今朝の朝顔です。
毎日、同じような写真で申し訳ございません。
正岡子規の句にこんなのがあります。
朝顔やわれに写生の心あり 正岡子規
子規忌は、9月19日ですが、そのほんの一月ほど前に詠んだ句だそうです。
万感、胸に迫るものがありますね。「写生」は、子規の志すところ、人生そのものとも言えるでしょうか?
ところで、これは、芭蕉の句です。
杜若(かきつばた)われに発句(ほっく)の思ひあり 松尾芭蕉
ぱくりと言おうか、剽窃と言おうか、、、?でも、オリジナルだと偽って、人のデザインをちゃっかりコピーするのとは、まったく違うでしょうね。
誰もが知っているもとの作品に敬意を表しながら(敬意を表するが故に)、そのイメージを踏まえた上で、その上に、まったく新しい自分のイメージを重層的に築き上げる、新古今時代以来の「本歌取り」の伝統を汲む態度と言うべきでしょうか?
もとの句と似ている=通い合っていることは百も承知で、「吾は子規なり」と、高らかに宣言しているのでしょう。いや、もっと肩のちからを抜いて、自然体で、ぽろりと感慨を述べた、というのが正確なところかも知れません。
没年齢34歳。悟り澄ますには、若すぎますが。
ところで、芭蕉の句は、『野ざらし紀行』の旅の途中、愛知県鳴海で催された連句の会の発句として詠まれたもの。この地が、伊勢物語にも登場する「八橋」の所在地であったことにちなみます。
以前、「八橋」とカキツバタについて、
この記事で紹介しました。
要点だけ再掲します。
下の写真は、昨年、岡山市後楽園で写したものです。「八橋」と案内表示がありましたので「カキツバタ」なのだろうと勝手に推測しています。
もとネタは、伊勢物語の有名な「東下り」の段。
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、 八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ひければ、よめる。 唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。
昔、男がいたんだってさ。 その男は、自分を世の中の役に立たない不要人物だと独り決めに思い込んで、「都にはもういねえつもりだ。オイラみたいのものでも受け入れてくれる住みよい国 を求めて、遠く東国地方を訪ねていこうじゃないか。カールブッセも”山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、、、”と歌ってるじゃないか。」と言って、旅立って行ったってさ。 古くからの友人、一人二人と一緒に、行ったんだってさ。道を知ってる人もいなくて迷いながら旅して行ったんだって。 そうするうちに、はるか愛知県は三河の国の八橋というところに到着したんだ。そこを八橋と言ったわけは、流れる川が四方八方に分かれて蜘蛛の手のようだったから、橋を八つ渡していたんで、八橋と言ったんだってさ。 その水辺のほとりの木の陰に馬から下りて腰を下ろして、携帯用乾燥メシを食ったんだ。。その水辺にかきつばたがチョーイイ感じに咲いていたんだなあ。それを見て、ある人が言うのに、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ったので、男が詠んだ歌がこれなんだ。 唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(唐衣を繰り返し繰り返し着て、糊がとれて体にぴったりなじんだみたいに、慣れ親しんだ妻が(都に残って)いるので、着物をピンと「張る」のと語呂が同じ、はるばる(遙々)、三河くんだりまで、着物を「着た」みたいに「来た」旅の長い道のりを、しみじみ思って感無量だよ。) と詠んだもんだから、居合わせた人はみんな、携帯用乾燥メシの上に涙を落として、乾燥メシがふやけてしまったんだってさ。塩味がきいて、さぞおいしかっただろうよ。とっぴんぱらりのぷぅ。 注「から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の歌は「修辞」に凝った歌です。 ①まず「縁語」。 「衣」に縁のある言葉を揃えています。 