So-net無料ブログ作成
<

80年目のニイニイロク、の巻 [今日の暦]

2.26事件から80年だそうです。

今朝の地元紙『山陽新聞』(27面 くらし)には、「二・二六事件から80年 渡辺和子さんに聞く 平和は日々の暮らしから」というインタビュー記事が掲載されていました。

旧陸軍の青年将校らが武力反乱を起こした二・二六事件は、日本が戦争に向かった転機として昭和史に刻まれる。雪が縁側の高さまで降り積もったその日、9歳の少女は陸軍大将の父が凶弾に倒れるのを目の当たりにした 、、、。
「陸軍大将の父」とは、渡辺錠太郎陸軍教育総監。当時9歳の少女というのは、地元岡山市のノートルダム清心女子大学の学長だった
(現ノートルダム清心学園理事長)渡辺和子さん。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど活躍され、著書もたくさんありますので、教育者として尊敬しておりましたが、2.26事件との数奇な関わりについては存じ上げませんでした。

置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/04/23
  • メディア: Kindle版




妻に話すと、それは周知の事実であるらしく、以前テレビ番組で取り上げられたこともあると教えてくれました。

ネット検索してみると、雑誌『文藝春秋』(2012年9月号)に「憲兵はなぜ渡辺錠太郎教育総監を守らなかったのか」という手記を寄せておられるのを知りました。

その一節を引用します。


 一九三二年には五・一五事件がありました。その約三年後の三五年七月に皇道派とされる真崎甚三郎大将が教育総監を更迭〈コウテツ〉され、父が後任になりました。翌月には永田〔鉄山〕少将が暗殺される事件も起きました。そのような背景がありましたから、父の警護のために自宅には憲兵が二人常駐していました。私と父とで一軒先にある姉夫婦の家に行くわずかな時間にも、必ず憲兵が後ろについておりました。

 私が疑問を感じているのは、この憲兵たちの事件当日の行動です。お手伝いさんの話では、確かにその日、早朝に電話があり「(電語口に)憲兵さんを呼んでください」と言われ、電話を受けた憲兵は黙って二階に上がっていった、というのです。しかし、一階で父と一緒に寝ていた私たちのもとのは何も連絡が入りませんでした。私にはその電話の音は聞こえ
ませんでしたが、もし彼らから何か異変の報告があれば、近くに住む姉夫婦の家に行くなりして逃げることも出来たはずです。しかし、憲兵は約一時間ものあい
だ、身仕度をしていたというのです。兵士が身仕度にそんなに時間をかけるでしょうか。

 また、父が襲撃を受けていた間、二階に常駐していた憲兵は、父のいる居間に入ってきていません。父は、一人で応戦して死んだのです。命を落としたのも父一人でした。


補足の意味で、以下、渡辺錠太郎氏に関するウィキペディアの記事をお借りします。


 渡辺は元々は襲撃目標リストに入っていなかったが、先述の通り天皇機関説を支持するような訓示をしていたとして直前になって目標に加えられた。渡辺邸への襲
撃は斎藤実内大臣を襲撃した高橋太郎少尉及び安田優少尉が指揮する部隊が実行し、時刻は遅く、午前6時過ぎのことだった。ここで注意すべきなのは、斎藤や
高橋是清といった重臣が殺害されたという情報が、渡辺の自宅には入っていなかったということである。殺された重臣と同様、渡辺が青年将校から極めて憎まれ
ていたことは当時から周知の事実であり、斎藤や高橋が襲撃されてから1時間経過してもなお事件発生を知らせる情報が彼の元に入らず、結果殺害されるに至っ
たことに対し、彼の身辺に「敵側」への内通者がいたという説もある。


