So-net無料ブログ作成
<

夕焼け その3 [私の切り抜き帳]

今日は、田舎の父親の通院につきあっての帰り、ちょっと回り道をして、児島湖に沈む夕日を眺めてみました。

眺望スポットにやっと到着した頃は、夕日がほとんど山の端に沈みかけていました。

急な思いつきでしたので、あり合わせのカメラで撮影しましたが、よく晴れて、うつくしい夕日でした。

_K528688_R.JPG

 ほとんど山に隠れます。

_K528689_R.JPG
 
広角で全景を見ると。

IMGP0006_R.JPG
 
 
常山=別名児島富士を夕映えが包みます。
 
_K528703_R.JPG
 
_K528713_R.JPG
 
 
 
_K528705_R.JPG
 
 シルエットの鳥たちが安息の時を迎えます。
 
_K528710_R.JPG
 
_K528719_R.JPG
 
締め切り堤防上の道路も日暮れていきます。
 
IMGP0034_R.JPG
 
遠く街の灯が見えます
 
IMGP0031_R.JPG
 
 すっかり夕暮れに包まれました。
_K528790_R.JPG
 
 
昨日の記事で、夕焼け、夕日にちなんで、夜間定時制の中学を描いた映画「学校」(山田洋次)と、 夜間定時制高校に通う少女(伊藤蘭)が登場する 『寅次郎かもめ歌』(山田洋次)を話題にしてきましたので、勢いでもう一つ夜間定時制高校を描いた映画の話題です。
岡山県立烏城高等学校と言えば、勤労青年に学ぶ機会を保障するために設立された夜間高校でした。
以前は、旧制のナンバ-スク-ルの後身である伝統校の敷地の片隅にある木造校舎が、その学舎でした。現在は、岡山県生涯学習センターのなかにあるコンクリート校舎に移転し、昼間部と夜間部のある単位制高校として、様相を異にしていますが、まだ木造時代の烏城高校の卒業生堂野博之さんの詩画集に「あかね色の空を見たよ」があります。

あかね色の空を見たよ―5年間の不登校から立ち上がって

あかね色の空を見たよ―5年間の不登校から立ち上がって

  • 作者: 堂野 博之
  • 出版社/メーカー: 高文研
  • 発売日: 1998/01
  • メディア: 単行本

 

 

 

これを原作にして、映画「あかね色の空を見たよ」が市民運動の手で制作された頃、ちょうど私も、別の夜間定時制高校に勤務していました。 そして、その頃高校生だった長男が、原作者の堂野さんが経験したと同じく、不登校の長いトンネルのなかに迷っていました。

 



【映画チラシ】あかね色の空を見たよ 中山節夫

 

【映画チラシ】あかね色の空を見たよ 中山節夫

  • 出版社/メーカー: moviestock2
  • メディア: おもちゃ&ホビー




その頃、ある雑誌に投稿した私の文章があります。些末な説明や個人情報がらみの文言はいくらか訂正・省略した部分もありますが、ほとんどそのまま掲載させていただきます。
ひろしがんばれ わしもがんばる---映画「あかね色の空を見たよ」
     
