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リユース2題、の巻 [私の切り抜き帳]

瞬く間に、正月休みが終わりました。

孫たち(当人同士はいとこたち)は、どこへつれても行けませんでしたが、近所の公園で、楽しく遊びました。砂場遊びも飽きません。





この記事の一場面を思い出す情景でした。

  いや高に凍空翔(かけ)ん鳥のごと














サッカーボールを埋めています。





大阪の次男一家は、4日の月曜からは通常の生活が始まるので、3日のうちに帰りました。

一気に寂しくなりました。

今日などは、冬休みの宿題に大わらわの小6生が、家に閉じこもって奮闘していますので、邪魔をせぬよう、小2と保育園児はわが家で遊びます。午前中いつものように妻はパートで、家事・育児は、ジイジの肩にのしかかります。

わが家の人口密度ももがくんと減り、今年の正月用のおせちを消費するのが、なかなか大変です。そこで、思いついたのが、Reuse(リユース)=再使用。
環境用語として、「3R(スリーアール。さんアール)」と言う言葉が一般に用いられるようになったのはいつ頃からでしたか。、Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル)の頭文字からのネーミングだそうですね。そのReuse(リユース)の成果が、これです。
栗きんとんを、ケーキ生地と混ぜ合わせて、黒豆を散らし、オーブンレンジで焼きました。





ホットケーキミックスを使うようなレシピが、ネットに載っておりましたが、たまたま手許に切らしており、薄力粉とベーキングパウダーで代用しました。卵、牛乳、バター、砂糖などを、全くの目分量でいい加減にぶち込んで、焼き時間もいい加減、という「匠のワザ」で焼き上げました。



窓辺のカランコエと記念撮影です。世話もしないのに律儀に咲いてくれます。







おせちの栗きんとん、黒豆は、孫たちのお口に合わなかったらしく、たくさん余っておりましたが、お菓子にすると、それなりに消費してくれました。



もう一つのリユース。

昔、仲間うちの冊子のために、こんな文章を書いたことがありました。1996年ですから、ちょうど20年前のことになります。

冒頭で触れたこの記事とほぼ同じ時期のことです。

 

