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人は神になり得たか [木下透の作品]

木下透は私の高校時代の筆名です。
このコーナーは、今から40年以上も昔の、彼の高校時代の作品を、思い出すままに紹介することを趣旨としています。
拙劣さ、未熟さは、年齢の故と、寛容に受け止めていただければ幸いです。

 高三の秋の文化祭で、私の所属していた文芸部は、「神」というテーマで、発表する事になりました。

部員がそれぞれ、「神」にまつわる作品を創り、それを謄写版刷りの冊子の形で発表するとともに、教室の一つを展示会場として、「神」をテーマとした掲示や装飾物をレイアウトしました。
また、そのため、つてを通じて、隣市のキリスト教会を訪問し、数人で「体験礼拝」(そんな言葉はないでしょうが)したりしました。文章や映像をもとにした想像で理解している、教会内の光景や空気を、じかに肌で感じたことは、得難い体験でした。無信心の私は、形だけ信者のように装うことにギクシャクとした思いはありました。(年齢を重ねると、宗教や宗派の違うお葬式や法事などに参列する機会も多くなり、信仰の如何に関わらず、心をこめて故人を悼み、遺族を慰めるためにも、その宗派の作法を真似て、しかるべく振る舞うことは、 当然のことと割り切っていますが。)
あわせて、「神をどう思うか」といったようなアンケートをとり、これを発表したりもしました。

誰の発案だったかは、よく覚えていません。私は、確か、「終末」だか「破滅」だか「滅び」だか、そんなネクラな(そんな言葉は、当時はまだありませんでしたが)テーマを提唱して却下されたような記憶があります。
折しもアポロの月面着陸や、その月の石を展示した大阪万博などが国民的な話題となっていた時代で、「明るい未来社会」論の華やかな時代でもありました。
一方、国際的にはベトナム戦争の泥沼化が続き、国内的には、七十年安保改定・沖縄返還を目前にして、若者の一人一人が国の進路をどう選ぶのかが問われていた時代でもありました。
貧しく慎ましい、しかし穏やかな暮らしぶりを、こぞって投げ捨てて、「大きいことはいいことだ」「隣の車が小さく見えます」と、経済成長を至上目標に、「モーレツ」に走り続けてきた時代の行き着く先は、本当に、明るい幸せな未来なのか?時に、「公害」はピークに向かって広がり続け、煤煙で真っ黒な空、ヘドロに汚れた川や海、次々と現れる「奇形」の生き物たち。私の生理は、これを幸せへの道と感じるこを拒み、救いのない悲観論にとらわれていたのでした。(かの、アジアの大国の現在の映像を見ると、あの頃の思いが増幅して蘇ってきますが。)


せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が、人々の共感を得たのは、それから程なくのことでしたし、遅々とした歩みながらも、「環境への配慮」、「持続可能な発展」、「つりあいのとれた経済成長」などの言葉が、徐々に市民権を得るようになってきたことも確かです。現実に、目の前の自然環境に接しても、汚染の緩和や回復が、わずかながらも見られるようになっていることも事実で、そのバックボーンに、人類の科学技術と当事者の献身的努力があることも、間違いないでしょう。

その意味で、人類の前途を「一路破滅へ」と見るような、単純な決めつけは、私の本意ではありませんが、しかし、自ら制する能力も資格もないまま、絶大な「力(force)」を手に入れ、なおそれを拡大しつつある人類が、自身の傲慢と野蛮、未熟と稚拙に思い至らないまま、この道を突き進むとしたら、必ず自滅を招くに違いないでしょう。そのようなことを、この作品は、無意識ながら訴えようとしているようです。


