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懐かしき便り嬉しき聖夜かな [今日の暦]

今日はクリスマスイブ。
ママと子ども達が飾り付けしたクリスマスケーキ。
美味しく、ご相伴にあずかりました。

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クリスチャンでもない私達にとって、この日は、孫にプレゼントを与えるイベントの日!これに尽きます。

今日は、2学期の終業式だそうで、午前中に下校してきた小学生二人が、自宅は留守なので我が家に直行でした。

バアバは昼迄のパート出勤日でしたから、ジイジが特製インスタントラーメンをふるまいました。

午後は、バアバとともに、図書館に行き、その足で、クリスマスケーキのトッピング材料などを買いに、スーパーまでお供しました。

家を出る際に、郵便受けに二つの分厚い郵便物が入っているのに気づき、それを持って車へ。運転を終えて、 内容を確かめてみますと、どちらも懐かしい方からのメール便で、それぞれ書籍が同封されていました。

ひとつは、敬愛する先輩退職教師、鴨川恵美子さんが、12月20日付けで発行されたばかりの『続・ふたりの完結』と題されたエッセイ集です。

はるか後輩の私をも、「友人」と認めてくださり、贈ってくださったものです。

表紙カバーには、ブルーを基調とした落ち着いて深い透明感のある風景画が 描かれています。倉敷美観地区周辺のたたずまいのようです。元岡山県の国語教師で、退職後埼玉県に転居され、画家となられた武田昭一さんの作品だそうです。後書きによると、ご夫婦ともに国語教師で、お住まいも近くて昵懇の間柄であったことから、表紙絵を依頼されたのだそうです。

文章の冒頭は、こういう書き出しになっています。

夫、鴨川俊作は、一九九八年四月七日、大腸がんの発覚から、闘病の十ヶ月を経て、七十歳で亡くなりました。私は六十五歳、夫の『死』を見据えながら出来る限りの看病に努めました。

一周忌を期して、「ふたりの完結」を上梓し、友人の皆様に読んでいただきました。多くの感想が寄せられ、一箱の私の宝石箱として、時折取りだしては読み返し、折々の生きる支えになっておりました。

十数年を経た今日、私は二〇〇九年「脳梗塞」や、一三年「大腿部骨折」に見舞われ八十路の坂をやっと越え、「ふたりの完結」のその後を書いておきたいという心境になりました。(後略)


 

そして、地元紙「倉敷新聞」(現在休刊中)の記事から、こんな文章が引用されています。

鴨川俊作氏を偲んで二冊上梓
妻 恵美子さん『ふたりの完結』
偲ぶつどい実行委編追悼集「いつも労働者の中に」

倉敷新聞 一九九九年五月一九日付

昨年四月七日、大腸癌のため逝去した北浜町、元日本共産党岡山県委員会副委員長、岡山県労働問題研究所理事長だった鴨川俊作さんの一周忌を記念して、このほ
ど婦人の鴨川恵美子さんが『ふたりの完結』(手帖舎刊)四六判、二五三ページ。合わせて、鴨川俊作さんを偲ぶつどい実行委員会が『いつも労働者の中に』~
鴨川俊作さんを偲んで~ 四六判、一八三ページを発刊。それぞれの立場から故人を偲んでいる。(後略)


鴨川俊作さんには、生前、学習会などでの講義をお聞きしたことがあるだけですが、穏やかで、理路整然とした学究家という印象が強く残っています。 葬儀の時は、片隅に参列させていただきました。

