美しい国はいづこぞ紅梅忌 [今日の暦]
きょうは、地元出身の女流詩人永瀬清子さんの忌日で「紅梅忌」と呼ばれます。同時にまた、その生誕記念日でもあります。
現赤磐市(旧熊山町)松木の生家の向かいには、和気清麻呂の墓と伝えられる塚があり、それにあやかって「清」と名づけられたのだとか。梅の咲く頃生まれ、同じ日に亡くなられたのです。
今朝の地元紙『山陽新聞』の朝刊コラム「滴一滴」にこんな記事がありました。
詩人の谷川俊太郎さん(84)は10代後半に詩を書き始めて間もなく、父の勧めで1冊 の詩集に出合い、衝撃を受けた。それが赤磐市出身の詩人、永瀬清子さん(1906~95年)の「諸国の天女」だったという▼「読んでしびれた」と谷川さん。今月14日、同市で開かれた永瀬さんをしのぶ詩の朗読会に参加し、語った。今年は永瀬さんの生誕110年に当たる▼女性が自由に生き方を選べなかった時代を生きた人である。婿を取って家を継ぐため、親が決めた人と結婚した。戦後、故郷で農業をしながら4人の子を育てた▼日中は農作業に精を出し、家族が寝静まった深夜に詩を書いた。産後の1、2カ月を除いて作品を詩誌に送り続けたという彼女にとって、詩作は生きることと同義だったのだろう▼〈諸国の天女は漁夫や猟人を夫として/いつも忘れ得ず想っている/底なき天を翔けた日を〉。各地に残る羽衣伝説に発想を得て、世の女性たちを「天女」と呼んだ。家族のために尽くし、自らの夢や理想は心に秘めて地上にとどまっているのだ、と▼女性の活躍が叫ばれ、女性の生き方が問い直されている今、あらためて注目されるべき詩人に思える。きょう2月17日は永瀬さんの誕生日。梅咲くころに生まれ、くしくも同じ日に亡くなった。彼女を慕う人々は命日をこう呼ぶ。「紅梅忌」と。 |
そういえば、先日の山陽新聞にも、こんな記事がありました。
赤磐市出身の詩人永瀬清子さん(1906~95年)の生誕110年を記念した朗読会「永瀬清子の詩の世界―梅咲く頃に生まれて」(市、市教委など主催、山陽新聞社後援)が2月14日、同市松木の市くまやまふれあいセンターで開かれる。 「響きあう詩と音楽」をテーマに記念公演を開催。永瀬さんと親交のあった詩人谷川俊太郎さん(84)=東京=が人柄や作品について話すほか、谷川さんの 長男賢作さん(55)=同=がメンバーで現代詩を歌うバンド「DiVa(ディーバ)」が永瀬さんの詩に曲をつけた「早春」などを披露する。(後略) |
地元赤磐市ではこんな催しが行われているそうです。
梅咲く頃に生まれて -永瀬清子生誕110年 チラシ
永瀬清子さんについては、郷土出身の文学者の一人として以上には、特別に深い知識も縁もあるわけではないのですが、過去のブログでもちょっとだけ紹介したことがありました。
菊の香に蝶もめいていしたるらん
もう一つの11月3日、の巻
後者は、永瀬さんが、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩の発見の場面に立ち会ったというエピソードに触れたものでした。少し引用して再掲します。
その模様を、同席していた詩人の永瀬清子が、後に「この手帖がこの夜のみんなの眼にはじめてふれた事については疑いがないように私は思う」(永瀬清子「『雨ニモマケズ』の発見」<宮澤賢治研究11号>)と書き記しているそうです。 永瀬清子さんといえば、我が岡山出身の女性詩人で、戦後、故郷の赤磐市で農業に従事するかたわら、詩作に励みました。一貫して女性の自立を高らかに謳い、人 |
上述のサイン入り詩集を写してみました。
年季が入って黄ばんでいます。
この詩集に挟みこんであった薄い印刷物に「永瀬清子・人と作品」と題された小冊子があります。それには次の二つの小文が載っています。
『美しい國」のことーーーー飯島耕一
一人の日本の女----谷川俊太郎
後者の谷川さんは、上述の山陽新聞記事でも紹介されているように、こんなエピソードを綴っておられます。