  いや高に凍空翔(かけ)ん鳥のごと
 「学校」雑感-この頃思うことなど-

(1)
ウォルフレン著「人間を幸福にしない日本というシステム」は、内容もさることながら、タイトルの秀逸さが印象に残る本で、時々無意識にそのフレーズを口ずさんでいたりします。そのうちに、ふと「人間を幸福にしない日本の学校というシステム」と語呂あわせをやって、そのリアリティにゾッとしてしまうのは私だけでしょうか。子どもも教師も、そして親も、学校のせいで苦しんでいる、学校が息苦しさと苦痛を増幅させている、学校さえなかったらどんなにかスカッと心が晴れ、どんなにか大らかに、やさしくなれるのではないか、などと半ばマジに考えてしまうこの頃です。
 そんなことから、今年の夏のK研究会で、「人間を幸福にする学校というシステムは可能か」と大仰な題目のレポートを報告したのですが、その際、そもそも「人間を幸福にする学校」という発想自体に、却って意外性と新鮮さを感じるとの指摘もありました。 
そういえば、2年ほど前の同研究会で、亡くなられたY先生が講演をして下さった時に、「子育て教育相談ネットワーク」での相談事例も紹介されながら、「学校嫌いが増えている。小二の孫までが、学校には行きたくないと言う。」と話されたことがありました。「昔、学校は農村労働、家事労働から解放される場所であり、仲間と遊べる場所であり、本があり楽器があり運動施設・器具があり、地域でもっとも文化的な心弾む場所だった。それにひきかえ、今の子どもにとって、むしろ家の方が文化的で快適で居心地よく、学校は『つらくても我慢して頑張る場所』になっている」という趣旨の指摘に共感しながら、ひとしきり、現在の学校の息苦しさ・魅力のなさが話題になったことでした。
 その場でのことでしたか、「わかる授業・楽しい学校」というかつてのスローガンの復権が、改めて話題になった時にも、「楽しい学校というものは、あり得るのか。むしろ形容矛盾ではないのか。第一、自分たち自身、これまで学校を楽しいと感じたことがあったか」という声も、少なくありませんでした。
 山田洋次監督が映画「学校」に寄せて語った、子どもを慈しみ育てる、暖かく優しい母のような「母校」のイメージは、しかし、現代日本の学校からは薄らいでいるように思えます。そこは、子どもを幸せにするどころか、不毛な「階段登り競争」(柏書房・講座「学校」1「学校とは何か」八章の寓話)へ子どもを追いつめ駆り立てる場であることを免れないのかと、絶望的になる事例があふれています。
 それでもやはり、夜学(映画「学校」Ⅰ)と障害児学校(映画「学校Ⅱ」)という限定された舞台だけでなく、すべての学校を「子どもを幸せにするシステム」へと転換する道を探りたいと思わずにはいられません。
 (2)
昨年(1995年)の正月、30年ぶりに小学校のクラス会がありました。県北の過疎地の、今では廃校になった小規模校です。総員17人の級友のうち、他界した者、家族の入院・介護などで取り込み中の者を除き、白髪混じりや太鼓腹が顔を揃え、お互い「ちゃん」づけで呼び合って、子ども時代へのタイムスリップを楽しみました。
 子ども時代「学校嫌い」など、聞いた覚えもありませんでした。比較的教師に可愛がられる「学校適応児」だった私の主観のためかと、常々疑問に思っていましたので、集まった級友たちに質してみると、やはり、誰もが「学校は楽しかった」と述懐します。往々に追憶が美化される点を差し引いても、当時の私たちにとって、少なくとも小学校は、居心地がよく楽しく温かい場所でした。(中学校以降には、選別と競争に苛まれる機会は増えていきましたが、でもそれを相対視できるだけの「自己肯定感」は、幼年期に培うことができたのではと、ありがたく思っています。)
 そのクラス会を一番親身に世話をしてくれたのは、「居残り勉強のMちゃん」とみずから苦笑する元「腕白少年」でした。そのことを、誰もが意外に思わないほど、教室での
成績が人格の一面に過ぎないことは、子どもたちにとって自明でした。ソフトボール、山登り、泳ぎ、魚捕り、農作業と、その場その場で秀でた面を発揮したり、逆にかばい合ったりすることで、お互いを認めあうことができていたと思います。
(注:このMちゃんは、還暦を待たずして、病没しました。この記事小学校時代の同窓会歩ちゃんを死なせた「疫痢」に思うことなどの記事参照。残念な事でした。)
 また、逆に、「勉強ができる」ことも、「読書好き」であることも、決して煙たがられたり茶化されたりの対象とはならず、その方面に自分を発揮することで、誇らしい感情を満たされることは、幸福なことでした。誰もが、学校の(生活の)主人であって、多かれ少なかれ、自己の自尊心を満たされる思いを経験できたことが、「学校が楽しかった」理由ではないか、と思います。
 ちなみに、小学校時代、制服はなく、鞄も自由、頭髪自由、校則などというものは聞いたこともありません。制服や鞄を新調することがなじまぬほど、地域社会が貧困であったことが最大の理由かもしれませんが、一面では「戦後民主主義」「戦後民主主義教育」の息吹が、学校にも社会にも残っていたのかもしれません。思えば高度成長の前夜でした。
(3)
それにしても、学校に行きたくない子どもの多さには驚きます。私事になりますが、今年高2になる長男が、高1の冬補習以来、ぱったりと学校へ行けなくな
