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茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった [今日の暦]

今日は八月九日
長崎の原爆忌です。
先日来話題にしてきた日本図書センター発行の「日本の原爆資料(編集委員:家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫)」の第20巻が、「原爆詩集 長崎編」になっています。
ヒロシマにかかわる詩は、比較的よく目にすることがありますが、私自身、長崎については疎いというのが正直なところです。
走り読みしてみましたが、覚えのある詩が見あたりません。
それらのなかで、特に印象に残った詩を書き止めてみました。

 

ひとりごと   福田須磨子

何も彼も いやになりました
原子野に屹立する巨大な平和像
それはいい それはいいけど
そのお金で 何とかならなかったかしら
"石の像は食えぬし腹の足しにならぬ”
さもしいと言って下さいますな、
原爆後十年をぎりぎりに生きる被爆者の偽らぬ心境です。
あゝ 今年の私には気力がないのです
平和!平和!もうききあきました
いくらどなって叫んだとて
深い空に消えてしまう様な頼りなさ、
何等の反応すら見出せぬ焦燥に
すっかり疲れてしまいました
ごらん 原子砲がそこに届いている。

何も彼もいやになりました
皆が騒げば騒ぐ程心は虚しい
今迄は 焼け死んだ父さん母さん姉さんが
むごたらしくって可哀想で
泣いて許りいたけど
今では幸福かも知れないと思う、
生きる不安と苦しさと
そんな事知らないだけでもーーー
あゝ こんなじゃいけないと
自分を鞭うつのだけど。


解説を読むと、この詩は、1955(昭和30)年8月9日の朝日新聞「ひととき」欄に投稿したもので、被災後10年を辛苦の中に生きる被爆者の心情を全国的に訴えかけ、長崎の被爆者の存在を全国に知らせるきっかけになった作品だそうです。

 

彼女には、そのすぐ後に書かれたものと思われるこんな詩もあります。

 手紙  福田須磨子

昨日は三通 今日は二通
”ひとりごと”を読んだ人の暖かい善意が私を包む。
それなのに その善意すら煩わしいのは
私の感覚が異常に病的で
乾ききってしまったのだろうか。

本当に有り難くてすまなく思うんです。
でもそうした心の負担が
今の私には耐えられないんです。
すねてるのでもありませn
まして おごりたかぶってるなんてーーー
私は暫く何も考えないで
じっとしていたいのです。

人間らしい感覚がよみがえってくる迄
じっと放っといてほしいのです。

よくわかります。
その彼女が、内心に葛藤をかかえながら、自分に言い聞かせるこんな詩もあります。

おのれに   福田須磨子

私がこの世にあるというこの現実
先ず 私はそれになんと答えるのか
須磨子よ 脱皮せよ、
蛇や蝉が脱がらに執着せぬ様に
あざやかな飛躍
ものの見事に跳躍するのだ
ひるむのではない。

私がせねばならぬ仕事がある筈だ
私にのみ与えられた仕事を見つけるのだ
それを精魂かたむけてやるのだ。
須磨子よ 善は無ではない
十年の沈黙を破れ
すべてのモラルに目をふさぐ
その卑屈さを取りのぞくのだ
ひるんではいけない。

己れの心が弦をはなれた矢の様に
きおい立ち飛び行くのを
須磨子よ 不自然にとめるな
それはくだらぬ思慮だ。
心を蝕む悪魔なんだ
だから ものの見ごとに跳躍するのだ
そこに私の住む世界がある。


この福田須磨子さんに、「原爆を作る人々に」という詩がありました。少々長いので、その一部分を抜粋して引用します。

原爆を作る人々に  福田須磨子


原爆を作る人々よ!
暫し手を休め 目を閉じ給え
昭和二〇年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し、
平和な家庭が破壊つくされたのだ。

(中略)

原爆を作る人々よ!
あなた方は考えたことがあるだろうか。

 夏がめぐり来る度に
悲しみが ともすれば呪いに代り
諦めが いつしか ふつふつと
憤りに代る  私達のやりどない心を

(中略)

 原爆を作る人々よ!

