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たなばたといせものがたりと良寛と [今日の暦]

今日は7月7日。七夕です。
朝から本降りの雨で、今宵が懸念されます。
もちろん「牽牛・織女」伝説にちなむ「七夕」は、旧暦の7月7日の事ですから、今宵が逢瀬の約束日ではないのでしょうけれども。
七夕伝説については、記事豊富で、当ブログが云々するまでもないでしょうから、いつものように蘊蓄話を少々。
「蘊蓄」という語に言及したこんな記事を見つけました。無断引用御免。
本来は「長年に渡って蓄えた深い知識」の意味で、マイナスな意味はない言葉であったが、近年は「雑学的な鬱陶しいオタク知識」というマイナスな意味で使用されることが多い。
会話の中でダラダラと薀蓄を喋ると、相手に不快な思いをさせる場合があるので注意が必要である。

私の記事における用法は、この後者です(汗)。乞ご容赦。


最初は、またまた伊勢物語の有名な章段「渚の院」(第八十二段)で、在原業平がモデルとされるある男(この段では「右の馬の頭」と呼ばれています。)が、惟喬親王という皇子のお供として「渚の院」という離宮に出かけた時のエピソードです。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(業平)の歌の由来が書かれている場面として知られていますが、後半に「たなばたつめ」が読まれま
す。「たなばたつめ」は「七夕つ女」です。「つ」は、連帯格の助詞「の」の相当する古語で、「天つ風」「天つ神」「ときつ風」「ま(目)つ毛」「昼つ方」
「夜つ方」「先つ年」などという用法と同じで、「七夕の女」つまり「織姫」の事ですね。

 
昔、惟喬の親王と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬といふ所に宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その
時、右の馬の頭なりける人を、常に率ておはしましけり。時世経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。狩りはねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、
やまと歌にかかれりけり。いま狩りする交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、上中下みな歌詠み
けり。馬の頭なりける人の詠める。
      世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
となむ詠みたりける。また人の歌、
      散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき
とて、その木のもとは立ちて帰るに、日暮れになりぬ。

供なる人、酒を持たせて野より出で来たり。この酒を飲みてむとて、よき所を求めゆくに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に馬の頭、大御酒まゐる。親王のの
たまひける。「交野を狩りて、天の河のほとりにいたるを題にて、歌詠みて杯はさせ。」とのたまうければ、かの馬の頭詠みて奉りける。
      狩り暮らしたなばたつめに宿からむ天の河原に我は来にけり
親王、歌を返す返す誦じたまうて、返しえしたまはず。紀有常御供に仕うまつれり。それが返し、
      一年にひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ
 
  【地方語訳】
 昔、惟喬の親王(これたかのみこ)と申し上げる皇子がおられたんじゃ。大阪と京都の境に位置する山崎いうたら、今では大ウィスキー(昔はウヰスキーとかウヱスキーとか書いたもんじゃ)会社の蒸留所があって有名じゃが、その山崎の向こうに、水無瀬(みなせ)という所に離宮があったんじゃ。
毎年の桜の花盛りには、皇子は必ずその離宮にお出かけになったんじゃ。その時には、右の馬の頭(みぎのうまのかみ=右馬寮(うまりょう)の長官のこと)じゃった人を、いっつもお供に連れて行かれたそうな。昔のことじゃで、その人の名前はとんと忘れてしもうたがな。
 鷹狩りはえろう本気でするわけでものうて、酒ばあ飲んでは、和歌に本気になっとたんじゃ。
今、鷹狩りをする交野(かたの)の渚の家、その院の桜が格別風流に咲いておったんじゃ。その桜の木の下に、馬からおりて腰をおろし、枝を折って髪飾りにさして、身分の上中下なしに、みんな歌を詠んだんじゃと。
馬の頭じゃった人が詠んだんが、この歌じゃ。
  世の中にもしもまったく桜がなかったなら、いつ咲くかいつ散るかと、桜のために気をもむことものうて、春を過ごす人の心は素園度かのどかじゃろうにのお。けど、現実は、桜のとりこになって、何かと気ぜわしく心がそわそわはらはらするのが、春ですなあ。

別の人の歌、
  散るからこそ、いっそう桜はすばらしいんですなあ。つらくはかないこの世に、長いこととどまっているようなもんが、何がありましょうぞ。いや、そんなものは一つもありゃあしませんがな。
と詠んで、その木の下は立ち去って、離宮に帰るころには、日暮れになってしもうたんじゃと。
 日も暮れかけてきたんで、離宮の方からお迎えのお供の人が、従者に酒を持たせてやってきたんじゃ。この酒を飲んでしまうことにしようと、よい場所を探し求めていったところ、「天の河」というところに着いたんじゃと。親王に馬の頭が、お酒を勧めたところ、親王がおっしるには「『交野を鷹狩りして天の河のほとりに至る』ということを題にして歌を詠んで、その上で杯を勧めよ。」とおっしゃったので、あの馬の頭が詠んで献上した歌がこれじゃ。
  一日中鷹狩りをして、今宵は七夕姫に宿を借りましょう。絶好のタイミングで、私らは、ちょうど天の河原に来たところですからなあ。
 親王は、歌を繰り返し繰り返し口ずさみ、返歌をようお詠みになれずにおられたんじゃ。紀有常が、お供としてお仕えしとった。その有常が、親王の代わりに返歌を詠んだのがこの歌じゃ。
 七夕姫は一年に一度いらっしゃるお方(牽牛)を待っているので、他の人には宿を貸してはくださらんじゃろうと思いますなあ。

