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師匠譲りの偏屈、頑固、わがまま、駄々っ子=内田百閒あれこれ [折々散歩]

昨日の記事の続きです。
というより、やっと、昨日書こうと思っていた本題に入ります。

脳動脈瘤手術のために入院中のわたしに、「まあだだよ」という呪文は切実な祈りでした。

ところで、内田百閒をモデルにした黒澤明監督作品の映画「まあだだよ」に、主人公の百閒先生が、いなくなった猫を探し回っておろおろする場面が出てきます。

まあだだよ デジタル・リマスター版 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 角川映画
  • 発売日: 2010/07/22
  • メディア: DVD

まあだだよ デラックス版 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パイオニアLDC
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まあだだよ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • メディア: DVD

 

 

 

 

そのあたりのエピソードは、内田百閒自身の実体験によるもののようで、愛猫「ノラ」との出会いと別れ、その後継猫「クルス」との出会いと別れのあれこれが、この作品集におもしろ悲しく描かれています。


 

ノラや (中公文庫)

ノラや (中公文庫)

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1997/01/18
  • メディア: 文庫

ノラや―内田百けん集成〈9〉  ちくま文庫

ノラや―内田百けん集成〈9〉 ちくま文庫

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫

たいへん端的な要約が、このサイトにありました。引用させていただきます。







芳野 星司 「ノラやノラやノラや」
 内田百閒こと百鬼園先生は、師の夏目漱石同様、いつも苦虫を噛み潰したような、不機嫌な、いかめしくも恐いよな顔をしていた。しかしその随筆は、読みながらつい吹き出してしまう、声を立てて笑ってしまう。彼は漱石の「吾輩は猫である」をもじって「彼ハ猫デアル」を書いた。漱石先生の猫は水甕に落ちて死んでしまうが、百鬼園先生の猫は水甕に落ちたことが縁となって、彼の家に飼われることになる。
 野良猫が子どもを生んだらしい。その子猫は母親の後をついて回り、勝手口前の物置の屋根に「降臨」した。そして夫人の使う柄杓にぴょいぴょいと飛びつき遊ぶうに、勢い余って金魚のいる水甕に落ちてしまったのである。猫の嫌う水に濡れてしまっては可哀想で、お見舞いにご飯をやったところ、母猫は 「どうぞよろしく」と言ってどこかへ行ってしまったのである。名前が無くては可哀想で、野良猫の子だからノラと名付けた。先生はイプセンの「人形の家」のラとは関係ないとわざわざ言う。だいたいイプセンのノラは女性だが、猫のノラは雄なのだと。また自分は別に猫好きではないとわざわざ言う。しかしノラは可愛い顔をしていて、とてもお利口なのであると言う。
 先生はノラがお気に入りのお風呂の蓋の上に、わざわざ布を折って小さな布団を置いてやっ。先生はちょくちょく風呂場に立ち寄り、小さな布団にくるまって顔だけ出して寝ているノラに顔を寄せ、「ノラやノラやノラや」と声をかけ、その小さな頭を撫で、頬ずりまでするのである。もう先生は猫のノラにめろめろなのであった。
 先生の家の隣は小学校である。夕方ともなると拡声器で「まだ校庭で遊んでいる人々は」と子どもに向かって変な言葉遣いの放送が流れる。近所に幼稚園もあり、そこの先生も園児に向かって「男の方は女の方は」とか「すべり台を反対に登ってはいけない事になって居ります」等と変な言葉遣いをする。そこで百鬼園先生もノラに向かって言うのだ。「猫の方はここで糞をしてはいけない事になって居ります」

 こうして百鬼園先生と夫人とノラの、穏やかで幸せな日々が続いた。…そのノラがいなくなった。まだ寒風の吹く三月二十七日水曜日の午後、ノラは夫人に外に出たいと鳴き、戸口を開けてやると、さっと垣根をくぐり、木賊(とくさ)の繁みの奥に消えていったのである。夕方になっても帰って来ない。夜になっても帰ってこない。翌朝も、その午後になっても帰ってこない。夕方から雨となり夜は大雨となった。もう百鬼園先生は気に掛かってたまらず、とうとう泣き出してまった。こんなに泣いては身体に障ると思うのだが、ノラが可哀想で涙が止まらないのである。
 百鬼園先生、考えることはノラのことばかりで、もう仕事も何も手につかない、食事も喉を通らない。ノラの声が聞こえないか、戸口を手でかかないか、尾でたたかないか、耳をすまし、涙が止まらず、夜も眠れない。
 