り、家族一同絶大な転変を経験させられました。長男は、多少過敏なところはありましたが、生来、敏捷で活発な、そして負けん気の強い子どもでした。学校の
価値基準や規範に、過剰なほど適応して、懸命になるところもありました。小中学校の間は、成績面でも、生活面でも、「優等生」を演じてきましたし、校内マ
ラソンで入賞したこともありました。
 しかし、「中2の節目」あたりから「自分づくり」につまづき、目に見えて目的意識や生活の張りを失っていきました。神経性下痢、食欲不振、慢性的いらいらをつのらせ、「むかつく」を連発しながら、辛うじて苦役としての勉強に耐え、ひたすら走り続けたわけでした。高校入学後も、カウンセラー室を自ら訪ねたり、保健室で休養したりしながら、高1の12月までほぼ休みなしに登校しましたが、そこで力つきたようでした。
 朝ごとにすくみと取り乱しを繰り返しながら、教科書通りの登校拒否症状を呈し、ずーっと家に閉じこもったきり。次第に生気も覇気も衰えて、音楽、TV、マンガ、ファミコン三昧の、昼夜逆転の日々が続きました。この子から学校を取ると抜け殻しか残らない、と思えるほど、この子は学校に支配されていたのかもしれません。「三年寝太郎って、きっと実在したのよね」という妻の言葉は実感でした。そして、三年たったら目ざめるとわかっているのだったら、おおらかに対応もできように、と思ったりもしたものでした。
 学校の対応、特に担任、相談室の先生のご援助には、感謝のほかはありません。しかし個々の教師の善意や意図を超えて、学校、殊に進学校の生理は、子どもの自立のあがきや屈折を大らかに見守り、励まし支えるという方向には向かいにくく、立ち止まり、逡巡する者をも追い立て蹴散らして、ひたすら走り続けることを強迫的に求めるもののようです。
 ましてや、県内では、ここ二、三年、小学区・総合選抜つぶしの動きに呼応して、学校間の不毛な「生き残り」競争があおられていて、余裕のない業績主義が学校全体を包む空気となっています。それだけに、子どもにとって学校は、常にせかされ競わされ、万事に過度の緊張を強いられる息苦しい場となっているようです。しかも、一度置き去りにされると、すべてがダメになる恐れから、ゆっくり「休む」こともできずにいるのです。
彼は言いました。「苦しんでいる者を追い詰めるから、教師は嫌いだ。お父さんは家でも教師をやっている。」「教師はなぜいばるのだろう、少したくさんモノを知ってることのどこが偉いの。」「勉強自体を嫌いじゃないけど、僕がわかりたいことと、学校が教えたいことは全然違っている。勉強すればするほど、訳がわからなくなる。」「未来のための準備期間と言うけれど、未来なんて先が見えてる。見えすいた、味気ない人生のために、これだけすべてを犠牲にして努力する価値があるの。地震やサリンみたいに、悪いことを除いては、思いがけない出来事なんか起こりはしない。生きていても、心底楽しいことなんてない。」彼を納得させる反論を、私はいまだに用意できないでいます。
(4)
私はこの春、16年在籍したT高校から、夜間定時制の現任校に転勤しました。人目にはどこか唐突に映ったようで、いろいろとご心配もいただきました。率直なところ、何かの思惑を秘めて敢えて定時制を希望したわけでもありませんし、かといって「不本意人事」というわけでもなく、いわば「潮時人事」「渡りに船人事」とでも呼びたい気分です。
T高校は、地域に根ざした普通科校として、偏狭な受験シフトにも、極端なスポーツ学校化にも陥らず、生徒の自主・自立を育てながら、進路要求をもある程度保障するという点で、かなり「いい線行ってる」普通科高校だと自負していました。生徒の多くが「学校を好き」と言い、生徒も卒業生も頻繁に教員室を訪ねてくる風景を、新転任者などは新鮮がったものでした。長野知事肝いりで進められた「ニュータイプ校」の先駆けとして、学区を持たない県立高校が近隣に設立されて以降、リーダー層をスライス状にすくい取られた状況のもとでも、比較的善戦健闘してきたつもりでした。
 しかし、ここ数年、学区崩しの動きのもとでの「生き残り競争」に、フィーバーしないでいることさえ何か肩身狭く感じる状況が、どの普通科高校でもすすみ、私自身も、自分のささやかなアイデンティティを保持しようとするたびに、澱のような疲労感を覚えることが多くなっていました。
 いや、それよりも、近年、自分の発する言葉が生徒に響かなくなったという実感が、もどかしさを募らせていました。いきおい、生徒の変容を嘆く機会が増えましたが、内心、生徒と離反する方向への「学校」の変容を否定できませんでしたし、所詮自分も「学校の言葉」をしか発し得ないでいることが、生徒との溝を深くしていることにも、気づいていました。「生き残り」フィーバーに浮き足立たず、悠々と大道を歩むことこそが最良と信じつつも、次のような現実の前に、勇気がくじかれることもしばしばでした。
①生徒の「学校が楽しい」の内実の内に占める「学ぶ楽しさ」「わかる喜び」の位置の低下。知る喜び、わかる感動から遠い、味気ない授業・手応えのない授業。わかる喜びにたどり着くために必要な、小さな努力の積み重ねを、あっさり回避して、形式としての単位取得にだけこだわる傾向。いや、単位取得にさえ拘泥せずに、あっさりと「進路変更」をとげる生徒の登場と、その予備軍の根深さ。あるいは、「努力して越えてごらん」と要求しているそのハードルそのものが不適切な、過度な要求ではなかったのか、と考えると納得できるような、生徒の学力、学習習慣、学習意欲の脆弱さ。酒と革袋との乖離を自覚せずには居られない状況が、年毎に募っていました。
