ほっこりと四国弥次喜多ぶらり旅(1) [友人]
少々ご無沙汰しました。
所用があって、海を越えて香川県まで行ってきました。
行き先は、学生時代の先輩Gさんご夫妻のお宅です。夏に予定するインフォーマルな同窓会の準備のために、Gさんのお宅を借りて、宿泊を伴う集まりがあったのです。
駐車場の都合もあって、極力乗り合わせて行くのがよかろうと、京都から来るM君の車に、M女史と私が乗せてもらうことにしました。
四国に渡るには、瀬戸大橋〈児島―坂出ルート=備讃瀬戸)を通るコースがまず思い浮かぶところですが、M女史のアィデアで、宇野―高松のフェリーを利用して高松まで渡り、明石大橋経由でてやって来るM君の車に拾ってもらう、という方法を採ることにしました。
往時に比べると、フェリーは運行業者も便数も激減し、「四国フェリー」だけが、ほぼ一時間ごとに運行しているようです。
ウィキペディアの記事を抜粋します。
本航路は瀬戸内海における本州と四国を結ぶ主要航路の一つである。国道30号の海上区間を担う。四国フェリーがフェリーを運航している。以前は下記の2社も運行をおこなっていたが、2012年10月までに撤退・休止した。 津国汽船(本四フェリー) - 2004年3月より四国フェリーとの共同運航となり、2009年3月31日の受け持ち便をもって廃止した。 宇高国道フェリー - 2012年10月17日の運行を最後に休止。「宇高」の読みは「うこう」ではなく「うたか」である。休止後、運航休止期間(1年間)を一度延長したが、 2014年10月17日にその期限が到来した。これについては発表や報道がないが、再延長がなければ航路廃止となる。 また、かつては旧国鉄・JR四国が同一の航路となる宇野駅 - 高松駅間で鉄道連絡船(宇高連絡船)を運航していた。この鉄道連絡船を含めると、宇野と高松を結ぶ定期航路は1910年以来100年を超える歴史を有する。 四国フェリーの船上から撮影した宇高航路全域のGoogle ストリートビューが2015年1月22日から公開されている。 |
「国鉄宇高連絡船」は、故郷と大学との行き帰りに必ず利用しました。以前、懐かしの切り抜きメモ、の巻の記事でこんな古い文章を引用したこともありました。
特別付録 君への私信fromタンニン 〈中略) 当初、「T高校」の名を告げられて、不覚にも私は、いずれの土地のどういう学校であるかを、とっさには思い浮かべることができなかった。地図を探してやっ と、県南端の、海に面する地、宇野港を擁する街であったことに気づいた次第だ。そういえば私の親しい友人や知人の中にもT高の卒業生や関係者があったこと にも気づかされた。 また、宇野港(宇野駅)には、まんざらゆかりを持たない私ではない。大学時代、郷里と大学との往来に,必ず経由し、格別の感慨を持って眺めた港であり、街 並みであった。高知発深夜11時の快速列車に揺られ、翌未明高松を経て連絡船に乗り込むというのが、私の帰省の旅の常であった。 人並みの失恋や、人生上の苦悩を抱えながら,熟睡できなかった眼に、宇野港の灯の次第に近づくのが映る。まだ深く寝入っている町並みの、家屋の姿がほんの りと浮かんで見える。降り立った駅構内に、人影はまばらであるが、それでも確かに他ならぬ岡山弁が交わされている。 「ふるさとの なまり懐かし 停車場のーーー」と詠んだ啄木ではないが、懐かしい故郷の、ごく間近まで帰り着いたという安堵感をもたらしてくれるのが,この港であり、街並みであったわけだ。 (以下略) |
私は当時、運転免許も車も持っていなかったので、借り物のおんぼろワゴン車を友人に運転してもらって,T市へ向かう途中、後楽園で一休みしたのでした。 まだ瀬戸大橋も高速道路もない頃で、大歩危小歩危などという有名な難所を越え、宇高フェリーを使っての長い旅でした。友人は、岡山には用事もゆかりもな かったのですが、友情を発揮して,ドライブがてら私の引っ越しの手伝いを引き受けてくれたのでした。大原美術館にも寄ったりしながら、,T市まで私を送り 届けてくれて、彼は、K県に引き返しました。教師生活のはじまりから、こうして人のお世話になり続けて37年経ちました。 |
また、同じカーフェリーでも、津国汽船(本四フェリー) は、釣具店で往復割引券が買えたので、よりリーズナブルな移動方法として瀬戸大橋架橋後もよく利用したものでした。
「四国フェリー」は、「直島行き」航路を利用したことは何度かありますが、高松行きはなじみが薄かったのですが、現在、唯一「四国フェリー」だけが営業している野は、皮肉なものです。
くっきりと明るい上天気で、最高の眺望を楽しみながら、のんびりとした瀬戸内の船旅を味わうことことができました。
船のすぐ近くをカモメが舞います。
船室の窓ガラス沿いの撮影なので、鮮明さも色合いも劣りますが、めったに得られない写真が残せました。
3月の瀬戸内海のカモメ posted by (C)kazg
3月の瀬戸内海のカモメ posted by (C)kazg
3月の瀬戸内海のカモメ posted by (C)kazg
3月の瀬戸内海のカモメ posted by (C)kazg
3月の瀬戸内海のカモメ posted by (C)kazg
フェリーを降りると、M君がこの車で待っていてくれました。
窓ガラスにもこのステッカー。
瀬戸大橋を使わずに、フェリーで高松に渡ったもう一つの目的は、ここを訪ねること。、
「池上製麺所」と「るみあばあちゃん」については、これらの記事でご紹介したことがありました。
私版 備忘のためのおすすめ記事、の巻
「るみおばあちゃん」のうどん 続報、の巻
M君もM女史も既にこの店に行ったことがあるそうで、私を案内してくれたのでした。
おぼろな記憶と大体の地図をたよりの道行きで、行き過ぎたり、道を外れたり、行き止まり道に迷い込んだりと、愉快な弥次喜多道中を楽し無うちに、ちょうど良い頃合いに到着。
のれんをくぐると、入り口脇で椅子に腰掛けたるみおばあちゃんが、にこやかに迎えてくれます。
お願いすると、快く記念撮影に応じてくださいました。
自分の座っていた椅子から立ち上がって、こちらを椅子に座るよう促し、身体を寄せてパチリ。
上は、るみおばあちゃんとM君のツーショット。
私のカメラで撮りました。
るみおばあちゃんと私のツーショットは、M君が写してくれましたが、今はまだ彼のカメラの中に保存されているはずです。
お土産に生うどんを買って帰りました。
M君の専門分野は理科・生物方面。ですのに、地理、歴史、音楽と、他分野への興味も旺盛で、スポーツも得意。スキーの競技大会にも出場しているそうです。
最近は、自転車を車に積んでいて、移動先で気に入った場所があるとぶらりとサイクリングするのが楽しみとか。その自転車は、時にはビラ配布の相棒にもなる
ようで、身体運動にも社会運動にも役立つらしい。充実のシルバーライフですなあ。
京都府在住の関西人なのに、妙に四国のことにも詳しい。うどん屋さんも、何件も行脚しているらしい。
本来の目的の会合の開始時間までには、まだ余裕があるので、もう一軒、別のうどん屋さんに寄っていこうということに。M君のお奨めで、観光マップでは無名だが地元の人には人気といううどん屋さんを目指します。
この道だったかあの道だったかと「ブラタモリ」旅の果てに、到着したのは路地裏のこのお店。
これまた、オリジナリティたっぷりのつるつるシコシコ細麺に、イリコたっぷりだしのつゆが絶妙でした。
本来の会合と、それにつづく夜の部の果てしもない歓談は、知的刺激に満ちた豊饒な時間となりました。
各地の名酒や、名産品を持ち寄りました。
こんな華やかでかわいらしいお土産もありました。
粋更 桐箱入り おいり [香川の伝統和菓子/引き菓子/引菓子 おいり]
- 出版社/メーカー: 中川政七商店
- メディア: その他
Gさん手作りのお料理や、写真に撮るのは忘れましたが、N先輩が鍋のまま高知から持ってきて下さった奥さんお手製の「猪鍋」、H女史が高知から携えてきて下さった「田舎寿司」、折り詰めのお弁当などなど、食べきれないご馳走が並びます。
奈良県在住のNさんは、参加できないけれど「柿の葉寿司」を送って下さいました。
一升瓶2本と5合瓶2本がほぼ空っぽでした。
きょうはここまで、としたいところでしたが、悲報を一つ。
香川への旅をご一緒したM女史から、今日電話がありました。
M女史「今朝の新聞ごらんになりましたか?」
私「なに?」
M女史「H君が亡くなったって」
私「・・・」
H君は、大学時代の後輩で、学部も異なりますが、自治会の委員長を務めていましたので面識はありました。去年の11月のこの記事のプチ同窓会に、福岡から参加してくれました。30数年ぶりの出会いでした。
この時点で既に、大病を得て療養中の身だったそうで、痩躯は痛々しいほどでしたが、頑健な意志力でみずからを律し、むしろ悩みをもつ友人を励まし力づけている姿が印象に残っています。
闘病かなわず、3月26日されたそうです。六一歳でした。
安らかにお眠り下さい。
車に貼るのは良いですね。この間の福島行では
アベ政治は許さないと9条のうちわです
瀬戸内海の海は穏やか、カモメも心なしか優雅に見えます
最後のは和三盆ですか? 美味しいですよね。とろけます
by majyo (2016-03-29 19:35)
majyo様
車のステッカー、アピール力ありですよね。
この日の瀬戸内海は、ちょっと風があり、そのため
波が少しありましたが、穏やかな海でした。
「おいり」は、餅米から作られる餅菓子(あられ)で主に結婚式の引き出物として用いられル縁起物だそうです。
by kazg (2016-03-29 23:13)
いい交際が続いているんですねぇ
きっとそうそうたるメンバーなんでしょうね〜
by momotaro (2016-03-30 05:44)
momotaro様
40年、別々の場所で別々人生を歩み、なおかつ自然に心が通う存在というのは、ありがたいものだと思います。
by kazg (2016-03-31 05:58)