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クイナです。 [文学雑話]

去年の2月20日付ブログで、
初めて遭ったベニマシコ
という記事を書きました。
その場所に今年もベニマシコが飛来しているとの情報をお聞きし、二度ほど出かけてみました。

私にとっては、チョー珍鳥ですので、気合いを入れて、finpix s1のほかに、pentaxk5Ⅱ+sigma120-400mmという「フル装備」で臨みました。
時折、橋の上を新幹線列車が走ります。
その下を川が流れていて、かなりの規模で川原が広がっています。

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土手の上にはこんなコラボも見えます。

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 川沿いをちょっとした距離、歩き回ってみましたが、残念ながら目当ての鳥には会えず、心を残して引き上げました。

でも、「捨てる神あれば拾う神あり」で、いろんな出会いがありました。

ミサゴがすぐ近くまでやってきて、上空をゆっくり舞っていきました。ダイビング現場はレンズが届かない距離でしたが、空中遊泳の姿は

収めることができました。



ほかにも、カワセミの採餌の瞬間も撮れました。

 

百間川のカワセミ


 

 

 

百間川のカワセミ

 

 

 百間川のカワセミ posted by (C)kazg

 

百間川のカワセミ

 

そして一番の収獲は、ほぼ同じ場所で、クイナとヒクイナに会えた事でした。

ヒクイナは、ずっと以前、近所の小川で見かけたことがありました。その頃はまだ、スズメ以外の鳥の名前もほとんど知らず、不鮮明な証拠写真を、専門家の同僚に鑑定していただいたことがありました。

また、よく似ている鳥のバンは、撮影した事があり、一昨年10月18日付のこの記事でも書きました。ただしその時は、バンと混同して オオバンの画像も載せてていました(汗 )。

クイナは初見です。


「クイナ」について、ウィキペディアは、

クイナ(水鶏、秧鶏、水雉、Rallus aquaticus)は、ツル目 クイナ科 クイナ属に分類される鳥類。

日本の古典文学にたびたび登場する「くひな」「水鶏」は、別属のヒクイナを指していることが多い。(→ ヒクイナを参照)


と説明しています。
一方、「ヒクイナ」の項には、

ヒクイナ(緋水鶏、緋秧鶏、学名:Porzana fusca)は、ツル目 クイナ科 ヒメクイナ属に分類される鳥類。
古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ、その独特の鳴き声は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた(下記参照)。くいなとして、三夏の季語。
古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ、連続して戸を叩くようにも聞こえる独特の鳴き声は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた。 古典文学にもたびたび登場している。 夏の季語。

とあり、以下の文章が引用されています。
くひなのうちたたきたるは、誰が門さしてとあはれにおぼゆ。  紫式部 『源氏物語・明石』

 たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深く尋ねては来む  菅原孝標女 『更級日記』

 五月、菖蒲ふく頃、早苗とる頃、水鶏の叩くなど、心ぼそからぬかは。 兼好法師 『徒然草』

 此宿は水鶏も知らぬ扉かな 松尾芭蕉


  

そのほかの、古典文学でも、

たとえば「枕草子」では、

鳥は、異所(ことところ)のものなれど、鸚鵡(おうむ)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。郭公(ほととぎす)。水鶏(くひな)。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。(三八段)

【解釈】鳥といえば、いちばんナイスなのは、外国のものだけれど、オウムがとても心にグッと来てかわいらしいわよ。人が言ってる言葉を真似するって言うわ。
あと、郭公。水鶏。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。みんなイイわ。


と、情趣深い鳥の一つに数え上げています。


また、「徒然草」には、

「灌仏(くわんぶつ)の頃、祭の頃、若葉の梢(こずゑ)涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさる
ものなれ。五月(さつき)あやめふく頃、早苗(さなへ)とるころ、水鶏(くひな)のたたくなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなづきばらへ)またをかし。

