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ノ-パサランあれこれ、の巻 [私の切り抜き帳]

昨日は、ある「新春のつどい」があり、誘われて参加しました。
そのアトラクションのひとつに、国鉄合唱団「じれん」の合唱がありました。
国鉄合唱団「じれん」は、旧国鉄(現JR)労働者で作る合唱団で、歌声を通して、労働者の生活・権利、平和や民主主義をまもる運動を励まし続けてきました。とくに、「国鉄分割・民営化」に伴う思想差別と解雇・迫害にさらされながら、節を曲げずにたたかいつづける労働組合員の誇りと気概を歌いあげ、そのことを通して広く労働者国民に元気を提供し続けてきたのでした。
「じれん」とは、"自動連結器" の略で、連結器同士をつきあてると"ナックル"が自動的に閉まり、 車両同士が連結される連結器のことだと言います。
アコーディオン伴奏と男声7人による、明るく澄んだ、清らかで美しく、ちからづよい歌声に魅了されつつ、差別と選別に基づく「解雇」反対のたたかいから三〇年というお話に、深く感慨を覚えたことでした。

以前、組合の職場新聞に、こんな文章を書いたことを思い出しました。

組 合 ば な れ と 3 5 人 学 級 と 国 鉄 闘争

(1) 最近、若者の“組合ばなれ”なるものが進んでいるそうだ。労資一体の「連合」型組合が、率先して企業利益と現体制への忠誠競争をあおっている状況のもとで、若者の信頼を得られないというのは、当然のことで驚くには当たらない。
 だが、真に労働者・国民の利益をまもりぬくことを追求している潮流においても、当局の妨害や干渉という古典的・直接的な障害以外の要素による“組合ばなれ”を免れていないらしい。
 
早い話が、昨年の35人学級署名。牽引車として大奮闘された方々の多くは、一定の年配の方々ではなかったか。バイタリティある青年組合員の活躍が、思いの
外目立たなかったと見るのは、思い過ごしだろうか。かつて、一般に組合運動の牽引者は、青年部であり、若者であった。それは、賃金・権利をはじめとする要
求を最も切実に、最も鋭く抱えているのが青年であり、また、さまざまな打算や思惑を超えて、何よりもまず「正義」の旗の下に馳せ参じるのが青年であったか
らだ。教職員組合運動においても、それは例外ではなく、歴史をひもとけば、20代の本部役員、30代の委員長や中央役員という例に事欠かない。
 では、こんにち、何が青年を組合から遠ざけているのか。先日生徒に取り組ませたコラムノートで、連合メーデーが家族そろって楽しめる運動会へと転換をはかっているとの記事について、こう書いた生徒があって考えさせられた。
「私はデモとかは嫌いだから、こんなメーデーなら賛成です」これは、単に一生徒の感想にとどまらず、現代若者の気質を、かなり正直に代弁しているのではないだ
ろうか。「ハチマキやゼッケンが嫌い」「『たたかう』という言葉が嫌い」「ロウドウシャって言葉がダサイ」「『団結』だとか『ガンバロー』なんて古臭い」
「血相変えて怒ったり、頑なに主義主張を唱えることは、時代遅れ」などの声も、しばしば聞いたような気がするから
 
「“労働者”“組合”“たたかい”“対決”---何か、ネクラなイメージで、時代に合わない」といった決めつけも、テレビや雑誌、新聞から日常茶飯流され
てきて、我々の耳にもなじんでいる。だが、「いまわれわれが享受している権利や生活水準も、ひとりでに与えられたものじゃなくて、粘りづよいたたかいのな
かで、長年かけて勝ち取って来たものだ」という指摘は、古臭いだろうか。そして、その「たたかい」という言葉は、それ以外の語に置き換えがきくものだろう
か。例えば懇願・話し合い・折衝・取り引き?もうすぐ500号を迎えようとしている本紙(職場新聞)の、過去の記事を走り読みしてみただけでも、答えは明瞭だろう。
 また、今ある権利や生活水準だって、歴史的な過程における産物であって、これの拡大を求める者と縮小を利益とする者との力関係を反映しているに過ぎない。もそも誰もが現状に満足しており、しかもこのまま何のたたかいもなしに、いつまでもそれが維持され得るというのならば、組合なんかあっさりと歴史博物館おくりすることに、私も大賛成なのだが---。さて、現実はどうか。

