、詩に興味を持っていた頃でしたから、この詩が気になりました。誰か女の子が、自作の詩を机に書きつけたのだろうと思い込み、その子の「詩才」にジェラシイとも憧憬ともつかない感情を抱いたものでした。
後になって、当時若者に超人気のフォークグループ「フォーククルセイダーズ」のヒット曲「戦争は知らない」の冒頭部分だと気づき、己の無知を秘かに恥じました。私は「帰って来たヨッパライ」は知っていましたが、この曲は知りませんでした。テレビの歌謡番組以外には、時代の曲を耳にするような環境にありませんでしたから。
「戦争は知らない」 作詞:寺山修司 作曲:加藤ヒロシ 野に咲く花の 名前は 知らない だけど野に咲く花が好き 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの 戦争の日を 何も知らない だけど私に父はいない 父を想えば ああ荒野に 赤い夕日が 夕日が沈む いくさで死んだ 悲しい父さん 私はあなたの娘です 二十年後のこの故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの 見ていてください はるかな父さん いわし雲飛ぶ空の下 いくさ知らずに二十歳(はたち)になって 嫁いで母に 母になるの |
今、確かめてみると、1966年のヒット曲だそうです。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
と歌ったジローズの「戦争を知らない子供たち」は1970年だそうですから、戦争を知らないということが、日本の若者の自明のアイデンティティであることを確認し、肯定しながら私たちは育ってきたのだったと改めて思います。「だった」と過去形で書いたのは、今これが大いに揺らいでいることに危惧を覚えるからです。
いつの間にこんな風になったのでしょう?
日本を「フツーの国に」=「戦争の出来る国に」という動きが陰に陽に強まり、政権担当者が本気(マジ)で、憲法九条の平和的条項を、名文解釈両面からズタズタに引き裂いてくずかごに捨ててしまおうとする時がくるなんてーー。
「戦争の日を何も知らない」「いくさ知らずに二十歳(はたち)になって」「戦争を知らずに僕らは育った」ーーと、子々孫々に渡って世界の子ども達が述懐できるように、かつての「子どもたち」は、強く祈念したいものです。
いえいえ、今日の話題はそれではなくて、「野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き」というフレーズについて。
子どもの頃見た映画に、『名もなく貧しく美しく』という作品がありました。
松山善三の初監督作品で、 高峰秀子、小林桂樹ら出演。聴覚にハンディを持つ夫婦の慎ましく健気な姿と、続けざまの残酷な試練。悲しい映画でした。
松山善三の初監督作品で、 高峰秀子、小林桂樹ら出演。聴覚にハンディを持つ夫婦の慎ましく健気な姿と、続けざまの残酷な試練。悲しい映画でした。
今日これを取り上げたのは「名もなく」という言葉つながりで思い出したため。
永六輔さんに、「無名人」のシリーズがあります。市井の人々の何気ない一言の中に、著名人のありがたい名言を超える含蓄と知恵を酌み取ることが出来る名著です。
東京千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑の入り口には《千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、先の大戦において海外で亡くなられた戦没者の御遺骨を納めるため、昭和34年、国により建設された「無名戦没者の墓」です。》との説明板があります。
兵士・民間人を問わず、世界各地で戦没された方々の遺骨の内、遺族に引き取られなかった 35万8千2百53柱(平成25年12月26日現在)のご遺骨が奉安されているそうです。
天皇のために命を捧げた「英霊」だけを、排他的に祭る靖国神社とは大きな違いです。
アメリカのアーリントン墓地にある無名戦士の墓もよく知られています。
これらの「無名」はみな、「名がわからない」もしくは「一般に名が知られていない」もしくは「(自分が)名を知らない」ことを意味しているだけで、もちろん「名がない」わけではありません。
「名付け」の精神史 市村 弘正 名付けるとは、物事を創造又は生成させる行為であり、そのようにして誕生した物事の認識そのもので あった。「大汝 少彦名の 神こそば 名付け始めけめ」といった神話的な表現は、世界に対する関与の在り方を端的に語っている。名付けられることによって 「世界」は、人間にとっての世界となった。人間は名前によって、連続体としてある世界に切れ目を入れ対象を区切り、相互に分離することを通じて事物を生成 させ、それぞれの名前を組織化することによって事象を了解する。このように「名付ける」ことによって物事が生み出されるとすれば、世界はいわば名前の網目 組織として現れることになるだろう。従って、ある事物についての名前を獲ることは、その存在についての認識の獲得それ自体を意味するのであった。こうして 諸々の物が名前を与えられることによって、例えばそれが食物か毒物か薬物かを区分けされたとき、そこに成立する名前の体系は、人間とその物との間に数限り なく繰り返されたであろう試験(試練)を含む交渉を背負っているのであり、それは「生きられる」空間が創造されたということであった。 |
「ある事物についての名前を獲ることは、その存在についての認識の獲得それ自体を意味する」というのは、まったくその通りだと思いますね。
昔話に「大工と鬼六」というのがあります。鬼の名前を言い当てることが鬼を制圧することにつながるという、不思議なお話です。ここにも、名付けがその対象物を認識し、獲得し、所有し、我がものとして支配することにつながるという、名付け行為のダイナミズムを読み取ることができるのでしょうか?
- 作者: 矢崎 節夫
- 出版社/メーカー: くもん出版
- 発売日: 1981/01
- メディア: 単行本
もうすぐ、桜の季節がやって来ます。
いや、河津桜はもう咲いていますし、鉢植えのサクランボの花もほころびはじめました。(写真のupは後日)
撮りためた梅の花を紹介するタイミングが遅れてしまいましたので、特別サービスで連日大放出デーといたします。
梅の花も、品種名がいろいろあるらしいですね。名前を知ることで、そのものへの理解と関心と愛着が増しますかどうか?
品種名 加賀地蔵
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