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足守の先は吉備路の紅葉かな [折々散歩]

昨日の記事の続きです。
足守は、江戸時代、木下家25000石の城下町として発展しました。藩主・木下家は豊臣秀吉の正妻「ねね」の出里であり、昨日の記事の白樺派歌人木下利玄は、足守藩最後の藩主・木下利恭の甥で、のちに養子として家督を継ぎました。
この木下家と縁戚関係にあって、家老職を務めた杉原家の屋敷が、岡山県指定重要文化財として保存されています。
小藩のため、家老の屋敷としては簡素ですが、りんとした趣があります。前回前々回と、屋敷の内部を見学しましたので、今回は表から眺め見て通り過ぎました。 
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足守と言えば、もう一人、歴史に名を残す偉人があります。
江戸時代の医師、蘭学者として知られる緒方洪庵が、この地の出身です。
洪庵は、適々斎とも名乗り、大坂に適塾(適々斎塾)を開き、福沢諭吉ら多くの人材を育てました。
種痘の普及にも尽力して天然痘治療に貢献するなど、日本の近代医学の基礎を築いたことで知られています。
その緒方洪庵の誕生の地を、初めて訪ねてみました。
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矢印に沿って歩きますが、最後の0.1kmの表示の先が、どう進んで良いのかわかりません。
看板の脇をこんな道路が走っており、「洪庵トンネル」というトンネルがありましたので、これをまっすぐ通り抜けてみました。
でも、とても0.1kmとは思えない長さでした。出口まで歩いてもそれらしいものは見つかりませんので、すごすご引き返しました。
 
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「この先行き止まり」とある表示がありましたので避けたのですが、よく見ると自動車が通れないという意味らしい。
その細道を少々歩いて見ますと、なんだ、すぐそこにありました。

黒画像になっているわけは、カメラ(pentaxq7)
の設定ダイヤルが勝手に回って、モノクロ設定になっていました。便利なダイヤルですが、摩擦によってダイヤルが回り、設定が変わるのは迷惑です。その都度
確かめればいいのですけれど、うっかり何枚か写して気づくことが多いです。
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設定ミスに気づいて、 カラー撮影に戻しました。
大きなブロンズ像と顕彰碑が建てられています。この碑の下には、洪庵の臍の緒、元服の時の遺髪が埋められているそうです。
また。ブロンズ像の台座に刻まれた「緒方洪庵先生之像」の文字は長野士郎書とあります。この像建立時の知事だったのですね。
長野知事には、その大型公共事業優先・弱者犠牲の県政に煮え湯を飲まされた思いが強いだけに、複雑な感慨を覚えました。
何しろ、岡山県では、「赤字財政」再建のためと称して、県民にサービス切り下げと負担増を強いるために、まず率先して県職員に「独自の給与カット」を何年も何年も押しつけてきましたが、そのそもそもの元凶が、長野県政だったわけですから。
私なども、退職まで、その賃金カットの「恩恵」をずいぶん被っていますから、他府県で就職した友人たちより生涯賃金では相当の格差があっただろうと、妬ましい思いにかられることも亡いわけではありません。
腹いせに、ウィキペディアから「長野士郎」の項目を少々抜粋して引用します。

こうした大規模プロジェクトのなかでも、吉備高原都市構想や倉敷チボリ公園の誘致、苫田ダムの建設事業(2005年完成)は岡山県の財政に重大な負担を残し
た。倉敷チボリ公園は岡山市政100周年記念事業で誘致が検討され第三セクターの汚職事件により一時は頓挫した事業を岡山県が引き継ぐかたちで倉敷市に誘致したものであり、運営の見通しや誘致効果に対しては開園前から疑問視されていた。苫田ダムの建設事業では、ダム建設に反対する地元・奥津町に対し、公共
事業の補助金交付や起債手続きを遅らせるなどの「行政圧迫」を断行し町行政を機能不全に追い込んで町側に3度町長を交代させ、さらには幾度もの移転補助交
付金の名目でバラマキ財政同然の行動に訴えて反対派の翻意と切り崩しを画策し、半ば強引に地元の反対を覆させるなど、強硬手段により事業を推進した。

長野退任直後の岡山県の起債制限比率は「危険水域」を超える15.5%(1996年度)で47都道府県中最下位となり、1999年度にも新たな地方債発行を停止される20.0%の基準に迫り、19.9%に達するという試算が出された。1993年度末に562億円あった財政調整基金も4分の1以下に減少するなど、破綻寸前の危機的な財政状況であった。

その後、吉備高原都市は長野の後任である石井正弘によって全事業計画を事実上、完全凍結させら
れている。さらに倉敷チボリ公園に至っては県側負担が圧倒的に増加し、2007年にはフランチャイズ元であるチボリ・インターナショナルとの契約の継続を断念。倉敷チボリ公園は2008年12月31日付けで閉園され、チボリ・ジャパン社は解散した。結局これらの事業は計画当初から囁かれていた通り、事実上の失敗に終わっている。


とんだ脱線で、失礼しました。
決して、わたくし、洪庵先生の実績にけちをつける意図はございません。
 
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足守を後にして、近隣のもう一つの紅葉の名所、「井山宝福寺」にも足を伸ばしてみました。
 
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紅葉越しに三重塔が覗けます。
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さらに大きいサイズの画像は[サーチ(調べる)]ここをクリックしてみてください。

仏殿
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境内の紅葉。色づきはじめですか。
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室町時代、国宝「四季山水図」などの数多くの名画を残し、画僧として名高い雪舟は、少年時代ここで修行を行いました。
子どもの頃から絵が好きだった雪舟は、修行に身を入れず絵ばかり描いていたので、禅師がこれをとがめて彼を柱に縛りつけて反省を促しました。夕刻、様子を見に来た禅師は、逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動きません。それは、雪舟が、縛られて自由の利かない手の代わりに、足の指を使って、流した涙で描いたものでした。感心した禅師は、それ以後、雪舟の絵をとがめなくなったとさ。

このエピソードをもとにした「少年雪舟像」が立てられています。

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さらに欲張って、その足で、備中国分寺五重塔も見てきました。
秋の名残の田園風景に、斜めの陽射しを浴びた五重塔が静かに聳えていました。
 
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さらに大きいサイズの画像が下にあります。
クリックしてみてください
 
 今回はここまで。ごきげんよう。

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johncomeback

モノクロ写真良い感じじゃないですか(^^)ニコ
by johncomeback (2014-11-08 16:21) 

kazg

johncomeback様
「怪我の功名」というやつですか?
意図せぬ表現効果がありました(汗)。
by kazg (2014-11-08 17:19) 

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