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由美子ちゃん事件から思うこと、の巻 [時事]


今朝の地元紙「山陽新聞の」コラム「滴一滴に」こんな記事があリました。
 「由美子ちゃん事件」を知ったのは昨年、日本記者クラブの取材団で沖縄を訪ねた時だっ た。翁長雄志知事が会見で、戦後の忘れられない事件の一つとして挙げた▼1955年9月、6歳の少女が行方不明になり、翌朝、遺体が米軍基地のそばで見つ
かった。暴行された跡があり、米軍人が逮捕された。当時、沖縄は米国の統治下。日本に裁判権はなく、容疑者の身柄はさっさと米本国に移された▼当時の県民
の思いについて、翁長知事は「屈辱」という言葉を使った。沖縄が歩んだ、本土とは異なる戦後を考えさせられる。今月、沖縄県で20歳の女性の遺体が見つか
り、米軍関係者が逮捕された。沖縄ではかつてない怒りが渦巻く。歴史を知れば、その怒りの深さが少しは理解できる気がする▼事件を受け、沖縄からは日米地
位協定の抜本見直しを求める声が上がっている。とはいえ、本土に住む多くの人はピンとこないだろう▼日本に駐留する米軍には一種の治外法権が認められ、公
務中の事件は米側に裁判権がある。今回は公務外で日本側に裁判権があるものの、そもそも特権意識が犯罪の温床になっているのでは、と指摘されて久しい▼米
軍関係者は旅券なしに出入国でき、日本政府は国内にいる米軍関係者の数すら把握できない。そんな事実に驚かされる。私たちは知らないことが多い。


「由美子ちゃん事件」には、うっすらとした聞き覚えはありましたが、詳しくは知りませんでした。本棚の片隅から、瀬長亀次郎著「民族の悲劇」(一九五九年三一書房刊か、一九七一年新日本新書として再刊)と「民族の怒り」(一九七一年刊・新日本新書)を引っ張り出してみました。

著者の瀬長亀次郎さんは、アメリカ占領下の沖縄で、沖縄人民党の設立に尽力し、米占領軍による執拗な妨害・弾圧に抗して、書記長・委員長などをつとめ、那覇市長、立法院議員などを歴任されます。本土復帰後は、衆議院議員(沖縄人民党→後に日本共産党と合流)を七期つとめられました。その経歴や人柄は、瀬長亀次郎と民衆資料不屈館HP胃詳しく紹介されています。

七〇年代のはじめごろ、一度だけ、岡山で瀬長さんの演説会を聴いたことがありました。訥々として、実直な話しぶりが、誠実の固まりのようでした。口先で何か人を説き伏せようとか、自分をエラク見せようとかする空疎な人士(誰のこととは申しませんが)の対極に位置する人でした。

先ほどTVで流れた安倍、オバマ会談後の記者会見でも、性懲りもなく「沖縄の心に寄り添う」というワンパターンのフレーズが繰り返されていましたが、寄り添うべき「沖縄の心」とは、安部さんのような軽々しい饒舌には、つくづくなじみませんね。次のような無数の歴史事実を、名状しがたい屈辱と憤怒とともに、胸の奥深くたたみ込まずにはいられない「心」にほかならないでしょうから。

 米軍と、 その軍属よる沖縄県民への犯罪を思うたびにこみ上げる怒りをおさえることができない。人権無観とかんたんにかたづけられるものではない。殺され、傷つけられ、はずかしめられ、まるで虫けら同然にあっかわれてきた県民の血と涙と怒りつづった歴史がそこにはある。
多くの場合、事件が発生しても米軍は自ら頭を下げて県民に認罪するということはなかった。逆に被害者である県,民.に責任をおしっけるということを平然とやってきた。

由美子ちゃん事件  六歳の少女を米軍が暴行、殺害した事件(一九五五年)
与那嶺悦子さん事件  スクラップ拾いをして射殺された事作(一九五六年)
宮森小学校ジェット機墜落事件 死傷者一〇〇人以上(一九五九年)
後蔵根カツさん事件 「猫と間違えたんだ」 と射殺した金武村での事件(一九五九年)、同じく老農夫を「小鳥と思ったと射ち殺した事件
このように五〇年代においても数えあげればきりがないほどである。その多くは「殺され損」であり、たとえ補償があっても「射殺代金」として六〇〇ドルという根金程度のものであった。
スクラップ:拾いの最中に射殺された婦人などは、立入禁止区域内にはいったから責任は被害-者の方にある、と米軍は言い張つていた。
六〇年代にはいると米軍関係の犯罪はますますふえていった。

