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さらにもう一つの11月3日、の巻 [今日の暦]

majo様からいただいたコメントで、大事なことを思い出しました。
澤地久枝さんのホームページに、次の呼びかけが掲載されています。

澤地久枝のよびかけ

 アベ政治を許さない!!
 同じポスターを全国一斉にかかげよう

11月3日(火・祝)午後1時きっかり

◆◆全国一斉行動 再開のお知らせ◆◆

7月18日午後1時の「掲げる会」にご協力ありがとうございました。
8月、9月と体調をくずしていましたが、政治のあまりのひどさに、また「アベ政治を許さない」を掲げようと思い、よびかけます。

再開第一回目の11月3日(火・文化の日・憲法公布記念日)私はこの日長野県阿智村のいずれかの場所で立ちます。(国会前には、有志が立ちます。)
そして、毎月3日午後1時にくりかえします。
それぞれの場で、おなじ抗議ポスターを、おなじ時間に掲げます。
現在の政治のありかたに対する、私たちのギリギリの意思表明です。
ファックスやネットでも広げてゆきましょう。

           2015年10月 澤地久枝

そして同時に、「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動 実行委員会」が呼びかけている、2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」の開始日でもあります。この署名運動は、「従来はともすると別々に取り組まれていた署名運動を1本化するという画期的な試み」だそうです。
詳しくはこちら



ところで、majo様の今日付のブログを拝見すると、2004年イラク人質事件について、当時執筆されたご意見が掲載されており、強く共感しつつ、感慨深く読ませていただきました。
ついでといっては僭越ですが、私も当時、イラクの状況についてこんなことを書いたことを思い出しました。
少し長く、しかも話題が多岐に渡りますが、記録的意味で一部を掲載させていただきます。

 この間のわずかな経験でも、いわば20年を1年に凝縮したようなと言われるほどの激しさ・すさまじさで情勢が進展していることを実感させられます。今日の激動を、歴史の岐路・人類史の分岐点と称した人がいますが、誇張でなくまさしくその通りと思います。
 いま、学校と教育が、あるいは日本という国が、ひいては地球人類そのものが、いったいどの方向へ進めばいいのか、そしてまた、その未来に光はあるのかといった、根源的な問いをはらんだ針路選択に、直面していることを意識しないわけにはいきません。
 「道に迷ったら出発点に戻る」のが、山歩きのセオリーだと聞きます。人生においても運動においても、「迷ったときには原点に立ち返る」という先人の教訓を、私は、改めて想起しているところであります。

原点その1 「教え子を戦場に送るな」



 私自身、教職への意思もまだ定まらない学生であった頃、たまたま目にして、深く胸奥にとどめてきた詩があります。1952年(ちょうど私の生まれた年)
に、高知県教組機関誌「るねさんす」に発表されたという、当時の青年教師竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」と題する詩です。
  
「逝いて還らぬ教え児よ/私の手は血まみれだ!/君を縊ったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の子の師の名において/嗚呼!/『お互いにだまされて
いた』の言訳がなんでできよう/慚愧 悔恨 懺悔を重ねても/それがなんの償いになろう/逝った君はもう還らない/今ぞ私は汚濁の手をすすぎ/涙をはらっ
て君の墓標に誓う/繰り返さぬぞ絶対に!」

 この詩がウイーンの第一回世界教員会議で紹介された時、これを聞いた人々は、国の違いを越えて、ハンカチで顔をおおい嗚咽したといいます。
 
「教え子を戦場に送らない」これが、戦後教職員運動の原点であり、万国普遍の教師の誓いであった訳です。この悲痛な嘆きが、新しい涙を伴って再現しかねま
じき昨今の状況を打開することを、ひきつづき、私たちの運動の中心に据えていかなければならないと決意しているところです。

 ところで、「教え子を戦場に送る」とは、単に彼らを戦闘の恐怖や戦死・戦傷の脅威にさらすことのみを意味しているわけではないことを、私は最近のニュー
スから改めて考えさせられています。5月20日付山陽新聞に、顔写真入りで7人のアメリカ人兵士が紹介されています。
 ジェレミー・シビッツ技術兵(24)
 ペンシルベニア州出身。軍用車両の修理 が専門、全裸のイラク人収容者がピラミッド状に折り重なった虐待写真を撮影したなどの疑い。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)
 メリーランド州出身。高校時代は陸上競技のスター選手。信仰心の厚いキリスト教徒との証言もある。収容所の手や足を踏みつけるなど6件の虐待に加担した疑い。
リンディ・イングランド上等兵(21)
ウェストバージニア州出身。高校卒業後気象学者を志し、大学で勉強するための補助がえられる軍に入隊。全裸の収容者の首に巻いたひもをひいたり、くわえたばこで全裸の収容者を指さす写真が世界中のメディアで報道され、虐待事件の”象徴的存在”に。
サブリナ・ハーマン技術兵(26)
バージニア州出身。ピザの宅配などをやりながら、大学入学を目指して入隊。全裸の収容者がピラミッド状に折り重なった背後で、グレーナー技術兵と笑っている写真が報じられた。 (以下略)

