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「大逆事件シリーズ」補遺、管野スガの巻 [折々散歩]

昨日の記事で「大逆事件」シリーズは終えたつもりでしたが、少しだけ追加することにします。

大逆事件のネット記事を検索しているうちに、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部

のブログに、大石誠之助を扱った記事をみつけました。

昨日までの私の記事と重なる部分や、さらに詳細な解説があって、多くを教えられましたので、ご紹介させて戴きます。

http://doumeinews.exblog.jp/11699122/
また、このブログの中で、大逆事件(幸徳事件)で刑死した12名のうち、唯一の女性である管野スガ(ペンネームは須賀子)について特集してありました。



2013年管野スガを顕彰し名誉回復を求める会結成総会

〈連載〉管野須賀子の虚像を正して名誉の回復を

〈連載2〉管野須賀子の虚像を正して名誉の回復を

〈連載3〉管野須賀子の虚像を正して名誉の回復を

〈連載4〉管野須賀子の虚像を正して名誉の回復を


管野スガについては、昨日の記事で紹介した「紀伊民報」の2012年12月26日付コラム「水鉄砲」にも、こんな記事がありました。
 

大逆事件で処刑された管野須賀子の記録映画『100年の谺(こだま)』を見た。1911年、明治天皇の爆殺を図ったとして須賀子ら12人が死刑を執行さ
れ、12人が無期懲役になった。うち6人は新宮の出身。事件は社会主義者の弾圧を狙った冤罪(えんざい)だったといわれる。

 ▼須賀子は一時、田辺市の高山寺住職で反骨の人、毛利柴庵の牟婁新報で働いた。この間、同僚の社会主義者・荒畑寒村と結婚した。彼が下獄中、大逆事件の
首謀者とされた幸徳秋水と結ばれた。恋多き女性の生涯は、瀬戸内晴美著『遠い声』に詳しい。刑の執行を待つ間にも、須賀子は「最も幸福だった田辺時代の夢
をよく見る」と回顧した。
 ▼この映画は、須賀子を社会の平等と女性の解放を言論で訴える不屈の女性として描く。彼女を通して大逆事件の現代的な意味も問うている。制作には新宮市
の「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」の有志が協力した。会は新宮出身の作家・中上健次が生前書きたかったテーマだったことから、同級生らが立ち上げ
た。
 ▼田辺の有志の手で刊行された池田孝雄著『地域から歴史をみる』によると、大逆事件以後、新宮出身者は近衛兵に採用されなかったし、田辺周辺の関係者も
「かまどの灰をふるうまで」徹底捜索を受けた。「日本全体が冬の時代に引き込まれるきっかけになった」とある。
 ▼関係者の社会的な名誉回復は進むが、法律上の復権はまだない。(倫)



映画「100年の谺(こだま)」のチラシには、こうあります。

獄中から秘かに託された針文字の手紙。

その送り主は、大逆事件に連座したただ一人の女性、管野須賀子である。100年前に書かれた手紙は何を物語るのか。 

「針文字の手紙」とは、「毎日新聞2010年1月29日』記事によれば、このようなものだそうです。

 大逆事件:管野スガの書簡見つかる 幸徳秋水の無罪訴え

 1910(明治43)
年の大逆事件で処刑された社会主義者ら12人のうち唯一の女性、管野スガ(須賀子、1881~1911)が同じく処刑された幸徳秋水
(1871~1911)の救済を求め、獄中からひそかに新聞記者に送った書簡が、千葉県我孫子市で見つかった。当時の検閲を恐れてか、書簡は何も書かれて
いない白い和紙に見えるが、針で細かい穴が開けられており、光にかざすと文字が浮かぶ。今年は事件から100年。研究者から「これほど長く極秘に保管され
ていたとは」と驚きの声が上がっている。【武田良敬】

 書簡は、朝日新聞記者として活躍した杉村楚人冠(そじんかん)(1872~1945)の旧
宅の居間にある書棚から発見された。秋水の同志で、同居していたこともあるスガが「自分たちは近く死刑宣告を受けるので、よく調べてほしい。秋水に弁護士
をつけてほしい」と訴える内容。末尾で「彼は何も知らぬのです」と秋水の無罪を訴えている。日付は6月9日と記されている。

 書簡はきれいに16
折にされ、封筒に入っていた。「6月11日東京・牛込局」の消印で差出人は不明。当時、スガや秋水は獄中で取り調べを受けており、書簡が届けられた経緯は
不明だが、我孫子市教育委員会の小林康達調査員は「私外(ほか)三名」といった文面からスガ自身がつづった可能性が高いと分析。「歴史のドラマそのもの
だ」と話す。

