冬のバラ [折々散歩]
何という寒さでしょう。近年にない冷え込みです。
睡蓮鉢の氷が昨日も今日も一日中溶けませんし、農業用水が流れる小川も表面を氷が覆っています。本格的な「寒」の次期でも珍しい光景です。
先日訪ねた半田山植物園には、まだ紅葉が残っていて、
白木蓮のつぼみもふくらみかけていました。
そして、バラの花も咲いていましたが、さてこの寒さをどう耐えているでしょうか?
春や秋のバラに較べると、花弁や葉が傷んで色が黒ずんでいる部分があって、写真としては見栄えが悪いので、いっそ思い切ったレタッチを施してみましたら、思わぬ雰囲気が出たように思えますが、いかがでしょうか?
品種名:ピンクパルフェ 1960年作出(アメリカ)。
品種名 マキシム 1994年作出(ドイツ)。
品種名 オールドブラッシュチャイナ 1959年以前作出
品種名 ミスシュバイツ 1995年作出(ドイツ)
品種名 ソレロ 2008年作出(ドイツ)
品種名 ヘンリーフォンダ 1995年作出(アメリカ)。
品種名 ヘンリーフォンダ 1995年作出(アメリカ)。
ヘンリーフォンダと言えば、この方ですね。
- 出版社/メーカー: 東北新社
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バラ苗 ヘンリーフォンダ 国産大苗6号スリット鉢 ハイブリッドティー(HT) 四季咲き大輪 黄色系
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私達の世代には、ジェーンフォンダの方が親しみがあります。ジョーンバエズとともに、ベトナム反戦運動のシンボル的存在でした。
ジョーン・バエズといえば、その透明感のある歌声が魅力でしたが、中でも、映画『死刑台のメロディ』の主題歌「勝利への賛歌(Here's to you)」が、最も記憶に残っています。
『死刑台のメロディ』は、貧しいイタリア移民、サッコとバンゼッティが、現金強奪事件の犯人に仕立て上げられ、電気椅子で死刑になった実際の事件を題材にしています。
三省堂の『大辞林』にはこうありました。
米
国の裁判事件の一。1920年,二人のイタリア系アナーキストのサッコ(N. Sacco)とバンゼッティ(B.
Vanzetti)が強盗殺人犯として証拠不十分なまま死刑判決を受けた。公正な審理を求めて国際的な抗議運動が起こったが,反共的・排外的な当時の風潮
のため実らず,27年死刑執行。その後,再審が行われ,77年二人の無罪が確定。
訪ねてきた新聞記者に、サッコはこう語ったと伝えられています。
「 こういう目にあわなかったら、私は誰にも相手にされずに一生を過ごし
ただろう。誰も認めてくれず、ただの貧乏人として死んだろう。
だが、おかげさまで、いまは負け犬ではない。素晴らしい人生、大勝利。こんな大仕事は一生かかってもできるものじゃない。
けれど、俺たちはひょんな事から、それを成し遂げた。俺たちの命や、苦痛、そんなものは何でもない。善良な靴屋と、かわいそうな魚売りが殺されかかっているだけさ。
でも もしあなた方が、ちょっとでも、私たちのことを考えた時、あなた方は私たちのもの。私達の死の苦しみは、私達の勝利なんです」
そして彼の遺書にはこう綴られたと言います。
「息子よ 彼らは我々の体を焼くが 我々の信念は焼きつくせない それは若者に受け継がれる お前のような若者に 覚えておけ 幸福は一人占めするな 迫害される人に手を貸せ」
1927
年8月23日、二人は帰らぬ人となりましたが、えん罪を追及する声と運動は世界中に広がり、50年後の1977年7月19日、マサチューセッツ州知事のマ
イケル・デュカキスは、偏見と敵意に基づくこの裁判を誤りと断定し二人の無実を宣言し、処刑日の8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」に定めまし
た。
今日のオマケ。
満開の、ユッカの花です。
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