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猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな [折々散歩]

昨日は、仕事帰り、ちょいと足を伸ばして総社市方面をドライブしてみました。
目的地は、「ひいご池湿地」と「備中国分寺」。
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」で注目の「水攻め」の舞台となる備中高松城蹟も立ち寄ってみようかと思いましたが。結局はスルーしました。

「ひいご池湿地」は、0.9ヘクタールの湿地に、サギソウ・トキソウ草などの希少植物が群生し、最小のトンボと言われるハッチョウトンボなど、貴重な生物が繁殖しています。

この湿地について、岡山県のホームページ内の『おかやまの自然百選』にはこう紹介してあります。

岡山自動車道の建設計画で消滅の危機にありましたが、市民団体等の働きかけにより計画が変更され保全されたビオトープです。現在、総社市が中心になり、地元自然保護団体と協力して維持管理を行っています。

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入り口にはこのような碑が建てられており、碑文にはこう刻まれています。


水と緑を
    伝えるため
 この地に
    美しい自然をまもる
 強い意志と
 英知と英断により
 ここに
 貴重な自然が残る

石碑の下部の石版には、こうあります。

このヒイゴ池湿地は、岡山自動車道の建設に伴って消滅する運命にあったが、自然をまもることの大切さを教えてくれた高梁川流域の水と緑をまもる会(以下
「まもる会」)と、それに応えた多くの人々の努力によって保存することとなった。そのことに感謝すると共に後世に伝えるため、この感謝の碑を建立する。
 平成五年(一九九三年)岡山自動車道の予定ルート内に湿地が存在することが確認され、同年六月まもる会の重井博会長他七名の植物・昆虫の専門家が緊急調査のため初めてこの湿地を訪れた。

 まもる会は、調査の結果、絶滅に瀕している貴重な種が数多く存在することを確認し、日本道路公団に対してルート及び校時の設計変更を行い約二、五ヘクタールに及ぶ湿地を保全するよう申し入れた。

 当初日本道路公団は、工事の設計を終え発注段階にあること等からルートの変更には消極的であったが、まもる会、岡山県、総社市及び地域関係者との再三の協議の結果、道路の設計変更及び調整池の設置場所等、計画の一部を変更することにより、湿地が保存されることとなった。

 このヒイゴ池湿地の保全運動の中心的な役割を担ったまもる会会長の重井博先生は、大正十三年に倉敷市に生まれ、医師として人命尊重の理念に立ち病院経営をされる一方で自然を愛し慈愛の心を持ち昆虫・植物等の研究に打ち込まれ、多くの人々に敬愛された。

 また、重井先生は「倉敷の自然をまもる会」会長を長年お務めになり、平成三年六月には「高梁市流域の水と緑をまもる会」を創立された。
 
高梁川流域の自然保護活動に熱心に取り組まれ、岡山県知事表彰をはじめ平成5年には地域環境保全の功労によって環境庁長官表賞を受けられるなど多くの賞を
受けられた。特にヒイゴ池湿地の保存については病身を顧みず、運動に尽力されたが、保存湿地の完成を見ることなく、平成八年八月七十二歳をもって他界され
た。

 まもる会及び重井博先生のヒイゴ池湿地の保存における取り組みは、道路公団、県及び市の環境保護行政にも一石を投じる結果となった。

 総社市をはじめ、多くの人々のその後の努力により、現在では四季折々に可憐な花が咲き、トンボが飛び交い、鳥が子育てをし、自然を愛する多くの人が訪れている。

 感謝の念を込めてここに碑を建立した。
                          二〇〇〇年 六月 吉日 
                                 
ヒイゴ池湿地を顕彰する感謝の碑建立有志の会

 

残念ながら、ハッチョウトンボの観察は、今回も空振り。またの機会を待ちます。ほかのトンボの写真は何種か撮影できましたので、また時を改めてご紹介します。

「備中国分寺」は、この季節に訪ねたことがなかったので、ちょっと見てきました。

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代かき中の水田に映る五重塔のたたずまい、なかなかいい感じです。梅雨の晴れ間の青空も、好ましいマッチングです。

どこか見覚えがありませんか?奈良の「猿沢池」ってこんな感じじゃありません?
というわけで、牽強付会の展開ですが、今日は池の話題。

『枕草子』に「池は」という章段があります。

「池は」

 池は かつまたの池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池。初瀬に詣でしに、水鳥のひまなくゐて立ちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。
 
水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。またいみじう照るべき年は、春の初めに水なむおほく出づる」といひしを、「むげになく乾きてあらばこそさも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と言はまほしかりしか。

 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「ねたくれ髪を」と人麻呂がよみけむほどなど思ふ に、いふもおろかなり。

 御前の池、また何の心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ。こひぬまの池。

 はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。

【とことん勝手な解釈。(ちょっと古い桃尻語訳風)】
池と言えば、かつまたの池ね。
この池は、奈良西の京の唐招提寺と薬師寺の近くにあったそうよ。
万葉集に 「 かつまたの池は我知る蓮(はちす)なし然(しか)言ふ君がひげなきごとし/婦人(をみなめ)」と歌われているわ。新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田(かつまた)の池をご覧になり、とても感動なさって、あるお方にお話になると、その女性は、「あら、あの池に蓮なんかなかったわよ。あなたのお顔におひげがないのと同じに。ホントにかつまたの池にお出かけになったか怪しいものね。どこか別のところで、美しい女の方をご覧になったのじゃなくって?」とからかったという話があるわ。
後には、池の所在は不明になって、美作(みまさか)・下野(しもつけ)・下総(しもうさ)など、諸説が生まれたそうよ。美作の勝間田なら、昨日と一昨日の記事の舞台は、すぐ近くだわ。