七夕伝説は、古く万葉集にも、数多く歌われているようです。にわか調べで、少しだけメモしてみました。()内は歌番号。

天の川 瀬を早みかも ぬばたまの 夜は更けにつつ 逢はぬ彦星(2076)  
【解釈】
天の川の瀬の流れが急流であるので、夜が更けてしまっても、なかなか織女に逢えない彦星だなあ!
逢瀬に障害はつきもの、ですか。

 
織女の 今夜逢ひなば 常のごと 明日を隔てて 年は長けむ(2080) 
【解釈】
織姫は今夜彦星に逢ったならば、いつものように、明日から先はまた離れ離れとなって、長い時間を過ごしていくのだなあ!
遠距離恋愛の悲哀です。


秋風の 吹きにし日より 天の川 瀬に出で立ちて 待つと告げこそ(2083)  
【解釈】秋風が吹き出したその日から、天の川の瀬にたたずんで、来訪をお待ちしていますと、どうか神様、あの人に伝えてください。
「待つ」ことの、やるせなさとときめきと。

天の川 瀬々に白波 高けども 直渡り来ぬ 待たば苦しみ(2085)
【解釈】
天の川の瀬々の白波は高いけれど、ただただ渡ってきたことよ、待つのは苦しいので!
「パルピテーション」のなせるわざですか。

最後に、お得意の脱線で、良寛和尚の作を少々。

久方の棚機つ女(め)は今もかも天の河原に出で立たすらし
【解釈】
七夕姫は今も、天の川の河原に出て立って、彦星の訪れを待っておられるらしいなあ!

次の3首は、村岡正剛さんのブログ「村岡正剛の千夜千冊」
の千夜目で紹介されている「良寛全集」についての記事で、触れておられました。

天の川やすのわたりは近けれど逢ふよしはなし秋にしあらねば 
久方の天の川原のたなばたも年に一度は逢ふてふものを      
人の世はうしと思へど 七夕のためには いかに契りおきけむ


村岡正剛さんは、この3首を引用したあと、こう続けておられます。

またしても、なんとも哀切な歌ばかりだが、北川省一はこれらの歌は、きっと維馨尼を棚機津女に託したからであろうと言う。
維馨尼(いきょうに)
は文政5年(1822)に58歳で死んだ。そのとき良寛は65歳である。やはり良寛を慕い、良寛も維馨尼を慕った仲であったが、途中で徳昌寺の師にあたる
虎斑和尚の頼みで大蔵経八千巻入手の托鉢勧進をするために、江戸に行ってしまった。文化14年くらいのことである。良寛にはそれがたとえようもなく寂し
かったが、やがて維馨尼がもちかえった仏典の香ばしさと、万葉の夢と、本居宣長の『漢字三音考』の湯気は(992夜)は、良寛を唸らせる。このころの良寛
の万葉探求はすさまじかったのだ。
 けれどもその維馨尼が死ぬと、居ても立ってもいられなくなった。はっきりした行き先はわかっていないのだが、1~2年を旅に出た。良寛が、故郷に戻ってきたのは文政7年である。

(中略)
では、結論である。
 良寛の生き方は、「脆弱を恐れず、寂寥を忘れず」というところにあった。なぜ、弱っちくてはいけないのか、なぜ、寂しくちゃいけないか。そう、良寛は問うたのだ。弱いのは当たり前、淋しいのはもっと当たり前、それでいいじゃないかと問うた。

   柴の戸のふゆの夕べの淋しさを
   浮き世の人にいかで語らむ

 良寛は強がりが大嫌いで、威張っている者をほったらかしにした。引きこもりも嫌いだった。そういうときは古き時代のことに耽るか、野に出て薺(なずな)を摘んだほうがいいと決めていた。

   ものおもひすべなき時は うち出でて 
   古野に生ふる薺をぞ摘む

 こうして、良寛はどんなときも、一番「せつないこと」だけを表現し、語りあおうとした。「せつない」とは古語では、人や物を大切に思うということなのである。そのために、そのことが悲しくも淋しくも恋しくもなることなのだ。それで、やるせなくもなる。
 しかし、切実を切り出さずして、何が思想であろうか。切実に向わずして、何が生活であろうか。切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。
 ぼくは思うのだが、われわれはあまりにも大事なことを語ろうとはしてこなかったのではないか。また、わざわざ大切なことを語らないようにしてばかりいたのではなかったか。良寛の詩歌を読むと、しきりにそのことを思いたくなる。
 これは「千夜千冊」全冊を終えての、結論である。

深く心に染みました。
良寛と維馨尼―その純愛の行方

良寛と維馨尼―その純愛の行方

  • 作者: 吉井 和子
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本

追伸
モリアオガエル情報
昨日サブローさんから最近のモリアオガエル情報を、写メでいただきました。
泡巣の中で黒いものが時々ぴくぴく動いているそうです。
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何者かが、泡巣の中に潜り込んでいるそうです。
茶色いしっぽらしいものが映っています。
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こんな生き物が出没するそうです。天然記念物のオオサンショウウオ(ハンザキ)。
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今日のオマケ。レンコン田に咲く蓮の花。
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レンコン田から飛び立ったゴイサギ。
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我が家付近で生活するツマグロヒョウモン。
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コメント 4

johncomeback

【地方語訳】は分かり易くて勉強になりました(^^)ニコ
by johncomeback (2014-07-07 13:27) 

美美

私は田舎育ちなので
七夕もお盆も旧暦なので7月ではちょっとしっくり来ません^^;
by 美美 (2014-07-07 18:50) 

kazg

johncomeback 様
お恥ずかしい限りです。
by kazg (2014-07-09 22:06) 

kazg

美美 様
新暦での行事は、つじつま合わせですから、季節感覚などは随分ずれてしまいますね。
by kazg (2014-07-09 22:12) 

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