 とあります。

【解釈】 「四月八日の灌仏会の頃、また四月中旬の賀茂祭の頃、若葉の梢が涼しそうに茂っていく頃が、世の中のしみじみ心にしみる情緒も、思う人への恋しさも一段とまさることだ」と、ある人がおっしゃったのは、まことにもっともなことだ。五月の端午の節句に菖蒲で家々の軒を葺いて飾る頃、苗代の早苗をとる田植の頃、水鶏が戸をたたくように鳴く頃など、何とも心細いじゃないか。六月の頃、粗末な家に夕顔が白く咲いているのが見えて、蚊遣火が煙っているのも、しみじみとしておもむき深い。夏が終わる六月祓の行事もまた興趣深い。


ところで、ノーベル賞作家大江健三郎さんは、一九九四年、ノーベル文学賞受賞記念講演を「あいまいな日本の私」と題して行いました。これは、日本人で最初にノーベル文学賞を受賞した川端康成の、「美しい日本の私」と題するあいまいな講演を強く意識し、批判の思いを込めた講演でした。

あいまいな日本の私 (岩波新書)

 

あいまいな日本の私 (岩波新書)

  • 作者: 大江 健三郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/01/31
  • メディア: 新書






    その一部を要約しますと、こんな内容が語られていました。


 

不幸なさきの大戦のさなか、ここからはるかに遠い日本列島の、四国という島の森のなかで過ごした少年期に、私が心底魅惑された二冊の書物が、「「ハックルベリー・フィンの冒険」と「ニルスの不思議な旅」。
前者には、世界を恐怖が襲った時代に、私が谷間の小さな家で夜すごすより、森に登って樹木に囲まれて眠ることに安息を見いだす子どもだったたことの、自己正当化の根拠があると感じられた。
後者の、少年が小人となり、かつ鳥の言葉を理解して、冒険にみちた旅をする物語には、幾つものレヴェルの官能的な喜びが隠されていた。先祖がそうしてきたとおり、小さな島の深い森に閉じこめられて暮らす少年に、本当の世界は、またそこに生きるということは、このように解放されたものだという、みずみずしく不逞な確信があたえられた。
私に生まれた最初の子ども(かれに私はlightという意味の、光という名をつけた)は、知的な発達に障害を担ってい。幼い時、かれは野鳥の歌にのみ反応を示して、人間の声、言葉には無反応だった。六歳の夏を過ごしにでかけた山小屋で、木立の向こうの湖からクイナの番いの声が聞こえた時、野鳥の歌を録音したレコードの解説者のアクセントで、「クイナ、です」といったのが、息子が人間の言葉を話した最初だった。

 

もう少し引用します。

 私は無信仰の者なんです。カトリックを信じない。プロテスタントも信じませんし、仏教も信じない。神道も信じてない。信じることができない。だけども祈っていた。祈ったというよりも、集中したという方が正しいかもしれませんけど。目の前に一本の木がありましてね。まだ若いダケカンバの木なんですけど、その木を見ていました。いま自分がこの木を見て集中している、他のことを考えないでコンセントレートしている。このいまの一刻が、自分の人生でいちばん大切な時かもしれないぞ、と思っていたんです。そしてもう一度くいなが鳴きましてね、息子が「クイナ、です」といったんです。

 私は山小屋に戻ってきて、家内に、息子のことをプーちゃんと言うんですけど、「プーちゃんがいま、『クイナ、です』といったよ」と報告した。家内はそれを初め信じてなかったようですけれども、受け入れてはくれましてね、翌朝までふたりで待ったんです。
朝になると周りの林で小鳥が鳴く。シジュウカラとかコゲラとかホトトギスとかが次々鳴いたものですからね、子供はいちいちその鳥の名前を言った。私たちは子供が人間の声でコミュニケーションすることを発見して、それから子供とのいろんな遊びを作って彼に言葉を話させるようにしたわけなんです。そしてかれはやがて人間の声を聞くようになったし、人間の作る音楽にも関心をもつようになりました。今は自分で音楽を書くようになっています。そのすべての最初は、あの「クイナ、です」とかれがいった瞬間だった。