一九六一年九月 米下士官,が乗用車で少女四人をひき逃げ、死傷者出す。

十二月 具志川村にジェット機墜落、死亡二、重傷四、家屋三棟全焼。

一九六二年十二月 嘉手納村に米軍輸送機墜落死亡七、重軽傷八人を出す。

一九六三年二月 演習帰りの米軍トラックが横断中の中学三年生を轢殺。

一九六四年八月 北谷村で潮干狩り中の県民が米軍の流弾に当たり死亡。

一九六五年四月  コザ市で米兵が民家に爆弾を投げ込み二戸に被害。
六月、 投下演習中の米軍機が読谷村の民家の庭にトレーラーを落とし小学五年の少女が圧死(降子ちゃん事件)
一九六六年五月、米軍の大型ジェット空中給油機が嘉手納基地近くで墜落、乗用車で定行中の村民一人が,焼け死ぬ。

一九六七年一〇月 嘉手納における燃える并戸水事件。

一九六八年三月 米軍-施設内でメイド渡慶次:菊子さん殺害さる(迷宮:入り)。

一九六九年二月 コザ市で米軍人によるホステス殺し。

一九七〇.年五月 下校中の女子高校生米兵に襲われ重傷(女子高校生刺傷事件)。

九月 糸満町金城トヨさん、酒気通転の乘用車に轢殺さる。

以上あげた事実は、それこそごく一部分で氷山の一角にすぎない。

六〇年以降、流球政府警察局'が発表した資料によっても毎年平均千件以上の米軍人軍属による犯罪が発生している。もちろんこれは、表にでたものだけであり、報複をおそれて泣きねいりしたり、もみ消されたりしたのも含めるとその何十倍になるのか推測すらつかない。

ことあるたびに、米日反動とその手先どもは、米軍基地があるから沖縄はこのように繁栄し、県民の生活は安定してきたのだ、と米軍基地の「恩恵」を宣伝してきた。

しかし事実は、この米軍基地が戦争の根源であると同時に、沖縄県民の生命と安全をおびやかし、人権をはずかしめる一一一一魔の巣であることを物語つている。

(中略)



米兵による女子高校生刺傷事件が発生したのは、一九七〇年,:一月三十日午後一時頃であった。具志川市上江洲は、 一面サトウキビ畑にかこまれ、沖縄ではどこでも見受けられるのどかな農村である。五月:のやわらかい風がサトウキビの葉をそよがしている風景は平和そのものであり、
そこが残虐な米兵による女子高校生の刺傷現場になったとは想像もできない。

その日、前原高校一年生のS子さんは試験を終わっての帰りだつた。家まであとわずか一〇〇メートルの所だった。そこで彼女は、突然物陰からとび出してきた米兵に襲われ、腹部に三ヵ所と後頭部にナイフを刺されて重傷を負ったのである。

腸がとび出し、全身血まみれになって発見された時は人相もよくわからないほどの重傷だった。発見が遅れれ「ればとりかえしのつかない事態になっていただろう。

犯人は、犯行現場から出てくるところを目撃され、上江洲部落に通跡されるや同部落近くの第一六心理作戦中隊の基地内に逃げこんでしまった。

白昼みさかいもなく、しかも被害者の自宅からわずか一〇〇メートルしか離れてない所で発生したこの事件は、その残虐行為とともに県民にはげしいショックを与え、大きな怒りをまきおこした。

「もう米兵の顔をみるのもいやです。一日も早く米兵はぜんぶ沖縄から去つてほしい。この子が歯をくいしばつてたたかったから親子再会することができたが、
もし死体となっていた場合、どうなっていたのでしょう。″私は生きて帰れるとは思わなかったよ、かあちゃん、私最後の覚悟をして舌をかもうとしていたよ、かあちゃん〟娘が語ったとき、私はほんとうになぐさめの言葉もでませんでした」と怒りに体をふるわせて語る母親。

前原高校生:従会は、胸の底からわきおこる怒りを結集して全校生徒参加のもとに抗識集会がひらかれ、どしゃぶりの雨の中を「犯人をすぐ速捕せよ」 「米単はかえれ」
「基地を撤去せよ」と叫んで、基地に向けてデモ'を敢行した。

