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強行採決にまつわる記憶のエトセトラ、の巻 [時事]

仕事の都合で、今日もブログ掲載はお休みのつもりでしたが、備忘録的意味からは、欠落させられない出来事がありましたので、一言コメントしておきます。

昨日の、参院特別委での強行採決の顛末。

通勤時間中のカーラジオや、昼食休憩の時間などで、音声だけの国会中継を聞きつつ、暗澹たる気持ちをぬぐえませんでした。日本の民主主義の未熟さ、未開さが、透けて見えて、居心地悪いことこの上もありません。

強行採決自体は、これまでも何度も経験していることで、決して想定しなかったわけではありません。しかし、国民世論と運動の急速な高揚が、かつてない規模と質のものだったと思えるだけに、ひょっとして道理が通る可能性を、淡く期待していたのでしょう。冷厳な、と言うよりも愚劣な事実に直面して、やはり気落ちしている自分に気づきます。



ふと思い出したのは、初めてデモに参加した頃の記憶です。

大学入学したての頃、70年安保、沖縄返還、ベトナム戦争反対などを主要テーマに、デモや集会を含む学生の運動が連日のように取り組まれていました。全くの初体験の私も、そのデモの後尾につながって、おそるおそる歩きました。

当時、アメリカ占領下にあった沖縄の日本返還にあたり、「核も基地もない、緑の平和な沖縄を返せ」という願いは、切実で道理のあるものでした。ここでボタ
ンの掛け違いをしていなかったらならば、今日の「沖縄問題」の過半はとっくに解消できていたはずと、今も改めて思います。

しかし、当時の佐藤内閣は、この願いに反し、アメリカ言いなりの、核付き、基地付きでの返還協定を結び、1971年11月に強行採決で成立させました。

因みに、佐藤栄作氏はこの「沖縄返還協定」のお手柄と、彼の唱えた「非核三原則」の政策などが評価されて、1974年にはノーベル平和賞を受賞します。これについて、ウィキペディアに興味深い記事が掲載されていますので引用させて戴きます。

 平和賞を選考するノルウェーのノーベル平和賞委員会は、2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で、米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文 書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。この記念誌はノルウェーの歴 史家3名による共同執筆で、同年8月の出版記念会見の際にその一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤 り」と見解を述べて当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と語ったという。

「朝日新聞digital」のこの記事は、「非核三原則」のウラでこっそりと「核持ち込み密約」が結ばれていたなど、国民にも国会にも秘匿された密約のニュースをまとめています。特にこの図表がわかりやすいまとめとなっており、改めて憤懣を覚えるものです。

沖縄返還時の密約について、またまた、ウィキペディアの記事を借用します。
 第 3次佐藤内閣当時、米リチャード・ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万 ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山が日本社会党議員に漏洩した。

政府は密約を否定。

時々思い出す情景があります。

1972年5月15日、沖縄返還協定が発効する日、私たちはデモを終えて高知城のたもとの広場に集まっていました。

おとなしく真面目な、同期の友人Y君が、マイクに向かい、発言しました「屈辱のこの日を忘れない。今日は自分の誕生日です。」


Y君とは、2年前のこの記事「夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて」 でも紹介した米田稔君です。周囲の誰もが適職と見て疑わなかった教職の道に進まず、現在、高知県議(日本共産党)6期目を頑張っています。個人名と誕生日などという個人情報を出すことは、いったん躊躇しましたが、公人でもあり、ネット上にも公開されている事実ですので、許されるかな?

その日のことかどうか、記憶はあやふやですが、やはり同じように、私たちの願いが踏みにじられ、強行的に押し切られたいつかの日、抗議の集会で、この警句を引いて発言した先輩の言葉も、今に蘇ります。
「最後の勝利の時までは、我々は負け続けるだろう」


今朝の地元新聞「山陽新聞」のコラム欄にこんな記述がありました。

   「私はデモなどではない”声なき声”に耳を傾ける。」1960年 5月、激しいデモの中で日米安全保障条約を改定した岸信介元首相が語った有名な言葉だ▼ 条約改定に反対するデモ隊以外に買い物や野球観戦を楽しむ国民が多数いることを指摘し、「私がデモに屈した印象を与えるのは民主主義の危機だ」と断じた。 この後、岸氏は退陣したが、その秋の衆院選で条約改定を進めた自民党は大勝し、後継の池田勇人首相は「国民が安保を承認した」と述べた。▼今、国会周辺や 各地で安保関連諸法案にたいする反対運動が高まっている。岸氏の孫である安倍晋三首相は尊敬する祖父の当時に自らの立場を重ね合わせていることだろう。 (以下略)

ははん、なるほど、と思いました。アベさんのフシギな強気のワケは、こんなところにあったのかも?「歴史は繰り返す」と、単純に信じていらっしゃるのでしょうか?

そういえば、以前この記事で、こんなフレーズを引用したことがありましたっけ。

  「歴史は繰り返す。最初は悲劇として、二度目は茶番(笑劇)として」( カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)


岸信介おじいさんのケースが「悲劇」と言うつもりは全くありませんが、孫のアベ坊ちゃんのケースは、滑稽な茶番(笑劇)で終わるよう、みんなで監視を強めなければなりませんね。

そしてなによりも、まずは気長に、かつ楽天的に、さらに執念深く、道理と理想を掲げ続け、語り続けることにしましょう。それが、「デモ隊以外に買い物や野球観戦を楽しむ国民」の”声なき声”にまで、さらに深く厚く広がり、とどめがたい轟きとなって地上を圧する様を、愉快に想い描きながら―――。
ささやかな「気分転換」のために、先日の散歩で見つけた秋を、少しご紹介します。

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今日はこれまで。
 

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コメント 4

otokomaeda

本当に頭にくることばかりですね。けれど、これほど反対の動きが大きくなるとは思いませんでした。今の若者も素晴らしいですね。第二のY君も誕生するでしょう。
by otokomaeda (2015-09-19 05:25) 

kazg

otokomaeda様
本当にそうですね。がっかり感(政権やマスコミにたいして)とわくわく感(老若男女のエネルギーに対して)を、一度に味わう経験をしました。特に頼もしい若者の存在がうれしい。
by kazg (2015-09-19 06:07) 

momotaro

ゆがんだ沖縄返還、佐藤栄作ノーベル平和賞の間違い、岸信介の強行採決の話など、事実をピタッと書かれているのでたいへん参考になります。
コスモスの写真までつけていただいて、癒されます。
いつもありがとうございます。
by momotaro (2015-09-21 15:46) 

kazg

momotaro様
こちらこそ、いつもありがとうございます。
by kazg (2015-09-21 18:41) 

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