《どうせ叶わぬことと分っていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。》

 「占った」というのは井伏さんらしい照れた言い方で、心のなかでそう願った、ということです。その内容は、

《今、もし椋尾の山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹ではんくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」》

 この文章を私はよく理解できると思っています。私自身、クイナの時にそう占ったから。そして、人間はこのように祈るものだと私は思うから。信仰を持ってなくても、宗教がなくても。

 そういう占い、祈りには意味がない、ということもできます。そういう無意味なことはしないという人ももちろんいていい。しかし、自分はそういう事をする人間だと私は思っています。井伏さんもそのような人だと思う。そして私は井伏鱒二の文学を尊敬するわけなんです。


大江光さんは、今、作曲家として活躍されています。

このCD、私も持っています。

大江光 「ふたたび」

大江光 「ふたたび」

  • 作者: 大江光
  • 出版社/メーカー: 全音楽譜出版社
  • 発売日: 1999/11/01
  • メディア: 楽譜

 

大江光の音楽 (フルート・ピアノ作品集)

大江光の音楽 (フルート・ピアノ作品集)

  • 作者: 大江光
  • 出版社/メーカー: 全音楽譜出版社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 楽譜

 

 


一方、大江健三郎さんは、今、「九条の会」の呼びかけ人の一人として、憲法九条をまもり生かす運動の先頭に立っておられます。

昨年6月10日に開かれた、「九条の会発足10周年講演会 集団的自衛権と憲法9条」のスピーチでは、「昨年暮れに小説を書くことを締めくくりました。もう小説を書いていると言えません。ここにきて得心できました。『九条の会の大江健三郎』です。」と発言しておられます。
《よびかけ人のスピーチ》

