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再生の象徴 楷の葉は緑 [折々散歩]

ホーページビルダーアップグレードモジュールというものが、windows7用に提供されていた事を発見し、導入してみました。

「ズバリ日記帳」は、テキスト文書を日記として書き綴るには適しており、html変換も容易なのですが、画像は画像で別扱いする必要があるようです(正確に確かめたわけではありませんが)。

ですので、「ズバリ日記帳」を「メモ帳」(または「秀丸」)代わりにテキストエディター的に使い、あらかた仕上げてから、ホーページビルダーで写真入りの記事を作成する、という手順を取ってみようかと思います。

何で、わざわざそんな煩瑣な回り道をするの?とツッコミたくなりますが、そこはそれ、迷い道が趣味ということで、、。

さて、昨日の朝、戦争法抗議の集まりに出かけたものの、刻限に間に合わず、すごすごと駐車場まで引き返した顛末は書きました。

でも、それなりに、悔いのない散歩はできました。


道すがら、色々目に止まるものもあって、日頃できない街頭スナップも楽しめました。

小じゃれた店舗を彩る花。









道路脇の花壇の花。









「タマちゃん電車」が通りすがりました。





西川緑道公園の曼珠沙華。





曼珠沙華は、旭川の後楽園側の岸辺にも群生しています。

右の方は貸しボートの乗り場です。





正面の建物は、後楽園南口前の食堂です。



月見橋越しに眺めます。





月見橋から見る岡山城。





いつもとは異なる方角から、岡山城を望みます。









市街地から後楽園に向かう「鶴見橋」です。右に渡りきったところが後楽園。



20世紀前半にアメリカを拠点に活動した洋画家国吉康雄の生誕地近くに、碑がひっそりとたたずんでいます。









いつものように、後楽園の中も散策してみました。35mm単焦点レンズだけを装着していて、望遠撮影はできません。でも、割り切ればそれも楽しいものです。

さすがにシルバーウィーク。国内外からの観光客で賑わっています。

駐車場の車のナンバープレートを一瞥したところ、神戸、大阪、なにわ、北九州、など、県外ナンバーが目立ちます。

園内スケッチは又の機会に譲るとして、ちょっと確かめてみたいことがありました。

確か、櫂(楷)の木(カイノキ)があったはず、と言うおぼろな記憶を、確認してみたかったのです。

というのは、先日、so-netブログのmajo様の9月19日付の記事「国会前へピクニック」のなかで、憲法制定50周年に記念植樹されたという櫂(楷)の木(カイノキ)が、平成25年の台風で倒壊したけれど、残された種子から後継樹が育っていると紹介してくださっていました。



(写真、お借りしました。 )
そこで、majoさんはこう書いておられました。



日本国憲法は、改正されてはいませんが

一内閣で大きく変えました。戦える国にです

しかし、倒れたこの木のように、また私たちはこの国を再生させなくてはなりません。
 



まことにその通りと、心を胸を打たれました。



ネット検索すると、奇しくも同じ日の「東京新聞」のコラムにこんな記事を見つけました。




会議事堂の前庭に、一本の若木がある。憲法施行五十周年を記念して、参議院が植樹したという「楷(かい)」の木だ▼楷は紅葉が美しいウルシ科の落葉樹で、
孔子の墓に弟子が植えたとの伝承がある。文人が好んで庭に植えたため「学問の木」とも呼ばれる。楷の字には、「正しく、規範となる」との意があるから、な
るほど立法府が植えるにふさわしい木だろう▼さて、国会での安保法制の審議と採決のありようは「楷」に恥じぬものであったろうか。多くの法学者らが「違憲
だ」と言うだけでなく、研究室から国会前に駆けつけて廃案を訴えた▼憲法学の泰斗・樋口陽一さん(81)も先日、マイクを握って議事堂に向かい、「みなさん一人一人が歴史に責任を持っている。自分の良心に照らして投票を」と呼び掛けたが、多数の力で押し切る与党の姿はまるで、「学問の木」を切り倒すかのよ
うであった▼ただ樋口さんは国会前で声を上げ続ける市民らを見て、こうも語っていた。「(政権は)憲法のみならず、これまで積み重ねられたあらゆるものを
壊そうとしているが、壊れないものを私たちはもうつくった。何があろうとも壊れない、壊させない。それが、ここにいる人たちとの絆です」▼実は国会前庭の
楷の木は二年前の台風で倒れてしまったが、しかと再生したという。たくましき楷は国会の外で大きく育っていくはずだ。

 



正確には、majo様の記事の通り、種子から苗を育成したようですが。



ところで、楷の木は、孔子の死を悼んで、その墓(孔子廟)に弟子の子貢(しこう)が植えたとされます。「学問」、「規範」のシンボルとされる木だそうで、科挙(官吏登用試験)の合格祈願木ともされたそうです。楷書の「楷」もこの木にちなむとされます。

まことに憲法を象徴するにふさわしい木といえます。暴虐の嵐にいったんは倒れることがあったとしても、必ず不屈に再生させることができるのだと、勇気づけられるエピソードです。

因みに、子貢は字(あざな)=呼び名で、姓は端木、名は賜といいました。孔子の高弟のうちでも際立って弁論に優れ、また実業の才覚もあり、孔子一門を財政的にも支えたといわれます。

孔子にとって、最愛の弟子は.、若くして亡くなった 顔淵(がんえん)=顔回(がんかい)でしたが、「論語」にこんな文章があります。



 
【原文】

子謂子貢曰、女與回也孰愈。對曰、賜也何敢望回。回也聞一以知十。

賜也聞一以知二。子曰、弗如也。吾與女弗如也。



【書き下し】


(し)、子貢に謂(い)ひて日(い)はく、女(なんじ)と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対(こた)えて日はく、賜(し)や何ぞ敢(あえ)て回を望ま
ん。回や一を聞いて十を知る。賜や一を聞いて二を知る。子日わく、如(し)かざるなり。吾(われ)と女と如かざるなり。



【関西弁風現代語訳】

孔子はんが子貢に言わはったんや。

「お前と顔回と、どちらが優ているやろかいなあ?」。

子貢は、「ナンデ、わてのようなもんが顔回とくらべられますやろか?顔回は一を聞いて十を知る男でっせ。わては、一を聞いてせいぜい二を悟ることができるだけでおます」と答えた。

孔子は、「ホンマにせやなあ。お前だけとちゃう、このわてかて、顔回には追いつかれへんのやわ」といわはりましたんやと。




子貢は孔子を絶対的に尊敬し、あらゆる物事について、孔子に教えを乞うている様子が、同じく論語に書きとめられています。










 
【原文】

子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、

於斯三者何先。曰、去兵。曰、必不得已而去、於斯二者何先。

曰、去食、自古皆有死、民無信不立。



【書き下し】


貢、政(まつりごと)を問ふ。子日はく、食を足し、兵を足し、民之(これ)を信にす。子貢日はく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於
(おい)て何(いず)れをか先にせん。日はく、兵を去らん。日はく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何れをか先にせん。日わく、食を去らん。古
(いにしえ)自(よ)り皆死有り、民信無くんば立たず。



【関西弁風現代語訳】

子貢が、「政治って、どないなもんですやろか?政治で一番大事なことは何か、教えておくれやす」と尋ねたんや。

孔子はんは、「食糧を満たし、軍備を充実し、人民に信義を持たせることがだいじやな」と答えはったんや。

子貢は、「やむを得ん事情で後回しにするとしたら、まずなんでっしゃろか?」と問うた。

孔子はんは、「まず軍備やな。」と言わはったんや。

子貢は、「残りの二つも、同時には無理やとしたら、どっちを後回しにするのがよろしうおますやろか?」と問うた。

孔子はんは、「食糧やな。ひもじいのはかなわんやろが、ムカシから、人はいつかは死ぬもんや。しゃあけど、もし人民が信義をなくしてもうたら、人間社会は成り立たへんさかいにな。」と言ははったんやと。




有名なところで、もう一話。







 【原文】

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人也。



【書き下し】

子貢問ひて日はく、一言(いちごん)にして以(もつ)て身を終(お)うるまで之(これ)を行うべき者有りや。子日わく、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。



【関西弁風現代語訳】

子貢が、尋ねて言うには、「一生貫き通さんならんことを、たったひとことで言い表せますやろか?」

孔子はんは、「それは恕(思いやり)やな。恕ゆうても難しいやろが、まあ、自分が嫌なことは、人にやったらアカンちゅうことや」と言ははりましたんや。




孔子の死後、弟子たちは孔子の墓のそばで三年間喪に服したそうですが、子貢は六年間服喪したと伝えられています。

そういえば、櫂の木については、私も以前、この記事で写真を載せたことがありました。

あれは、県の「三徳園 -岡山県立青少年農林文化センター」という施設を取り囲む森=「小鳥の森」を訪ねた時の記事でしたが、たくさんの楷の木がそこにはあります。

岡山県には、ほかにも、「閑谷学校」や、「(平串)田中(でんちゅう)美術館」など、みごとな楷の大木で有名な名所が少なくありません。

田中美術館のホームページにこの記事がありましたので引用させていただきます。




 
楷は中国原産の落葉喬木で、新芽は美しい紅色、若芽は芳香があるので茶の代用とし、幼芽は食用とします。

 葉の生じ方や枝振りが直角に整然としていることから、樹木の手本になる木として貴ばれ、儒学の祖、孔子が亡くなった時に弟子の子貢が、人間尊重と人格形成を説く孔子を偲んで墓所に植えました。

 そのため「学問の木」と呼ばれており、書道でいう楷書の語源もこの木にちなんで名付けられたと言われています。

 田中苑の南入口(市民会館の正面)にある楷の木は、11月3日前後、見事に紅葉します。(年によって異なります)井原市民はもちろん、県内各地から紅葉を賞する人が毎年楽しみにして訪れています。

 
楷を最初に日本に入れたのは白沢保美博士(当時、農商務省林業試験場長・林学博士)で、大正4年に博士が中国に出張したさい、孔子の墓所にある楷の根元に
落ちていた種子を持ち帰り、林業試験場で下種し苗を育て、これを湯島聖堂(東京・大正11年)、足利学校(栃木県・同年)などの孔子ゆかりの地に植えまし
た。岡山では大正14年、旧閑谷学校に植えられ、その後県庁、三徳園、岡山大学、後楽園にも株分けされました。

 田中苑の楷は、馬越恭平
(「ビール王」と言われた井原市出身の実業家)の孫にあたる方が、中国に行った時に持ち帰った苗を井原市に寄付し、昭和49年に田中苑の土地を取得(昭和
48~50年にかけて苑を建設、昭和51年供用開始)したさい、植樹したものです。また、昭和58年には市内各小学校にも植樹しています。


ここにもあるとおり、確かに後楽園にも楷が植えられているのは間違いありません。

真っ赤に、また木によっては真っ黄色に色づくのは、11月頃のはず。その頃なら見分けられましょうが、9月の今ではどうでしょうか?

まだ緑が濃いですが、この木かな?





わずかに赤い葉が見えますが、、、。自信ありません。





これは別の個所に生えている木なのですが、どうでしょう?ますます自信ありません。

ウルシ、ハゼ、ヌルデ、カイなどなど、似ている気がして、はっきり区別できません。



この建物は、茶祖堂です。千利休と、岡山の生まれで「茶」を日本に伝えた栄西禅師が共にまつられているそうです。





これは園外の、「荒手茶屋」の側に生えている木なのですが、これも断定はできません。(汗)















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コメント 4

majyo

きれいだなあ~、岡山って良いところだなあと思って
写真拝見していたら、
なんと櫂の木の話、そして東京新聞のコラムに出ていたのですか!
取っているのに読んでいませんでした。
同じ事を思ったのですね。結構嬉しいです
櫂とは規範ですね。楷書の通り
正しい事が正しいと言える社会にならなくては・・・・


by majyo (2015-09-23 19:37) 

kazg

majyo 様
ネットで、いろいろな言葉を検索していると、不思議に、東京新聞に行き着くことが多いです。つい、引用したくなります。
> 正しい事が正しいと言える社会
弱い者、声の小さい者にもやさしい社会、人間としての尊敬を忘れない社会であることが基本条件でしょうかね?
by kazg (2015-09-23 23:26) 

momotaro

majyoさんの感想と重なりますが、
いずれも素晴らしい風景写真だなあと思って楽しませていただいておりましたら、majyoさんの先日のブログ、楷の木にはじまって、それに立派な枝と葉をたくさん繁らせてしまうのですから、奥の深さに驚嘆しております。
その楷の木もその含意も中国由来だというのに、その中国を仮想敵国にして、国の進路を曲げてしまうのですから、呆れたバカどもです!
と言われても仕方ありませんよね!!
by momotaro (2015-09-25 06:11) 

kazg

> その中国を仮想敵国にして
しかも、その仮想敵国を、最初の駆けつけ警護の対象とする筋のたたなさ、、、あきれますね。
by kazg (2015-09-25 17:41) 

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