 もし、戦争さえなかったら、才能にあふれた、まばゆいほどに頼もしい若者として、家族からも周囲からも、愛と誇りを持って遇されたはずの彼らが、人間と
して恥ずべき残虐行為に手を染め、今、決してぬぐい去ることのできない悔恨に身を灼いていることは、同世代の子供を持ったり、同世代の教え子を社会に送り
出してきた者としては、痛ましさを禁じ得ません。

 収容所の連想から、私は、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」というの映画「シンドラーのリスト」の中のセリフを思い出さずにいられ
ません。同時に、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」に登場する、ミステリアスな女主人公ハンナが、強制収容所の看守としての行動を戦
争犯罪として裁かれる法廷で、繰り返し裁判官に問いかける「あなただったらどうしましたか?」という言葉も、決して人ごととは思えません。


奇しくも同じ名を持つ政治学者ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を通して「ホロコーストの残虐な実行者が、上司の命令に忠実なありきたりの官吏であっ
たという『悪の陳腐さ』」の問題を鋭く追及しましたが、彼女が投げかけた「組織の中の個人の責任」という問題は、現代の私たちにとっても、決してさけては
通れない問いかけだと思います。

 ハンナつながりで、3人目のハンナの話題を添えたいと思います。無声映画で活躍し、トーキー隆盛の中にあっても頑なにサイレント映画製作にこだわり続け
てきたチャップリンが、初めてつくったトーキー映画が「独裁者」でした。チャップリンは、ヒットラーをモデルとした独裁者ヒンケルと、うだつの上がらない
ユダヤ人床屋の二役を演じていますが、そのユダヤ人床屋がヒンケルに間違われて、大群衆に向かって演説をしなくてはならない状況に追いやられます。最後の
5分間と呼ばれるこの演説は、「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し」と恋人ハンナに放送で呼びかけるところから始まります。このメッセージを世界の
人々に届けたかったために、チャップリンがあえてトーキーを選んだとも言われています。

「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いている 明るい光がさしはじめた 新しい世界が開けてきた 人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ 人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって 輝かしい未来が君にも私にもやって来る。 我々すべてに! ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」

「私たちは、みんなお互いに助け合いたいと望んでいる。人間というのは本来そういうものなのだ。他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きた
い。人間というのは、本来そういうもので、憎みあったり、軽蔑しあったりしたくはないんだ。----」 

 このメッセージを、しっかりと、子どもたちの胸に届くように語ることこそ、大人たちの、なかんづく私たち教職員の役目ではないでしょうか?

原点その2 勤評は戦争への一里塚
 教員への管理評価をつよめ、さらにそれを賃金・待遇と結びつけるという新しい勤評制度導入の動きが全国で強まり、岡山でも導入に向けての検討が始められています。「勤評」という言葉を聞くと、脳裏に浮かんでくる曲があります。
 1957年に始まった勤評導入の動きに反対して、歌われた上野博子作詞、荒木栄作曲「子供を守る歌」がそれです。

子供達よ
健やかに育ちゆく
子供達よ
「先生」と呼びかけて
今日も集まる54人のつぶらな瞳
私の愛する 子供達よ
どう教えたらよいのだろう
どう知らせたらよいのだろう
わたしの上に みんなの上に
覆いかかる暗い影を
この影を この暗い影を
ねえ、みんな この中に一人でも
わけもわからず 怒鳴られたり 笑われたり
人を蹴落として
自分だけがいい子になろうとしたら
どんなに どんなに
悲しいことだろう
御国の為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ
良心の呵責が弱さを支え
平和を守る心が 私を鍛えた
明るい太陽の その下で
すくすくと伸びる子供達よ
笑い顔 おこり顔 おどけた顔で
野の花のように 美しく育てよ育て
平和な未来を 築くために
国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ
私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな!  