永瀬清子という名前に出会ったのはいつ頃のことだったか。たぶん私が詩を書き始めてすぐ、十代の終わりか二十代の初めだったと思う.父親の書棚の詩集のあつ まっているところから、手当たり次第にとり出してはとばし読みをしていたが、そのころの私の好みにはいま考えると系列がふたつあって、一方は岩佐東一郎、 近藤東、安西冬衛などの知的なひねりのきいた、一種の軽みのある作品、他歩は日本の詩人としてはほとんど宮沢賢治ただひとりで、あとはゲーテやらリルケやらD・H・ローレンスやらの訳もよく分からず乱読していた海外詩人、思想家の書き物で、こっちのほうは当時の私の言葉で言えば、〈いかに生きるか〉と言う大事により密接かかわわっていた。そして永瀬さんの詩はあきらかにその後者の系列に属していた。 記憶では永瀬さんを読むように私にすすめたのは父、徹三である。書棚に少なくとも『諸國の天女』、『大いなる樹木』の二冊のあったことははっきり憶えてい る.父は特に「大いなる樹木」という作品が好きだったようだ。青年時代に愛誦したというホイットマンの共通なうねりのようなリズムと思想があるからか。 (後略) |
「父、徹三」とは、言うまでもなく、法政大学総長などをつとめた哲学者谷川徹三氏のことですし、子息の谷川俊太郎さんは、『二十億光年の孤独』などで知られる詩人ですが、私たちの世代には懐かしいアニメ版鉄腕アトムの主題歌の作詞者としても記憶されます。
youtubeでは、こちらを参照してみては?鉄腕アトム(1980)tezukaproductions
この小冊子の文章には、氏がまだ大学1年の終わりの春休みの頃、帰省したおりに、初めて永瀬さんの住まいを訪ね、野良着姿の彼女と詩の話を交わし、署名入りの詩集『美しい國』を贈られたというエピソードが紹介され、こう書いておられます。
この三冊(『美しい國』、『焔について』、『大いなる樹木』--引用者注)のなかでどの詩を、と訊かれたら.ぼくは躊躇なく『美しい國』の冒頭の同題の詩をとりたい。これは何度読んでも気持ちのいい詩であると思う。 美しい国 永瀬清子 1948年(昭和23年)2月 作 はばかることなく思念(おもひ)を 私らは語ってよいのですって。 美しいものを美しいと 私らはほめてよいのですって。 失ったものへの悲しみを 心のままに涙ながしてよいのですって。 敵とよぶものはなくなりました。 醜(しう)というものも恩人でした。 私らは語りましょう語りましょう手をとりあって そしてよい事で心をみたしましょう。 ああ長い長い凍えでした。 涙も外へは出ませんでした。 心をだんだん暖めましょう。 夕ぐれで星が一つづつみつかるやうに 感謝と云う言葉さへ 今やっとみつけました。 私をすなおにするために 貴方のやさしいほほえみが要り 貴方のためには私のが、 ああ夜ふけて空がだんだんにぎやかになるやうに 瞳はしずかにかがやきあいましょう。 よい想いで空をみたしましょう。 心のうちにきらめく星空をもちましょう。 |
この詩は、2005年頃から沢田知加子さんが歌って、若い人達にも愛されていると言います。
アベさんのキャッチフレーズの「美しい国」とは、雲泥の開きがありますね。
アベさんの「美しい国」については、ウィキペディアにこうあります
評価 安倍の提示する国家像や政治姿勢に反発する民主党の山口壯は弁護士・大山勇一作の回文「憎いし、苦痛! 『美しい国』」を引用し2006年10月13日衆院本会議にて「美しい国」を逆さ読みして「ニクイシクツウ(憎いし、苦痛)」と揶揄した。格差が拡大し、自殺者が3万人を超す状態が1999年から10年も続き、しかも状況が何ら改善されないなどの社会の現実(交通死亡事故でさえ年間犠牲者が1万人を超えたら大問題になるのにその3倍)、閣僚の相次ぐ失態、年金問題への対応の失敗等々、安倍政権下の政治現実を批判する立場からは「美しい」という言葉と現実社会との隔たりとが逆に意識される結果となっている。 また、自由民主党所属国会議員(当時)の中にも批判的な意見がある(田村公平は「美しい国」について「意味がよく分からない」と評している)。 憲法学者の小林節は同書のなかで「法律による統治」など法学では誤用と見なされる初歩的なミスが多いとして、憲法改正を志す適性に欠けるとして安倍内閣が憲法改正に手を付けることは反対を表明するなど批判している。 小林よしのり・宮台真司は、教育面では愛国心を強調する一方、経済面では支持団体である経団連をはじめとした財界のトップが、「法人税を上げたら企業が海外に逃げる」と言う主張の二重基準ぶりを指摘している。 塩野七生は、「『美しい国』のような客観的な基準になり得ない指針を掲げても、それは自己満足に過ぎない」と批判し、「情緒的な言葉を使うより、具体的な指針を掲げるべき」と述べた。 |