( 2 ) 
35人学級の実現は、子どもたちにとっては教育条件の問題であると同時に、われわれ教職員にとっては、自身の存在にかかわるぬきさしならない課題だ。とり
わけ若年層にこそ、その影響は大きいはず。というのも、生徒急減期に向かって、今のままの学級規模を放置すれば、定年退職による自然減や新規採用のストッ
プ・講師化を考慮に入れても、相当数の「余剰」人員が生まれるのは必至。そうなれば、数年前に国鉄職員に加えられた、嵐のような大量首切りの脅威と、それを背景とした息苦しい管理統制・選別差別が、我が身の上に襲いかかってくることは明らかだ。言うまでもなく、臨教審路線の眼目は、「できるだけカネを使わず、しかも教員と教育を統制したい」という点にあるのだから。
 
民間大企業では、とっくの昔に、「職場に憲法なし」の事態が進行。御用組合と一体で、労働者から「ノー」という権利を剥奪した上で、極限までの人減らし「合理化」と、低賃金・長時間過密労働が強要されてきた。こうして、カローシを頂点とする無数の人間破壊・家庭破壊の悲劇のうえに、世界に冠たる企業大国ニッポンは、破局に向かう「躍進」を続けている。
 「血のにじむような民間の苦労を思い知れ」が、国鉄解体の合言葉だった。そして、“民間並”に、組合はたたきつぶされ、職場の権利ははぎとられ、労働条件は切り下げられ、たたきあげの熟練機関士・有能な技術者・誇りある「国鉄マン」の多くが職場を追われ、出向、配転、草むしり、便所掃除、キオスクの売り子、コーヒーショップのウェイター、そして人材活用センター→清算事業団→解雇と、ありとあらゆる屈辱と苦難の試練にさらされた。
 次なる合言葉は「国鉄の次は教育」だ。組合つぶしと、教育内容・教職員の国家統制にむけて、細工はりゅうりゅう。その眼目は、「教員は多すぎる」「教員はタルんでる」「教員は税金泥棒」の世論を喚起して、教職員と父母との離間をはかること。四面楚歌、“学校憎し、教員憎し”の大合唱のなかで迎える急減期は、想像するだにうすら寒いではないか。誰の首が切られ、誰の首がつながるかと、戦々恐々としながら自己の保身に汲々としなければならないような学校職場で、まともな教育活動など期待するほうが無理というもの。
 35人学級の実現こそが、かかる事態をくい止め、われわれの仲間の間に、忌わしい「余剰人員」など生み出さずともすむ唯一の道ではないか。そして、これをめざして、共通の教育要求に基づいて父母と手を結びあうとりくみそのものが、教育の本来の担い手としての父母と教職員の分断をはかりつつ推進されている臨教審路線への、最大の打撃でもあるの
だ。
 「よき教師はよき組合員たらねばならぬ」と、戦後の教職員組合運動の先達たちは、自らを戒めてきた。子ども・青年の健やかな成長と真の幸せを願うなら、それを阻む動きには団結して抗して行かざるを得ないからだ。好むと好まざるとにかかわらず、教え子を戦場にひきずり出す荒縄の一端を、自分たちも担っていたことへの痛切な反省が、根底にはあった。今日においてもまた、この言葉は真理であろう。劣悪な教育条件を放置し、仲間の首切りをも座視しつつ、「よき教師」であり得るはずはないのだから。
 あわせて現代のわれわれは「よき教師は、よき労働者でなければならぬ」と付け加える必要がある。こんにち、人間としての尊厳をまもりぬくたたかいに、歯を食いしばって踏ん張り抜いている国労・全動労の仲間にたいして、労働者的共感をもって支援と連帯を強めることは、「よき教師」の必須条件ではないか。
 第一に、真理をのみ尊ぶべき教育の営みへの従事者としては、不正義を黙過することはできないという点において。第二に、国労・全動労を脱退せず、当局に屈服しなかったという唯一の理由のために、首切り・権利侵害を受けている無数の労働者自身も、またその家族、子どもたちも、われわれの教え子であるという点において。第三に、国鉄のたたかいが、全労働者の権利擁護闘争の最前線に位置づくものであり、明日のわれわれ自身のたたかいにほかならないという点において。第四に、労働者のクビと生活・権利と尊厳をまもりぬくこのたたかいは、同時に、交通行政を利潤追求から住民奉仕へと転換させ、輸送の安全と生徒の通学権をまもるたたかいでもあるという点において。
 ここで私は、「情けは人のためならず」という陳腐なことわざを思い出す。これをキーワードに“組合ばなれ”“35人学級”“国鉄闘争”の三つをつないで、できの悪い三題話を終わることにしたい。(1990年頃 職場新聞への投稿) 

 