 この歌で、「子どもたちよ」と呼びかけられたのが、世代としては、まさに私たち、もしくはもう少し先輩方の世代です。
「この中に一人でもわけもわからず、怒鳴られたり笑われたり、人をけ落として、自分だけがいい子になろうとしたら、どんなにどんなに悲しいことだろう」
今、大人になり、しかも教師になった私たちが「人をけ落として自分だけがいい子になろうとする」ような制度を許してしまえば、子どもたちを分断・差別と排
他競争からまもることなどとうていできないことは明瞭です。先輩教師たちがまさに、「勤評は戦争への一里塚」と喝破した、同じ本質とねらいが今日の新勤評
の背後にもあることを見抜いて、国民的な反撃を強めていかなければならないと思います。

原点その3 「自己責任」か「お互い様」か?
 日曜日の山陽新聞に「時代のキーワード」という記事が連載されていますが、五月二〇日付で「自己責任」という言葉に触れています。
 記事は冒頭、「イラク人質事件で噴出した自己責任論。しかし、同様の被害に遭った外国人が自国で責任を追及された話は聞こえず、海外メディアやパウエル
米国務長官までバッシングに驚きを示した。なぜ、日本人がこれほど『自己責任』にとらわれたのか」と問いかけた後、「『自己責任』という言葉が『妖怪』の
ごとく日本社会をさまよい歩いている」(桜井哲夫東京経済大学教授『〈自己責任〉とは何か」』)という言葉を引用しながら、その背景を鋭く分析していま
す。
 それによりますと、この言葉の歴史は意外に浅く、八〇年代半ばの金融緩和以降、住専問題や金融破綻という事態のもとで、貯蓄や投資の面で自
己責任が言われ始めたのが初め。それが、年金や医療、果ては恋愛にまで拡散し、『めちゃくちゃな使い方』」がされてきたが、「今回もその延長線上」と指摘
しています。
 そもそも「自己責任」という言葉自体、外国語に訳しにくく、海外では「セルフレスポンシビリティ」と直訳したメディアもあったが、
ローマ字で「jikosekinin」と書いて説明を付ける記事も目立ち、また、人質への批判は「OKAMIにさからったから」という解説もあったといい
ます。
 記事はさらに、自己責任論をたてに人質を攻撃した世論について、立石真也立命館大教授の指摘を紹介しています。氏は、最近の新自由主義的
な競争社会のなかで、「『自分で背負え』『クビになってもおまえが悪い』というシステムが強まっている。本来ならシステムを批判すればいいのだが、(中
略)違うルールで動く人たちが現れると、『おまえだけ自己責任を回避するのか』と敵意が集中する。」、「でも、自己責任と非難した人たちをただ批判したく
ない。彼ら自身も自己責任と言われつづけている」、「もっと人々が楽になれるシステムがあると説得することが大切である」と述べていますが、同感です。
アメリカの戦争を補完するための軍備増強と、大企業優遇財政という二つの柱だけは最優先しながら、国民生活、医療、福祉、年金、地方自治、教育、中小企業・農業のすべてに犠牲と負担をしわ寄せしてきたのが、小泉構造改革路線でした。
たとえば、軍事費については、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所が毎年発表している年次報告書(2003年度版)によると、02年度の軍事費の
国際比較では、日本は米国についで第二位の軍事大国となりました。今、世界は全体として軍縮基調にあり、アメリカとともにイラク空爆に参加したイギリスで
さえ、93年度に比較して13パーセント削減していますが、日本の場合は二割近く増大しています。社会保障への公費負担は、日本は、ドイツ、フランス、イ
ギリスの2分の1から3分の1にすぎず、一方で、公共事業はフランスの1・5倍、ドイツの3倍、イギリスの4倍にもなります(GDP比)。こうした、世界
でも特異な逆立ちの政治をおしすすめるための思想的なテコとして、「自己責任」論が働いていることに注目しておく必要があると思います。
 いま、倒産、リストラ、賃下げの進行などのもとで、高校授業料の負担も容易でない家庭が増えていますが、岡山県は「短きものの端切る」がごとく、今春も
授業料の引き上げを強行し、さらに追い打ちをかけるように、「学校管理規則」を改正して授業料滞納者を除籍できるようにし、こまごまとした手続きのし方を
各学校に通達しています。保護者の負担責任を問うのはまだしも、「責任」を負わされるいわれのない子どもたちから、サラ金まがいの取り立てを、しかも担任
をも巻き込んで行い、応じられない場合には退学の大ダンピラを振りかざすという冷酷な仕打ちは、教育の場にはあってはならないことです。本来、個人の力の
及ばない(この後未完)