それだけに、旧来型の、全員一斉の画一的な授業を一方的に施して、与えられた学校知・受験知をいかに定着・吸収させたかのみが測られる学校では、学ぶ喜びを見いだせと要求する方が無理ではないかとさえ思えてきます。
「興味のもてない授業に、わからないままで座らせておく方がかわいそうだ」「スポーツでも、技量が接近していればゲームをしても楽しいが、差がありすぎると勝負は一方的で、双方苦痛なだけだ。今の教室はそうなっていないか」という習熟度別推進派の意見に、妙にリアリティを感じてしまう実態が確かにあるのです。
 ②もっと根底には、学習への動機付けを欠いたまま、「とりあえず」普通科へきている生徒の増大があります。ゆっくり人生を考えて、いろんな経験を積みながら、試行錯誤のうちに自分にふさわしい進路を発見していくことが大切で、その猶予期間、熟成期間を与えるのが普通科の良さだと主張しながらも、しかし、学ぶ目的、学ぶ動機を持たないままの高校生活が、青春の空費でない保証はありません。
 いささか戯画化すれば、進学普通科のおおかたは、事実上、子どもを「精神的鎖国状態」においたままで、際限のない「制度知」「学校知」をスコールのように彼らにそそぎ込むことに必死で、彼らのアイデンティティ・シーキングを援助することはしようともしないし、できもしないでいます。早期の「進路選択」を迫り、「文系か理系か。国公立にするか、私立か、短大か、それとも専門学校か。受験科目は何にするか。」と、矢継ぎ早に問い詰めはするが、彼らの人生上の課題に対しては冷淡です。
 ③一方、彼らも、居心地のよいモラトリアムから抜け出すことを回避し、自己の実人生と現在の学校生活とを回路でつなぐことには消極的だから、日々の学習の意味はつ
かみにくいのです。せいぜい、「将来の自分のため」という私的動機があればいい方で、所詮、他から押しつけられた「勉強」である以上、それから逃れることこそが自分らしさを取り戻す方法だと錯覚したりしています。ましてや、自己の「学び」の社会的意味、人類的意味を自覚するという発想は、建前としても生まれにくいでしょう。
 国中のほとんどの青少年が、17~18歳どころか時には20歳過ぎまでも、社会現実や労働そのものから全く隔絶されて、自分の本当の存在価値や社会的役割を自覚したり実感したりできないままに、味気ない「勉強」のために刻苦奮励を強いられながら、「バーチャルリアリティ」の世界のみで生活しているような、現代日本の学校制度というものが、有史以来例を見ない希有なシステムであることは間違いありません。
 自己の決定権・選択権も与えられず、多くは「青年期」を持つことすらなく、ほぼ宿命的に与えられた人生に甘んじることが通常であった時代よりも、進歩であり「幸福」であるはずの、この現代青年期を、真にダイナミックな自己実現・自己決定の時期として保障してやることに、我々の学校はどこまで寄与できているのでしょうか。
 それを事実上放置したままで、「ゆっくり考えて、自分の道を発見するまで待つ」という美辞が、目的もなくその場の安逸ばかりを追い、困難の前にはすぐにたじろいで、最も安直な結論へと逃げ込む子どもを増やしていないかというジレンマを生みます。
これらに加えてわが長男も、学校に「NO」を発し、父に「NO」を発するにいたって、家族中が神経のバランスを保ちあぐねる日々が、私の鬱屈を増幅していました。そうした時期の転勤は、「転地療養」の意味でも、ありがたいことでした。
(5)夜間定時制の現任校は、普通科・商業科の各学年2クラスの4学年構成、全校生徒80人弱の小規模校です。こんにちの多くの定時制高校がそうであるように、「働きつつ学ぶ」という要素は薄れて、むしろ、他の全日制を中退したり、小中学校時代登校拒否・不登校で、ほとんど学校へ行けなかった者、学力不足で他校を不合格になった者、中卒後何年か経て、高卒資格を取るためにやりなおす等々の、「敗者復活組」が大多数。離婚、貧困、生活保護などの家庭的ハンディを抱えた子も少なくありません。
 だが、そういう経験や困難を抱えながら、そこを越えてきた、または越えようとしているところに、人間味、人間的深みがあり、全体に人なつこく、踏みつけ傷つけ合うことを本能的に忌避する子どもたちと感じられます。同時に、「学力」競争においては「勝ち組」に属すことのない彼らですが、知的好奇心、学習意欲は旺盛と思えます。実りのない不毛な競争に追われ、全身衰弱状態におかれている受験普通科よりも、より大らかで、正直な学習意欲を、彼らは持っているようにさえ思えます。そういう生徒たちと接することは、私の心を穏やかにし、和ませてくれます。彼らにとって、この学校が「癒やしの場」となり得ているかどうかは、断言できませんが、むしろ、癒されているのは、この自分だと感じています。
 転勤後半年余りの時点(本稿執筆時)での、感想めいた紹介を、羅列的に記してみます。
①少人数であり、生徒同士、生徒・教職員間の関係が親密です。教職員組合や、教育運動・市民運動が要求し続けてきた「ゆきとどいた教育」のための条件整備のうち、学級規模縮小・学校規模縮小の課題に限っては、本校では満たされています。(自嘲や逆説ではなく)。
 