曲紹介の一部として語られたセリフ「家族にも苦労をかけ、苦しく辛い辛い思いもしたけれど、たたかいつづけて悔いはない。差別によって昇進は遅れたけれど、組合の方ではとんとん拍子に出世して、今では分会長」(趣旨)には、会場からの笑いも起きました。

曲目は、いずれも印象深いものでしたが、その中の一つに、「俺たちのシルクロード」がありました。

CD・国鉄のうたごえベストセレクション「俺たちのシルクロード」

CD・国鉄のうたごえベストセレクション「俺たちのシルクロード」

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  • 出版社/メーカー: 音楽センター
  • メディア: CD

 【作詞】荒井良夫
【作曲】たかだりゅうじ   
1     
どんなたからよりも 大切な愛をのせて
朝もやの中を 走り抜ける
  ■トレーン トレーン トレーン
  ■俺たちのシルクロード 
  ■俺たちのロード シルクロード

2     水色のときには 断ちがたい別れをのせて
夕立をけって 走り抜ける
  ■トレーン トレーン トレーン
  ■俺たちのシルクロード 
  ■俺たちのロード シルクロード


3     遠いふるさと 離れて暮らしていても
いつまでも忘れない 心つなぐ
  ■トレーン トレーン トレーン
  ■俺たちのシルクロード 
  ■俺たちのロード シルクロード

  

国鉄分割民営化に先立って仕掛けられたローカル線廃止の嵐を組曲としてつくったものといわれます。

作詞の荒井良夫さんは、この作品について、こう述べておられます。

「ローカル線廃止反対の組曲を書かないか」という話があったのは、1979年だったでしょうか。私は安請け合いする方で、この時も引き受けてしまってから「えらいことになった」と頭を抱えてしまいました。


 ローカル線問題の背後には、反動勢力との鋭い対決点があります。何しろ、地域住民と国鉄労働者の足と生活を一挙に奪い去ろうというのです。詩を書く者の
仕事の一つが、未来を予言する批評にあるとすれば、この問題から何をイメージ化すべきか。そのテーマの重さもあります。
 もう一つ、「歌う詩」を書く時に私は、いつもある種の葛藤を通らなければなりません。それは私の詩作の根幹に、「詩はどんな制約からも自由だ」という前提があるためです。
 自己の芸術水準の到達点で表現されたポエムに、そのまま曲をつけて歌われるのが理想です。しかし、今のところ歌う詩は、ある程度、音楽的制約を受けることが多い。作曲する側と歌う側と、聴衆の問題を視野に入れておかなければなりません。
 そうした中で、現代詩の生命である批評精神をどう貫徹するか。この曲も例外なく、そうした切ない工程を経てイメージ化したものです。
 人の心をとらえるには、何といっても曲がよくなくてはなりません。特に高田龍治氏作曲の『俺たちのシルクロード』をテープで初めて聴いた時は、「これはいいなあ」と何度も繰り返し聴いたものです。(荒井良夫)
※うたごえ新聞85年3月18日号より 

 
  もう一つ、感慨深く聴いた曲に、「ノーパサラン」がありました。

「ノーパサラン!」(¡No Pasarán!)とは、スペイン語で「通すな!」という意味だそうです。一般に「奴等を通すな!」と訳されます。

この言葉は、スペインの反ファシズム運動の女性闘士ドローレス・イバルリ・ゴメス(ニックネームは「ラ・パッショナリア」(「情熱の花」)が、バルセロナでおこなった演説の一節だそうです。彼女は、民衆に、こう呼びかけます。

 私たちはとりわけあなた方に、労働者、農民、知識人に呼びかける。共和国の敵、人民の自由の敵をついに打ち破るための戦いにむけ、自分の持ち場に着こうでは
ないか。人民戦線よ、永遠なれ! 反ファシストの連帯よ、永遠なれ! 人民の共和国よ、永遠なれ! ファシストどもは通さぬ! ノーパサラン!(奴らを
通すな!) (1936年7月19日)

 かのヘミングウェイも、フランコ軍事独裁政権と戦う義勇軍に参加しましたし、パブロピカソも、ファシズムと軍事独裁への怒りと抵抗を「ゲルニカ」によってあらわしました。

学生時代に読んだこの本も、反フランコの戦いに馳せ参じた、国際的な義勇兵の戦いを活写していました。書籍の紹介文を引用します。

スティーブ・ネルソン/松本正雄訳     義勇兵(上)     新日本文庫
  ☆ 1936年。人民戦線成立によって誕生した若い共和国スペインに襲いかかるファシスト・フランコの反乱軍。やつらを通すな!自由スペインを守れ!自由と
平和の大義のために海を渡って、国際旅団リンカーン大隊に参加する義勇兵たち。人間味溢れる政治委員スティーブやただ一人の日本人ジャック白井の活躍。上
巻では数かずの苦難をのりこえてスペイン入りするまでのスリルに満ちた潜入を描く。

