牧水余談 [文学雑話]
今朝方、M女史(わがブログではヨシミさんとお呼びすることもあります)から電話があり、昨日付けのブログを見たが、ちょうど昨日はヨシエさんと牧水の碑を尋ねたところだった由。(ヨシミ・ヨシエのお二方は、私のブログネタともなる種々の探訪をしばしば企画してくださる友人で、この記事をはじめ、何度か登場していただいています。)ついでに、近日、永瀬清子さんがらみの企画の情報も紹介してくれました。
若山牧水を話題にしたついでに、本棚から、読みかけで長く放置している本を引っ張り出してきました。
川西政明氏の大作、「新・日本文壇史」の一冊です。
伊藤整が1952年から「群像」で連載をつづけた「日本文壇史」は、伊藤の死により「日本文壇史18 明治末期の文壇」をもって途絶したのを、旧友の瀬沼茂樹が「日本文壇史19 白樺派の若人たち」以降を書きつぎ、完成させました。明治から大正の日本の文壇史を、全24巻に収めた力作です。
文庫版ですが、一冊1200円という値段設定で、なかなか全巻揃えるという勇気も出ず、とりあえず興味ありそうな巻だけをつまみ食い的に、買って拾い読みしています。読みかけで一旦閉じてから、つぎに手に取るまでにブランクがありますので、同じ個所を何度も読む事になりなかなかはかどりません。でも、ものは考えようで、老後の楽しみに取ってあると思えば、楽しみ楽しみ、、、です。
という10巻が刊行されています。
これは、ハードカバーの一冊3000円近い本ですので、やはり大人買いもできず、ちびちびと収集しています。
今日本棚から取りだしてきたのは、この「新・日本文壇史」の第二巻「大正の作家たち」という一冊で、この冒頭に置かれているのが、「第八章 若山牧水と太田喜志子」という章です。
この「新・日本文壇史」は、「日本文壇」を飾った作家達の、私生活や恋愛事情や、生々しい愛憎の相克が丹念な取材をもとに、一種ゴシップ記事さながらの克明さで描かれており、時に辟易する事なきにしもあらずです。必ずしも爽やかな読後感とは言い切れないのが率直な感想です。
この「第八章 若山牧水と太田喜志子」では、牧水とその妻になる太田喜志子との愛情を中軸に、若き日の恋人園田小枝子との恋愛と破局、太田喜志子とその周辺の男性たちの話題などが陰影を添えています。
牧水の第3歌集「別離」(1910年4月出版)は、波乱に富んだ青春の哀歓をうたって牧水の歌壇的地位を確立した歌集とされますが、そこには小枝子との恋愛と破綻の日々が色濃く投影されています。
明治40年の暮から、翌年の1月にかけて二十二歳の牧水は、房総半島の南端、現在の南房総市白浜町根本の海岸で、小枝子との恋を謳歌したのでした。
大雨ではないですが、雨が続きます。
散歩も億劫ですし、朝が何時までも薄暗く、撮影には適しません。
わが家の玄関先のナンテン。
若山牧水を話題にしたついでに、本棚から、読みかけで長く放置している本を引っ張り出してきました。
川西政明氏の大作、「新・日本文壇史」の一冊です。
伊藤整が1952年から「群像」で連載をつづけた「日本文壇史」は、伊藤の死により「日本文壇史18 明治末期の文壇」をもって途絶したのを、旧友の瀬沼茂樹が「日本文壇史19 白樺派の若人たち」以降を書きつぎ、完成させました。明治から大正の日本の文壇史を、全24巻に収めた力作です。
文庫版ですが、一冊1200円という値段設定で、なかなか全巻揃えるという勇気も出ず、とりあえず興味ありそうな巻だけをつまみ食い的に、買って拾い読みしています。読みかけで一旦閉じてから、つぎに手に取るまでにブランクがありますので、同じ個所を何度も読む事になりなかなかはかどりません。でも、ものは考えようで、老後の楽しみに取ってあると思えば、楽しみ楽しみ、、、です。
川西政明氏の「新・日本文壇史」は、この後を承けるかたちで執筆されたもので、
漱石の死 大正の作家たち 昭和文壇の形成 プロレタリア文学の人々 昭和モダンと転向 文士の戦争、日本とアジア 戦後文学の誕生 女性作家の世界 大衆文学の巨匠たち 日本文学から世界文学へ |
という10巻が刊行されています。
これは、ハードカバーの一冊3000円近い本ですので、やはり大人買いもできず、ちびちびと収集しています。
今日本棚から取りだしてきたのは、この「新・日本文壇史」の第二巻「大正の作家たち」という一冊で、この冒頭に置かれているのが、「第八章 若山牧水と太田喜志子」という章です。
この「新・日本文壇史」は、「日本文壇」を飾った作家達の、私生活や恋愛事情や、生々しい愛憎の相克が丹念な取材をもとに、一種ゴシップ記事さながらの克明さで描かれており、時に辟易する事なきにしもあらずです。必ずしも爽やかな読後感とは言い切れないのが率直な感想です。
この「第八章 若山牧水と太田喜志子」では、牧水とその妻になる太田喜志子との愛情を中軸に、若き日の恋人園田小枝子との恋愛と破局、太田喜志子とその周辺の男性たちの話題などが陰影を添えています。
牧水の第3歌集「別離」(1910年4月出版)は、波乱に富んだ青春の哀歓をうたって牧水の歌壇的地位を確立した歌集とされますが、そこには小枝子との恋愛と破綻の日々が色濃く投影されています。
ああ接吻(くちづけ)海そのままに日はいかず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま 山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ |
明治40年の暮から、翌年の1月にかけて二十二歳の牧水は、房総半島の南端、現在の南房総市白浜町根本の海岸で、小枝子との恋を謳歌したのでした。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ |
白鳥は、発表当時は「はくてう」とフリガナが施されていましたが、ハクチョウのことではなく、海辺を舞う白い鳥つまり、カモメの仲間を指すようです。現在は、「しらとりは、、、」と読むのが一般的です。
上はユリカモメです。別名「都鳥(ミヤコドリ)」。
シラサギです。これもしらとりですよね。
大雨ではないですが、雨が続きます。
散歩も億劫ですし、朝が何時までも薄暗く、撮影には適しません。
わが家の玄関先のナンテン。
刈り入れ後の稲田が、すっかり雨に濡れています。
風景も、マクロレンズで写してみました。
今日はここまでです。
2015-11-09 20:12
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コメント(2)
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へえー!白鳥はしらとりだったのか。この歳まで知らなかった。ハクチョウだったら海には馴染みませんよね。ガッテン、ガッテン。
by otokomaeda (2015-11-11 05:27)
otokomaeda様
サイズもでかくて悠々としていますから、「漂う」という危うさ、はかなさも、なじみませんしね。
by kazg (2015-11-11 16:31)