日生の詩歌 第二回 鉄幹・晶子の歌、の巻 [文学雑話]
備前市加子浦歴史文化館の「文芸館」で「自由にお持ち帰りください」とあった資料プリント「日生の詩歌」には、続けて、近代短歌において「明星派」を率いた与謝野鉄幹・晶子の歌も紹介されています。
昭和八年、友人正宗敦夫氏を日生に訪ね、船遊びを楽しんだ時の歌だそうです。
なお、正宗敦夫氏の経歴をウィキペディアにたどると、次の通りです。
岡山県和気郡穂浪村(現在の備前市穂浪) 生まれ。小説家で文学評論家の正宗白鳥の実弟。東京を活動の拠点とした兄とは違い郷里で家業を営み、その傍ら作歌をし、国文学の研究を行った。短歌は井上通泰に師事し、島木赤彦、斎藤茂吉などとも親交を持った。昭和27年(1952年)、ノートルダム清心女子大学教授。 昭和6年(1931年)、万葉集の歌のすべての用字をまとめた『萬葉集總索引』を編集。また、歌文珍書保存会を主宰し、古書・稀少本を収集し、昭和11年 (1936年)、財団法人正宗文庫を設立、自宅の敷地内に文庫を建設。文庫は貴重な資料庫として現存している。 |
鉄幹・晶子の歌を、抜粋して引用します。
与謝野鉄幹 今日乗るは 万葉集の 船路なり 虫明かくれ 家島の出づ 大多府の 島のいさり男 岩に立ち 秤にかけぬ 三尺の魚 讃岐より 小豆鳥まで及びたる 雨暗けれど 楯ケ崎晴る 与謝野晶子 つまごひの 鹿海こゆる 話きき それかと見れば 沖のつる嶋 大名府の 嶋の港よ 涼しげに 家のならびて 人を見ぬかな ほのかにも 潮の音して はしけやし 柑子の枝に そよ風の吹く 大伯王 生まれましつる海行きぬ 我等は 今の世も 小船にて |
晶子の「つまごひの」の歌は、「日生駅前公園」・「みなとの見える丘公園」に、野生鹿のブロンズ像とともに碑に刻まれているそうです。
画像は、おかやま旅ネットのこのページからお借りしました.
この歌にある「沖のつる嶋」とは、日生諸島に属する無人島「鶴島」を指すのでしょう。
またまたウィキペディアにお聞きしますと、こうありました。
江戸時代は岡山藩の鶴島守護役が個人所有する無人島だった。浦上四番崩れと呼ばれる長崎浦上のキリスト教弾圧の際、捕らえられたキリシタンのうち117人が明治2年(1869年)に岡山藩に預けられ、翌年9月に鶴島に送られた。明治6年(1873年)に信教の自由が認められるまで、開墾と改宗を強制されて18人が死亡している。島の南東の斜面に墓地があり、自然石による墓石や殉教者碑、十字架が建立されている。改宗の祠などともに墓地は備前市の文化財に指定されている。 |
備前市加子浦歴史文化館に額に入れて掲示してある航空写真をご覧ください。
中央部の大きな島が鹿久居島で、その西部に接してある小島が、鶴島ですね。隣には首切島という物騒な名前の島もあります。画像を拡大してみます。
ところで、鹿久居島の東部近くに、大多府島(おおたぶじま)があります。
鉄幹・晶子ともに、この島を歌に詠んでいますが、私自身の記憶では、小学生時代のバス遠足で、ここをたずねたことがあるような気がしますが、はっきり覚えておりません。
晶子の引用歌の最後に、「大伯王」という人名が登場しますが、これは、万葉集にも歌を大伯皇女(おおくのひめみこ)のことかと思われます。大伯皇女について、古い記事「猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな」にこんなことを書きました。
『枕草子』に「池は」という章段があります。
【とことん勝手な解釈。(ちょっと古い桃尻語訳風)】
大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」 「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう
「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」 大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。 わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし 「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」 二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ 「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」 実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。 全 くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(お |
この話題、次回に続きます。
今日は「雛祭り」=「桃の節句」です。
産院のサービスイベント「祝い膳」に、送迎係とカメラマン兼務で、ジイジも招待していただきました。
結構なご馳走でした。
産後初めての外出、外気浴、日光浴を経験することになりましたが、陽光麗らかな好天気で、暖かい一日で大助かりでした。
あいにく、小学生二人は相次いでインフルエンザB型にかかり、学校を休んで寝ていますが、特効薬が効いて、熱も次第に下がり、退屈をもてあましているようです。
暖かさに誘われて、午後は畑に出かけ、ジャガイモの植え付け作業をしてみました。ここ何日か、植え付けのタイミングをはかっている内に、種芋の切り口にカビが生えたりしてしまったのですが、さて、どうなりますか?
うまく収獲できたら、ご報告いたします。失敗したら、、、知らぬふりで、黙殺するでしょう(笑い)。
では、今日はこれにて。
ジャガイモの吉報楽しみにしています (^_^)v
by momotaro (2016-03-06 07:29)
momotaro様
そう望みたいところですが、、、(笑)
by kazg (2016-03-06 09:16)