スティーブ・ネルソン/松本正雄訳     義勇兵(下)     新日本文庫
  

☆勇躍スペイン入りした義勇兵たちを前線で待っていたのは国境越えに劣らぬ困難であった。装備の不足。内部からの団結を破壊するアナーキストの裏切り行
為。首都マドリードをうかがうファシスト軍。その戦線を断ち切るためにリンカーン大隊の勇気と知略に満ちた攻防戦がくりひろげられる。たたかいは共和国の
敗北に終るが自由への歩みは、今日なおスペインはもちろん日本でも世界でも続けられている。

  この「¡No pasarán!(ノーパサラン)!」は、こうしてスペイン内戦中の反ファッショの運動のスローガンとなり、その3カ月後の1936年10月、ロンドンのイースト・エンドを、「黒シャツ」を着たファシストの集団が約6000人の警官に守られながらデモ行進をしようとしたところ、ユダヤ系とアイルランド系を中心とする市民約10万人が阻止した「ケーブル・ストリートの戦い」でも、イギリスの反ファシズムの運動のスローガンとして、人々を励ましたのです。

時代は下って、1970年代、中米のニカラグアの軍事独裁ソモサ政権とたたかうサンディニスタ民族解放戦線FSLNに参加した歌手カルロス・メヒア・ゴドイがこの曲を歌い、日本でも、フォーク歌手横井久美子さんが日本語歌詞で歌っていましたっけ。

CD・横井久美子「VIVA KUMIKO」(6CD)

CD・横井久美子「VIVA KUMIKO」(6CD)

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ノー・パサラン

【作詞・作曲】カルロス・メヒア・ゴドイ CARLOS MEJIA GODOY
【訳詞】三浦 昭悦

いとしい人 泣かないで
小さな胸 ふるわせ
忍び寄る 戦争(いくさ)の影に
怯える あどけない瞳よ
この大地に 我ら誓う
新しい君たちの未来を
空を飛ぶ 小鳥たち
限りない 青い空
自由と 平和のため
我らは 闘う

※ノー パサラン
 戦争を通しはしない
 新しい時代と 君たちの祖国のため
 我ら闘う 勝利まで
 ノー ノー パサラン

 

ネット検索すると、毎日新聞の神奈川版に「記者のきもち:ノーパサラン」という記事がヒットします。

「憲法9条を守れ」とのボードを掲げた初老の男性が、困惑の表情を浮かべていた。「何という意味ですか」。尋ねられた私も分からない。インターネットで
検索し、「やつらを通すな」という意味のスペイン語らしいと知った。/デモを否定するつもりはないが、意味が通じる仲間による仲間に向けた大合唱に、近寄
りがたさを感じた。「法案反対」に共感するデモの参加者にさえ理解できない言葉が、遠巻きに眺める人々の心に届くのかと疑問を抱いた。/2時間後。異様な
熱気は消え、数人がビラを配るだけになった。受け取る人はわずかだったが、法案に反対する理由がしっかりと書かれていた。「ノーパサラン」の連呼が、法案
について考えてみようとする人の機会を奪う「通せんぼ」にならなかったか。地道な活動を続ける人たちを前に思った。【水戸健一】(毎日新聞 2015年
10月01日 地方版、Web版より)
 

 これに対して、今日見つけたこちらのブログ記事(「ルーン川のほとりで」)に、こんな指摘がありました。まったくもっともなことと、拝読しました。

「ノーパサラン!」の標語をそれまで知らなかったと書くのは素直ではあるが、新聞記者としてはリテラシーが低すぎると言わざるをえない。またこの語を知らずに
「困惑」する参加者の一人を選択して記者自身の違和感を投影させ、それを一般化して、「地道な活動を続ける人たち」とこの標語を使う人たちを分断し、後者
を内輪の大合唱として否定する論法は乱暴で、大いに問題があると思う。

 日本でも「ノーパサラン!」は近年アンティファ(ファシズムへのカウンター)運動などで標語として使われてきたが、何よりも今年になってSEALDsの多様なコールのレパートリーのひとつとして、国会前で、また各地でこれを多くの人びとが聞き、また唱えることで広く普及したといえる。私が居合わせて見たかぎりでいうと、初夏から真夏へと国会前の抗議集会やデモの参加者
が回を追うごとに増えていった際に、「ノーパサラン!」のコールは、“Tell me what democracy looks
like!”などと同様に、コーラーがメガホンで唱えたときに特に年配の方々で意味がわからず唱和できない人が確かに見受けられた。「ねえ、なんて言って
る?」「わかんないねー、なんだろー」