磐余(いわれ)の池もいいわ。
同じく万葉集に大津皇子のこの辞世の歌があるわね。

ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ


「いつものように今日も磐余の池に鳴く鴨を、私は今日を最後の見納めにして あの世に旅立っていくのだろうかなあ。」という、痛切な歌だわ。

大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
                           
これを悼んだ姉君の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌も、哀切よね。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とあが見む


「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」

「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう

磯のうへに 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに


「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」

大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし


「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ


「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」  

実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。

ところで、大津皇子憤死の知らせを聞いた妻の山辺皇女(天武天皇の皇女)は、半狂乱になり、裸足で墓まで駆けつけて、大津の皇子の跡を追って殉死したそうよ。なりふり構わず、その愛を貫いた山辺皇女さまもおいたわしいけれど、神に仕える斎宮の身故にそうすることもかなわなかった大伯皇女さまは、いついつまでも悲しみが晴れることなく、さぞやお辛いことだったであろうと思われますわ。

全くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(おおたのひめみこ) 女子を産む。よりて、是の女を名づけてを大伯皇女(おおくのひめみこ)という」とあるわ。斉明7年1月のことよ。
つまり、大伯皇女さまは、お父様の大海人皇子(後の天武天皇)やお母様の大田姫皇女さまも乗り込んで、朝鮮出兵のため難波を出航した船団が、岡山県邑久(おく)郡の海=小豆島の北方=大伯の海の上を通りかかったとき、つまり船上でお生まれ遊ばしたのね。「大伯」は「邑久」の古名なのね。今は平成の大合併で「瀬戸内市」なんて無個性な名前になってしまっているのが、ひどく残念に思えるわ。話をもとに戻しまあす。

贄野の池(にえののいけ)は、京の都から奈良の初瀬(長谷寺)に詣でる道中にあるわ。初瀬にお参りしたとき、水鳥がぎっしり隙間なく騒いでいたのを、とっても面白く見たわ。
水なしの池っていうのは、不思議で、どうしてこんな名前を付けたのでしょうと尋ねたら、「五月頃、総じて雨がたくさん降りそうな年は、この池には水がなくなります。また、ひどい日照りになる年は、春の初めに水がたくさん湧き出るのです」と言ったので、「まるで水がなく乾いているのだったら、そうも言えるけれど、水が出るときもあるのに、一方的につけたものね」と言いたかったわ。
猿沢の池は、釆女(うねめ)の伝説で知られているわね。
天皇のお側で仕える釆女が天皇に恋をしたけれど実らず、悲しんで猿沢池に入水したのよ。これを知った天皇は猿沢池に行幸して、歌を詠んだそうよ。これ、『大和物語』(やまとものがたり)に出てたわよ。

 
猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし


  (猿沢の池までも恨めしくてならぬ。いとしい乙女が池に身を投げて水中の藻をかつ(被)いだ時に、水が乾けばよかったのに)
   
 そのとき、お供の柿本人麿はこんな歌を詠んだそうよ。

   わぎもこのねくたれ髪を猿沢の池の玉藻とみるぞかなしき
  (このいとしい乙女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見なければならないのは、まことに悲しいことだ)

こんなエピソードのある池って、すごくすばらしいと思うわ。
いま、猿沢池の東の堤には、釆女が入水するとき衣を掛けたという「衣掛柳」の石碑があり、西北には釆女神社が祭られている。

御前の池も、どういうつもりでつけたのかしら、と興味が引かれるわ。
かみの池もいいわね。
狭山の池は、「古今和歌六帖」にこんな歌が採られているわ。

恋すてふ狭山の池の三稜草(みくり)こそ引けば絶えすれ我は根絶ゆる

みくりという歌が素敵だったので、憶えているのでしょうね。
こひぬまの池もステキ。
はらの池は「玉藻を刈らないで」と歌に読まれているのも、いいわ。


いろいろな池が数え上げられていますが、清少納言の連想は、いつでも「わが道を行く」流儀ですので、どういう内的脈絡があるのか、よくわかりません。

今日は、猿沢池をネタにしたかっただけです。あしからず。
「猿沢池の7不思議」というのがあるそうですね。

    澄まず
    濁らず
    出ず
    入らず
    蛙はわかず
    藻は生えず
    魚が七分に水三分

ヤフー知恵袋に解説がありました。

ところで、こちらの池には、蛙がいましたよ。

トノサマガエル。備中国分寺五重塔近くの、農耕用の小さな池(または井戸ですかね)のなかに、4~5匹いました。

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こちらは、ヒイゴ池そばのため池に浮かぶウシガエル
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 よく見ると魚影が見えます。ムム、ブルーギルのようですな。
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ウシガエルのオタマジャクシ
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 これは付録。

サツマイモの葉っぱの上にいました。おなじみのアマガエル。

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 またまたカエルで失礼しました。とっぴんぱらり。

 

 
 
 
 
 
 
 


 

 


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johncomeback

昨年奈良に行きましたが、確かに猿沢の池から見る
興福寺の五重塔と良く似ていると思います(^^)ニコ
by johncomeback (2014-06-14 20:17) 

kazg

johncomeback様
かなりこじつけてみましたが(笑)
by kazg (2014-06-14 21:09) 

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