複帰協は、 S子さんの通学している前原高校校庭で 「女子高校生刺傷事件等米兵による凶暴 犯罪に抗議し、横暴な軍政を糾弾する県民大会」を開催した。

大会には、前原高校生をはじめ、県下から自主的にかけつけてきた高校生三〇〇〇人を含め、一万二〇〇〇名が結集していた。

「鬼畜におとる残虐行為、戦場の狂気をむき出しにした野獣のような極悪非道な行為」と各代表は米軍を糾弾した。

前原高校砂川校長は「米軍は一般将兵からランパート高等弁務育まで狂っている」と慣りをぶちまけ、S子さんの必死の抵抗をムダにしないために、一時的な怒りの爆発に終わらせず間題の本質をみきわめ、団結をかためてたたかいぬこう」と前原高校生従会代表座間味君は訴えた。

(「民族の怒り」より)


一九七二年の本土復帰後も、米軍による凶悪事件は跡を絶っていません。

沖縄タイムスのこのページに掲載の図表をお借りします。





あちらでもこちらでも風邪がはやっています。先日高熱を出したとして心配していたゼロ歳児は、大事には至らなかったようですが、咳き込むと痛々しさが募ります。昨日、ちょいと「見舞い」に行ってきました。

一方、一歳の保育園児も、ここ一月ほど、熱が上がったり引いたりで、すっきりしませんが、今日も38度超の高熱で、保育園をやすませますので、我が家が託児所になります。午前中は、私一人で、イクメンならぬイクジジでした。あやせば笑うし、聞き分けもあって、ご機嫌は悪くはないのですが、パソコンに向かったりする時間はありません。

というわけで、日が暮れてから、明日のアルバイト仕事のための資料作りやら、ブログの更新やらにとりかかりますが、は過取りません。というわけで、今日の記事はこのあたりで中断となります。

昨日今日と、久しぶりの雨です。

家の前の電線にツバメが止まっていました。

我が家の玄関先には三つほど古巣があるのですが、スズメにいたずらされてこわされたり、占拠されたりで、環境がが悪化したためか去年は巣作りをしませんでした。今年も四月の段階では姿を見せず、寂しく思っておりましたら、ここのところしばしば様子を見に近づいているようです。







今日はこれにて。
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コメント 8

otokomaeda

沖縄の人々が普天間基地の辺野古への移転ではなく基地の撤去にこだわるのは、米軍関係者による犯罪が辺野古移転ではなくならないからですね。むしろ恒久化してしまう。今までに米軍機の事故で沖縄の人々が亡くなったことは、なかったと思いますが、米兵米軍属に、これほど多くの命が奪われていたとは。米軍基地の存在事態が危険極まりない。明日はわが町に平和行進がきます。そこで叫んできます。
by otokomaeda (2016-05-26 13:39) 

hatumi30331

この問題は深い!
言いたいことはいっぱいあるけど・・・
これからもしっかり考えなければいけないね。

雨上がりのツバメ・・・
可愛い〜〜♪^^

by hatumi30331 (2016-05-26 19:49) 

majyo

名前は知りませんでしたが、6歳の女の子の事は
少し前に読み、ここまでとは、と怒りに震えました
そして、私も歌っています
♪ 「沖縄の心に寄り添う」なんてしらじらしくよく言うねと
何と言おうと、心が無い人の言葉は信じる事は出来ません
寄りそうなら辺野古は断念してください
沖縄以外の人は、こういう事実を知り、共に日本国民である事を
自覚して欲しいです
by majyo (2016-05-26 20:35) 

kazg

otokomaeda様
平和行進、お疲れ様。健康には良いですね。
by kazg (2016-05-27 07:45) 

kazg

hatumi30331様
>この問題は深い!
おっしゃるとおりですね。
ツバメ。見かけるとカメラを向けることが多いですが、ボツ写真ばかりで、じっと電線に止まっている姿くらいしか写せません(笑い。
by kazg (2016-05-27 07:48) 

kazg

majyo 様
>♪ 「沖縄の心に寄り添う」なんてしらじらしくよく言うね
まったくそのとおり!
「寄り添う」にはまず耳を傾け、事実を直視し、虚心に心を寄せることが先立つはずですが、ね。、
by kazg (2016-05-27 08:26) 

momotaro

沖縄の気の毒な歴史、また現況、心が痛みます。
「沖縄の心に寄り添って」などというなら「即刻どうにかしろよ」と言いたいですね。
「どうにもできないなら、不甲斐なさを、まず謝れ!」
by momotaro (2016-07-01 06:19) 

kazg

momotaro様
そういえば、あの人が謝るのを見たことがありませんね。
by kazg (2016-07-01 07:21) 

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