 しかしこれが「地道」な参加者を疎外する「通せんぼ」になったという印象は私にはまったくない。
夏の終わり頃までに、9月の参院の閉会までの数日間ともなると、概ね普及して、初老の男性だろうと、女性だろうと、いや初老でなくてもっと高齢の方でも、か
なり返せるようになっていた。画期的な三連符の「安倍は辞めろ!」コールも老若男女問わず多くが身につけてしまっていて、すごいと思った。“This
is what democracy looks like!”を若者がノリのよいリズムで唱えるのに中高年が付いて行くのは最後まで厳しそうではあったけれども。それでも明らかに大半の人がそのコールを
楽しみかつ共感していた。

 内輪のスローガンなどではなく、1930年代のヨーロッパの反ファシズムの人民戦線、また近年のオキュパイ運動で用いられたスローガンなどを引用することで、戦争法案反対の示威行動でありながら、過去の世界各地での民主化運動にいまの運動が連なっているという認識を集団的に共有することができる。そうしてみると「ノー・パサラン!」はいわば叙事詩の一節のような働きを持っている。なにしろこの語句に歴史上の反ファシズム運動、民主化運動の重層的な記憶が埋め込まれているのだから。これを知的で情熱的な、また徳の高い近頃の若者たちが、言葉を身体化し、朗唱しているのを見ると、こんなどうしようもないありさまではあるが、この国にはまだ希望があると思えてくる。まったく近頃の若者ときたら、大したもんじゃない
か。
 

 あまりといえばあまりに、アベ過ぎるアベ政治の、強権政治が加速してきている今、「ノーパサラン」は優れて今日的な合い言葉といわなければならないでしょう。


ユニホームの国鉄作業服(なっぱ服)姿に身を包んだ国鉄合唱団「じれん」の面々。なんと、その中に、おもいがけず懐かしいお顔がありました。

私たち高校教員の大先輩であり(しかも教科は国語)、後に教職員組合運動、労働組合運動の重責を担われ、請われて革新無所属の県知事候補として奮闘されたこともあるI先生です。私たちの教職員組合と国労・全動労とは、古くから、協力共同の関係にあり、とりわけ、分割民営化に伴う大量解雇と差別待遇とのたたかいでは、深い協力関係が続いてきました。そのよしみからか、I先生は、ことあるたびに、合唱団の一員として出演されているようです。

大病を患われたと聞きましたが、声の張り、艶も申し分なく、壮健そうで何よりと安堵しました。

先日は、AALA連帯委員会の一行で、ラオスに旅行されたが、夏の装いで出かけたところ大変な寒さで閉口されたそうです。


 一昨日、あのトラフズクを撮影した後、産院を見舞い、その帰り道、タゲリも撮影できました。

KENKO500mmミラーレンズだと、トリミングなしで、この大きさに写ります。

マニュアルフォーカスでのピントあわせの難しさもあり、精細度はイマイチです。

2月の蓮田のタゲリ

2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 

2月の蓮田のタゲリ
2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 


2月の蓮田のタゲリ

2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg

次はAFborg(60ed)です。

2月の蓮田のタゲリ
2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg  


2月の蓮田のタゲリ

2月 の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg


 

 2月の蓮田のタゲリ
2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 


2月の蓮田のタゲリ

2  月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 

 

2月の蓮田のタゲリ

2月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 


2月の蓮田のタゲリ

2  月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 


2月の蓮田のタゲリ

2  月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 


2月の蓮田のタゲリ

2  月の蓮田のタゲリ posted by (C)kazg 



明るい陽射しのお陰で、羽根の微妙な色合いも楽しめました。

今日は母子無事に退院し、わが家で落ち着いております。

早速、従兄姉達の歓迎(襲撃)を受け、驚きながらも、環境になじんでくれたでしょうか?母乳もたらふく飲み、すぐにすやすや寝てしまいます。

今日はここまでです。


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コメント 2

えんや

権利は守ってこそのもの、、、。
闘いとってきたものなんだが、、、?

by えんや (2016-02-13 19:21) 

kazg

えんや様
他から与えられたもの、もとからあるもの、と、とらえる限り「形骸化」を免れないでしょうね。憲法がそうであるように、「不断の努力」で命を与え続けることが肝要なのでしょうか。
by kazg (2016-02-13 20:12) 

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