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昨日の「今日の暦」ーーー3月10日のえとせとら [今日の暦]

 「今日の暦」のカテゴリーに入れましたが、3.11の震災・津波・原発被害の件ではなく、一日遅れの話題になります。

昨日のうちに、二つほど、書きたい題材があったのですが、早朝出勤して根を詰めたデスクワークを済ませ、帰途確定申告に行き、そのあとちょっとした夜の会合という一日で、少々くたびれて、パソコンに向かう気力がありませんでした。

仕事の方は、根を詰めた甲斐あって、いくらか先の見通しが立ってきて、あとわずかで今年度の(今の職場での)仕上げにかかれそうです。達成感、成就感はと問われると、いささか忸怩たる思いが残りますが、まずは無事に、休みもせずに勤めおおることができたのは、ありがたいことでした。

確定申告は、家のパソコンで、国税庁ホームページの導きのままに書面を仕上げて印刷し、添付資料も整えて持参したのですが、受付案内の方に「提出ですか?」と訪ねられましたので、やや心許ない点もあるのでチェックして欲しいと申しますと、待ち時間2時間ほどといわれました。待つか提出するかは自身の判断に委ねるとのことでした。

郵送しないで、折角出向いて来たので、乗りかかった舟で、待つことにしました。退屈な時間待ちの間、読む本くらいは携えておくべきでした。

また、世の人は多く、スマホやタブレット端末をお持ちで、こんな時の気紛らわしには有用だろうなあと思えました。





いつも、カバンの片隅に突っ込んでいるキングジムの「ポメラ」を引っ張り出して、記事の下書きでも試みようとしたところ、トホホの 電池容量低下の表示。残念。

 

キングジム デジタルメモ 「ポメラ」DM25 DM25

キングジム デジタルメモ 「ポメラ」DM25 DM25

  • 出版社/メーカー: キングジム
  • メディア: エレクトロニクス

 

 

 

 

というわけで、とりとめのない『瞑想』の時間の末に整理番号順の呼び出しが進み、1時間を超えたあたりでわたしの番がやってきました。

担当の方に書類を点検していただくと、ノープロブレムで点検終了。提出窓口に移動して、書類を提出・申告が終了しました。

努力の甲斐あって、ン千円の還付金がいただけるようですが、駐車料金が600円。時間つぶしの間に飲んだ缶コーヒーとペットボトルのお茶が300円弱。これに往復のガソリン代、書類作成と移動のための私自身の労力に、相応の時給を支給するとすると・・・これは果たして得なのでしょうか?という疑問は消えませんが、とにかく一仕事終わったすっきり感はありました。と同時に、どっと疲れが、、、。

 さて本題です。

昨日の「今日の暦」の二つの話題とは?

一つは、童話作家松谷みよ子さんご逝去のニュース

もう一つは、東京大空襲70周年

松谷みよ子さん については、この公式ホーページが詳しいですが、ウィキペディアの記事を借用して、主な作品を一覧してみます。

 

作品リスト


『松谷みよ子の本 別巻ー松谷みよ子研究資料』(講談社 1997年)「松谷みよ子全著作目録」に詳しい。


1950年代


  • 『貝になった子供』須田寿絵, あかね書房、1951 のち角川文庫
  • 『かきのはっぱのてがみ』いわさきちひろ絵 泰光堂(ひらがなぶんこ) 1956
  • 『ぞうとりんご』田代ともえ等絵 金の星社 1956

1960年代


  • 『ひらかな童話集』戸田綾子等絵 金の星社 1960
  • 『きつねのよめいり』瀬川康男絵 福音館 1960年 月刊絵本こどものとも53号、のち「こどものとも 傑作集」(1967年)
  • 『龍の子太郎』久米宏一絵 講談社、1960 のち文庫
  • 「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズ(全6巻)(講談社) -