 人は神になり得たか    木下 透

「俺が神だ。」
若者は荒々しく叫んだ。
「私が神だ。」
老人は静かに、しかし荘厳に諭した。
「俺が全能なる神だ。俺は奇跡を行うことができる。俺は、空を、地を、水上を、駆けることができる。」
そう言うと、身につけた衣を銀色に輝かせながら、若者の体は、宙を、地を、水上を、疾走した。そして、少しの疲れも見せず、元の場所に降り立った。
「俺は、時を超えることができる。」
その言葉の終わらぬうちに、若者の姿は消え、再び現れた。そして、懐から古代ローマの刀剣を、ペルシアの装飾品を、二十三世紀風の金属器を取り出してみせた。
「俺は、火を、光を、駆使して、町を焼き払うことができる。」
若者の右手の火器がきらめき、町は焼けた。
「私には、そなたのような奇跡を行うことはできない。私が宇宙そのものなのだ。私は、空だ、地だ、水だ、火だ、光だ。」
老人は、静かにそう言った。老人の目は、確かに宇宙のように深く、宇宙のように重く、宇宙のように気高く、宇宙のように優しかった。老人は、確かに宇宙そのものであった。全であった。老人は空で、地で、水で、火で、光であった。それらのいずれかではなく、すべてであった。
「俺が神だ。俺は生命を創ることができる。合成のDNAと、タンパク質とアミノ酸の芸術的結合によって、思い通りに。」
若者は、そう言って、自分の作品を見せた。それは確かに、紛れもない人間の少年であった。栗色の柔らかい髪、利口そうに青く澄んだ瞳の輝き、悪びれず物怖じしない愛くるしい眼差し、透きとおるほどなめらかな頬、知的に締まった口元、華奢な首筋、しなやかな肢体、あどけなさとたくましさの微妙に入り交じった少年の美しさは、老人をして、つい微笑ませずにはおかなかった。おお、実に、少年の美しさは匂うばかりで、神々しくさえもあった。
「おお、愛すべき私の新しい息子よ、生きよ。」
老人は、穏やかに、しかし力強く言った。少年は、目を閉じ、そして敬虔に、老人の足下にひざまづくのだった。老人は、少年の髪を、頬を、なでやりながら、低い声で続けた。
「私は、生命を導くことをする。産まれんとするものを生み、育たんとする者を育て、生きんとする者を、そう導いてやる。彼らの意志は、私の声を受け入れしたがう。そして彼らは、できうる限り自己に忠実に、生きることができた。かつては彼らの仲間であったそなたを除いては。そなたは、すでに久しく私の声を聞こうとはしなかった。」と、悲しそうに若者を見やって。
「俺は神だから、俺の意こそ絶対だ。俺が神だ。」
「否。私が神だ。ーーーいや、それはどうでもよいことだ。しかし、とにかく、そなたは私の息子だ。」
「俺が神だ。俺は生命を消し去ることができる。」
若者の右手の「分解器」がきらめき、少年の姿は消えた。
「私は自ら滅びようとする者を滅ぼすことはする。しかし、自ら生きようとする者は、[以下数文字解読不能]」
[解読不能]とともに少年は蘇った。ますます美しく、そして健康であった。
「俺が神だ。俺はあなたを消すことができる。ほら、こんなに簡単に。」
若者は、首の十字架(クロス)を地にたたきつけた。すると、老人の姿は、若者の目前から消えた。若者の勝ち誇ったような高笑いが響いてやみ、索漠とした静寂に身震いしたとき、若者は聞いた。地底からの、それとも天空からの、久遠(くおん)からの、否、刹那(せつな)からの、彼方からの、否、耳元での、嗚呼!若者の心の奥底からの、重く響くような老人の声であった。
「私の実在は、そなたにとっての他の現象の如くには、そなたの認識に負うてはいないのだ。そなたが如何に否定しようとも、私はまさしくこうして在る。そなたにとっては、私はそなたの在る限り在るであろう。そしてまた、私は全に対しては、いつも、あるいはいつでも、在るであろう。」
その声は威厳に満ちて、地鳴りの如く、山鳴りの如く。海鳴りのごとく響いた。
「俺が神だ。その証拠に、決してあなたにできない業(わざ)を見せよう。俺は自分を消すことができる。」
そう言って、若者は死んだ。
ゆがんだ唇に、薄ら笑いを浮かべて。
「息子よ。私の元に帰れ。」
と、老人は優しく招いた。
しかし、見よ。天界に導こうとする天使(えんじぇる)の手を振り払って、若者の魂は地に潜った。
「おお、確かに、そなたは神であったよ。」
と、老人は首を振り、哀しく笑んだ。
[了]


今日の付録は、昨日の散歩で会った鳥の続きです。

ツグミ。

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ムクドリ。
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 シロハラ。

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セグロセキレイ。

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おしまい。
 

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YUTAじい

おはようございます。
10.000nice! 達成おめでとうございます!
by YUTAじい (2015-02-09 08:24) 

kazg

YUTAじい 様
ありがとうございます。
まだまだ駆け出しで、しかも稚拙なブログですのに、たくさんの温かいniceをいただき感謝です。これを励みに、さらに精進いたします。
by kazg (2015-02-09 09:26) 

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