日本の教育の画一性の弊害は、かなりの部分を、いかに安上がりに、大量に、スピーディに「処理」するかという経済効率第一主義に負うています。この重石を取り払っただけでも、もっとゆったりと、穏やかに、そして実りのあるスクールライフが送れるのではないでしょうか。一目で見渡せて、お互いがお互いを認識し合うのに無理がなく、一人一人の課題や成長がとらえやすい規模の集団においては、教育上の困難の過半は解消されると断言できそうです。
本校には、発達上・生育上の、または経済的・家庭的な課題を、重く抱えた生徒が少なくありませんが、それを克服しながら高校生活を送れている背景には、自分が教師や仲間から認められ、気遣われ、支えられているという実感があると思います。そして、日本の多くの学校で欠けているものの最大のものが、それではないかとも言えそうです。
②かつてほどではないにせよ、異職種、異年齢、外国人、多様な人生を抱えた友人など多彩な友人との交友が、「自分探し」・「自分づくり」の生きた教材、生きた援助者として機能し得るよさがあります。
③何のつまづきも屈折もないまま、ストレートに入学してきた者は少なく、多かれ少なかれ「なぜ高校に行くか、なぜこの学校に行くか」の動機を持って、入学してきている生徒が比較的多い点が特徴です。
④「わかる授業楽しい学校」という言葉は用いませんが、
アゆったりしたカリキュラム  
イ進度に追われない授業、教科担任の裁量の幅。
ウ基礎学力補充の手だて。   
エ多彩な行事、生徒会、部活動。  
オ「学び」と「生きる力」との接近。
などの工夫がなされています。
⑤「今が幸せ」(Iの母)、「もう何も心配してません」(Mの母)、「カウンセリングにかからずに済むようになりました。」(Aの母)、「本当に優しい子に戻りました」(Aの母)。
中学時代、長欠、登校拒否だった生徒の場合、本校への入学を決断する時点ですでに、親子とも、ある意味で苦しい峠を越えたという実感をもって、大らかにゆとりをもって対応しているようです。「ねばならない」「べきだ」を超えて、「あるがまま」を尊重する姿勢が共通して読みとれます(家庭訪問の印象から)。
⑥中学校に行けなかった子、高校が続かなくて一度は「脱落」した子が、自力で、しかも夜学に、毎日通学してくるだけでもすごい、と思えば、「遅刻がけしからん」ことにも、「宿題ができてない」ことにも、ヒステリックにならずに大らかに対応できる気がします(自分の場合)。これは、精神衛生上良いし、生徒に対してもプラスに作用するようです。
 だが、反面、保護と管理は裏腹の関係にあります。「少人数で目が行き届く」ことは、たとえ善意から出発していても、一歩対応が管理主義に傾けば、「目こぼし」のない、この上なく窮屈で息苦しい場に転じてしまう危険を秘めているでしょう。頭髪指導、遅刻指導、学習指導など、全日制大規模校のミニチュアを演じてしまうのは、「学校」というものの宿命なのでしょうか。
 全日制高校を不登校でやめて、やり直しをかけて入学してきて、十月いっぱいまでは皆勤で通学していたが、ついに力つきて、不登校に陥った女子生徒が、「映画『学校』に魅力を感じて、夜間定時制に来てみたが、だまされた感じ。みんなに監視されているようで窮屈」と漏らしていた事実は、象徴的と感じられます。
(6)我が家の不登校児は、高校を休学し、縁あって、この7月単身関空を発ってオーストラリアにホームステイ。韓国、台湾、東南アジア、アフリカ、ヨーロッパの非英語圏の若者らとともに、外国人向け中等学校に通う身となっています。10時就寝・6時起床の日課で、宿題に追われる毎日とかで、「日本にいる時以上に窮屈」と愚痴りながらも、学校には皆勤を続けているようです。依然として学校での勉強はつまらないし、腹痛・下痢は続くけれども、多様な人種・国籍・民族の若者たちと交わる経験は得難いものと感じている模様です。
 近所のスーパーに買い物に行くことすら億劫であった子が、言葉も満足に通じない場所で暮らし、休日ごとにバスで何十分のcityへ出かけては、映画・ビリヤードと、優雅な道草を経験しているようですから驚きです。12月には帰国の予定で、さてその後をどうするかが問われるわけですが、どう転んだにせよ、親子とも以前よりは少しは気楽に対処できそうです。
 それにしても、誇張して言えば、一度学校のレールを踏みはずすと、家に閉じこもるか、定時制・通信制でやり直すか、さもなければ国外に転地療養をもとめるか以外に「別の選択肢」がほとんど見つけだせず、健やかな自立への道が事実上狭められてしまっているのが、現代日本の学校をめぐる状況だとすれば、
①学校がもう少し居心地よい場所になること、
②学校がすべてではなく、多様な自立のチャンスを若者に提供できる懐の深い社会になること。
という二つのうちのいずれか一方、もしくは両方が満たされなくてはならないと、痛切に思います。(1996年執筆。もとの趣旨を損なわない範囲で、若干の加筆・訂正を加えています。)


