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入梅や4代さざめく鄙の家 [家族]

俳人藤田湘子さんの「新実作俳句入門」という本に、「『孫』の名句はない」という文章がありました。句作において孫を題材にするのは、タブーだというのです。
 「孫」の名句はない
まだ、作句をはじめて数か月というある老人会の句会の作品を見せてもらいました。そうしたら、 次のようにお孫さんを、詠った句が続々と出てきました。
(中略)
齢を重ねて、老後の生甲斐にささやかながら作句をつづける人たちですから、私などが傍から嘴を突っこむのはいかがかと思うけれど、率直な話、孫を詠った名句はないのです。 これらの句も同様で、作者個人にとってはそれぞれになにがしかの思い入れがあるわけですが、俳句としてはちょっとどうもということになるのです。
そうすると、「お前は本書の冒頭から、自分のために自分を詠えと言ってるではないか」と叱られそうですね。たしかに自分のために自分を見つめ、自分の身辺から詩因を探しだすことの必要性を強調してきました。けれどもそこのところに、ちょっとややっこしい問題があります。
そのまえに、私は西欧の事情にはまったくうとい男ですが、以前こんな話を聞いたことがあります。
「西欧での家庭的なパーティの席では,次の四つの内容を話題にすることはタブーとされている。①こども自慢、②のろけ話、③ペットの話、④夢の話」
どこの国のどんなふうなパーティなのか、私にはその真偽のほどもわかりかねるけれど、これは、きっとどこかの国のほんとうの話だろうと納得させるものがあります。それはここに指摘された四タブー、いずれも「なるはど」とうなずける。なぜかというと、この四項全部が、きわめて個人的な興味だけのことがらだからで、こんな話題では、相手になるほうがだんだんしらけてくること必定です。
ところで'この四項のうち'夢は俳句でも詠われて'かなりいい句も見られるのですが、他の「こども自慢」「のろけ話」「ペットの話」は、やっばり願いさげにしてもらいたい素材です。もしかりに、作者が躍起になって詠おうとしても、躍起になればなるほど読者の興味は離れてしまうでしょう。素材に普通性がないのです。作者ひとりだけでおしまいという話になってしまうのです。その上、作者の思い入れが強すぎてしまうから、必然的に詩的昇華も乏しく、詩としての、つまり俳句としての純度もきわめて低いものとなってしまうわけです。
余談になりますが、さる老大家が'お弟子さんの猫を詠つたいい句を見て、「君は猫が嫌いだから猫のいい句ができるんだよ」と言ったそうです。老大家は猫好きですが、猫の句でいい句ができたためしがないのです。そう言えば私も猫の句をよくつくり、時にまあまあの出来栄えだと思う句もありますが、私はどっちかというと猫嫌いの部類にはいります。猫好きは、可愛さのおもいが過ぎて客観視できないのでしょう。
(中略)
さて、最初にもどって孫の句ですが、これは四タブーの「こども自慢」の延長といっていいと思います。孫は可愛いい。その可愛さが強過ぎて、俳句の素材として見る客観性が失われてしまうのです。べた賞め、べた可愛がりでは詩的昇華は期待できません。同様に、恋人同士や新婚夫婦が詠うばあいも、客観性に十分配慮すべきです。惚れた夫や妻を詠うときもそうです。妻の句と言えば草田男ですが、 その代表的な句をいくつか挙げておきましょう。

妻二タ夜あらず二タ夜の天の川   中村草田男
吾妻かの三日月ほどの吾子胎(やど)すか
八ツ手咲け若き妻ある愉しさに
妻抱かな春昼(しゅんちゅう)砂利踏みて帰る
玉菜は巨花と開きて妻は二十八


新実作俳句入門―作句のポイント

新実作俳句入門―作句のポイント

  • 作者: 藤田 湘子
  • 出版社/メーカー: 立風書房
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 単行本

かなり昔、まだ孫を持たない頃に読んだ本ですが、時々この指摘を思い出します。ブログもまた、同様に、孫の記事は読者をしらけさせるのかもしれません。
と思いつつも、またまた孫の記事です。

ちょっと前、はじめての発熱を経験した生後4ヶ月の孫娘が、すっかり元気が戻ったというので、昨日は、田舎の曾祖父母(私の両親)のもとへ同行してもらいました。お父ちゃんはお仕事ですので、お母ちゃんとバアバが一緒です。近所に住んでいる孫たちは、あいにくそれぞれの予定で忙しく、今日は別。

