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世の愁い燃やし尽くすや西の空 [折々散歩]

先日話題にした今井正監督「橋のない川」(第一部)の1シーンに、こんな場面があったような気がします。

北林谷栄演じる老婆、畑中ぬいが、地主の元に小作米を収めての帰り道、空になった大八車(荷車)に乗るよう嫁のふでに勧められ、寛いで後ろ向きに腰を下ろした彼女の目に、みごとな夕焼けで西の空が真っ赤に染まっているのが見えます。

「見てみい。おふで。あの向こうが西方浄土ゆうてなあ、お釈迦はんが住んではるところやで。あそこには、差別も貧乏もないのやで。この世で、どんなに辛くても、辛抱して、お釈迦はんにおすがりしとったら、あそこへ行けるんやで。」

というようなことを、しみじみ語る場面。まことにあやふやなうろ覚えで、正確なところは確かめるいとまがありませんし、住井すゑさんお原作も斜め読みに当たってみましたが、見あたりません。でも私の記憶の中では、印象的な場面なのです。

前にも書きましたが、映画「橋のない川」(第一部)は、モノクロ映像がずーっと続きます。ですから、この「西方浄土」を眺めやる場面も、実際はモノクロ映像だったのでしょうが、私の脳裏には鮮やかな紅い夕焼けの映像が刻まれています。
ところで、この映画、ラストシーンの一瞬、カラーに変わります。(「パートカラー」と呼ばれるそうです)。そのラストシーンは、小森の村の人達が歩いているシルエットを包んで、夕日が空一面を真っ赤に染める、鮮烈な映像でした。

空腹の弟のために豆を炊こうとした永井武は、失火により村を焼く火事を起こします。在所の消防団は、「小森」が被差別部落であるゆえに、消火しようとせず、
火事を放置します。失火をとがめられた武はその夜自殺してしまうのでした(武は、小学校1年生でした)。武の父藤作(一年前の脳溢血による半身不随からリハビリによって復活したばかりの伊藤雄之助さんが演じています)は、武の死体を抱きながらこの村にも消防ポンプを買うと決心し、娘を遊郭に売った金を、消防ポンプの購入に充てます。村対抗の提灯落し競争で、その新しい消防ポンプにより「小森」が優勝しますが、それを承認したくない他地区の連中により、優勝旗を焼かれてしまいます。

堪え難い憤懣を抑えながら、村に向かって歩む小森の人々を、夕焼けが包むなか、画面には、1927年(大正十一年)三月三日、全国水平社が結成された旨、テロップが流れます。。

「水平社は、かくして生れた。  人の世に熱あれ、人間に光りあれ。」



「西方浄土」という概念は、こんな文章にも登場してきます。

「平家物語」の、壇ノ浦の場面、8歳の幼帝安徳天皇が入水に至るシーンです。











【原文】



主上、今年は八歳にならせ給へども、御年の程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしく、あたりも照りかかやくばかりなり。御髪黒うゆらゆらとして、御背中過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかんとするぞ。」と仰せければ、いとけなき君に向かひたてまつり、涙をおさへて申されけるは、「君はいまだしろしめされ候はずや。先世の十善戒行の御力によつて、今万乗のあるじと生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給ひぬ。まづ東に向かはせ給ひて伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、その後西方浄土の来迎にあづからんとおぼしめし、西に向かはせ給ひて、御念仏候ふべし。この国は粟散辺地とて、心憂き境にて候へば、極楽浄土とて、めでたき所へ具し参らせ候ふぞ。」と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色の御衣に、びんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、ちひさくうつくしき御手を合はせ、まづ東を臥し拝み、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱きたてまつり、「波の下にも都の候ふぞ。」となぐさめたてまつて、千尋の底へぞ入り給ふ。

【口語訳】
帝(安徳天皇)は、今年、八歳におなりになったが、ご年齢よりもはるかに大人びておられ、ご容貌も美麗で、あたりも照り輝くほどだ。御髪は黒くゆらゆらとして、お背中を過ぎていらっしゃる。呆然としたご様子で、「尼ごぜよ、私をどこへ連れて行こうとするのか。」とおっしゃったので、幼い君に、涙をおさえて申し上げなさったことは「帝はまだご存じでいらっしゃいませんか?前世での、十善戒行のお力によって、いま、すべてのものの主としてお生まれになりましたが、悪い縁に引かれて、ご運はすでに尽きてしまわれました。まず、東にお向きになり、伊勢大神宮にお暇を申し上げなさり、その後、西方浄土のお迎えにあずかろうとお思いになって、西に向かって、ご念仏をお唱えなさいませ。この国は、粟散辺地と言って、つらい場所でございますので、極楽浄土といって、すばらしいところへお連れ申し上げますよ。」と泣く泣く申し上げなさったので、(帝は)山鳩色のお召し物に角髪をお結いになって、激しく涙を流され、小さくかわいらしいお手を合わせて、まず東の方を伏して拝み、伊勢大神宮にお暇を申し上げなさり、その後、西に向かって、ご念仏を唱えなさったので、二位殿(安徳天皇の祖母=平時子) は、すぐさまお抱き申し上げ、「波の下にも、都がございますよ。」と慰め申し上げて、千尋もある深い海の底へ、お入りになる。 

一週間ほど前、夕日を写し ました。

ちょっと曇り気味で、真っ赤な夕焼けにはなりませんでしたが、久しぶりの夕景ですので掲載しておきます。





















































遠く常山を望みます。










今日はここまで。
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コメント 4

美美

しばらくこのような素敵な夕景は見れそうにありませんね。
台風の被害が出ないと良いのですが・・・
by 美美 (2015-09-08 19:39) 

kazg

美美様
台風心配ですね。お気をつけください。
by kazg (2015-09-08 19:45) 

momotaro

「橋のない川」映画はどうも苦手であまり観ないのですが、これはぜひ観なければ…と思いました。
全国水平社、いい運動を、日本の国家主義者は潰してきましたよね。挙句があの戦争ですからね。それをまた復活させようというんですから、「許さない!」
平家物語は、まことしやかに創りましたよね、文学ですね、参りますよね(^_−)−☆
by momotaro (2015-09-10 21:33) 

kazg

momotaro様
> いい運動を、日本の国家主義者は潰してきましたよね
まったく、つくづくそう思います。
by kazg (2015-09-10 21:48) 

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