今夜はお友達と新年会を催しました。一人の友人は、この春にも初孫出産予定だそうです。めでたしめでたし。
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johncomeback

正月をお孫さんと過ごせて羨ましいです。
by johncomeback (2016-01-06 09:04) 

kazg

johncomeback 様
申し訳ありませんね(笑)
比較的近くに住んでくれているのは、有り難いことです。
by kazg (2016-01-06 22:27) 

majyo

おせちのリユースは良いですね。甘いものが多いですから
お菓子に最適かもしれません
カランコエとの写真が見事です

学校雑感ですが、とてもすぐにはコメントできない重いものがあります
子供は一人として同じ子はいません
息子さんの言われた事、似たような事をうちも言いました
最近、子供は元気で明るくとか言わなくなりました。
生き物が好きな子もいれば気持ち悪いと思う子もいます
それらをひっくるめて、自分の価値観を押し付けないと思っています
ただ20年前の事ですから、今は違ってきたのでしょうね
子供は公平にと思っても、それぞれ感じるものが違います
若い時はそれが理解できていませんでした

昨日若い青年と知り合いました。
弱者です。周りで囲んであげなくてはならないです
by majyo (2016-01-07 09:30) 

kazg

majyo様
子育ては、マニュアル通りに行かないので難しいですね。
昔は、地域の子ども集団や、共同体の教育力で育つ面もあったでしょうが、親と学校とに委ねられる比重が高くなっていますが、力及ばずもてあましがちです。すると、一人ひとりの違いに配慮するよりは、安直に鋳型に入れたい誘惑にとらわれる、、、という事も起こりがちなのでしょう、、、、。マイノリティには、ますます居心地悪いことになります。
by kazg (2016-01-07 17:59) 

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