衣 → き(着) → なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじむ) → つま(褄) → はるばる(張る) → きぬる(着ぬる) ②「掛詞(かけことば)」一種の駄洒落、親父ギャグのルーツでしょうか。 き(着・来) 、なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじんだ・慣れ親しんだ)、つま(褄・妻)、 はるばる(張る・遥々)、 きぬる(着ぬる・来ぬる) ③「唐衣」は「き(着)」の枕詞(まくらことば)=五文字の飾りの言葉。 ④「唐衣きつつ」は「なれ」を導くための序詞(じょことば)=任意の長さの飾りの言葉。 ⑤五・七・五・七・七の各句の頭に「か・き・つ・ば(は)・た」が読み込まれています。このようなのを、「折り句(おりく)」の歌と呼びます。言葉遊びの部類ですがね。 さらに凝ったものに、「沓冠(くつこうぶり)の歌」というのがあります。 兼好と頓阿(とんあ)の「沓冠の歌」の贈答は有名です。
兼好法師が頓阿に宛ててこんな歌を送ります。
よもすずし ねざめのかりほ た枕も ま袖も秋に へだてなきかぜ 歌の内容は無視して、五七五七七の各句の頭と末尾(冠と沓)を拾ってみましょう。 冠 よ・ね・た・ま・へ(米給へ=米を譲ってください) 沓 ぜ・に・も・ほ・し(銭も欲し=出来ればお金も支援していただきたいな) この無心に対して、頓阿はこう返します。 よるもうし ねたくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしとひませ 冠 よねはなし (米は無し=米はないんだよ、ごめんね) 沓 ぜにすこし (銭少し=お金を少しだけ送るからこれで辛抱してね) 現代っ子にも、この遊びはおもしろいんじゃないでしょうかね。 大昔(まだ「昭和」の終わり頃でした。)、高校生と折り句の歌を作って遊んだことがありました。 |
この日の記事では、「秋深し」を詠み込んだ折句の歌を紹介しました。
実は、もう一つ、別のお題で作った歌があったのです。
個人情報への配慮から、掲載をためらっていたのですが、勢いで、思い切って載せちゃいます。
当時勤めていた職場は、略称「玉高(たまこう)」と言いました。「玉高」の生徒は「玉高生(たまこうせい)」です。これが、お題。
数ある迷歌のうちから、抜粋してご紹介します。
題 「玉高生(たまこうせい)」
たくさんの 間違い起こして この日まで 運と努力で生きてきた 成功する日は いつのことやら M 評 字余り
たまにはね やってみようか 国語もね うちにかえって せいをだそうか A 評 一句目で「たま」を使ったせいで、第二句の頭が消えたのが惜しい。
たそがれ時 待ち人のぞむ 公園で 海を背にして せく気持ち M 評 一句目が字余り、五句目が字足らず。二句目の「のぞむ」が表現としてあいまい。
たそがれが 町を照らすよ ことごとく うずくまりたり せいいっぱいに 読み人知らず 評 いまひとつ意味不明。たそがれが町を照らすかい?
球投げる こっぱみじんに 打ちまくる 背中に走る 痛い激痛 読み人知らず 評 悲惨。
体重が また増えたなと 後悔し 運動すれども 成果ゼロなり I 評 おみごと。 退屈な 毎日過ごす 高校で 先生しかる いいかげんにせえ Y 評 高校生活の一コマ。
玉高で 惑いながらも 恋を知り 美しきかな 青春の日々 F 評 「本歌取り」は、新古今集時代の技巧。おみごと。
たまりゆく 宿題の山 こうなると 精を出して 頑張るものだ O 評 二句・五句の頭が違反。
竹トンボ まだまだ屋根を 越えて行く 上を見上げれば 晴天だ A 評 郷愁を誘う情景。下の句の字足らずが一考の余地あり。
ただひとつ 蒔かれた種が 恋となり うれし切なし 青春の味 H 評 文句なし。秀逸。
たくましく 真心もった 行動と 裏表ない 生活を F 評 文部省推奨の標語?第五句が字足らず。
黄昏に 真幸く降りし 恋時雨 是非なき想ひも いはむかたなし O 評 WOW。格調の高さ。
たまにきず まちがいさがし 高(たか)だかな 先生いけず 意地悪な人 T 評 三句目が苦しい。居丈高(いたけだか)の意か。
