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堅強なる者は死の徒、柔弱なるものは生の徒なり、の巻 [時事]

テレビに取り付けた録画用hddに、番組が自動で録画される仕組みになっています。自分で設定した記憶がなくても、ある種の連続ドラマ番組を録画しているらしい。
「相棒」は自分で予約した覚えがあります。
最近、まとまったリラックス時間が少なくて、滅多に録画番組を観る機会がありませんが、梅雨入り後、雨に降り籠められたつれづれに、録画番組をチェックしてみました。
「ロクヨン」という、内容をイメージしづらい題名のドラマが、五回ほど録画されています。確かめてみると、四月一八日から五週連続で放送された、NHK土曜ドラマのようです。何気なく見始めてみましたら、緩やかなテンポで展開する長編小説のような、あるいはちょっと古風な本格映画のような筋の運びです。
地味で、際だつのものがないD県という、架空の地方が舞台で、その県警広報官という、これまた地味な役柄の男が主役。
演じるのは、ピエール瀧さん。わたしは、ミュージシャン、マルチタレント、俳優という肩書きを持つこの方を、あいにくこれまで存じ上げません(ずぶの素人ぶ
りが露見しますが)でした。最近は、『龍馬伝』、『軍師官兵衛』、朝ドラの『おひさま』、『あまちゃん』に出演されたり、『アナと雪の女王』で雪だるまの
オラフの声を演じたりの活躍ぶりとのこと、後で知りました(汗)。
デスので、演者のお名前も知らないまま、その存在感に引かれて、結局数日かけてドラマを見終えましたが、見応えがありました。
なんと、原作はあの「クラオマーズハイ」の横山秀夫さんだそうです。そういえば、本屋で原作本を見かけたような気がしますが、最近まともな読書から遠ざかっていて、まったく文学・文化の流れに疎くなってしまっております。
NHKのこのサイトに詳しい番組紹介があります。
近々、佐藤浩市さん主演で映画化も予定されているそうですね。
さて、ところで、今日の記事のテーマは、この「ロクヨン」というドラマの紹介や感想記事を意図するものではありません。
ここまでは、導入、落語で言うところの「マクラ」でした。
上記のNHKサイトに、番組の見所がこんな書き出しで紹介されています。
 D県警の広報室と記者クラブが、加害者の匿名問題で対立する中、時効の迫った重要未解決事件「64( ロクヨン)」の被害者遺族宅への警察庁長官視察が1週間後に決定した。
わずか7日間で幕を閉じた昭和64年に起きた、D県警史上最悪の「翔子ちゃん誘拐殺人事件」。
今日の話題は、「わずか7日間で幕を閉じた昭和64年」について。
そういえば、この年の1月は、この話題で持ちきりでした。
私のブログの過去のこの記事でも述べましたが、当時、高校生に向けた学級通信で、こんなことを書いたことがありましたっけ。
あー またこの二月の月か きた
ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる
めかねかくもる 

 一九六一年、八八才で亡くなった小林セキさんの遺品の中から、上のようなたどたどしい鉛筆がきの、一枚の紙片が見付かった。解読すると、次のような意味になるのだろう。

ああ、またこの二月の月が来た
本当に、この二月という月が、
いやな月、声を一杯に泣きたい
どこへ行っても泣かれない
ああ、でも、ラジオで 少し助かる
ああ、涙が出る
眼鏡が曇る

 
小林セキさんとは、「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二のお母さんだ。読み書きのできない小作農の娘として育ったセキさんは、五七才の
手習いで、「いろは」から字を習い始めたという。一九三〇年“治安維持法違反”で投獄された我が子・多喜二に、自分で手紙を書きたい一心で。
 翌三一年、出獄後に書いた作品「独房」の中で、多喜二は、主人公にこう語らせている。
 
「俺達はどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、ほれてはならないそうだ。月を見ても、もの思いにふけってはいけないそう
だ。母親のことを考えてメソメソしてもならないそうだーーー人はそういう。だが、この母親は、俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を
買っておいて、今日は帰って来る、明日は帰って来るといって、食べたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺はこ
こへ来てから、そのことを小さい妹の、仮名交じりの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声を立てずに泣いていた。」

 
治安維持法を振りかざす天皇制政府・軍隊・警察権力は、「国体」の変革、すなわち絶対主義天皇制から民主主義への変革の志向を“最悪の罪”とみなして、死
刑を含む重刑と凶悪なリンチによっていっさいの民主的・進歩的運動と言論の封殺をはかった。(そして、その歩みの先には、無謀な侵略戦争が待ち受けてい
た。)
 この弾圧を逃れるため、地下活動(非公然活動)に入って執筆活動を続けていた多喜二は、詩人今村恒夫と共に特高警察に捕らえられた。そし
て、激しい拷問によってその日のうちに殺害され、変わり果てた姿となって母親と再会することになった。一九三三年二月二〇日のことだった。
 
 
検察当局は、死因を心臓麻痺と発表。遺体の解剖を妨害し、二二日の通夜、二三日の告別式の参会者を片端から検束し、火葬場まで警戒を解かなかった。通夜に
供えの花をもって行き杉並署に検束された作家・宮本百合子は、「(小林多喜二のところへ来た人達で)留置場は一杯になっていた。少なくとも、女の室は満員
だった」と記している。 遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家・江口渙は、通夜の席でのお母さんの姿を、次のように書きとどめている。
 「こみあげてくる悲しさに耐え切れなくなったものか、お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。
 
『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だで
や。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるの
がーーーああ痛ましや。』
 お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、
 『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と前身の力をふりしぼるような声でさけんだ」

 それから、三十年近くも、毎年毎年、二月が来るたびに、眼鏡を曇らせて悲しみにくれた老母の無念を、私は思わずにはいられない。ああ、またこの二月の月が来た。
 奇しくも今年の二月、しかも多喜二忌の直後に、昭和天皇の「大喪」とやらが、百億円の巨費を投じて国家的行事として催されると言う。数十万人にのぼる治安維持法犠牲者、そして、無数の多喜二の母たちにとっては、複雑な思いの二月となることだろう。

それから長いこと経って、平成生まれの最初の子ども達を担任したとき、大学へ送る調査書だか推薦書への記入内容について、大学の事務局から問い合わせがあったことがありました。いわく、「この生徒の生年月日は、平成元年なのか昭和64年なのか、どちらが正しいのですか?」
印象深かったので、平成元年の話題が出ると、その生徒の顔と名前思い出します。大学卒業後、今は、小学校の教師をしています。
「平成」という年号と、額を掲げてそれを発表する小渕恵三官房長官の姿は、国民の目に焼き付いていますね。ドラマ「ロクヨン」でも、このシーンの実写版が、再三流れました。それを見ると、小渕サンお若い、という印象が残りますね。1937年昭和12年)生まれと言いますから、当時五〇歳を出たばかり。お若いはずです。
一方、現官房長官=菅 義偉(すが よしひで)氏はというと、1948年生まれの66歳と言いますから、相応の年齢を感じるのも致し方のないところでしょうか?イヤ、それにしてはお若いと言うべきか?
ところで、若いということは柔軟ということのはず。(実年齢ではなく、心のあり方のことでしょうけれども。)その点、菅サン、相当柔軟さを欠いてやいませんか?
古代中国の思想家「老子」に次のような文章があります。
 【原文】
人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。

【書下し文】

人の生まるるや柔弱(じゅうじゃく)、その死するや堅強(けんきょう)なり。万物草木(ばんぶつそうもく)の生まるるや柔脆(じゅうぜい)、その死するや
枯槁(ここう)なり。故に堅強なる者は死の徒(と)にして、柔弱なる者は生の徒なり。ここを以(も)って兵強ければ則(すなわ)ち勝たず、木強ければ則ち
折る。強大なるは下(しも)に処(お)り、柔弱なるは上(かみ)に処る。(76章)

【地方のオッサン語訳】
人間ゆうもんは生まれたばぁのときは柔らこうて弱ぇもんじゃ。
その人間が死ぬるときはガチガチに硬うなろうが。
なんでもかんでも、草でも木でも、生まれたばぁのときは、柔わらこうて脆(もろ)ぇもんじゃ。
せえが死ぬるときは枯れて堅くなる。

じゃあけん、堅うて強ぇもんは死の仲間じゃ、
柔らうて弱ぇものは生の仲間じゃがな。
へえじゃあけん、軍隊が強えと、その国はしまいにゃあ負けて滅びてしまうんじゃ。木でも、堅く強え木は、かんたんにぽっきりと折れしまおうがな。
じゃあから、よう言うとくで。
強うて大けえもんは、ランクで言うたら下じゃ。
柔らこうて弱ぇもんが、上じゃ。
それが道理言うもんじゃで。

菅サンの異常なまでの強硬さ、かたくなさは、ご自身の年齢のせいとか、個人の性格とかいうことではなく、政権自体の末期の症状なのではありますまいか?
根拠もなしに、印象でレッテルを貼る、と見られては心外ですので、一つだけ、具体的な例を上げておきますよ。
6月4日に開かれた衆議院憲法審査会で、今国会で安倍さんが成立を急いでいる安保法制について、参考人として招かれた3人の憲法学者全員が違憲と断言、というニュースがありました。
中でも、そのうちの一人、長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授は、自民党と公明党、次世代の党が推薦した憲法学者です。
各紙の記事が、web上にも掲載されていて、読めば読むほど、気持ちが千々に乱れます。
東京新聞
毎日新聞l
朝日新聞
産経新聞
自党が推薦した方も含めて、招致した憲法学者全員から「安保法制」へのレッドカードを突きつけられた形の安倍内閣。
ところが、直後の記者会見で、菅官房長官は、こんな強弁を弄しています。

「憲法前文、憲法第13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和を維持し、その存立をまっとうするために必要な自衛措置を禁じられていない」
「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」 


ここで素朴な疑問があります。
○参考人質問というのは、何のために行われたのでしょう。専門家の意見を聴いても、あらかじめ持っている自説を吟味し直すこともしないのでは、時間の無駄、
予算の無駄、エネルギーの無駄、ではないですか?それより何より、招いた参考人に大してこの上なく無礼な、態度ではないですか?
○「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」とおっしゃるの なら、なぜそのような「著名な憲法学者」をお呼びしなかったのですか?自党が推薦した参考人からもレッドカードを受けるという事態は、とてもとても信じられません。
○自党が推薦して招致した長谷部先生は、以前から、集団的自衛権の行使は意見と主張しておられた方。そうと知って推薦したのなら、意見に耳を傾けるのがスジというものでしょう。
○対立する意見の持ち主をも尊重する姿勢を示して、度量の大きさを演出しようとなさったのですか?だとすれば、、意見に率直に耳を傾けるのではなくて、狭量に自説の固執したのでは逆効果でしょうが。
○対立する意見の方でも、いざ政府側参考人として招致すれば、立場をわきまえて、主張をゆるめるだろうと高をくくったのですか?真理にのみ忠実であるはずの学者の誇りを、軽く見くびっ手おられたのですか?
○それとも、「参考人質疑」そのものを軽視する立場から、その方がどういう学問研究をなさっていて、どのような学説を立てておられるかも考慮に入れず、漠然
とした「親近感」(90年代に自衛隊合憲論を唱えたり、2013年12月成立の「特定秘密保護法」に賛成を表明するなどの姿勢から政府寄りとの印象があっ
たのでしょうか?)をもとに、安直に人選しただけ?

民主推薦の小林 節(こばやし せつ)さんも、以前から「改憲派」の論客として知られていますが、「憲法は権力者を縛るもの」という「立憲主義」の立場を貫き、「集団的自衛権の行使を解釈変更で認めてしまった現政権に、憲法改正はゆだねられません」と語る、気骨ある学者さん。その小林氏は審査会後、「日本の憲法学者は何百人もいるが、
(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ」と喝破されたそうです。痛快ですな。

そういえば、憲法研究者のグループ百七十一人が三日、安倍安保法制は違憲だとして、廃案を求める声明を発表されたばかり。

確かに世の中には、何ものにも目を曇らされない「素人感覚」が、ずばり真理を見抜くこともしばしばあります。「裸の王様」の子どもがそれでしょう。

反面、専門家にとって自明の真理を、怠慢なるが故に学ぼうともしない「ど素人」が、たまたま「強権」を持ったが故に、専門家をないがしろにして、甚大な被害を歴史に及ぼす事例も、残念ながら多いことです。

古くは秦の始皇帝(ふる-!)、はたまた、ガリレオ・ガリレイへの宗教裁判、間近くは毛沢東と紅衛兵の「文化大革命」、目を西に転ずれば、アドルフヒットラーとそのユーゲント、五〇年代アメリカのジョセフ・マッカーシー、はたまたスターリンの恐怖政治、いずれも、無知蒙昧のど素人が、その支配欲の促すままに、学問、科学、芸術などなど、専門外の万事についても手出し口出しして、歴史にむごい傷跡を残したものでした。
しかし、いかに暴虐無道の恐怖政治といえども、道理と民心を顧みない政治に未来はなく、いずれも時を経ずして跡形もなく滅び去ったのは、周知の通りです。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 (平家物語)
望むらくは、害ができるだけ少ないうちに、速やかにご退場願いたいものです。

写真は今日の紫陽花。
咲きはじめの「柔弱」「柔脆」そのものの姿です。







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yakko

お早うございます。お越しいただきありがとうございます。♩
by yakko (2015-06-07 06:23) 

doudesyo

おはようございます。
私のHDDビデオも自動録画しています。思わぬものが録画されたりしているので楽しんだりしますがほとんど無駄なものが多いかなあ。そんな中でいい番組と出会えるとラッキーですね。^^;
by doudesyo (2015-06-07 09:19) 

majyo

今日は偶然、スイカの写真を撮りました。まだ小さいけれど・・・
多喜二のお母さんのスイカの話、分かります!
今日こそ、明日には・・・そう思っているうちに腐ってしまった

今は公安ですが、その昔の特高と言ったら あらゆる事が行われました。
命を落とした方は数知れずだと思います。

菅さんの解説、なるほどと思いました。
政権末期である事を願います
アジサイの写真がなぜかホッとします。まだ柔弱ですが


by majyo (2015-06-07 21:30) 

kazg

yakko様
こちらこそありがとうございます。
牧野先生の図鑑は持っていますが、植物園は大昔、五台山のついでに、素通りしただけです。
by kazg (2015-06-07 22:38) 

kazg

doudesyo 様
自動録画、仕組みがよくわかりません。親切というかお節介というか、、。容量も食いますし。でも、まれに拾いものがあれば、よしとしましょうか・、
by kazg (2015-06-07 22:45) 

kazg

majyo 様
わが家の畑にも、久しぶりに見ると、スイカが小さな実をつけていました。私は田舎育ちで、自宅でも、友人宅でも大抵栽培していましたが、それでも、嬉しい貴重品だった記憶があります。
by kazg (2015-06-07 22:50) 

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