はるやはる弥生つごもりエトセトラ [今日の暦]
今日で三月も終わります。
古典風に言えば、「やよひつごもり」です。
今日も在原業平の登場です。彼をモデルとする「伊勢物語」の第八〇段に、こんな文章があります。
昔、おとろへたる家に藤の花植ゑたる人ありけり。やよひのつごもりに、その日雨そほふるに、人のもとへ折りて奉(たてまつ)らすとてよめる、 濡れつつぞ しひてをりつる 年の内に 春はいくかも あらじと思へば |
【解釈】
昔、家運が傾き落ち目になっていた家に、藤の花を植えた人があった。三月の末に、その日は雨がしとしとと降っていたが、人の所へ藤の花を折って差し上げるといって詠んだ歌。
雨に濡れながら、強いてこの美しい藤の花の枝を折ったことですよ。今年の内に春はもう何日もないだろうと思いますので。(鮮やかで美しい間に、是非あなたにこの花をお見せしたいと思って)
古典の時代は、旧暦を用いますので、「やよひつごもり」といえば、晩春。
春も終わろうという時期です。藤の花は、四月のはじめには咲き始めますが、もっとも美しく咲き誇るは晩春の頃ですね。
この歌で「藤の花」は、当時政権の中心にあって栄華を誇っていた藤原氏を暗示するとの説もあります。平城天皇の第一皇子である阿保親王を父に持ち、桓武天皇の皇女、伊都内親王を母とする由緒ある生まれでありながら、政権の傍流に追いやられていた業平の、藤原氏を羨み恨みに思う心情が読み込まれているというのですが、さあ、どうでしょうか?
同じ時代の歌人で、古今集の撰者の一人である凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)も、「やよひつごもり」に次の歌を残しています。
やよひのつごもりの日、花つみよりかへりける女どもを見てよめる とゞむべきものとはなしにはかなくも ちる花ごとにたぐふ心か 躬 恒 |
春も終わろうとしている三月の末、花摘みより帰ってきた女たちを見て詠んだ歌
散るのを留めておくことができるものではなく、はかなくも散っていく花々であるが、その散る花の一つ一つに思いが寄り添う私の心であるよ。
ところで、芭蕉の「奥の細道」では、江戸を出発して本格的な旅を始める場面をこう記述しています。
弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、富士の峰幽か(かすか)に見えて、上
野・谷中(やなか)の花の梢、またいつかはと心細し。睦まじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思ひ胸
にふさがりて、幻の巷(ちまた)に離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き(なき)魚の目は泪(なみだ) これを矢立(やたて)の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと、見送るなるべし。 |
一ヶ月の間には、七のつく日が、七、一七、二七と三回あります。末(すゑ)の七日とは、二七日のことです。まさに晩春、季節感覚としては「行く春」ですね。
[解釈] 三月も下旬の二十七日、夜明けの空はおぼろに霞み、月は明け方まで空に浮かぶ「有明の月」で、光が薄らいでしまっているので、 富士山がかすかに見えて、上野や谷中など桜の名所に桜の花が咲くさまが目に浮かび、この桜の花の梢を、またたいつ見ることがあろうかと思うと心細い。親しい人々がみんな宵から集まって、舟に乗って私を送る。 千住(現在の東京都足立区)という宿場で舟から上がると、前途が三千里もある長旅に向かう感慨が胸いっぱいになって、幻のようにはかないこの世とは思いつつも、分かれ道に立って、別れの涙をこぼすのであった。
過ぎ去らんとする春よ。名残を惜しんで、鳥は悲しく鳴き、魚の目にも涙があふれているようだ。(今まさに、遠く旅立とうする私たちに、みんなが別離を惜しみ、旅の無事を祈ってくれた。)
この句を旅の記の書き始めとして歩み始めたが、名残惜しさの故もあって、足がなかなか前に進まず、道のりはいっこうにはかどらない。人々は、道の途中に立ち並んで、私たちの後ろ姿の影が見えなくなるまではと見送ってくれているようだった。
門人の向井去来が、芭蕉や門人達の言説を書き残した俳文集「去来抄」に、「行く春を近江の人と惜しみけり」の句について書いています。
行く春を近江の人と惜しみけり 芭蕉 先師曰く「尚白が難に、近江は丹波にも、行く春は行く歳にも、ふるべし、といへり。汝い かゞ聞き侍るや」。去來曰く「尚白が難あたらず。湖水朦朧として春をおしむに便り有るべし。殊に今日の上に侍る」と申す。先師曰く「しかり。古人も此國に 春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」。去來曰く「此一言心に徹す。行く歳近江にゐ玉はゞ、いかでか此感ましまさん。行く春丹波にゐまさば、本より 此情うかぶまじ。風光の人を感動せしむる事、眞成る哉」と申す。先師曰く「汝は去來、共に風雅をかたるべきもの也」と、殊更に悦び玉ひけり。 |
【解釈】 去りゆく春を近江の人とともに惜しんだことだったよ 芭蕉
芭蕉先生がおっしゃるには「尚白の、この句に対する非難のコメントとして、近江は丹波にも、行く春は行く歳にも、振り替える事ができましょう、といっている。オヌシはこれをどう思うかね?」。
去来(私)は「尚白の非難は見当はずれです。琵琶湖の水が朦朧と霞んで、過ぎ去って行く春を惜しむ気分とフィットした雰囲気が醸し出されるのであって、他の所ではそうはまいりません。これは特に現実目の前の、実感そのものです。」と申しました。
芭蕉先生がおっしゃるには、「そのとおり。昔の人も、この近江の国で春を愛することは、ちっとも都の人に劣りはしなかっただろうよ。」
去来(私)は「この一言を心に深く刻みつけておきます。年末に近江にいらっしゃったなら、どうしてこのような感動がございましたでしょうか?晩春に丹波にいらっしゃったならば、当然ながらこの感情がうかぶはずがないでしょう。情景が人を感動させるというのは、まことですなあ。」と申しました。
芭蕉先生は「去来よ、オヌシは、いっしょに風流の道を語ることができるオトコじゃのう。」と格別にお喜びになりました。
新暦の「やよひつごもり」の今日は、ようやく春が笑顔をのぞけはじめたという風情。
昨日の雨が上がり、散歩道の桜も一気にほころびました。
一昨日の記事に書いた旅人と西行の歌碑の周辺。すっかり花盛りです。
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