かつて借金と債鬼に泣いた内田百閒先生が、姿を消した愛猫を想って泣く。「ノラやノラや」と近所を探し回る。弟子たちや、出入りの御用聞きたちにも頼んで、あちこち探してもらうがノラは見つからない。弟子が謄写版でチラシを刷り、電柱に貼り、床屋やあちこちの商店に置いてもらう。朝日新聞に広告まで出す。そんな百鬼園先生の猫探しをNHKのラジオまでが取り上げる。しかしノラは見つからない。よく似た猫がいる、ノラが見つかった等の情報が入れば、すぐ夫人や弟子たちが確認に行く。違った猫だと聞けば、先生は落胆して泣く。
 今頃どうしているのだろうと、ノラを想えば涙が止まらないのである。町内の子どもたちからも情報が寄せられる。交番からもよく似た猫が見つかったとの電話が入る。夫人や弟子が駆けつけるが違う猫である。先生はまた泣き続け。お風呂の蓋の上にしつらえたノラの布団に顔を埋め「ノラやノラや」と泣くのである。夜も涙が止まらず、そのまま子どものように泣き寝入りするのだ。こうして一月も経つと先生は二貫目ばかりも痩せてしまったのである。…昭和三十二年、内田百閒こと百鬼園先生、このとき六十八歳である。
 「ノラや」は「猫」随筆の名作中の名作である。読みながら、鼻の奥がつんとして、文字がにじみ、つい「もらい泣き」をしてしまうほどである。

 
ちなみに百鬼園先生、ノラ失踪の寂しさと悲しみが癒えたころ、再び猫を飼うのである。その猫はドイツ語で小さいを意味するクルツと名付けられた。夫妻はクルと呼んだ。先生と夫人とクルの穏やかで幸せな日々が続いたが、クルは暑い盛りのころ病気になり、夫妻の慟哭を聞きながら可愛い小さな息を引き取ったのである。…でも先生、どれだけノラやクルに穏やかで幸せな時間をもらったことでしょうか。
 黒澤明の遺作となった映画「まあだだよ」にある通り、百閒・百鬼園先生は、法政大学のドイツ語教授だった。そして彼の師・漱石先生と同様、教え子たちは教授を辞めた先生の家によく遊びにやって来た。
戦災で家を焼失し小屋暮らしをしていた先生のために、彼等は奔走して一軒家の世話をした。ノラはその物置の屋根に降臨し、ノラが失踪すると彼等は駆けつけて師を慰め、その身体を心配した。そしてノラ探しに奔走した。教え子たちは百鬼園先生を慕い続けたのである。
 …ところで、人形作家・石塚公昭の手になる「『ノラやノラや』と泣く内田百閒」を見たかったなあ。

内田百閒「ノラや」「彼ハ猫デアル」池内紀編「百閒随筆Ⅱ」講談社 文芸文庫所収)


1967年、日本芸術院の会員候補になった百閒は、「イヤだからイヤだ」と辞退し、第2部会委員長だった川端康成らを困らせたと言います。
教え子の多田基氏の回想録「まあだかい」(『ちくま文庫』)によれば、百閒は、小さなメモを多田氏に渡し、同院の高橋誠一郎院長に伝えるよう命じたといいます。メモには「御辞退申シタイ ナゼカ 芸術院ト云フ会ニ入ルノガイヤナノデス ナゼイヤカ 気ガ進マナイカラ ナゼ気ガススマナイカ イヤダカラ」とあったそうです。

まあだかい―内田百けん集成〈10〉   ちくま文庫

まあだかい―内田百けん集成〈10〉 ちくま文庫

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/07
  • メディア: 文庫

 

 

 

内田百間―イヤダカラ、イヤダの流儀 (別冊太陽)

内田百間―イヤダカラ、イヤダの流儀 (別冊太陽)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: ムック


内田百閒という人は、自己の直観というか、生理的判断を無条件に重んじる人だったようで、好き嫌いの態度表明は、わがままと言えるほど率直で、まるで駄々っ子のようです。「御馳走帖」 (中公文庫)というユニークな随筆集があります。「うまいもの」にとことんこだわる姿勢は、稚気にあふれ、ユーモラスとも言えます。人間存在の根源にかかわる「食」の分野だけに、譲れないものは断じて譲らないという、彼の「生き方」=「行き方」が躍如としてあらわれているようです。

