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もう一つの「今日は何の日」 [今日の暦]


今日は夏至。
一年中で最も昼間が長い日です。
例年は、6月21日頃が多いようですが、今年の夏至は、今日6月22日。
夏至についての蘊蓄は、去年のこの記事この記事でも書きましたので、今日は割愛して、もう一つの『きょうは何の日?」についてのお噂です。

1945年の今日は、「水島空襲(みずしまくうしゅう)」の日です。
ウィキペディアの記述を引きます。

水島空襲とは、第二次世界大戦末期の1945年6月22日早朝におこったアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB29による岡山県浅口郡連島町・児島郡福田村(現在の倉敷市水島)臨海部への空襲(戦略爆撃)のことである。
【中略】
当時の水島航空機製作所では、日本海軍の一式陸攻や紫電改を生産しており、米軍が日本の軍需産業を破壊する目的で行った空襲であった。
【中略】


倉敷市福田町古新田の水島緑地福田公園には1990年に「平和の鐘」が設置されている。これは倉敷市が1986年9月18日に平和都市宣言をしたのにちな
んで設置されたものであり、水島空襲が始まった6月22日午前8時36分に市民が平和を祈って鐘を打ち鳴らす。 

これは、日本全土を連続的に蹂躙した本土空襲の一環であり、同じウィキペディアの記事によれば、6月だけでも、次のような都市が絨毯爆撃にさらされています。
 
  • 6月1日 尼崎空襲 死者231人。奈良空襲
  • 6月10日 日立空襲 死者1200人。
  • 6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
  • 6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
  • 6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
  • 6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
  • 6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
  • 6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射など小規模な爆撃を受けている。
  • 6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
  • 6月22日 姫路空襲.川西航空機姫路製作所とその周辺) B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
  • 6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
  • 6月22日各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
  • 6月22日 呉空襲 工廠への爆撃 死者1600人。
  • 6月26日 奈良空襲
  • 6月28日 呉大空襲
  • 6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
  • 6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。

6月29日の岡山空襲の模様は、岡山シティミュージアムでちょうど今(6月12日から7月5日まで)開催中の特別展「第38回岡山戦災の記録と写真展―つないでいく記録と記憶―」(詳しくはこちら)に紹介されています。(「岡山空襲 展示室はこちら)。

この空襲では、 市内中心部が壊滅的打撃をこうむり、町のシンボルとも言える岡山城天守も焼失しました。現在の天守は、1966(昭和41)年にコンクリート工法で再建されたものです。

ところで、前述の水島空襲の記事に「当時の水島航空機製作所では、日本海軍の一式陸攻や紫電改を生産しており、米軍が日本の軍需産業を破壊する目的で行った空襲であった。」とあります。
子どもの頃、貝塚 ひろし「零戦レッド」、辻なおき「「0戦はやと」などで、子ども達に人気の「零戦」などに比べて、ややレアな感のあった「紫電改」ですが、学生時代になって初めて、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」を友人に教えられて読み、その悲劇性とともに記憶に刻みつけられた機種名でした。

 

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紫電改のタカ 1 (My First Big SPECIAL)

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ちなみに、軍用飛行機や艦船、戦車などのプラモデル製作にあこがれながら、気ままに購入できもしない子ども時代、カタログを丹念に眺めて心を躍らせたものでしたが、一番のお気に入りは、そのフォルムの際だつ三式戦闘機「飛燕」でした。独特のフォルムは、空冷エンジンを積載していたためだそうで、爆音も独特のものだったそうですね。
さらにちなみに、たまたまのきっかけで「一式陸攻」のプラモデルを作ってから、この無骨な攻撃機に親愛感と愛着を覚えておりました。ところで、妻の、亡くなった父親は、海軍で戦艦などに乗った軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、90歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死されたと聞いていました。仏壇の上の額には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。
義兄(妻の兄)が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、この一式陸攻だったそうです。いのちを共にしたその愛機は、あるいは、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。

以前も書きましたように、水島地区は、現在、行政区的には倉敷市に属します。
倉敷市は何次もの市町村合併を経て、大原美術館や蔵屋敷のたた
ずまいがゆかしい美観地区など、歴史と文化のかおる旧倉敷市街のほか、瀬戸大橋と多島美の瀬戸内海、民謡「下津井節(しもついぶし)」と、名産の蛸で知ら
れる下津井港、ジーンズと繊維の町児島、近世以来の港町玉島、ゴボウ・レンコン・ブドウ・桃などの生産が盛んな近郊農業地域等々、多様・多彩な表情を持っています。
これらとともに、水島地区を中心とした、大規模な工業地帯の存在も、倉敷市のもう一つの顔です。
第2次大戦中、三菱重工の飛行機工場がこの地に置かれたのを皮切りに、戦後、石油化学、鉄鋼、自動車などのコンビナートが集中し、日本有数の巨大工業地帯として発展、今日に至っています。

ところで、この水島地区に、亀島山と呼ばれる小高い丘があります。ここは現在、「亀島山花と緑の丘公園」として整備され、四季の花に彩られる、工場地帯のなかの憩いのスポットとしての趣を見せています。また「工場萌え」と称される一部の愛好家にとっては、林立する工場群(とりわけ工場夜景)の撮影スポットとしても知られているようです。

その亀島山の地下に全長約2000メートルの横穴が掘られています。平洋戦争末期に建設された三菱重工業水島航空機製作所(現:三菱自動車水島製作所)の地下工場の跡がそれです。三菱重工業水島航空機製作所は、空襲の被害を少なくするため、工場を分散疎開させましたが、その一つが亀島山地下工場だったのです。

この地下工場について、ずっと以前、ある機会に、こんなことを書いたことがありました。

倉敷市水島地区の亀島山の地下には,今も広大な地下トンネルが存在する。これは第二次大戦中,旧日本軍の戦闘機製造用地下工場として,秘密裏に掘られたもの。
この危険な工事に従事したのは,強制連行で徴用された朝鮮人労働者。作業中の事故,栄養失調と過労,病気,脱走への報復としての私刑などにより,多くの人々が犠牲となった。
これらを含む朝鮮人無縁仏の遺骨70数体が,引き取り手のないまま,岡山市内の大山実山住職のもとに保管,供養されていた。
これらの事実は,社会問題を学ぶ高校生たちの平和問題のとりくみのなかで掘り起こされ,あかるみに出された。生徒たちは,韓国の新聞社にいきさつを書いた手紙を出し,反響を呼んだ。これが縁となり,これら犠牲者の遺骨が,市内の高校生に抱かれて海を渡り,この4月(1990年)40数年ぶりに帰郷した。
(注 文章中の「朝鮮人」の呼称は,国籍を表すものではなく,広義に朝鮮半島出身者を意味している。)

 思い起こせば、一九九〇年。今から25年も前のことですね。
当時は、「強制連行」とか「強制徴用」という概念も、まだ歴史の闇に隠されていて、発掘途上の「史実」でした。今、「歴史修正主義」の方がたが、「強制連行はなかった」「強制徴用はなかった」「従軍慰安婦はなかった」「侵略はなかった」「植民地支配はなかった」と、百万遍繰り返されようとも、この遺骨の意味を塗り替えることは不可能でしょう。

今も、この地下工場跡を保全し、歴史に学ぼうという、 市民運動が続けられていますが、その中心的活動に取り組んでいる「亀島山地下工場を語りつぐ会」 には、私の親しい友人も参加しておられます。

その友人が、昨日はローカルニュースに登場して、その活動の重要さを語っておられました。

水島空襲記念日を前に、毎年行われている 「6・20ピースサンセット ~戦後70年、水島空襲を語る平和の夕べ~ 」という行事の一環でこんな企画が行われたようです。

6月20日(土)17時~19時
〈企画〉
☆第1部(17時~18時)
ピースコンサート
ピースキャンドル

☆第2部(18時~19時)
ピーストーク
・基調報告「水島のなりたち、水島空襲」
・空襲体験の証言

〈ピースサンセット・プレ企画〉

亀島山地下工場視察6月20日(土)14時~16時

この、「プレ企画」で実施された「亀島山地下工場視察6月20日(土)14時~16時」の模様を、NHK地元局が報道していたもののようです。また、ネット検索してみますと、倉敷ケーブルテレビも、このような記事を紹介しています。
亀島山を管理する倉敷市が、「安全」を盾に、地下工場跡への市民の入場を渋っていたことから、今回の{視察」は、五年ぶりの実施となったそうです。

地上の「亀島山花と緑の丘公園」 の整備は、決して悪いこととは思いませんが、そのことによって地下工場の存在を薄め、よしんば闇に葬ろうというような政治的な動きが、かりそめにも闊歩してはならないと思います。歴史の真実にきちんと向き合うことこそ、過ちを繰り返さないたったひとつの支えでしょうから。

この時期のテレビというと、沖縄戦の記憶も、心に残ります。昨日のNHKニュースでは、「白梅学徒隊」の経験を元に、地下壕に散った青春の悲劇を、静かに、切々と描いていました。

沖縄戦から70年となる今月23日の「慰霊の日」を前に、負傷兵の看護に動員された「白梅学徒隊」が戦火のなかでたどった道を歩き、平和の尊さを考える取り組みが沖縄県八重瀬町で行われました。
「白梅学徒隊」は、沖縄戦当時、負傷兵の看護に動員された県立第二高等女学校の女子生徒たちで、56人の学徒のうち22人が命を落としました。
白梅学徒隊がたどった道を歩く今回の取り組みには、地元を中心におよそ40人が参加し、はじめに、八重瀬町にある野戦病院だった地下壕(ごう)の前で、当時
16歳で動員された武村豊さんの体験を聴きました。武村さんは、次々に負傷兵が運ばれ看護もままならなかったことや、包帯を洗うために、砲弾が降り注ぐ壕
の外に出なければならなかったことなどを語りました。

 沖縄戦というとひめゆり部隊の悲劇がまず思われます。

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光も射さぬ、深く閉ざされた壕での生活は、少女たちにとって、とても堪え難い苦痛だったでしょう。しかも、自ら志した看護の仕事は、人の命を救い、健康をまもることをこそ目ざしたはずなのに、それが適わぬジレンマは、いかばかりでしょうか?

同じように、故郷を遠く班れた異郷の、 光も射さぬ、深く閉ざされた壕で、強制徴用工として従事した人びとの不安と孤独、その無念は、想像に余りがあります。

昨日は、朝から県内全域に大雨洪水の注意報や警報が出され、雷雨の警告も繰り返されていました。

現実に早朝は、激しい雨が降り、ごく近所に落雷もあった様子。

そうした中ながら、故郷の実家を訪ねました。川は、かなりの増水と激しい濁りを見せていましたが、雨そのものはやみ、青空が見えました。

IMGP3493.jpg

 

 帰り道,マイカーの車窓から、旭川を写しました(停車中です。念のため)。

IMGP3502.jpg

 

 


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コメント 4

TM

昨日のコメント、アキアカネは間違い。ハッチョウトンボだったらしい。その愚かさに後で気づき痛烈に反省しても、いつの頃からか無関心に。何とも、何とも。
by TM (2015-06-23 11:14) 

kazg

TM様
そうなんですか。ハッチョウトンボ、余りに小さすぎて、相当近づかないと、姿がとらえられませんね。出会えたら満足、ということにしておきましょうか、、、悔しいですけど。
by kazg (2015-06-23 18:23) 

majyo

色々な本を読むことにより、わかったことがあります
アメリカはもう終戦の日を決めていたのです。
その後の事もすでに決まっていたのです。
だからその前に日本全土を総攻撃し、最後に広島・長崎です。
水島が紫電改を作っていたとは・・・・
その名前だけは存じています。
そしてあまりに多く家族や歴史が物語っていますね。
奥様のお父様のお話し。切ないです。
地下工場のこと、全く知りませんでしたが
このような事はいっぱいあるのでしょう。
歴史をあまり知りません。少しかじっただけでも義憤を感じます。
若い方には自虐ではなく真実を知ってほしいと思います

by majyo (2015-06-23 20:00) 

kazg

majyo 様
ソ連との勢力争いにうちかって、戦後のイニシアチブを確保するため、日本降伏のための圧倒的な打撃を与えるのが、広島長崎の原爆投下の意図だったと聞きますね。末期には、戦局はもうとっくに決定していて、その後の戦死者、民間人の犠牲者こそが最も多いことが、つらいです。とどまること、引くことを知らない無謀な為政者、それをとどめるすべを持たない国民。そのことが招いた悲劇です。では今は?となりますがね、、、。
by kazg (2015-06-24 05:18) 

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