最後にもう一つ、詩集『美しい國』から「手品」という詩をご紹介しておきます。
手 品 数限りない不思議な手品が天地にあって たとえば東の薄雲が 次第につめたそうな紫になり 風がしづかにそよふいて 夜明けが来ると云うことさえ、 たぐいなく美しい約束だ。 まだふかい真夜中に 二時が過ぎて三時になり わけも知らず、けれど確に ああだんだんそれが成就されるのだ。 草の葉に露がびっしょり置くように私の心にも露がまつしろく たくさんの苦しみや魂の飢えを過ぎて ただその手品が私には待たれるのだ。 そのうちに朝がくる。 そのうちに朝がくる。 その時私の露が一せいに黄金(きん)色に輝くのだ。 |
「一億総活躍」とか「女性活躍」とか、わざとらしく取り立てて「上」からありがたい能書きを垂れていただかなくとも、日本国憲法が開いてみせた見晴らしの先にこそ、美しい国はあり、美しい村もあるのでしょう。
六 月 茨木 のり子 どこかに美しい村はないか 一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒 鍬を立てかけ かごを置き 男の女も大きなジョッキをかたむける どこかに美しい街はないか 食べられる実をつけた街路樹が どこまでも続き すみれいろした夕暮は 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる どこかに美しい人と人との力はないか 同じ時代をともに生きる したしさとおかしさとそうして怒りが 鋭い力となって たちあらわれる 詩集『見えない配達夫』より |
最近、散歩ができません。
冷え込みのせいもありますし、何かと条件がととのわないせいもありまして。
玄関の外に出て、ちょっと見上げると、さえずりの声が聞こえました。
シジュウカラでした。
向こうからやってきてくれると嬉しいです。
昨日は、出産関連のいろんな手続きのために、市役所やら職場やらに、娘をアッシーしました。
娘の用事が終わるのを待つ間、施設の駐車場近くの池を覗いてみました。
カイツブリです。
画面からはみ出ました。
コガモ。
ハシビロガモです。
赤ん坊は元気です。
お問い合わせもありましたので、念のために申し上げますと、女の子です。
親もジイジバアバも、一瞬どっちだったっけと、顔を見ていて迷います(笑)。
予定日が梅の咲く頃なので、胎内にいる時は、仮称「梅子」で呼んでいましたが、今年の梅は例年よりも早く咲きましたし、姓とのバランスで角張った文字になりますので、躊躇して、出生届の際には、別の名前になりました。それでも、つい「うめちゃん」と呼びかけることがあります。
今日はここまでと致します。
アベ政権については コピーライターがいるのでは?と
思っていますが、すべての言葉がむなしいです
9条守れ、その一言で済むのに
ウメちゃん、もうしっかりしたお顔ですね
by majyo (2016-02-17 18:48)
お孫ちゃんなんですね。
可愛いですね。
心癒されますね^^
by 美美 (2016-02-17 20:53)
majyo様
アベさんの原稿には、「国会(こっかい)」、「表(あらわ)す」、「他人(ひと)事」などにまで、ルビが施してあるそうですしね。「人の話を最後までしっかりと聞きなさいと。ヤジを飛ばさないで、人の話を聞きましょうよ」とか、「早く質問しろよ!」 とか、「大げさだよ」とか、アベ過ぎる応酬だけは、自前の言葉なのでしょうけれど。
ウメちゃんは、この年で、何か考えているのでしょうかね?
by kazg (2016-02-18 08:24)
美美様
ありがとうございます。
見ていて飽きません。
その分、出かける機会も減り、カメラを外に持ち出す機会も減ってしまいました(笑)
by kazg (2016-02-18 08:28)
鉄腕アトム、久しぶりに観ちゃいました、聴いちゃいました。
アベの「美しい国」批判、「手品」、うめちゃんのお写真など特に心打たれました。
by momotaro (2016-02-23 05:50)
momotaro様
「鉄腕アトム」懐かしいですね。
「科学の子」への希望と期待が込められていたように思います。
by kazg (2016-02-23 12:31)