(1)夢のような話
 「市民の手で映画をつくる」、「子どもと親と教師への応援歌を、岡山から全国に発信する」---そんな夢のような話が現実になりました。
 そもそもの発端は、98年春。15年来、「不登校」をテーマとする映画制作を構想しておられた中山節夫監督が、堂野博之さん(県立西大寺高校校務技術員)の詩画集「あかね色の空を見たよ」(98年1月高文研刊)に感銘を受け、地元の人々の力で映画化を、と提起。それに応えて、堂野さんの職場の同僚でもあり、岡山県の教育相談活動のリーダー的存在である森口章先生らが、映画化への県民運動を呼びかけられたのです。
 初め、その計画を聞いたとき、正直重い気分にとらわれました。何よりも、およそ1億2千万円という気が遠くなる制作費用を、市民の手で調達しなければならないというのですから、「苦労」の度合いすら想像のレベルを越えていて、現実味を伴わなかったのです。
 でも、自らの五年間の不登校の苦しみと「自分さがし・自分づくり」への葛藤を、飾らぬ絵と詩文で綴った原作への愛着は、人後に落ちません。「学校に行ってない私はきらいですか 言うこと聞かない私はきらいですか」「明日は行こうと思う夜 明日にしようと思う朝」「最後に笑ったのいつだっけ 最後にうれしかったのいつだっけ 今度笑うのいつかな」。---この切ない思いを、あたたかく共感できる社会にしたい気持ちも、人並みには持ってるつもり。
 それ以上に、さわやかな好青年そのものの堂野さんの存在は、不登校児の親の一人である私の「希望」でもありました。さらに、「制作委員会」の事務局長を、敬愛する高垣章二氏が引き受けられたと聞き、後には引けない思いと同時に、「これは成るかもしれない」という気にもなったのです。
(2)地域に「人と人との絆」をつくる運動
 映画制作・上映運動の歩みを駆け足で振り返ってみます。
 98年9月映画化準備会発足、10月第一回映画制作実行委員会/その後各地に「地域制作委員会」設置、 99年2月~6月シナリオ検討委員会、7月映画制作発表/地元キャスト募集、8月オーディション申し込み終了(申込者約400人、実参加者360名)/ロケ開始、9月配役決定、9~11月岡山にて撮影、2000年3月完成試写会、3月~県内各地で一般公開。  
 主として一枚千円の「映画制作協力券」の普及により制作費と上映経費を捻出する、少なくとも半額の六千万円に達しない場合は制作断念もやむなし、その場合には返金できるよう、住所氏名を確認して販券する、という、背水の陣の出発でした。中途断念しても事務所費など必要経費分は赤字とならざるを得ず、「その際は退職金を充当することも覚悟の上」という高垣事務局長の発言も、冗談とばかりは言えない切実味を持っていました。そうした財政問題をクリアして、映画完成にこぎつけたことは、文字通り快挙といっていいはずです。
 このとりくみは、もちろん教職員組合や、民主的諸団体の全面協力ぬきには成り立ち得なかったでしょう。でも、そこにとどまる規模の運動では、映画完成は不可能でした。何よりも、不登校に苦しむ子ども自身とその親たち、そして子育て・教育の悩みに直面している無数の人々の、切実な願いが紡ぎあわされてはじめて成し遂げられた「偉業」でした。
 私自身も、学校で生徒・保護者への券普及にとりくむとともに、居住地域の実行委員会の一員として、制作・上映運動に参加しましたが、一人で数十枚単位の普及を気軽に引き受け、追加また追加を申し出て下さるお母さん方のバイタリティに、圧倒され、励まされもしたものでした。
(3)すばらしい映画が完成
 「映画化が実現したというだけで、十分」と口にしてきたのは、不遜でした。期待を超えた、すばらしい作品が完成したのです。
 映画は、雨に煙る美しい田園風景を、豊潤な情趣とともに描きながら、静かに展開します。深い部分で私たちを癒してくれる上質な絵画のように、時を忘れていつまでも見入っていたいと感じさせる、しみじみと懐かしい画像です。したたり落ちる水滴。濡れてゆらゆらと心もとなげに揺れる蓑虫のアップ。そんなデティルにも、日頃すり減り、忘れかけている感性を呼び醒ます瑞々しさが凝縮されています。
 乳色の朝霧に包まれた川面の静謐、水田の稲苗の滴る緑、そよぐ風のかぐわしさ、黄金色に輝く稲穂の波、蒼天の野道を鮮やかに彩る曼珠沙華の紅---、随所に散りばめられている岡山の自然。私達の郷土がこのように美しい四季の彩りに恵まれていることを、映画は改めて気付かせてくれます。この自然描写ひとつで、この映画を観た価値はあったと、一瞬考えたのも、私の不遜でした。
 このような自然に囲まれて、主人公=藤田弘の不登校の日常と、それを取り巻く家族や教師の対応が、抑えたタッチで淡々と描かれます。私自身の経験や、日ごろ学校で付き合っている生徒たちの不登校経験の述懐をあれこれ思い浮かべ、ああ、これも思い当たる、あれも思い当たるとうなずきながらも、でも、そんなに生易しいものではなかったはずとの思いも拭えないまま、画面を追います。
 そのうち、場面は、一人だけの中学校卒業式、家を離れ下宿しながらの高校生活へと進みます。私自身なじみの深い夜間定時制での授業、部活動、交友やアルバイトを通して成長する弘。「登校拒否だった僕が、今では帰宅拒否」と楽しそうに笑う弘の姿は、私の学校でもしばしば目にする光景です。こんな健全な学園ドラマも、今の世では新鮮だし、それだけでもこの映画の価値はある---と思ったのも、またまた、私の不遜です。
 私の不遜は、弘の「二度目の不登校」の場面で打ち砕かれました。勤め先にも学校にも足が向かわず、飲まず食わずで布団を被り、絶望的な閉じこもりに陥ってしまう弘。そこにオーバーラップする不登校時代の回想。これまでの抑制は、この場面のためにあったのだと気づかされるほどのインパクトの強烈さです。苦しみの深さが共感されて、嗚咽をこらえかねました。その苦しみを経てこそ、あかね色の空は美しく胸にしみるのです。
 地元の上映会でのアンケートに71歳の男性がこう書いてくださいました。「ひろし、がんばれ。わしもがんばる」。辛さ苦しさを越えて、自分らしく生きていくための元気の素を老若男女に与えてくれる映画です。人間って見捨てたものではないな、と気づかされ、ほっとうれしくなれる映画です。「ありがとう」の言葉も多く見受けました。私自身も、この映画に出会えたこと、この映画づくりの運動にささやかながら協力できたことに、「ありがとう」と言いたい気持ちです。
(4)全国の子ども・親・教師への応援歌に
 映画は、県内各地で好評のうちに上映され、劇場公開では、予定を延長して再上映されたほどでした。少なくない学校で児童・生徒の団体鑑賞も実施され、「音響効果に恵まれなかったにもかかわらず、授業では騒がしい生徒たちが、静まり返って画面に見入り、弘の夜間高校卒業場面では、拍手や『がんばれ』の声援が起こるほど、作品世界に入りきって我が事として鑑賞していた。」と聞きます。秋には、私の学校の生徒たちにも団体鑑賞を計画しているところです。
 県外でも各地で上映の計画が進んでいます。全国の子ども、父母、教職員への応援歌として、鑑賞の輪を広げて欲しいものです。 
 