“いっしょにできることは沢山ある” 大江健三郎(作家)
私は「小説を書いている大江です」と自己紹介してきましたが昨年暮れに小説を書くことを締めくくりました。もう小説を書いていると言えません。ここにきて得心できました。「九条の会の大江健三郎」です。
 いま発足10周年を記念している九条の会の話が私のところに持ち込まれたときです。加藤周一さんが、九条の会をつくることを思い立たれた、その仲間によびかけるメンバーにならないかということでした。加藤さんは85歳でした。
 いま安倍首相が何よりも忌まわしいものとして打ち壊そうとしているのが戦後レジームというものですが、それをつくりだし、外国に紹介したグループの中心になった人が加藤周一さんでした。その加藤さんから呼びかけ人になるよう声をかけていただいたので私はすぐ承諾しました。
 さて、安倍首相はまず憲法96条の改正をすると言い、批判の声があがると引っ込めました。そして自分と親しいグループに案を出させ、それを内閣で決定する、そして国会で承認する手続きをとるといいます。 
もともと私たちが、この前の選挙、さらにその前の選挙で政権に過半数を与えたことが、集団的自衛権が閣議決定され、法律となるという危機として迫っているのではないかと思います。
 そして、いったん集団的自衛権なるものが現実に行使されるならば、日本人がアメリカ軍にくっついて、アジアで、あるいは別の場所で戦争をする、人を殺す、殺されることもある。そうなっても、政治家があるいは安倍首相が反省し、あるいはまちがっていたといって取り消すようなことはおこらないと思う。かえって、政治家や安倍首相は集団的自衛権を行使しようとして国際的に働いて殺されたと言うと思います。集団的自衛権はこの国から動かせないものとなってしまう。そしてそれは安倍さんが忌まわしいものという戦後レジームというものが最後になることと私は考えます。
 ところが10年前、加藤さんは、非常に大きい根本的な危機が訪れようとしていることを彼の確実な世界観で見抜いていました。そして加藤さんは自分の文学の仕事をやめられたのです。夫人の矢島翠さんは「加藤の最晩年には大きな事件が次々に起こり、むしろ実践活動に比重が移るようになりました。それはとても大きな変化でした。たとえば小田実さんなら当然なさったかもしれないけれど、加藤がよくこれだけ動くようになったものだと横で感じておりました」と語っています。
私もそのような驚きを感じておりました。そして何度が加藤さんと九条の会でお会いするうちに、いま加藤さんは九条の会の仕事にすべてをかけておられると感じました。その加藤さんは九条の会が発足して4年後に去っていかれました。
 私は自分が一生でであったいちばん大切な人の一人として加藤さんのこと、また同じくすでに死んでしまった井上ひさしのこと、最初に亡くなった小田実のことを考えています。そして彼らが死んだあと、自分は文学よりほかのことをしなくてはいけないと感じるようになりました。
加藤さんの言葉を引用することを中心にして終わります。たとえば、「憲法を改正するのは戦争のためで、いきなり戦争をできるように、この国をするためです。…戦争の準備をすれば戦争になる確率がおおきい。もし平和をのぞむならば戦争を準備せよではない、平和を望むなら平和を準備したほうがいい。戦争を準備しないほうがいい」
 もう一つ加藤さんの言葉の引用です。「私たちの経験する歴史は、小さな偶然や、あるいは小さな、小さければ小さいほど自由な、決断の積み重ねであるほかはないのです。個人にとっては、個別の場合に応じる個別の自由を平和にむけて凝視するか、戦争に向けて凝視するかの問題になるでしょう。戦後60年、日本国の平和に向けた選択に憲法9条は大きく貢献してきました。こんにちそういう選択の自由を可能にした9条を改めて戦争への道を開けば、いずれ戦争か平和かの選択の自由そのものが失われるでしょう。平和な日本は、戦争か平和かを選ぶことができます。戦争をする日本では、戦争か平和かを選ぶことができません。 九条の会は選択可能性の選択をよびかけているのです」
そして私は、私なりの加藤さんの最後のよびかけと思うことを読みまして終わりとします。2007年11月の九条の会全国交流集会での加藤さんのあいさつです。私たちのたたかいのヒントを2項目あげて話を終わられました。
 「第一は、おそらく長丁場であるということを意識して運動をやるということ。今年だけ運動が活発なのでは駄目で、長く活発にやる。拡大した組織は、ゆっくり大きくなる。劇的に大きくならないけれど、ゆっくり確実に大きくなるのだということをはっきり意識しなくてはならない。これは大きな仕事だと思います。しかし、意識的にそういう方向に動くべきではないかと、私は思います」
 加藤さんはそう言いながら、この九条の会が7500のグループをつくるということまでは想像されなかったのではないかと思います。それから彼のあげた第二のヒントです。
 「あまり抽象的なことばかりではなくて、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないということですね。憲法を改正しよう、改憲をしようという勢力の政治的方角は、福祉の縮小であり、対外的な戦争の容認です。彼らはそういう方角に目標を切り替えようとしていると思います。我々は日常生活であらゆる手段をとって、それに対して反対する。教育について、年金について、何についても反対すべき政策が非常に多いけれど、それらは相互に関連しています。その相互に関連したもの全体に反対することが大切で、つまるところそれこそが憲法を守るだけでなく積極的に生かしてゆくことではないでしょうか」
 これは今、集団的自衛権の問題があり、アジアの危機が大きくなっているときに発せられた言葉ではないのです。加藤さんが亡くなられる一年前の言葉です。そしてどうするか。加藤さんは言います。
 「これから先、大変だと思います。でもどうか皆さん、一緒にできるだけのことをしましょう。一緒にできることはかぎりなく沢山あるのです」
 そのように沢山のことは私にはできないかもしれません。しかし一つやりたい、それは今日、皆さんにお話することでした。


ところで、明日から少し所用があって、2~3日、更新とご訪問ができません。
しばらく、御免ください。

では、また。


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johncomeback

勉強になりました(^^)ニコ
by johncomeback (2015-01-20 09:22) 

kazg

johncomeback 様
いつものように、聞きかじりの受け売りで、、、お恥ずかしい(汗)。
by kazg (2015-01-20 15:12) 

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