  • 『茂吉のねこ』三十書房 1964 のち偕成社文庫
  • 『まえがみ太郎』福音館書店 1965 のち講談社文庫
  • 『ふうちゃんの大旅行』小峰書店、1966
  • 『てんにのぼったげんごろう』偕成社 1967
  • 『いないいないばあ
    』(瀬川康男絵 あかちゃんのほんシリーズ) 童心社 1967
    • 同じシリーズに『いいおかお』(瀬川康男絵 1967)、『あなたはだあれ』(瀬川康男絵 1968)、『もうねんね』(瀬川康男絵 1968)、『のせてのせて』(東光寺啓絵 1969)、『おさじさん』(東光寺啓絵 1969)、『おふろでちゃぷちゃぷ』(いわさきちひろ絵 1970)、『もしもしおでんわ』(いわさきちひろ絵 1970)

  • 『ジャムねこさん』大日本図書 1967 のち講談社文庫
  • 『コッペパンはきつねいろ』偕成社、1968
  • 『ふたりのイーダ 直樹とゆう子の物語』講談社、1969 のち文庫
  • 『むささびのコロ』童心社 1969
  • 『おひさまどうしたの』あかね書房 1969

1970年代


  • 『ちびっこ太郎』フレーベル館 1970 のち講談社文庫
  • 『日本の伝説』全5巻 講談社 1970 のち「日本の昔ばなし」として講談社文庫、「日本の民話」として角川文庫
  • 『おおかみのまゆ毛』大日本図書 1971 のち講談社文庫
  • 『オバケちゃん』講談社 1971 のち文庫
  • 『木やりをうたうきつね』偕成社 1971
  • 『センナじいとくま』童心社 1971
  • 『まこちゃんしってるよ』講談社 1971
  • 松谷みよ子全集』全15巻 講談社 1971-72
  • 『たべられたやまんば』講談社 1972
  • 『朝鮮の民話』全3巻 太平洋出版社 1972
  • 『さぶろべいとコブくま』童心社 1973
  • 『お月さんももいろ』ポプラ社 1973
  • 『つとむくんのかばみがき』偕成社 1973
  • 松谷みよ子のむかしむかし』全10巻 講談社 1973
  • 『つつじのむすめ』あかね書房 1974
  • 『黒いちょう』ポプラ社 1975 のち講談社文庫
  • 『水のたね』講談社 1975
  • 『死の国からのバトン 直樹とゆう子の物語』偕成社 1976
  • 『千代とまり』講談社 1977
  • 『てんぐとアジャ』岩崎書店 1978
  • 『私のアンネ=フランク 直樹とゆう子の物語』偕成社 1979 のち文庫

1980年代


  • 『いたちのこもりうた』ポプラ社 1981
  • 『一まいのクリスマス・カード』偕成社 1982
  • 『おかあさんのにおい』講談社 1982 その他、ふうちゃんえほんシリーズ
  • 『鯉にょうぼう』岩崎書店 1983
  • 『ぼうさまになったからす』偕成社 1983
  • 『あの世からのことづて』筑摩書房 1984 のち文庫
  • 『おときときつねと栗の花』偕成社 1984
  • 『現代民話考』全5巻 立風書房 1985-86 のちちくま文庫
  • 『キママ・ハラヘッタというヒツジの話』偕成社 1985
  • 『鯨小学校 おじさんの話』偕成社 1986
  • わたしのいもうと味戸ケイコ絵 偕成社 1987
  • 『とまり木をください』筑摩書房 1987
  • 『現代民話考 第2期』全3巻 立風書房 1987 のちちくま文庫
  • 『戦争と民話 なにを語り伝えるか』岩波ブックレット、1987
  • 『屋根裏部屋の秘密 直樹とゆう子の物語』偕成社 1988 のち文庫
  • 松谷みよ子全エッセイ』全3巻 筑摩書房 1989

1990年代


  • 『小説・捨てていく話』筑摩書房 1992
  • 『あの世からの火 直樹とゆう子の物語』偕成社 1993
  • 松谷みよ子の本』全10巻 講談社 1994-96
  • 『現代民話考』9-12 立風書房 1994-96 のちちくま文庫
  • 『りえ覚書』筑摩書房 1994

  • 『ベトちゃんドクちゃんからのてがみ』童心社 1991

2000年代


  • 『現代の民話 あなたも語り手、わたしも語り手』中公新書 2000 のち河出文庫 
  • 『読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話』筑摩書房 2002 のち文庫 
  • 『若き日の詩』童心社 2003
  • 『異界からのサイン』筑摩書房 2004
  • 『民話の世界』PHP研究所 2005 のち講談社学術文庫 
  • 『自伝 じょうちゃん』朝日新聞社 2007 のち文庫 

共編著


  • 『むかしむかし』与田準一,川崎大治共編 童心社 1966
  • 『日本の民話 第10 秋田の民話』瀬川拓男と共著 未来社 1958
  • 『狐をめぐる世間話』(共編) 青弓社 1993
  • 『福岡県筑後ん昔ばなし』松谷みよ子民話研究室共編 1998
  • 『怪談レストランシリーズ』怪談レストラン編集委員会著(責任編集) 童心社, 1996- ※アニメ版では原作者の1人としてクレジット。

印象深い作品がずらりと並びます。

松谷さんには、地方に伝わる昔話を採話して、記録した作品群が多数あります。

公式ホームページでは、長女瀬川たくみさんが、「採訪とは、聴き手が全国を廻り、語り手の話を実際に聴きながらノートに写していく作業でした。」「『採訪』で集めた昔話を作家力で話を膨らませていく作業が、『再話』です。」と書いておられます。

その『再話』作品として、まず頭に浮かぶのは「竜の子太郎」でしょうか?

龍の子太郎(新装版) (児童文学創作シリーズ)

龍の子太郎(新装版) (児童文学創作シリーズ)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/07/13
  • メディア: 単行本

そのほかに、私の記憶を探って、特筆すべき作品と言えば、これですか。


おおかみの眉毛 (1978年) (講談社文庫)

おおかみの眉毛 (1978年) (講談社文庫)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1978/09
  • メディア: 文庫


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表紙の絵にあるように、心やさしい 貧しい娘が、山の神から貰ったおおかみの眉毛は、それをかざして人を見ると、人の本性が見えます。見た目は立派でも心のゆがんだ悪人は、邪悪な妖怪の姿に見え、心の綺麗な善人は、そのまま人間の顔に見えるのです。

その眉毛のお陰で、天涯孤独のか弱い娘は、悪人だまされてひどい目に会わされることもなく、無事、幸せに暮らすことができます。あるとき、娘は、誠実ですてきな若者と出会い、お互いに心引かれます。
娘は、おおかみの眉毛を捨てて、自分の心のままに若者の愛を受け入れます。「真実の愛」を確かめるためには、自分で悩み、自分の心を磨くことが大切だと気づいたからでしょう。
うろ覚えですが、確かこんなお話だったと思います。

子どもが「民話」を語ってもらったり、読み聞かせて貰って楽しむ年齢になるよりもっと前の、ゼロ歳児を対象にした絵本も、松谷さんの真骨頂といえるでしょう。


いないいないばあ (松谷みよ子あかちゃんの本)

いないいないばあ (松谷みよ子あかちゃんの本)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 童心社
  • 発売日: 1967/04/15

 

 

 


 

 

 

 


この「おふろでちゃぷちゃぷ」も「あかちゃんのうた」も、童画家いわさきちひろさんとのコラボです。

このお二人の共作は多数あり、いずれも子どもたちにとって懐かしくやさしい思い出の作品となったでしょう。

松谷みよ子さんも岩崎ちひろさんも、子どもの幸せを願う思いから、最大の暴力、人々にとっての最大の不幸のもとである戦争に反対し、平和を求める立場を鮮明に掲げた人でしたね。松谷さんは子どもの本九条の会の呼びかけ人、代表団にも名を連ねていらっしゃいました。

 

 この作品は、ヒロシマの原爆を題材に取っています。

ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)

ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1980/11/10
  • メディア: 新書

 

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/07/13
  • メディア: 単行本

 この作品は、松山善三監督で映画化もされました。

倍賞千恵子、森繁久彌、高峰秀子、 山口崇、など、豪華で懐かしいキャストでした。

被爆して死んだ少女(イーダ)を何十年も待ち続ける椅子の声を、宇野重吉さんが演じています。

二つめの話題、東京大空襲。

1945(昭和20)年3月10日未明、米軍の約300機のB29爆撃機による空襲により、都内で26万戸以上の建物が焼け、100万人以上が罹災、およそ10万人が犠牲となりました。

3月10日付のyahoo!businessに、「きょう3月10日は東京大空襲から70年、東京都復興記念館で戦災を学ぶ」という詳細な記事が2ページにわたって掲載されています。

そこで、紹介されている「東京大空襲」から70年 どんな空襲だったのか 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語 という記事を引用させていただきます。

今の墨田、江東、台東区など下町地区を対象として行われました。本来、爆撃の目的は軍需拠点の破壊ですが、町工場が点在し、有効な拠点攻撃が難しい
という点を踏まえて、道路などのインフラもまとめて破壊し尽くすというエリア爆撃を採用しました。午前0時から約2時間、300機以上のB29が飛来して
約10万人の死者を出したのです。

 この攻撃の主な特徴は夜間に、凄い数の爆撃機が、超低空からもっぱら範囲を焼き払うのに徹したという点です。米軍は攻撃地域を事前に十分に研究
し、関東大震災のケースも踏まえて何よりも木造家屋が多いので「火」に弱いと確信し、日本の家屋用に開発したM69焼夷弾を圧倒的な量投下しました。都市
を焼き尽くす作戦と言ってもいいでしょう。



 狙いはズバリと当たり、死者数の約10万人は奇しくも関東大震災の被害と匹敵します。墨田区と江東区に一番大きな被害が出ました。当時は北西の強
風が吹いていたために、燃えさかる炎同士が合流して大火災を生み出しました。亡くなった方の多くは焼死や窒息死です。難を逃れようと隅田川や荒川に飛び込
んだまま溺死した人も大勢いました。被災家屋は約27万戸。通常兵器を用いた単独の空襲で記録された死者数は世界最大です。



 真夜中に突然、とんでもない量の火災のみを目的とした焼夷弾が低空から密集地帯にばらまかれたのですから阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。死者の
7割が身元不明で、65%が男女の区別すらつかなかったとされているのを考えるだけでも、いかに凄惨な状況であったかわかります。焼失面積は東京ディズ
ニーランドの約80倍です。


 この残虐な空襲を指揮したのは、米海軍のカーチス・ルメイ将軍でした。のちのベトナム戦争では、空軍参謀長として、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した人物でした。

1964年航空自衛隊創立10周年に来日した彼に、こともあろうに、日本政府は、航空自衛隊の戦術指導に対する功績を称えて勲一等旭日大綬章を授与したのでした。これが象徴するように、長期にわたって政権に君臨する日本の歴代保守政権は、東京大空襲を初め、その後日本全国に及んだ空襲・空爆(わが岡山市は、6月29日未明、空襲を受け、市内が焦土と化しました)と、その極致としてのヒロシマ・長崎の原爆投下による被災について、その真相を明らかにすることに消極的です。

他人を恨まないサムライ精神の美徳なのか、それともジャイアンの無法を、常に無条件に賞賛受容するスネ夫精神の発露なのか?