おわりに 組合の存在意義
平和、子どもの権利、憲法・教育基本法、それも結構だが、「賃下げ負担増のなかで、削れるものは組合費」「多忙化の進行で、組合の活動は余分で負担」という声も聞こえます。
誰もがみんな組合員という時代とは違って、「なぜ組合が必要か」「自分にとって組合とは何か」という、いわゆる存在意義の問題を、一人一人が自覚せずには立ちゆかない時代なのかもしれません。
 「組合は空気のようなもの、なくなって初めて有り難みに気づく。」ともいい、「組合は、教職員の暮らしと権利、子どもと教育環境をまもるオゾン層」とも言ってきました。その通りだと思います。
最近、「組合は、雨傘のようなもの。晴れてるときは、じゃまにも思えることもあるが、土砂降りの雨には、なくてはならない。一緒にお入りと、人を誘うと喜ばれる。」という言葉も聞きました。
「組合とは何か」「なぜ、今、組合か」が、各職場の組合員一人一人の言葉で語られるような、生き生きとした運動をつくりだしていく事が求められています。
 冒頭、私は歴史の岐路ということばを用いました。一時期的には、か細くとぎれそうに見える場合があっても、人類史の大道は坦々として未来に通じていま
す。「人が歩けば道になる」と魯迅も言いましたが、誘い合って仲間の輪を広げ、この道を踏み固めながら、ともに元気に楽しく歩んでいきたいものです。


ご推察の通り、教職員組合のお仲間相手に書いた文章(の元原稿)です。実際に日の目を見たのはこの一部分でしたが。
11年前の文章が、今も使える気がします。
追記 その1「『道に迷ったら出発点に戻る』のが、山歩きのセオリー」と言うと、山歩きの好きな若い(あくまでも相対的に、ですが)友人は、「道に迷ったら、動いては駄目。その場にとどまるのがセオリー」と教えてくれました。
追記 その2 チャップリンの演説は、この記事でも話題にしました。見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)
追記 その3 「子どもを守る歌」は、こちらの二つの記事でも話題にしました。
「だまされも だましもせぬと 誓うた日」

八日目の蝉もをるらん原爆忌

結局、いつもいつも、同じ事を繰り返して言ってるものだと、つくづく思います。が、まだまだ、繰り返して言うつもりです。


今日の写真は、「ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」の呼びかけにちなんで、見上げてみました。
屋根の上のアオサギ。

 

IMGP3737.jpg

青空を舞うコサギ。
IMGP6385.jpg
 
電線のムクドリ。
S0239987.jpg

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S0179966.jpg
 
 電線のジョウビタキ♂。

 
S0109939.jpg
 
S0099936.jpg

後ろ姿を見ると、別名の「紋付き鳥」 の面目躍如ですね。
S0139952.jpg
 
アンテナに止まるジョウビタキ♂。
S0059920.jpg
 
S0059925.jpg
 
 いずれもわが家の近所、せいぜい歩いて数分以内のところで観察しました。少し寒さが緩んで、何よりの散歩日和でした。今日の散歩画像のご紹介は、とりあえずここまで。続きはまたの機会といたします。
では、 また。
 
 
 
 
 

 

 


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コメント 2

majyo

私も忘れていたのですよ。
tempest17さんが 国会前に「アベ政治を許さない」を掲げに行くと
書かれていて、思い出したのです。
毎月3日ですね。

「戦死せる教え児よ」 は慟哭の詩ですね。涙を禁じえません
アメリカ人兵士の罪状ですが
これは狂気の中での事もあると思うのです。
闘いは人の感覚を麻痺させます
もしかしたら、戦時中に生まれていたら
私はバリバリの軍国少女になっていたかも?と
恐れる気持ちもあるのです。

>教員への管理評価をつよめ
驚きましたが、さもありない!
今の政府は教育を変えようとしています。
とても信じられない事をしようとしているように思います


by majyo (2015-11-03 19:12) 

kazg

majyo様
> これは狂気の中での事
本当に、そうとしか考えられません。
そして、誰でもが、そのような狂気に陥りかねない事の恐ろしさ、、、。
このような、人間の弱さ、醜さへの自覚なしに、その超克はあり得ないでしょう。
だのに、過去の過ちを直視する努力を「自虐史観」と嘲り、侵略の事実すら認めず、「戦争だからどの国にもある」と、戦争犯罪や残虐行為をも免罪する主張を、とくとくと唱える人もいて、政治の世界でも、ネット上でも、そんな蛮声が勢いを増している気配も感じます。
戦犯の祖父を無批判に英雄視してはばからない人物に、思うが儘に権力を弄ぶにまかせている、今のゆがんだ世の中を正さない限り、新たな狂気、新たな過ちの種子は尽きまじということでしょうね。
by kazg (2015-11-04 11:52) 

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