大好きな まんが・テレビも 向こうへやり 絶対取るよ いつか百点 M 評 「いつか」じゃなくて「今に」取ってよね。
楽しげに 丸まって寝る 子猫たち 裏の垣根で 背くらべする Y 評 かわいらしい。
大切な マイフレンドは この胸に うせることない いつの日にも U 評 友達は大切にしましょう。下の句を「いつの日までも」とでもすれば、七になるが。
たまには まぶしい気持ちで 高校生 先生の声も いい薬かな K 評 「まぶしい気持ち」って大切だよね。最初の句が五文字になるとよかったが。
たくさんの 夏の思い出 この胸に 浮かんでくるよ せいたかくらべ I 評 幼時の思い出でしょうか。
たまこうは また駄目だった 甲子園 上が見えない 青春の日々 H 評 来年こそは。期待しましょう。
絶え間なく 真面目にしたら 甲子園 制覇もすれば 一躍有名 Y 評 頑張れ。
玉野市は まだスペインは 考慮中 せっせっせと 忙しい今 O 評 採用取り消しにあった先輩もいて。(注 テーマパークブームに乗って「スペイン村」なる市のプロジェクトが計画されましたが、頓挫しました。)
太陽の まぶしき光が 格子ごし うつった影の せいくらべ W 評 ポエジーは感じます。表現がもう一息。
玉のよう 赤子の目の色 かうかうと 生の歌を ありありと語る N 評 着眼はよい。「調べ」が生硬で、やや理屈っぽいのが難。
たくさんの 真面目な友達に こけにされ うるさいなあと 成績をにらむけれど F 評 「たくさんの 真面目な友に こけにされ うるさいなあと 成績にらむ」で字余りは解消されるが。
たまにはさ まちがえちゃうのさ 今度のは うんとがんばって 成績あげるさ H 評 期待しましょう。
たそがれに まりをつきつき 子供らが うちへと帰る 清流のそば Y 評 牧歌的情景。
たまたまに 町を歩けば こっくりさん うろうろしてる せいがでるねえ S 評 不気味。
たまたまに 待っているのは 子どもたち 上にいるのは 西武の石毛 O 評 写実?の歌。
太郎君 ママと二人で コインランドリー うしみつどきに 洗濯してた I 評 奇怪。
玉取りて 子猫の手足 うずもれて せっせとほどく いとかわいらしい M 評 「いと」と古語で来ましたね。
楽しく 毎日 過ごしたら 後悔あっても 青春だ K 評 「自由律」短歌の登場。
高々と 丸い風船 のんびりと 孤独に飛んでる 美しい空 I 評 よくできました。
たちまちに 真冬になって こおりそう 薄着をしてたら 生活できない O 評 風邪に気をつけて。
太陽が まぶしく光る 甲子園 青春の土 生き生きとした顔立ち M 評 字余りですね。
【付録・kazgの戯れに詠める歌五首】 《 「玉高生」》 たちまちに まぶたを閉ぢて こっくりと うたたねしてる 生徒はだあれ 食べて寝て また食べて寝て 刻々と 失せゆく時を いたづらにすな ただただに 惑ひしままに 恋も知り 憂いも知れる 青春の日々 《 「秋深し」》 朝ごとに 霧深くして ふるさとに かそけく秋は しのびよるらし あてどなく 岸辺に立てば 降る雨に かすみて遠く 島の影見ゆ |
追記
去年の
この記事で紹介していた「八つ橋」は、今年の春には新しく架け直されていました。
上は菖蒲でしょうか?カキツバタの画像を探しましたがどこかに埋もれて肝心な時に見あたりません。
と書きかけて、去年の五月の
この記事で、カキツバタの写真も載せていたことに気づきました。
やや、季節外れの記事ですが、今日はこれにて。
> 朝顔やわれに写生の心あり
> 杜若(かきつばた)われに発句(ほっく)の思ひあり
セットで教えてもらうと、凡人にもわかりますねー
本句取りという言葉はなくても、
> 「本歌取り」の伝統を汲む態度
はあるわけですね。いろいろ勉強になります。
by momotaro (2015-09-05 11:07)
momotaro様
いやはや、お恥ずかしい。非専門家が、知ったかぶりの能書きを、気ままに吹き散らかしていますので、その点お含みの上、寛容なお心でお楽しみください(汗)
by kazg (2015-09-05 20:27)