御馳走帖 (中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1996/09/18
  • メディア: 文庫


太平洋戦争中、「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」などと称して結成された「日本文学報国会」は、ほとんどすべての作家、文学者が入会する翼賛団体でしたが、内田百閒はこれへの入会を拒否しています。
食べ物に対しても、飼い猫に対しても、戦争に対しても、紛うことのない自分の尺度で判断し、それを曲げることのない偏屈、頑固、意地っ張り、わがままが、実に痛快です。
ちなみに、百閒が師と仰いだ夏目漱石は、1911年、文部省からの学位(博士号)授与の申し出に対して「ただの夏目なにがしで暮らしたい」として辞退しています。


学位を頂きたくないのであります             夏目 漱石


 拝啓 昨二十日夜十時頃私留守宅へ(私は目下表記の処に入院中)本日午前十時学位を授与するから出頭しろという御通知が参ったそうであります。留守宅のものは今朝電話で主人は病気で出頭しかねる旨を御答えして置いたと申して参りました。
 
学位授与と申すと二、三日前の新聞で承知した通り博士会で小生を博士に推薦されたについて、右博士の称号を小生に授与になる事かと存じます。然るところ小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。したがって私は博士の学位を頂きたくないのであります。この際御迷惑を掛けたり御面倒を願ったりするのは不本意でありますが、右の次第故学位授与の儀は御辞退致したいと思います。宜しく御取計を願います。 敬具

   二月二十一日                    夏目金之助
  専門学務局長福原鐐二郎殿

漱石は、後に、いきさつをこう語っています。


博士問題の成行

 二月二十一日に學位を辭退してから、二ヶ月近くの今日に至る迄、當局者と余とは何等の交渉もなく打過ぎた。所が四月十一
日に至つて、余は圖らずも上田萬年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。二博士が余の意見を當局に傳へたる結果として、同日午後に、余は又福原專門學務局長の來訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余は又局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合つて別れた。
 翌十二日に至つて、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送つた。實は二ヶ月前に、余が局長に差出した辭退の申し出に對する返事なのである。
 「復啓二月二十一日付を以て學位授與の儀御辭退相成度趣御申出相成候處已に發令濟につき今更御辭退の途も無之候間御了知相成度大臣の命により別紙學位記御返付旁此段申進候敬具」余も亦余の所見を公けにするため、翌十三日付を以て、下に掲ぐる書面を福原局長に致した。
 「拜啓學位辭退の儀は既に發令後の申出にかゝる故、小生の希望通り取計らひかぬる旨の御返書を領し、再應の御答を致します。
 「小生は學位授與の御通知に接したる故に、辭退の儀を申し出でたのであります。夫より以前に辭退する必要もなく、又辭退する能力もないものと御考へにならん事を希望致します。
 「學位令の解釋上、學位は辭退し得べしとの判斷を下すべき餘地あるにも拘はらず、毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一圖に辭退し得ずと定められたる文部大臣に對し小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します。
 「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を學位あるものと御認めになるのは已を得ぬ事とするも、小生は學位令の解釋上、小生の意思に逆つて、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。
 「最後に小生は目下我邦に於る學問文藝の兩界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。
 「右大臣に御傳へを願ひます。學位記は再應御手元迄御返付致します。敬具」
 
要するに文部大臣は授與を取り消さぬと云ひ、余は辭退を取り消さぬと云ふ丈である。世間が余の辭退を認むるか、又は文部大臣の授與を認むるかは、世間の常と、世間が學位令に向つて施す解釋に依つて極まるのである。たゞし余は文部省の如何と、世間の如何とに拘らず、余自身を余の思ひ通に認むるの自由を有して居る。
 余が進んで文部省に取消を求めざる限り、又文部省が余に意志の屈從を強ひざる限りは、此問題は此より以上に纏まる筈がない。從つて落ち付かざる所に落ち着いて、歳月を此儘に流れて行くかも知れない。解決の出來ぬ樣に解釋された一種の事件として統一家、徹底家の心を惱ます例となるかも分ら
ない。
 博士制度は學問獎勵の具として、政府から見れば有効に違ひない。けれども一國の學者を擧げて悉く博士たらんがために學問をすると云ふ樣な風を養成したり、又は左樣思はれる程にも極端な傾向を帶びて、學者が行動するのは、國家から見ても弊害の多いのは知れてゐる。余は博士制度を破壞しなけばならんと迄は考へない。然し博士でなければ學者でない樣に、世間を思はせる程博士に價値を賦與したならば、學問は少數の博士の專有物となつて、僅かな者的貴族が、學權を掌握し盡すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭ふべき弊害の續出せん事を余は切に憂ふるものである。余は此意味に於て佛蘭西にアカデミーのある事すらも快く思つて居らぬ。
 從つて余の博士を辭退したのは徹頭徹尾主義の問題である。此事件の成行を公けにすると共に、余は此一句丈を最後に付け加へて置く。                 ──明治44.4.15『東京朝日新聞』──