 西の空があかね色に染まり、やがて濃紺に暮れていく時間帯まで、宣伝カーを運転して路地から路地へと入場お誘いの宣伝をしたことが思い出されます。テープには、臆面もなく私の声を吹き込みました。
映画には、 実際の烏城高校教師OBなども、教師役で出演されました。中には、すでに鬼籍に入られた方もあり、その年月に感慨を覚えます。
この映画上映運動をきっかけに「フリースペースあかね」 がつくられ、今も不登校生たちのほっとできる居場所となっています。11月9日(日)には、『第5回あかねのつどい 不登校経験者が語る!本当の気持ちと居場所のちから』というイベントも開かれるそうです。
以下、そのあらましを、facebookの記事から引用させていただきます。
プログラム1(午前)
映画『あかねの色の空を見たよ』上映。
 フリースペースあかねが生まれた原点であり、原作者の実体験を元に作られた映画『あかね色の空を見たよ』を上映します(以下作品紹介)。不登校で苦しんだ少年が定時制高校に入り、暖かい仲間や先生に出会い、人間への信頼と人生への希望を見いだして立ち上がっていく様を描く。不登校を「誰もが長い人生で乗り越えなければならない壁」のひとつとしてとらえ、「突き当たって悩み苦しむことになっても、それは悲しいことではない」「いつか今まで自分を覆って苦しめていたこの雲さえも美しい茜色に変わる」と著者は言います。

プログラム2(午後)
『経験者が語る!シンポジウム』
 フリースペースあかねに通っている不登校の子ども達やOB・OG。そして、不登校の我が子と向き合ってきた親たちに集まってもらい、当事者だからこそ言える本当の気持ち、そしてフリースペースあかねという居場所から何を学んできたのか、居場所のちからとはどの様なものなのかを、共に考えたいと思います。会場に来て下さった方からの発言や質問なども歓迎しております。

日時:11月9日(日) 10:00〜16:00
場所:福祉交流プラザ三友 2階大会議室
    (岡山市北区岩井2丁目4-1)
参加費:500円
主催:フリースペースあかね
後援:岡山市教育委員会
お問い合わせ :TEL / 086-256-7122
※会場準備のため、参加される方はご連絡下さい
(当日参加も可)

 
 
 
 

 

 

 

 

 


nice!(27)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 27

コメント 2

mimimomo

おはようございます^^
胸にじーんとくる映画だったのですね。作られた方々の努力も大変だったようですね。
by mimimomo (2014-10-19 07:10) 

kazg

mimimomo様
本当に、おっしゃるとおりです。でも、テーマの割には、きまじめ過ぎもせず、クラス気もせず、ほのぼのとして、時折笑い声の漏れる、後味の良い映画でしたし、制作運動も、ほんのり希望と元気が湧いてくる、珠玉の体験でした。
by kazg (2014-10-19 08:44) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA