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「年金裁判」は何に貢献するか?の巻 [時事]

「年金裁判」というものをご存じでしょうか?

今年の五月、こんなニュースが報じられました。

地元新聞「山陽新聞」web版の記事から引用します。

 特例を解消するためとして、年金額を引き下げたのは生存権の侵害で憲法違反だとして、岡山県の年金受給者56人が29日、国の減額決定の取り消しを求め、岡山地裁に提訴した。



 原告弁護団によると、全国では鳥取、徳島、山口など5道県で計432人が訴えを起こしており、この日は2次提訴を含め13都府県で計1549人が提訴。今後も各地で訴訟が起こされる予定という。



 
年金額は、物価変動などを踏まえて毎年度見直されるが、物価が下落しても特例で減額しなかった時期があったため、本来より2・5%高い水準で支給されてい
た。この特例を解消するため、政府は2013年10月に1%、14年4月にも1%減額。15年4月には0・5%引き下げた。



 訴状では、日本の年金水準は、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するにはほど遠いのに、減額は年金受給者の生活を破壊すると主張。13年度の減額決定取り消しを求めている。原告は1%の減額で、年間年金額が最大約2万8千円減ったとしている。



 提訴後に会見した原告代表の男性(76)=総社市=は「特例の解消は年金瓦解の第一歩だ。子どもや孫の世代の年金を守るためにも頑張っていきたい」と述べた。(2015年05月29日 12時42分 更新)




一読しただけでは、ナンのことかわかりにくいおはなしですね。



一昨年、ブログを始めたばかりの頃、こんな記事を書いたことがありました。

マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?

また、今年の春のこの記事でも書きましたように、私、年金受給者となってから、「年金者組合」というお仲間とおつきあいしています。

若いころには、自分が「年金受給者」となる姿を、リアルにイメージすることなどできませんでしたが、漠然と、悠々自適の平安な暮らしを想い描いていたように思います。それを励みに、現役時代、多少しんどくても頑張ろう、と思えたものでした。

しかし、案に相違して、「老後」の見通しは暗い。しかも、若い世代になればなるほど、将来の暗しに不安が募ってくる。こんな未来は、思ってもみなかった事です。



そんななか、今日の午前中、「年金引き下げ違憲訴訟を支援する岡山の会(略称年金裁判を支援する会)」という会の設立総会が開かれるというので、おっとり刀で駆けつけてみました。

予想を超えて会場は満席で、開始時間30分以上前についたのですが、かつての同僚(先輩)の方を初め、面識のある顔ぶれも、つぎつぎとおいでになり、懐かしく、また、心強いことでした。

会合では、呼びかけ人(団体)、原告団、弁護団の方々から、この裁判の意義や、運動に取り組む決意がこもごも語られ、胸打たれ、目を開かされることのひとときでした。

開会の挨拶をする年金者組合県本部委員長東さん。





呼びかけ人のひとり花田県労会議元議長



「年金削減に異議あり、高齢者の生存権を脅かすな!」と、全国で取り組まれているこの裁判運動は、直接的には2013年10月からの1%削減の取り消しを求めるもの。

法廷では、2012年の法改正が、①年金生活者の生活を保障する憲法25条、②老後の設計をしてきた年金者の幸福追求権(憲法13条)、③年金保険料を支払い続けてきた年金受給権=財産権(憲法29条)をそれぞれ侵害するもので、憲法違反、と主張し、裁判の中で、公的年金制度について議論を展開していく。

政府を法廷にひきだし、政府が進める年金引き下げ・年金制度破壊の不当性を明らかにしつつ、若い人も高齢者も安心できる年金制度の実現に向けて、制度のあり方を問う裁判。

などが、この裁判運動の基本ポイントのようです。



このたびの「年金裁判」をネット上でググってみると、どうも、若い世代の犠牲の上に、自分だけ安穏な暮らしをしたいわがままな高齢者の、利己的な主張であるかの受け止めも少なくないようです。

一例を、JCASTニュースから引用してみます。








報道によれば、原告団長で全日本年金者組合・東京都本部執行委員長の金子民夫さんのもとには、


「もう節約なんてギリギリだ。本当にもやしばかり食べなければいけないのでしょうか」

「収入は年金だけだ、支出は増える一方だ。なぜ年金を下げる。年寄りは死ねというのか」

という声が届いているという。記者会見では高齢者の窮状ぶりを訴えたようだ。 

しかし、訴訟に対し現役世代の反応は冷たい。ツイッターなどネットでは、

「今まで散々若者から色々な富を搾取してきたジジババ共が『もっと金よこせ搾取しろ』だってよ」

「払った金額よりも多額を受け取っておきながらこの厚顔無恥ぶり」

という不満が目立った。また会見で出たフレーズ「年寄りは死ねというのか」をやゆして、

「えっ?若者に死ねって言ってるの?」

「『では若者に死ねと言うのか』と返したくなる」

という声もあった。



ことあるごとに、国民の間に分断のくさびを打ち込み、そのささやかな利害の差につけいって、お互いの反目・離間をはかりながら、結果として国民全体に耐え難い負担と犠牲を押しつける歴代政府の手管に、やすやすと乗せられないようにしたい。とホゾをかむ事の多い昨今です。



そのことを踏まえて、「支援する会」設立総会での、印象に残った点をいくつか書き留めておきます。



○「訴状」はこの裁判の目的と意義についてこう述べています。

「原告らは、年金世代が憲法上の年金制度のあり方を問うことを通して、憲法が定めるこの国のあり方を明らかにし、次世代の人々が、本当に人間としての尊厳が守られ、人間らしく、安心して暮らせる平和で豊かな世の中にすることに貢献したいと考えている。これが本訴訟の目的であり、意義である。」

年金世代である自らが、その責任として、年金制度のあり方を問うのですが、真に求めているのは、次世代の人々が安心して暮らせる世の中に貢献することだというのです。私、これには全面的に賛成です。年金問題は、決して現在の高齢者の問題ではなく、将来の高齢者、つまり今の現役世代・若者の問題なのですね!



○「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した憲法25条を裁判で争った典型は、「人間裁判=朝日訴訟」でしょう。原告の朝日茂さんは、岡山県の人です。

ところで、朝日訴訟について、私は25年も前のある機会にこんな文章を書いたことがありました。


倉敷市に隣接する都窪郡早島町王山の麓に、「人間裁判」記念碑がある。

 
重度の肺結核を病み生活保護を受けながら、国立岡山療養所早島光風園に入院していた朝日茂が、生存権の保障を求めて裁判を起こしたのは1956年のこと。
この裁判は、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」の内実について、国民的な問題意識を喚起し、広範な支援が寄せられたが、裁判は長引
き、64年2月、茂は最高裁判決を待たず50歳の生涯を閉じた。

 訴訟は、養子の健二・君子夫妻によって引き継がれたが、67年5月、最高裁は「本件訴訟は...上告人の死亡によって終了した」として上告棄却した。

 
「朝日訴訟は、今では日本の夜明けの原動力であります。この訴訟は、人間の生きる権利、生命の尊厳をまもりとおすことを主張するものですが、それは個人の
ちからでは決してできるものではありません。わたしたちみんなの力で、日本の夜を明けさせましょう」(後述筆記による茂の「遺書」の一節)



 朝日訴訟関連リンク1

 朝日訴訟権連リンク2

 朝日訴訟関連リンク3

 朝日訴訟関連リンク集4




○朝日訴訟を成り立たせたのは、原告の朝日さんご自身と弁護団の献身的な奮闘に加えて、「患者同盟」をはじめとする支援者の奮闘だったと、「支援する会」呼びかけ人のお一人、社会保障推進協議会の川谷さんが仰っていました。

朝日さんは、当時600円の生活保護費が不足だとして、1000円を要求してたたかいました。いかにその数値が現実妥当な根拠ある金額かを明らかにしていくうえで、患者同盟は、入院患者の詳細な調査などを踏まえて、病院食だけでは健康を維持できないこと、統計的に入院患者の捕食費が1000円程度であることからも、要求が妥当であることを明らかにしていったそうです。裁判が、単に原告の「たたかい」であるだけでなく、支援者と共に取り組む運動であることの一例。心に残りました。



○弁護団長則武透さんの講演:メモ1
朝日さんの死の直前の言葉。

・私は小林多喜二の小説「一九二八年三月一五日」の一節に、エピソードとしてある蟻の話に深い感銘を受けずにはおられない。

・朝日訴訟、人間裁判の戦いが、いささかなりとも、日本人民の一つの割栗石となれば、もって瞑すべきであると思う。

多喜二の「一九二八年三月一五日」にある蟻のエピソードとはこれです。

自分達の社會が來る迄、こんな事が何百遍あつたとしても、足りない事をお由は知つてゐた。さういふ社會を來させるために、自分達は次に來る者達の「踏臺」に
なつて、××××にならなければならないかも知れない。蟻の大軍が移住をする時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシ/\川に入つ
て、重り合つて溺死し後から來る者をその自分達の屍を橋に渡してやる、といふことを聞いた事があつた。その先頭の蟻こそ自分達でなければならない、組合の
若い人達がよくその話をした。そしてそれこそ必要なことだつた。 



○弁護団長則武透さんの講演:メモ2
 
憲法25条は、明治の自由民権運動家植木枝盛の「東洋大日本国憲法案」の「人民ハ生命ヲ全フシ、四肢ヲ全フシ、形体ヲ全フシ健康ヲ保ツ」という一文を参考に、憲法研究会(高野岩三郎、鈴木安蔵ら)の案「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有スル」が作られ、1945年12月新聞発表と同時にGHQに提出された。戦勝国の「押しつけ」という言い分は当たらない。

---因みに、私の過去記事で、二度ほど植木枝盛にちょっとだけ触れたことがありました。

一昨年、高知市を訪ねた時のこの記事と、この記事です。



○弁護団長則武透さんの講演:メモ3

年金訴訟は、立憲主義を守る重要なたたかいの一つだとして、SEALDsのホームページの一節を紹介されました。もちろん、この「夏の陣」の関心の的ですので、斜め読みはしていましたが、改めて一言ずつ噛みしめて読んでみると、やはりスゴイ。大賛成です。

