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『原子雲の下より』 のことなど [私の切り抜き帳]

今日は八月六日です。
去年の今日はこんな記事を書いていました。
病み上がりで根気が続かなかったせいもありましょうが、あっさりしたものです。
再読してみて、このようなスタイルも好ましいかなと、最近の記事を反省しました。
が、たちまちこの反省を投げ棄てて、今日は冗長な記事になりそうな予感。御免なさい。

最近、読書という営為から遠ざかってしまい、とんと本棚からご無沙汰です。

購読意欲が湧く新刊書はまれですし、古本屋に出かけても、分厚い本は断捨離を妨げますので、いきおい買いひかえることになります。調べ物は、重たい本のページをめくらなくとも、たいがいネットで間に合います。紙データは、老眼鏡なしには一行も読み進めませんし、めがねをかけてもすぐに目が疲れます。
こんなことを口実に、本を読まないまま日々が過ぎます。

ブログを始めて、アウトプットする機会は増えたものの、この間とんとインプットというものにご無沙汰ですので、もはや話題も月形半平太ですわ(ギャグです)。
そんなことを思いながら、久しぶりに本棚を眺めるうちに、先日来、『日本の原爆記録』という全集ものを何冊か斜め読みしています。
今日の話題は、その『日本の原爆記録 第一九巻 原爆詩集広島編』です。
子どもたちから、やや年上の少年少女、市民、詩人、各界の方々の、多彩な詩が収められています。そのかなりのものは、すでにいろいろな機会に見知っているものでもありました。
これを読みながら思い出しましたが、高校時代の私の本棚には、当時、田舎の書店で手に入れることのできた原爆を題材とした詩集が何冊か並んでいました。今あいにく手元に見あたりませんが、青木文庫版の「詩集 原子雲の下より」、同じく青木文庫の峠三吉「原爆詩集」のほか、出版社も書名も忘れましたがハードカバー版の現代詩集に収められた峠三吉や原民喜や栗原貞子の詩に強い衝撃を受けたものでした。

原子雲の下より―詩集 (1952年) (青木文庫〈第62〉)

原子雲の下より―詩集 (1952年) (青木文庫〈第62〉)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 1952
  • メディア: 文庫




原子雲の下より―新編8・6少年少女詩集

原子雲の下より―新編8・6少年少女詩集

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 1989/06
  • メディア: 単行本



『日本の原爆記録 第一九巻 原爆詩集広島編』には、当然のことながら、それらの印象深い詩もちゃんと収められています。
「詩集 原子雲の下より」は、被爆七年目1952年、峠三吉と山代巴の編集で、小学生から大人までの民衆の原爆詩が集められています。前回引用した「よしこちゃんが やけどで ねていてーー」の詩も、これに収められていました。

ほかに、目にとまった詩を、あと二つほど紹介しておきます。

無題   小学5年香川征雄

よしお兄ちゃんが
げんばくで
死んだあくる日
おかあちゃんが
まい日   まい日
さがしたが
きものも
かばんも
べんとうばこも
骨も
なかった
おかあちゃんは
よしお
なぜ死んだのと
ないて
ないた
ぼくは
げんしばくだん
だいきらいだ

 

  とうとう帰ってこない 中学一年 徳沢尊子

「お母さん お母さん」
まっても まっても
夜まで まっても帰らない。

次の日も
その次の日もかえってこない。

八月六日の朝
出て行くときに元気な声で
「たか坊 いってくるよ」
といったが
どこへ行ったのか帰っては来ない

それから
七年たったが
まだ帰ってこない
このつづきは、また今度。ごきげんよう。
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