当時贈っていただいた「ふたりの完結」も、感銘深く拝読したことでした。

実は、私の脳動脈瘤手術の後、拙宅まで見舞いに来てくださったことがありました。
その際、お若い頃の脳血管手術の経験も話してくださり、力づけてくださいました。
何かと気弱になっていた私には、大きな励ましで、春からの職場復帰にチャレンジできたエネルギーになりました。(ほかにも多くの方々の支えや励ましがあったればこその復帰でした。今や退職後も、非常勤でアルバイト生活をやってみようなどと思い立つこと自体、当時から見れば、不思議なことです。)
奇しくも、私の病気の2年後、脳梗塞で倒れられましたが、強靱な意志力でリハビリに励まれ、パソコン、ピアノ、プール、投書、など多彩な活躍を続けてこられました。
さらに、2013年には大腿部骨折を経験され、身動きが不自由になられたとお聞きし、心配しておりましたが、これまた強靱な意志力で、今年の八月にはショパンの「OP70の2」を発表会で演奏され、「ホフマンの舟唄」を連弾で弾かれたそうです。さらに、『続・ふたりの完結』を完成されたことに、敬服の思いはつきません。

先ほど、お礼の電話を差し上げたところ、「気力が湧かないのよ。年をとるとはこういう事かしらね。」とおっしゃるお声には、張りがあり、 ほっと安堵したことでした。

 

もう一つの郵便物は、高知のN先輩からサークル会誌第11号が同封されたお便り。

N先輩については、去年の八月のこの記事や九月のこの記事で「Nさん」と呼んで紹介しました。

この会誌11号は、ほとんどこのN先輩が中心に編集・発行してくださっています。今号のおもな記事は、 この記事で話題にした「仲間の集い」での大先輩(1958年入学のKさん、及び1965年入学のFさん)のスピーチの記録と、各地にお住まいの同窓生の方々の近況など。

それぞれ時空を越えて、様々な感慨を喚起せずにはいられない文章でした。

巻末の「事務局だより」に、高知県生まれの詩人槙村浩(まきむらこう)の生誕100周年を記念して今年11月に出版された雑誌『ダッタン海峡』10号の紹介があり、別刷りで、雑誌『ダッタン海峡』10号の目次を印刷してくださっていました。

雑誌『ダッタン海峡』は、「ダッタン海峡——ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××革命の同志たちに——」と題する槙村浩の詩のタイトルにちなんで名付けられた雑誌のようです。高知市枡形にある「平和資料館・草の家」のこの記事  が参考になります。

私の高校時代の筆名は「牧村透」でした。大学生になって、 「槙村浩」という詩人がいたことを知り、意味のない親近感を覚えたことがありました。

土佐文夫さんの人間の骨などを読み、彼の詩と人生に強烈な印象を受けました。

人間の骨 (1974年)

人間の骨 (1974年)

  • 作者: 土佐 文雄
  • 出版社/メーカー: 東邦出版社
  • 発売日: 1974
  • メディア: -

 

俳優 嵯峨善兵さんを招いての「間島(かんとう)パルチザンの歌」の朗読会に参加した記憶もあります。

 

間島パルチザンの歌―槇村浩詩集 (1980年) (新日本文庫)

間島パルチザンの歌―槇村浩詩集 (1980年) (新日本文庫)

  • 作者: 槇村 浩
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 1980/10
  • メディア: 文庫

 

思ひ出はおれを故郷へ運ぶ

白頭の嶺を越え、落葉(から)松の林を越え

蘆の根の黒く凍る沼のかなた

赭ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ

高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ  (後略)

 

 冒頭の

「思ひ出はおれを故郷へ運ぶ」

というフレーズを、 嵯峨善兵さんのトーンを真似て、「折に触れて」何度も口ずさんだことを覚えています。

槙村浩は 、1912年 6月1日、高知市に生まれ、3歳のときに医学書をすらすら読むという神童ぶりを発揮したといいます。 高知県立海南中学校在学中の1929年、 軍事教練の学科試験に白紙答案をだす軍事教練反対運動を組織したことがもとで放校となり、1930年 、 岡山市の私立関西(かんぜい)中学校(現在の関西高等学校)へ転校します。
その意味では、岡山市に居住し高校教育と関係した私などとも、うっすらとした縁がないわけではありません。
卒業して高知に帰った彼は、日本プロレタリア作家同盟高知支部を結成し、反戦・平和の運動に献身するとともに、「間島(かんとう)パルチザンの歌」、「生け
る銃架」などの代表作を始め、格調高い詩作品を多数発表し、反戦と国際連帯の詩人とし活躍します。しかし、その思想と活動は、軍国主義の道をひた走る国家
権力の憎むところとなり、治安維持法違反で投獄され、獄中の拷問がもとで夭逝したのでした。二十六歳でした。

槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。
たまたまのクリスマスイブに届いた2冊のプレゼントは、
「思い出はおれを青春時代に運ぶ」
といった具合でした。


午前中、少しだけ散歩しました。

昨日の続きで修理上がりのSIGMA APO 70-300mm F4-5.6 DG MACROの使用実験です。

今日は、距離を稼ぐために、ペンタックス AFアダプター1.7Xを装着してみました。これは、これまでも、何度か書きましたように、マニュアルフォーカスレンズをオートフォーカス化するという魔法のアイテムです。しかも、1.7倍のテレコンバータの役目も果たしてくれる。そのうえ、これを常時装着していれば、カメラ内への厄介なゴミの新入も防げる、、はず。いいとこすくめ、、、のはず、、、なのですが、なかなかうまくはいきません。

適合レンズは、F値2.8より明るい、しかも絞りリングのあるレンズということになっています。

手持ちのレンズで F値2.8より明るいといえば、50mm前後の標準クラスのマニュアルレンズか、せいぜい135mmまで。それ以上の望遠レンズで F値2.8より明るいものなんか、買える財力があったらこんなアイテムに頼ろうなんて思いません。

公称f値2.8というものの、実用の上では、4.0ならAFが機能し、それより暗くとも、条件によっては動作するというネット情報もあるようです。

というわけで、いろいろな安価な望遠(ズーム)レンズを装着して見て、使用の可否を確かめたいのですが、 新式のレンズ(たとえばDAレンズ) には絞りリングがなく、最小絞りになってしまうらしく、真っ暗で用をなしません。
すると、超望遠用として使えそうなのは、純正のジャンクで買ったFA100-300mmか、このシグマAPOかということになります。
FA100-300mmは、その色合いなど、決して嫌いな写りではありませんが、やはり旧世代のレンズだけあって、 精細度の低さや、時として、いわゆるパープルフリンジと呼ばれる色ニジミが気になります。ですので、このSIGMA APO 70-300mmに期待したいのです。もちろん旧機種カメラの時代に、何度もこの組み合わせは試して、決して満足は出来ない印象を持っていますが、カメラ性能がアップしているK-5Ⅱでは、本格的な実験をしてなかったはずだと思ったのです。

その結果は?ズーム幅70mm-300mmの、70mm寄りではかなりストレスなく合焦する感じますが、望遠側になればなるほどフォーカスが迷い、ついにはいつまでも合焦できないケースも増えてきて、撮る喜びがかなり減殺されます。
f値は4.0~5.6という表示ですから、望遠域での5.6では、よほど条件が良くないと測距困難なのでしょう。

 近所の小川で、スズガモを見ました。コガモは毎年やってきますが、この鴨はこの小川では珍しいと思います。

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ジョウビタキは、相変わらずよく姿を見せてくれます。
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モズ。
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アオサギ。すぐ後ろにハクサイが写って、ローカル色がにじみます。

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水門のアオサギ。
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苅田のシラサギ。
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今日のホオジロ。
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蒲の穂。
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これは?
ヌートリアです。
被害防止のためのフェンスが見えますが、効果は少ないようです。
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200mm-300mmまでの間は、スイッチの切り替えでマクロ撮影ができるので便利です。
スイセンの花があちこちで咲いています。
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ホトケノザ。 この寒いのに。
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ナノハナ。カラシナの花でしょうか。
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まずまずのものをチョイスしてみましたが、総合的な感想は、やはりイマイチピント合わせにストレスを覚えます。ほとんどの写真はコントラストを強めるなどのレタッチを施していますが、それでも救えないものも多く、仕上がりにも不満が残りますので、このレンズの組み合わせは避けた方がよいと思いました。結局AFアダプターは使わないで、単体使用ということです。となると、ゴミ混入のリスクを避けるためには、出先でのレンズ交換は避けるべし、、ということになりますね。

それではまた。

 


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