 私たちが望むのは、格差の拡大と弱者の切り捨てに支えられたブラックな資本主義ではなく、豊かな国民生活の実現を通じた、健全で公正かつ持続可能な成長に基
づく日本社会です。私たちは、多くの国民の生活を破壊しかねない現政権の経済政策に反対します。そして、公正な分配と健全な成長政略を尊重する政治を支持
します。

若者の中に、このように健やかな未来社会への志向が、健全に育っている事実は、大きな励ましであり、私のみならず会場の多くの人が目頭を押さえて聞きました。



「支援する会」設立総会の記事。事実だけを記載して、あっさり終わるつもりが、書ききれず、最後までまとまりがつきません。まあ、ことは、はじまったばかりなので、また続きを書く機会もありましょう。



ところで、今日は、孫たちの小学校の運動会でした。

遅ればせながら、午後の部を参観しました。

陽射しが強く、暑さにめげましたが、演技する子ども達は、すこぶる元気でした。



万国旗。青空の下、紛争もなく、平和です。



玉入れ。



整列して演技中の子ども達。





校庭付近の楓(フウ)。



楓(フウ)の実。



今日はここまでです。
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majyo

小林多喜二の蟻の話は、衝撃的ですが、真理かもしれません
真似は出来ませんが、その覚悟をもってやらなければならないのでしょう
日本のあるべき姿は、国連常任理事国になる事でも、軍事国家として
世界に肩を並べる事でもなく、
ましてやオリンピックを開く事でもないと思うのです。
出来るだけ、国民の総幸福度が上がる事だと思いますが
現況は全て逆行しています。
年金については、若い方に言われました。
あなたたちは良い。しかし我々は年金そのものが崩壊しているかもしれない
だからこそ、経済に強いアベさんを支持すると。

国のあるべき姿の方向性を間違えると
消費税は上がり、年金は下がり、軍事費が増え、
軍事産業は儲かり、一部の人へ富が偏ります
誰もが満足する社会と言うのは難しいのですが、
方向性だけは、理想を求めて欲しいと思います。
いつも、為になるお話しありがとうございます。


by majyo (2015-09-27 10:01) 

kazg

多喜二の蟻のエピソード。
実は私は、青年時代の初読の頃から、一抹の抵抗感というか、引っかかるところがあって、全面的には納得しきれない個所でした。そんなことを書いていると主題が分散して、何が何だか分からなくなるので、弁護団長の元気の出る話の一つとして、さらりと書いて見たつもりですが、 majyo様のお目にとまり、またまたちょっと考えさせられました。
全体に多喜二という人は、柔らかな、ふくらかな、均衡の取れた感性の持ち主で、生粋のヒューマニストであったと感じます。私は、そこに深く惹かれるのですが、それを抑制して「無理に」、ドライな勇猛な感性を造形し、それを「労働者的」と描こうとしている事が時に見受けられます。過酷な時代の仕向けるところと理解していますが、それを多喜二の「革命的」本質と断じることには、若干の違和を覚えることがあります。
多くの自覚的な自己犠牲の上に、歴史の進歩がかたちづくられたことは否定できません。だが、一匹の蟻のいのちの重さ、幸福追求権の重さを、見ないで過ごすことには、承服できない思いがあり、このジレンマの高次の統一というようなことを、時折考えます。(意味不明で、失礼)
> 日本のあるべき姿は、(中略)
> 出来るだけ、国民の総幸福度が上がる事
まったく賛成です。




by kazg (2015-09-27 18:56) 

さきしなのてるりん

国民の間に分断のくさびを打ち込み、そのささやかな利害の差につけいって、お互いの反目・離間をはかりながら、結果として国民全体に耐え難い負担と犠牲を押しつける歴代政府の手管に、やすやすと乗せられないようにしたい。>おっしゃる通り、高見でほくそえむ人こそが若者と年金生活者、あるいは生保の人達の「敵」ですが、身近で間に合わせてしまう傾向があるんですね。戦中、隣の人が供出物を隠していたとちくったりとか。に似てます。本来手を携え立ち向かうべき相手は隣にいる人ではないのだけど。
by さきしなのてるりん (2015-09-27 19:20) 

kazg

さきしなのてるりん様
同感です。ほんとうにそうですね。
by kazg (2015-09-27 23:16) 

momotaro

majyo さんのコメントにもあるとおり、日本政府がおよそトンチンカンノの政治をしている今、私たちが世代間の対立をしている場合ではありません。
それを克服し融和して真の政治を求めて行く知恵とその萌芽が、この記事に示されていると思います。世代間の連帯をいつも頭に置きながら、ともに生きて主張を展開して参りましょう ヽ(^o^)丿
by momotaro (2015-09-28 11:31) 

kazg

momotaro様
ありがとうございます。
> 世代間の連帯をいつも頭に置きながら、ともに生きて主張を展開して参りましょう ヽ(^o^)丿
はい、かならずや、、、。

by kazg (2015-09-28 18:20) 

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