「屁理屈、負け惜しみが強いこと」を意味する「漱石枕流」の故事にもとづいて自らの号とした漱石は、権威をカサに、上から、一方的に、恩恵的に、押しつけようとする文部省の姿勢を是とすることはできなかったのでしょう。同時に「一國の學者を擧げて悉く博士たらんがために學問をすると云ふ樣な氣風を養成」したり、「博士でなければ學者でない樣に、世間を思はせる程博士に價値を賦與したならば、學問は少數の博士の專有物となつて、僅かな學者的貴族が、學權を掌握し盡すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却される」と、博士制度の弊害を鋭く指摘しています。そして、何よりも、「余の博士を辭退したのは徹頭徹尾主義の問題である」と結論しています。「主義」とは、漱石の言う「個人主義」のことでしょう。

大正3年(1914年)学習院の学生たちに対する講演の記録「私の個人主義」で、漱石はこう述べています。

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握(にぎ)ってから大変強くなりました。彼(かれ)ら何者ぞやと気慨(きがい)が出ました。今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図(さしず)をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

中略

私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進(まいしん)しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向(けいこう)を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪(け)しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正(じゃせい)とかいう問題になると、少々込み入った解剖(かいぼう)の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒(めんどう)でない場合には、自分が他(ひと)から自由を享有(きょうゆう)している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱(あつか)わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。

 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴(ふちょう)に
使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなけれ
ばすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己(おの)れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害(ぼうがい)してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。

中略


今までの論旨(ろんし)をかい摘(つま)んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂(しと)げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴(ともな)う責任を重(おもん)じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。

 これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍(ぺん)云い換(か)えると、この三者を自由に享(う)け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用(らんよう)に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈(てい)するに至るのです。そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。

 

今から100年前のこの指摘は、今なお無視できない説得力を有している のではありますまいか?
ちょうどこの頃、漱石ファン(追っかけ)の学生だった百閒は、胃潰瘍療養中の漱石を見舞い「弟子入り」を認められたばかりの時期で、この学位辞退事件は、青年百閒に深い印象を与えたはずです。それから五十数年後、「イヤだからイヤだ」と、栄誉の押しつけを拒んだ百閒の、師匠譲りの偏屈。痛快なるかな!です。


今日は、チョー暑い一日。午前中の散歩(正確には車で行きました)は、近所の蓮根田を訪ねてみました。

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ハスの花と葉が、涼しげでした。

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なんだかなぁ〜!! 横 濱男

こんばんは、
いつも御訪問ありがとうございます。
ブログ表示で、一部気になるところがあります。
当方標準ブラウザは、IEを使って閲覧しています。
表を使われている 部分なんですが、文字が8文字で改行表示されていて、非常に長い行になっています。
Firefox、Googlechromeは、表のセル幅が無効みたいで、問題ないです。
余計なお節介かも知れませんが、調べましたところ、
<td width="100" align="left" bgcolor="ivory">のwidth="100"に設置されているので、8文字改行になっているように思われます。
IEは、これが有効になっています。
width="100"を削除するか、620(ブログの記事幅)にして頂けると嬉しいのですが。。
宜しければ、ご確認をお願いします。
今後も、宜しくお願いいたします。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2014-07-17 22:55) 

kazg

なんだかなぁ〜!! 横 濱男 様
ご指摘、ご教授ありがとうございます。
「イロハ」も知らず、見よう見まねで書いておりますので、思わぬことが起こります。ご指摘のとおり、当方はFirefox使用につき、症状に気づきませんでした。以前、知人から、縦に長い表示になるとの指摘を受けたことがありましたが、何のことか理解できませんでした。
このたびは、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

by kazg (2014-07-18 03:54) 

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