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アリスイに遭うたは猫に小判かな [雑話]

これまでも、ビギナーズラック(初心者の幸運)に恵まれた記憶が、幾度かあります。かえって、経験も積み、スキルも上がったと自覚してからの方が、まったく空振り続きという経験もしばしばです。
一昨日の「アリスイ」との遭遇は、まさにそれでしょう。この後、また会えるとは、とても思えません。

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 知らないというのは怖いもので、確かに見覚えのない鳥だとは思いましたが、まさか、そんなレアなお客さんだとは思い至りもしませんでした。
「猫に小判」、「豚に真珠」と言うものですね。
知っていたなら、特徴のあるその長い舌とやらを、何とか確認する努力をしたでしょうに。名前を教えていただき、図鑑で調べたのが翌日とあっては、それもかないません。「後の祭り」とはこのことです。
「後の祭り」にはこんな類義語があるそうです。

類義語: 後薬/証文の出し後れ/十日の菊六日の菖蒲/六日の菖蒲十日の菊/祭りすぎてのとちめんぼう/喧嘩すぎての棒ちぎり/遅かりし由良之助 (ことわざデータバンクより)


「覆水盆に返らず」も類義語と言えましょう。
wikipediaにはこうありました。

覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)はことわざの一つ。

太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり 読んでいたので離縁された。 太公望が周から斉に封ぜられ、顕位に上ると女は太公望に復縁を申し出た。 太公望は盆の上に水の入った器を持ってきて、器の水を床にこぼして、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。 女はやってみたが当然出来なかった。 太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ。」と復縁を断った (出典は後秦の時代に成立した『拾遺記』による)。

この話から一度起きてしまった事はけっして元に戻す事は出来ないと言う意味で覆水盆に返らずと言うようになった。なお、四字熟語では覆水不返(ふくすいふへん)。

中国語の「盆」(pen第2声)は日本語の「お盆」ではなく、鉢、ボウル状の容器のことである。

ちなみにこの話は太公望の数多くの伝説の一つであって、必ずしも史実とは限らない(前漢の人物である朱買臣について、同様の逸話があることなど)。

同義の別例として"覆水収め難し"、同じ意味を表す英語の諺に "It's no use crying over spilt milk."(こぼしたミルクを嘆いても無駄) がある。
 

ところで、「豚に真珠」について「wiktionary」というサイトにこんな記事がありました。

豚に真珠(ブタにシンジュ)
豚に真珠を与えても、豚はその価値を知らないので何の意味もない。このように、どんな立派なものでも、その価値を知らない者にとってはなんの役にも立たないものである。

  けれども、私が斯う申すと、きっと或人は反駁して、「私はお前の云う通り、女性を高い位地にまで上げて認めようと為る、又認めたいと思う。従って教育も男 子と同等にさせてやり度いとも思う。然し考えて見なさい、日本の女性の裡に幾人、大学教育を受け得、又受けようとする婦人があるか、彼女等は自分で希わな いのだ、希わないものに何故無理にもやらなければならないのか、豚に真珠だ。」と申すかも知れません。(宮本百合子 『C先生への手紙』)

出典   新約聖書・マタイによる福音書第7章

  「聖なる物を犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて踏みつけ、向き反りて汝らを噛みやぶらん。」(『舊新約聖書』 神戸英国聖書協会 1927年刊)


 


 そして、「猫に小判」については、こう書いてあります。

猫に小判(ねこにこばん)

    猫に小判を与えても、その価値を知らない猫にとっては何の意味もない。このように、どんな立派なものでも、持つ人によっては何の値打ちもないものであるというたとえ。

        制度が先にあっても宜しいが、個人が多数に目覚めて、その制度を我物として活かすのでなくては、制度も猫に小判ですから、私は先ず個人の自覚と努力とを特にそれの乏しい婦人の側に促しているのです。(与謝野晶子 『平塚・山川・山田三女史に答う』)

 

 


語源について、このサイトに詳しい説明がありましたが、コピー操作を禁止してあるようで、紹介だけにとどめます。

ほかにこんな類義語があるそうで、興味がそそられます。
猫に小判/犬に念仏猫に経/犬に論語/兎に祭文/牛に経文/牛に麝香/牛に説法馬に銭/牛に対して琴を弾ず/馬の耳に風/馬の耳に念仏/馬の目に銭/猫に石仏/猫に胡桃をあずける/豚に真珠/豚に念仏猫に経

曰くありげな「牛に対して琴を弾ず」を調べてみますと、

 

【意味】牛に対して琴を弾ずとは、愚かな者には、いくら立派な話をしても何の役にも立たないことのたとえ。
【牛に対して琴を弾ずの解説】
【注釈】牛の前でどんな名曲を琴で弾いても、牛には何も響かないことから。
魯の公明儀が牛の前で名曲を琴で弾いたが、牛はただ草を食べるだけで何の興味も示さなかった。
しかし蚊や虻の音、子牛の鳴き声のような音を琴で弾いて聞かせると、耳をそばだてて尾を振り歩き出したという、『祖庭事苑』にある故事に基づく。
【出典】『祖庭事苑』
 