大きな足になりました。



後部座席のベビーシートに乗せた赤ん坊の様子を、運転席から確かめるため、こんなミラーを取り付けているそうです。







ベビーカーが狭く感じるほどになりました。そろそろ、パーツの付け替えが必要かもしれません





まだ首は据わりませんが、頭を起こす「トレーニング」中。
今にもはいはいを始めそうです。



声を上げて笑います。





それともう一つ。曾祖父母に抱っこされて、機嫌良く笑ったりして喜ばせたかと思うと、恩義のあるじいじ(私)が抱っこしてあやすのを拒絶して泣き叫び、母ちゃんの抱っこを要求したりするようにもなりました。誰彼なく、抱っこされれば安心して身をゆだねていた新生児の頃とはうって変わって。「人見知り」を覚えたのかも知りません。人の顔をまじまじと見て、少なくとも母親をはっきり識別しているのは確かなようです。

我が地方も、昨日梅雨入りした模様です。

今朝は、自治会の草取り作業。「雨でもやるそうです」と、昨日、班長さんから電話があったとおり、雨の中カッパを着ての作業になりました。年に何度かだけのご近所づきあいです。

午後は妻のアッシーで、手待ち時間を後楽園散歩で費やしました。雨の中の散歩を覚悟して、カメラをすっかりビニール袋でくるんだ防水使用にして挑んだのですが、午後にはすっかりが上がり、傘のいらない散歩ができました。画像は、また会を改めてご紹介させていただきます。

梅雨入り前の、晴の日の写真をご覧ください。

麦畑はすっかり刈り入れが終わり、株を焼く煙が空を覆います。この季節の風物詩です。









庭の皐月に、かわいい花が咲きました。











妻の亡くなった父親が、盆栽が好きで、挿し木で増やした苗を、品種名も表示して、幾種類も分けてくれました。ほかにもいろいろないきさつで、皐月の鉢がかなりありました。植え替え、針金かけ、剪定といった管理に精を出していた時期もありましたが、若い頃、鉢の置き場がない住居に引っ越しした機会に、大部分を田舎の実家に預けて、小さな数鉢だけを連れて行きました。かれこれ、30年以上も前のことです。その時の株が、わずかに細々と、数鉢だけ、生き残っています。

手間をかけることをしないまま、放置したため、もはや「盆栽」としての見る影もなく、かろうじて生きながらえている「鉢植え」にすぎませんが、季節がくればこうして律儀に花を咲かせてくれることは、うれしい限りです。

ところで、昨日、実家に行ってみましたら、地面におろして庭植えにしてある皐月が、色とりどりの花を咲かせていました。もはや品種名はわかりませんが、植物としてはその生を謳歌しているのかもしれません。

我が家の不遇な鉢植えの皐月が不憫ですが、この季節しばし目を楽しませてもらうことにします。

去年は来なかったツバメが、巣籠もりしています。まだ、雛の声は聞こえませんが、誕生が待たれます。



今日はこれにて。


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コメント 4

majyo

孫の事を書くと、確かに気になりますね
しかし、私も書きます(^▽^)/
後部座席を見るミラー これは良いしとても可愛い
頭を起す訓練は、大人みたいな気迫を感じます。しっかりしたお顔です
麦の根は、野菜が倒れないように脇に置いて使っていますよ
燃やす時は煙がたなびくのでしょうね
by majyo (2016-06-06 20:09) 

えんや

ツバメは少なくなりました、、、福島の原発事故後に奇形のツバメが発見されていましたが今はどうなんでしょう?
温暖化?農地の減少?農薬の?、、、どうなんでしょう?
by えんや (2016-06-06 21:15) 

kazg

majyo様
私もまだまだ書くと思います(笑)
麦の株を燃やす煙は、一帯に広がりますし、夜は赤く周囲を彩ります。匂いや煤が、住宅地の方まで届きますが、クレームめいた話は効きません。風物詩ということでしょう。

by kazg (2016-06-06 23:02) 

kazg

えんや 様
ツバメは、昆虫や小生物を捕食して生きるので、生態系の頂点近い立場にありますから、環境の変化の影響を増幅して被ることになるのでしょうね。寂しいことです。
by kazg (2016-06-06 23:07) 

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