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満開の花に嵐の無惨かな [折々散歩]

全国的に、大荒れの天気です。

今現在、我が地方でも強風注意報が出ています。

こんなお天気だと、こんなフレーズを口ずさんでしまします。

  この杯を受けてくれ
    どうぞなみなみ注がしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    さよならだけが人生だ

   井伏鱒二 『勧酒』

 
もちろん、原詩は唐代の詩人 于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒 」。

勧酒    于武陵
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
(『唐詩選』) 


【書き下し】
酒を勧む  于武陵
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須(もち)ひず
花発(ひら)きて風雨多く
人生別離足る

この「人生別離足る」を、井伏は「さよならだけが人生だ」と圧倒的な訳語を創出しました。

その断言の印象深さの故でしょう、 寺山修司がこれにこだわって、なんとかしてあらがおうと試みています。

   さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
    はるかなはるかな地の果てに咲いている野の百合何だろう
    さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
    やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
    さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
    さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
    さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。

    寺山修司 『さよならだけが人生ならば』

 

「さよならだけが人生だ」の句は、学生時代、とある友人が好んで口にしていたことが、思い出されます。かれは、太宰治の「富嶽百景」から、「井伏氏は、放屁なされた」というフレーズも、おもしろがっていました。

頂上のパノラマ台といふ、断崖(だんがい)の縁(へり)に立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立つてゐる。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営してゐるじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんたうに生憎(あいにく)の霧で、もう少し経つたら霧もはれると思ひますが、富士は、ほんのすぐそこに、くつきり見えます、と言ひ、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つてその写真を両手で高く掲示して、ちやうどこの辺に、このとほりに、こんなに大きく、こんなにはつきり、このとほりに見えます、と懸命に註釈するのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた。   太宰治『富嶽百景』

 私は、井伏鱒二といえば、「山椒魚は悲しんだ。」という印象的な言葉から始まる短編小説『山椒魚』が好きでした。
幽閉された山椒魚という着想やストーリーの独自性もさることながら、次のようなユーモアとペーソスとウィットが入り混じった表現が、強く印象に残ったものでした。

なんたる失策であることか!」
彼は岩屋のなかを許されるかぎり広く泳ぎまわってみようとした。人々は思いぞ屈せし場合、部屋のなかをしばしばこんな具合に歩きまわるものである。


「いよいよ出られないというならば、おれにも相当な考えがあるんだ。」

しかし、彼に何一つとしてうまい考えがあれ道理はなかったのである。 「ああ、寒いほど独りぼっちだ!」
注意深い心の持主であるならば、山椒魚のすすり泣きの声が岩屋の外にもれているのを聞きのがしはしなかったであろう。

 
今日、井伏鱒二 『勧酒』を思い出したのは、「さよならだけが人生だ」の部分よりも、 「花発(さ)きて風雨多く」の訳である「花に嵐のたとえもあるぞ」の方です。

今朝、散歩したときは、まだ雨風に見舞われる前で、朝日を浴びて花々が輝いていました。

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「山笑う」姿も遠くに見えます
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桜トンネルに花吹雪が舞い始めています。
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ツバメ
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ムクドリ
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アオサギ
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 柿の新芽
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 さて、最後に、井伏鱒二の作品としてもう一つ誰もが思い出すものに「黒い雨」があるでしょう。ヒロシマの被爆の惨状を、極力感情の表出を抑えたある種無機的な文体で、きわめて冷静に、淡々と描いていて、そのリアリティに圧倒されます。
来年は、そのヒロシマ・ナガサキの被爆から七〇年。
ほんのさっきまで、NHKテレビで、「プライムS」という番組が放送されていました。制作したNHKヒロシマ放送局のホームページにはこうありました。

被爆70年
ヒロシマ・ナガサキは発信する
来年は「被爆70年」。被爆体験の継承を考えたとき、それがいかに大きな節目であるか。

被爆地の放送局として、何をすべきか。
ヒロシマ・ナガサキの力を結集し、発信していきたい。
第1回は、原爆の恐ろしさを改めて見つめ、伝えていくために何をすべきか。
核廃絶に向け、世界はどんな道筋を歩んでいくべきか。
最新の取材成果を報告しながら、考える。

 放送は、「被爆70年」にむけて核兵器の廃絶に大きく動き始めた各国政府の動きを紹介しつつ、これにたいして、日本政府代表が「NPT」の枠組みに依拠する従来の主張を繰り返す姿勢をクローズアップさせていました。

地方局制作の番組には、なかなか骨のあるものが多いという印象がありますが、会長さんが、「政府が右ということを左というわけにはいかない」などと「個人的見解」を公言し、発言は取り消したけれども「個人的見解」は変更したわけではないというNHKさん、、、、。この先も、長いものに巻かれないで、公共放送として公平な報道を提供し続けてくれるでしょうかね?

 

 


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