ところで、小判(黄金)の色は「山吹色」であることから、小判(黄金)の別名を「山吹」と称します。

wikipediaの記事を一部引用します。やま‐ぶき【山吹】

 

1 バラ科の落葉低木。山間の湿地に多く、群生する。葉は互生し、卵形で先がとがり、縁に二重のぎざぎざがある。晩春、黄色の5弁花を開き、実は暗褐色。古くから庭木とされ、八重咲きのものは実がならない。漢名、棣棠花。《季 春》「ほろほろと―ちるか滝の音/芭蕉」
 2 「山吹色」に同じ。
 3 《色が1の花の色に似るところから》大判・小判の金貨。黄金。
 4 襲(かさね)の色目の名。表は朽葉(くちば)、裏は黄。山吹襲

 

 子どもの頃から、山吹には、実がならないとインプットしていたのは、落語「道灌」の影響でした。wikipediaには、こんな記事があります。

あらすじ

隠居のところへ遊びにやってきた八五郎が、張りまぜの屏風などの絵を見ながらいろいろなことを教わった。そのなかに、太田道灌が 狩りの途中で村雨に遭い、雨具を借りようと一軒のあばら家に立ち寄ったところ、十五歳あまりの少女が、お盆の上に山吹の枝を乗せ「お恥ずかしゅうございま す」と差し出している絵があった。道灌が何がなんだかわからないでいると、ご家来のひとりが「“七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき”という古歌がありますが“実の”と“蓑”をかけて『雨具がございません』とのお断りでございましょう」と申し上げた。これを聞いた道灌は 「ああ、予はまだ歌道に暗いのう」と嘆いて歌の道に励み、のちには立派な歌人になられた。

隠居にこう説明された八五郎は「うちにもよく雨 具を借りにくる奴がいるが、ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思いつき、その歌を隠居にカナで書いてもらって家へと帰ってきた。とたんにうまいこと雨が 降り出したと思ったら、さっそく友達が飛び込んできた。「もう雨具を借りにきやがった」と喜んだものの、しっかり雨具は持っており「提灯を貸してほしい」 とのことだった。これには八五郎も拍子抜け。しかし「雨具を貸してくださいといやァ提灯を貸してやらァ」と頑張った。しょうがないので「雨具を貸してく れ」と友達がいったのをきっかけに、しなを作った八五郎が「お恥ずかしい」と隠居に書いてもらった和歌を差し出した。それを見た友達が「ナナヘヤエハナハ サケドモヤマブシノ、ミソヒトダルトナベトカマシキ」とシドロモドロ、なんのことやらわからない。「なんだい、こりゃァ。都々逸か?」「都々逸ゥ?おめ え、よっぽど歌道が暗ェなァ」「だから提灯借りにきた」
 

でも、前述の第1項のとおり、実がならないのは八重咲きの山吹で、一重咲きの花には実がなるのだということに、長く気づかないでいました。

実家隣家の庭に咲く八重咲き山吹

 

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一重咲きのシロヤマブキ

 

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「シロヤマブキ」の実
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ところで、第4項の「 襲(かさね)の色目の名」という連想から「かさねとは八重山吹のの名なるべし」という句をついつい口ずさんでみます。
元ネタは、『奥の細道』のこの文章にあります。

那須の黒ばねといふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行くに、雨降り日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中を行く。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。
 「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐしき旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。
 ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独りは小姫にて、名をかさねと云ふ。    聞きなれぬ名のやさしかりければ、

かさねとは八重撫子の名成べし 曽良
 


【解釈】
那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野の原に足を踏み入れ、近道をして真っ直ぐ行くことにする。はるかに一つの村を見かけて行くうちに、雨が降り出し、日も暮れてしまった。農夫の家に一夜の宿を借り、明けるとまた野中を歩いて行く。その途中に、野原に放し飼いの馬がいた。草刈り男に、馬を貸してくれるよう頼み込んだところ、いなか者の農夫ではあるが、十分に温情ある人だった。
男は、「どうしたらいいでしょうか。馬を使わないで行くとしても、この野原は縦横に道が分かれ、歩き慣れない旅人は道に迷うでしょう。心配ですので、この馬が止まったところで馬を返してくさだい」と、馬を貸してくれました。
 小さい子供が二人、馬の後を追って走ってくる。一人は小さい娘で、名を「かさね」という。
 聞き慣れない名前が、優美な響きがあるので、曽良がここで一句詠んだ。

「かさね」という上品で美しい響きの名前は、田舎娘に似合わず、花びらが重なって美しい八重撫子(ヤエナデシコ)の名であるに違いなかろうよ。

 

あ、八重山吹ではなくて、八重撫子でした。

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