 

あなた方は 平和を保つ為にと
その手を休めようとはしない。
だが 空を見るがいい あの綺麗な空から
死の灰が頭上に迫っているのだ
海を見るがいい あの澄んだ青い海から
死の魚が食膳に供されようとする
そんな恐怖を世界にまくのが
果たして世界平和なんだろうか。
“日本人は大げさだ”と或る人は言った。
然し原爆の惨禍を知っている私達が
真剣に考えるのが何故いけない。

 

原爆を作る人々よ!
暫し手を休め 目を閉じ給え

(中略)

今こそ ためらうことなく
手の中にある一切を放棄するのだ。
そこに初めて 真の平和が生まれ
人間は人間として蘇ることが出来るのだ。


1958(昭和33)年に刊行された詩集『原子野』に収められた詩です。

ネット検索してみますと、さすがに福田須磨子さんに関する記事はたくさん掲載されていて、それぞれ傾聴に値します。すべてをご紹介するわけにも行きませんから、『長崎新聞』の今年3月9日の記事 が、作者の人となりを伝えてくれていますので、勝手にリンクをはらせていただきます。

台風11号が荒れています。
今朝は、涼しいので傘をさして歩きましたが、身体も足もぐっしょり濡れて帰りました。

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散歩中に、こんなものをみつけました。

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私は、何故かキノコの造形にひかれるところがあって、フィルムカメラ時代から何枚も写しました。写真屋さんの店員さんに「キノコがお好きなんですか?」といぶかしがられて、恥ずかしい思いをしました。できあがった「作品」も、キノコのキュートさがちっともあらわれていない、変哲のない駄作ばかりで、余計に居心地悪く感じたものでした。

それに引き替え、デジカメというのは、便利なもので、駄作にがっかりしてもそれは人目にさらされることなく、プライベートな事情で済ませることが出来ますし、ゴミ箱にぽいすればOKですから。そういうわけで、デジカメを使うようになってからも、飽きもせずキノコの画像をストックしていますが、改めて取り上げるほどのものはありません。

そんな中で、これはどうでしょう?

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たしか、デジカメ草創時代のカシオQV10Aという25万画素のデジカメで写したような気がします。軽くてコンパクトで、ポケットに入って、斬新な構図が楽しめる、良くできたカメラでした。

そのままで画素数や画質が進化してくれたら大満足だったのですが、残念ながらそんな進化は辿りませんでしたね。

ところで、キノコって、何か異次元世界を思わせる、不思議な、不安な雰囲気を示すことがありますね。

とりわけ、夏空を覆うキノコ雲の不気味さ、おどろおどろしさは、言葉にできません。

 

 

芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな  松尾芭蕉

去年の記事でも 触れましたが、この句には、「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたびこの句を侘びて、屋漏の句作る。その世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸。」という前書きが添えられています。
老杜とは杜甫。)杜甫、坡翁とは蘇東坡のことで、尊敬する先人です。いずれも、雨漏りのするあばら家住まいをしにしており、自分もまた、同じ境涯にある感慨、一人寝の雨漏りの音にしみじみと感じ取っているのです。

「すさまじい雨風を受けて、庭に植えられた大振りな芭蕉の葉が大きく揺れながらざあざあと激しい音をたてている。あばら家は、ここかしこから雨漏りがして、たらいで雨を受けるが、その雨音がまた、わび住まいの感慨を際立たせることだよ。」といった句ですかね。

 「茸野分して」では興ざめでしょうか?

なら、「鶏頭野分して」なんてのはどうでしょうか。

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「稲田野分して」

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大豆畑野分して」
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「狗尾草野分して」
エノコログサを漢字ではこう書くそうです。別名ネコジャラシ。
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 「オクラ野分して」
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 偏食のある孫たちですが、オクラは好んで食べます。

「南瓜野分して」
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昨日は台風接近前の晴れ間を利用して、久しぶりに孫と畑へ行きましたら、雑草畑の中に南瓜が実っておりました。とりあえず4個持って帰ってみました。

 

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南瓜の大きな葉が、台風の激しい風と雨にさいなまれるさまも、また凄いほどの「ワビ、サビ」を感じませんかね?いや、やはり、少々俗すぎますか?

 


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