 楚人冠は秋水の古い友人で、スガとも知り合いだった。事件後も欧州特派員などとして活躍したが、書簡については生涯沈黙し、ひそかに保管していたとみられる。

 大逆事件に詳しい山泉進・明治大副学長(政治思想史)の話 100年間も極秘に保管されていたのは驚きだ。大逆事件関係者の思想や人間性を再評価するうえで、極めて貴重な資料だ。

 ◇書簡の全文◇

京橋区瀧山町

 朝日新聞社

  杉村縦横様

    管野須賀子

爆弾事件ニテ私外三名

近日死刑ノ宣告ヲ受ク

べシ御精探ヲ乞フ

尚幸徳ノ為メニ弁ゴ士

ノ御世話ヲ切ニ願フ

  六月九日

 彼ハ何ニモ知ラヌノデス

※「縦横」は楚人冠の筆名





一見、白い和紙に見えます。



光にかざすと、針の穴で書かれた文字が浮かびます。



自分を含めた4人が死刑に処せられることには覚悟ができているが、その他の人は無関係であり、幸徳秋水は何も知らずに濡れ衣を着せられたので、弁護士の世話をお願いする、というのです。針の一刺し一刺しにこめられた切なる思いが痛ましい限りです。


須賀子が獄中で読んだ詩をいくつか拾っておきます。

限りなき時と空とのただ中に小さきものの何を争ふ

十万の血潮の精を一寸の地図に流して誇れる国よ

やがて来む終の日思ひ限りなき生命を思ひ微笑みて居ぬ

野に落ちし種子の行方を問ひますな東風吹く春の日待ちたまへ

二百日わが鉄窓に来ては去ぬ 光と闇を呪ふても見し

身じろがぬ夜寒の床に幾度か 忍びやかなる剣の音きく

残しゆく我が二十とせの玉の緒を百とせのちの君にさゝげむ

(『玉の緒」はいのちです。没年満29歳でした。「百とせのちの君」が誰かは不明ですが、私たち後の時代の物のために、命を捧げて呉れたことは、客観的に間違いないことです。)

くろがねの窓にさし入る日の影のうつるをまもり今日も暮らしぬ

(辞世の歌とされます。東京・代々木の正春寺に建てられた碑に刻まれているそうです。)





須賀子が死刑判決を受けた明治四十四年一月十八日から、死刑が執行される前日の24日までの日記が、「死出の道艸(みちくさ)」として残されています。こ
れを読み解くことで須賀子の実像に迫ろうとした瀬戸内晴美(後の寂聴)さんは、須賀子を主人公とした小説『遠い声』の後書きで、こう書いています。

 「書き終った時、私はペンを置いて泣いた。思いがけない熱い涙があふれるのに自分で愕いていた。書きあげた解放感からの涙ではなかった。私は自分が書きあげた菅野須賀子の生涯の潔さと痛ましさと、過剰すぎる情熱の熱さのために、涙を流したのだと思う」
 

その『遠い声』は、須賀子に深い共感と同情を示しながら、一方では、彼女を理性よりも官能に従順な、恋多き女という面をクローズアップしているように思え
ます。執筆に当たって、元夫の荒畑寒村に取材し、その語るところによって須賀子の人物像をイメージしたためか、寒村の流布したという『須賀子=淫婦妖婦』
伝説(『寒村自伝』など)の影響を払拭し切れていないかとも指摘されています。、「死出の道艸(みちくさ)」の冷静な筆致と、そこににじみ出ている清澄な
精神状態は、むしろ、高潔な知性をこそ感じさせます。

ちなみに、1月21日付の日記にしばし目をとどめてみましょう。

 社会の同志に対する其筋の警戒は益々きびしい様子である。今回の驚くべき無法なる裁判の結果から考えても、政府は今回の事件を好機として、極端なる強圧手段
を執らうとして居るに相違ない。迫害せよ。迫害せよ。圧力に反抗力の相伴うという原則を知らないか。迫害せよ。思い切って迫害せよ。
旧思想と新思想、帝国主義と無政府主義! 

まあ必死と蒲鉾板で隅田川の流れを止めて見るが好い。

(中略)
憐れむべき裁判官よ。汝等は己れの地位を保たんが為に、単に己れの地位を保たんが為に己の地位を安全ならしめんが為に不法と知りつつ無法と知りつつ、心にも
無い判決を下すの止むを得なかったので有う。憐れむべき裁判官よ。政府の奴隷よ。私は汝等を憤るよりも、寧ろ汝等を憐んでやるのである。
身は鉄窓に繋がれても、自由の思想界に翼を拡げて、何者の束縛をも干渉をも受けない我々の眼に映ずる汝等は、実に憐れむべき人間である。人と生れて人たる価値の無
い憐れむべき人間である。自由なき百年の奴隷的生涯が果して幾何の価値があるか? 憐れむべき奴隷よ。憐れむべき裁判官よ。
強権による弾圧・迫害も、蒲鉾板で隅田川の流れを停めるようなものだし、自己の地位保全のために無法な判決を下した裁判官も、哀れむべき政府の奴隷に過ぎ
ず、自由なき百年の奴隷的生涯に人たる価値はない、と言い切っているのです。これは決して強がりではありません。長い「冬の時代」の末に、多大な犠牲を
払って軍国日本が敗北し、私たちが日本国憲法を持った時に、彼女の予言は、揺るぎのない真実となったのでした。