ご自身の体験と、綿密な取材をもとに「東京大空襲」(岩波新書)、「東京が燃えた日―戦争と中学生」などの著者で、作家・児童文学作家の早乙女勝元(さおとめ
かつもと)さんは、12歳でこの大空襲を経験されました。
3月10日付の朝日新聞デジタルが、近影とともにインタビュー記事を掲載していました。

政府・行政当局が消極的ななか早乙女さんは「東京空襲を記録する会」を結成し、東京大空襲の惨状を掘り起こし次世代に語り継ぐとりくみに中心的役割を果たしてこられました。この「東京空襲を記録する会」を母体に、2002年、「東京大空襲・戦災資料センター」が東京都江東区にオープンし、とりくみを継続しています。

江東区と言えば、大空襲の被害が最も大きかった地帯の一つです。私も若い頃、ホンの一時期、江東区の下町に住んでいたことがありました。 よちよち歩きだった子ども二人を遊ばせた公園にも、黒く焼け焦げた遺体がうずたかく積まれたと記録されており、ゆるがせにできない身近な出来事と感じたことでした。

東京が燃えた日―戦争と中学生 (岩波ジュニア新書 (5))

東京が燃えた日―戦争と中学生 (岩波ジュニア新書 (5))

  • 作者: 早乙女 勝元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/06/21
  • メディア: 新書

 

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775) 

東京大空襲―昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

  • 作者: 早乙女 勝元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1971/01/28
  • メディア: 新書

 


 

 


 

昔、学生時代にも、職に就いてからも、何回か、早乙女勝元さんの講演を聞いたことがあります。

そのことは、以前、1977年9月に横浜で起きた米軍機墜落事件について書いた一昨年9月28日付けのこの記事 でも触れました。

そのタイトルが、「昨日の『今日の暦』---『パパママバイバイ』のこと」、相も変わらず安直なネーミングで、お恥ずかしい。

その記事の終わりの方でチラリと触れた、高知選出の衆議院議員(日本共産党)故山原健二郎さんの命日が、2004〈平成16〉年3月8日でした。

山原健二郎さんについては、去年の1月25日付の「沖縄の方々の気持ちにより添うってどういうこと??」というタイトルの記事 でも書きました。
その日カーラジオから流れてきた安倍首相の施政方針演説の中の「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら」という言葉が、ひどく白々しく聞こえたのが、その日の記事の発端でした。奇しくも今日、東日本大震災四周年追悼式 での安倍さんの「式辞」を、カーラジオで聞きました。

一部を引用します。

被災地に足を運ぶ度、復興の槌音が大きくなっていることを実感します。高台移転、被災者向けの住宅の事業は着実に前進し、復興は新たな段階に移りつつあり
ます。しかしながら、今なお、原発事故のために住み慣れた土地に戻れない方々をはじめ、23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られています。新しい生活
をスタートさせた方々も、生活環境への適応など、御苦労は絶えません。健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、さらに復興を加
速してまいります。 

 

上の施政方針演説にたいしては、「ソフトタッチで、一般国民の日常に根ざしたささやかな喜怒哀楽の心情にも配慮しつつ、レトリック的にも論理と情緒の均衡において破綻の少ない、ソツのない演説とお聞きしました。」という感想を述べた私でしたが、「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら」という言葉への違和感は、ひどく気になりました。そしてまた今日の、「被災された方々に寄り添いながら」というコピーアンドペーストで作文したかのような安直なフレーズ。この方は、こんな風に、手軽に、空虚で、実のない言葉遣いを、何らのやましさも感じることもなく、振りかざすことのできる方なのだなあと、しみじみ感じました。

と書きながらふと思いついて過去の式辞を確かめてみましたら、

2013年
 持てる力の全てを注ぎ、被災者に寄り添いながら、一日も早い被災地の復興、被災者の生活再建を成し遂げるとともに、、、

 とおっしゃっていました。
「寄り添う」「丁寧に説明する」 というフレーズが、ひょっとしたら安倍さんの口癖なのかも知れませんが、その言葉が羽毛よりも軽く聞こえるのは、私の気のせいでしょうかね。


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