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懐かしの切り抜きメモ、の巻 [私の切り抜き帳]

昨日の記事で、「ストップ戦争法 緊急 集会&パレード IN 玉野」に触れたついでに、玉野市という町のことを少し書きました。

それがきっかけで、走馬燈のように思い出されることがあります。思い出しついでに、身辺を探してみると、以前、仲間内の小さな、「ミニミニコミ紙」に「時事新聞」という表題でこんなコラムを書いたことがありました。

 ▼このコラム欄の表題について一言▼担任したHRの想い出は、どれもかけがえのないもの。そんな中でも、思い入れ深いのが、教員五年目、T高校で最初に担任した二年○組▼民間教育サークルで、先輩から聞きかじった手法を、見よう見まねのHR実践。班分け、班長会、班ノート、担任通信、係活動(学習班、美化班、報道班、風紀班など)。学習班は、考査前に出題範囲とポイントを教科担任から取材し、自前の予想問題とともに、みんなに配布。報道班は、生徒の視点で新聞を発行。「いちご新聞」「MEDACHITIMES」などとりどりの名前に混じって、「時事新聞」という表題の新聞があった▼春の一日旅行は、貸切バスなどを利用して遊園地や観光地への計画を進める他クラスを後目に、徒歩で近くの海岸へ。集団ゲーム、班ごとの出し物、飯ごう炊さんの一日。下見、食材・炊事用具、燃料などの準備も、消防署への届けも、すべて生徒がやった▼信州への修学旅行も、自由行動日は、班ごとに企画・行動。旅行中の決まりも、生徒で議論して、良識的な案を練り上げた。だが、教員側の合意が得られず、生徒案は却下。不信がわだかまる▼放課後の教室でトランプに興じる生徒からトランプを取り上げた。「授業時間中はともかく、放課後は、生徒の自由」と、トランプ解禁署名を始め、クラス全員の署名を集めてきた。「学習の空間になじまない」と突っぱねた。「独裁Kazg教諭」の見出しが、班新聞を飾った。「学校も大人も、子ども・生徒を信用していない」と、数号にわたって論陣が張られた▼心憎いことに生徒は、担任にも反論スペースを用意してくれた。「私を独裁者と呼んでは、本物が嘆くだろう」必死に反論した▼三学期ともなると、活動が停滞する。毎日終礼後、歌を歌おう、などの提起にも、しらけた空気。教室に向かうのが辛い▼が、生徒は、最後に文集をつくった。生徒作詞作曲による「二年○組の歌」も載っていた。班新聞、担任通信、学級日誌をたどって、一年間を振り返ってもいた。そして、あの新聞題字の種明かし。「じぶんじしん」と読むと▼この想い出は、今でも私の元気の素だ。


探しついでに、当時の生徒が作ってくれた文集を見つけだしました。おもて表紙には、生徒の手書きの飾り文字で、大きく「FOR EVER Ⅱ○」とあり、「S55年度 2○文集」と記してあります。

裏表紙には、ほのぼのタッチのまんがが描いてあります。左上からかわいらしい太陽が顔をのぞけ、地面には、チューリップのような可愛い花がいくつか咲き、そこに寝癖のついた髪の毛ぼさぼさの男女と、四つん這いの乳幼児が描かれていて、○○family ○○先生 末永く お幸せに、、、と書いてくれています。



この文集の巻末に、私も、次のような文章を寄せました。

 特別付録 君への私信fromタンニン

あわただしく一年が経過した。去年のちょうど今頃、ぼくは転勤の内示を受け、身辺整理と気持ちの整理に、心落ち着かぬ日を送っていた。

若いつもりではいても30歳の声を間近にし、子を持つ身にもなると、行動様式も一定の硬直をきたし、不断の自己変革を怠り、足を前へと踏み出すのを億劫がる心理が芽生える。自己の狭いワクに閉じこもり、そこにささやかな居心地良さを覚えるような、悪しき保守主義とも呼ぶべきものが、それである。

教育の場にあっては、教壇に立つ者も学ぶ者も、互いに触発しあう、ある種の魂の苦闘を経た不断の進歩成長がなくてはかなわない。古びた知識の切り売りと、その受動的丸のみ込みは、われわれの最も唾棄すべき所のものであろう。人格と人格が火花を散らしてせめぎ合い、揺さぶり会う営みをこそ、”教育”と呼ばねばなるまい。そのためには、教師たる者には、限りのない自己練磨が養成される。にもかかわらず、自己の狭量さ・未熟さの上に安住することに痛痒を感じなくなりつつある自分を、ふと見いだし、焦燥に駆られることがしばしばであった。

その意味で、私はこの転勤の私個人にとっての意味を、新たな環境における新たな体験と新たな試みによる自己変革の好機(もしくは刺激剤)と受け止めようと考えたのであった。

が、一方では、去年担任した生徒たちへの愛着・未練も、私の胸中の相当部分を占め、しかもそれが日増しにふくらみを増すのも抑えがたかった。やり残したこと、やり損じたことをもう一度同じクラスのメンバーのままで、やり直し、やり遂げることが許されるものなら、と、愚にもつかぬ執着にさいなまれてもいたのである。

そうした、踏ん切りのつかない迷いをも多分に残したままで、私は転勤の受諾を決めた。

当初、「T高校」の名を告げられて、不覚にも私は、いずれの土地のどういう学校であるかを、とっさには思い浮かべることができなかった。地図を探してやっと、県南端の、海に面する地、宇野港を擁する街であったことに気づいた次第だ。そういえば私の親しい友人や知人の中にもT高の卒業生や関係者があったことにも気づかされた。
また、宇野港(宇野駅)には、まんざらゆかりを持たない私ではない。大学時代、郷里と大学との往来に,必ず経由し、格別の感慨を持って眺めた港であり、街並みであった。高知発深夜11時の快速列車に揺られ、翌未明高松を経て連絡船に乗り込むというのが、私の帰省の旅の常であった。
人並みの失恋や、人生上の苦悩を抱えながら,熟睡できなかった眼に、宇野港の灯の次第に近づくのが映る。まだ深く寝入っている町並みの、家屋の姿がほんのりと浮かんで見える。降り立った駅構内に、人影はまばらであるが、それでも確かに他ならぬ岡山弁が交わされている。

「ふるさとの なまり懐かし 停車場のーーー」と詠んだ啄木ではないが、懐かしい故郷の、ごく間近まで帰り着いたという安堵感をもたらしてくれるのが,この港であり、街並みであったわけだ。

(以下略)


昨日は、午前中、妻と孫二人をさる場所に預けて、手待ち時間を、ちょっと半田山植物園の散歩にあてましたが、過酷な日射と、公園の起伏が、「病み上がり」の身体にはなかなか辛くて、少し歩いてはベンチに腰を下ろすという情けない散歩でした。とほほ。

ヒマワリ。









一天四海(大名蓮)。





ペンタス。

「ペンテ」はギリシャ語で5の意味。5角形の星のような花の形から名づけられたそうです。

そういえばペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)も、5角形、5階建てだそうですね。





きょうはこれにて。
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コメント 4

majyo

人は変わるようで変わらないと思うのです。
30代であろうが、60代?であろうが・・・・
熱血先生でしたね。

by majyo (2015-08-10 20:22) 

kazg

majyo様
> 人は変わるようで変わらない
確かにそう思いますね。
思えば、金八先生が人気を博していた頃でした。『熱血』という言葉には、うさんくささがついて回りますが、金八さんの「泥臭さ」は好ましく思っていました。
by kazg (2015-08-11 22:15) 

momotaro

熱い思い出ですねー、熱い人はいつまでも熱い
花や鳥など生き物の写真で冷ましているんですねー。。。
by momotaro (2015-08-12 10:46) 

kazg

momotaro様
お恥ずかしい限り。
でも、確かに、写す素材によっては、クールダウンと言いますか、ヒーリング効果が、写す側にも味わえるような気がします。
by kazg (2015-08-12 18:48) 

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