話はますます広がりそうです。ここらでけりをつけないと行けません。

以前こんな記事を書きました。
今日はけりをつけようか、の巻
マンサクの花咲く頃に生まれけり

「鳧(ケリ)」という鳥と、古典語の助動詞「けり」に引っかけた駄洒落ネタでした。
実は今朝、いつもの散歩道(学童の通学路です)をぶらぶら歩いておりましたら、「ケリケリケリ」というけたたましい声が聞こえてきます。何事かいな、と
思って声の方を見やると、大声で鳴きながら空をぐるぐる旋回しては、離れた田んぼに舞い降りるものがあります。
実は、今日は、軽い装備をモットーにOLYMPUS PEN Lite E-PL5+ M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6 という、中望遠レンズを持ち歩いていました。
自動車の通る道路を挟んで遙か遠くの田んぼに、豆粒のように見える鳥ですので、大幅にトリミングするとこんな具合です。











これではとても、証拠写真にしかなりませんので、もっと近寄ってみることにしました。下の写真も大きくトリミングしています。



こちらが近寄って、カメラを向けると、何かそわそわ仕始めた様子で、落ち着きなく叫び声を上げ、何度も飛んで位置を変えます。



空高く舞い上がって旋回したかと思うと、どうもこちらに向かって突進してきます。



何度も同じ事を繰り返すのですが、ピントを合わせる暇がありません。無数の失敗写真の中で、まずまず姿を捕らえているのが、こんなところでしょうか。ノー
トリミングです。相当近くを飛んでいることがおわかりでしょうか?さらにこの勢いで突進してきて、激しい羽音を耳元で響かせてまた上昇・旋回を繰り返しま
す。











気性の激しい鳥だと言うことですが、実に、身の危険を感じる程でした。イヤ、爪もクチバシも、そんなに鋭いと言うほどではなく、身体も大きくはないですが、攻撃的に威嚇してくる様子は、あまり他に類例がないと思えます。







長いレンズを持っていればなあ、と、またいつもの後悔でした。

今日は、元々はこんな風景や花の写真を撮りたくて歩いたのですから、不満はないのですが。

アカメ(ベニカナメモチ)の花。レッドロビンとも呼ぶそうな。



赤いポピー(ひなげし)の花。ツボミの殻が帽子のようでおしゃれです。











青いヤグルマソウ。



麦畑。





実は、今朝はもう一台、PENTAXQ10にpentax100macroというオールドレンズ(AFです)を、純正kマントアダプタで繋いで持ってきていました.望遠マクロを楽しんでみたかったのです。

草の葉の露。



スギナの露。



麦の穂。



赤いポピーのクローズアップ。



残りの写真は、また別の機会に。

今日はこれにて。

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コメント 6

美美

ケリの飛翔、綺麗ですね!
キラキラ雫も清清しく感じます^^
by 美美 (2016-04-23 23:25) 

kazg

美美 様
慣れないカメラで飛ぶ鳥を追いかけるのは難しいですね。やはりファインダーで追いかけたい。
キラキラ雫は、マクロの得意分野ですね。貴ブログを拝見していると、真似したくなります。
by kazg (2016-04-24 07:49) 

yakko

お早うございます。
素敵なお写真ですね !
by yakko (2016-04-24 09:27) 

kazg

yakko様
ありがとうございます。
大豊の濃密な春景色(のお写真)に比べる事はできませんが、どの花も、この季節ならではのつややかな魅力を、全身にみなぎらせているように思えます。
by kazg (2016-04-24 21:27) 

majyo

管野スガ子については 本を読みその名前は知っていますが
寂聴さんの本だったのかなあ?
情熱の人ですね
大逆事件とか、歴史上の忘れてはいけない事ですが
なにやら、怖い今の雰囲気
歴史を紐解くのも大切ですね。二度とあってはならない事として

by majyo (2016-04-24 21:30) 

kazg

majyo様
情熱の人で、かつ、知性の人であったという人物像が掘り起こされているようです。100年経って、、、、。
10年ひとむかしと言いますから、100年は大昔です。そんな大昔の、「遅れた暗黒社会」の出来事が、いま、よそ事でないのが怖いですね、、。
by kazg (2016-04-25 21:13) 

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