殺されるであろう事を感じた渡辺は、傍にいた次女の渡辺和子を近くの物陰に隠し、拳銃を構えたが、直後にその場で殺害された。父の死を目の前で見た和子の
記憶によると、機銃掃射によって渡辺の足は骨が剥き出しとなり、肉が壁一面に飛び散ったという。布団を楯にして応戦したという記録もあるが、和子によると
それは事実に反し、銃撃を避けるため畳の上に体を横たえて拳銃を構えていたという。渡辺邸には警護のため牛込憲兵分隊から派遣された憲兵伍長と憲兵上等兵
が常駐していたが、襲撃前に電話を受けて2階に上がったままで、渡辺に警告することも護衛することもなく、不審な行動だったとして和子に疑問を抱かせてい
る。結局渡辺は一人で応戦し、命を落としたのも渡辺だけであった。

渡辺は事件後に位階を一等追陞されるとともに勲一等旭日桐花大綬章が追贈された。

渡辺は天皇機関説を徹底的に弾圧した前任の真崎とはまったく人物の度量が異なっており、渡辺の自由主義的な発想や意見は、そもそも人文社会科学的な教養に乏しい過激青年将校の憎悪を招いた。


61歳だったそうです。返す返すも、理不尽な暴虐です。

2.26当日は、深い雪だったそうですが、今日も寒い一日でした。



用事があって、故郷の実家に帰ってきました。

車で実家のすぐ近くまで帰りついた時、フロントガラスの前方にこんな鳥がいました。

これなあに?











ヒヨドリでもなく、ツグミでもないようなのですが?



ひょっとしてと、以前写したホシムクドリの画像と見比べても、、違うようですね。

_K527029.jpg



IMGP3862.jpg



それではイソヒヨドリでしょうか?

 

後楽園のイソヒヨドリ

 

 

 

 

 

 

 

 

以前写したこれは♂で、今日見たのが♀?ということにしておきましょうか?





後楽園のイソヒヨドリ



後楽園のイソヒヨドリ posted by (C)kazg

お詳しい方ご教示くださると嬉しいです。



寒い寒いといいながら、春はしずかに近づいてきている、、、のでしょうか?



これは、わが家の近所の公園の梅の花。







実家の庭にも、春の兆しが感じられました。

赤い馬酔木。



白い馬酔木。



オオイヌノフグリも咲き始めました。















木蓮のつぼみもふくらんで、、





きょうはこれにて。


nice!(37)  コメント(6)  トラックバック(0) 

nice! 37

コメント 6

yakko

お早うございます。
白い馬酔木は初めて見たような気がします。
こちらでもオオイヌノフグリが見られるようになりました。
by yakko (2016-02-27 09:02) 

kazg

yakko様
オオイヌノフグリ、毎年、時期を違わず春を告げてくれますね。
by kazg (2016-02-27 09:51) 

momotaro

この記事も皮算用にいただきましょうか、戦前の風潮を伝える貴重な記事ですから。
いくつか拝見した小林多喜二さんの記事が見つからないのですが…、よろしくお願いします!
by momotaro (2016-03-01 07:00) 

kazg

momotaro 様
拙ブログで小林多喜二さんに触れた最新の記事は
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-02-01-1
です。過去の記事にも、いろいろリンクを張っています。
その意味で、かなり重複しますが、以下の記事が、それぞれ関連はありそうです。ただ、いつものように話があちこちそれて「皮算用」のお役に立つかどうかは、はなはだ心許ないですが、ご参照くだされば光栄です。
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-06-06
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-15
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-03-05
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-02-20
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-03-15
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-02-10
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-02-02
by kazg (2016-03-01 23:58) 

momotaro

REコメントを拝見する前に先ほど自力で探してきました、2月1日の記事。
ノーパサランの記事、長いので後回しにして、そのまま忘れていました。
たいへん勉強になりました。感謝!
by momotaro (2016-03-02 03:55) 

kazg

momotaro様
書き殴りの記事を、お読みいただき、大変恐縮です。改めて反省しています。
by kazg (2016-03-02 06:41) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA